貸した背中は一級





あそこで、彼女を抱きしめて気持ちを告げることも出来たのだが俺はそうしなかった。いや、出来なかったのか。
不安定な時に告白してしまえば、無条件で彼女は俺に縋ってくるだろう。しかし、そんな上辺の愛は望まなかったし、これからの戦いでもしものことがあるかもしれない。無論、俺が死んだらライナスさんとの約束を破ることになるのだが。

「名前…」

片手では震える彼女の手を強く握り、空いた手は肩に置いた。小さく、細くて長い指。肩も華奢で、今の名前は軍師である時と違い、頼りなかった。

「…!」

何回目になるだろう。名前が俺に抱き着いてくるのは。今回もまた、俺の腕の中にいる彼女は軍師ではなく、名前自身だった。そう、彼女が俺に縋ってくるのは、いつだって辛いことに直面した時。だが、今日は一段とその肩が震えているような気がした。

名前の鼓動を感じる度に、先程留めた想いが溢れてしまいそうになる。

「ヒース…」

俺の名呼ぶ、掠れた声。止められなくなりそうな想い。

「……っ…」
「……ヒース…?」

何の反応もない俺を不思議に思ったのか、彼女はこちらを見上げた。

涙で潤んで揺れる瞳、赤く染まった頬、少し乱れた髪が月明かりに照らされていた。それは、嫌になるくらい俺の理性と自制心を刺激した。

これ以上見つめていると彼女の魔法にかかってしまいそうで、どうすることもできなくて名前を強く抱きしめた。

「…ヒースも、辛いの…?」

伝えられないこの気持ちが辛くないといえば嘘になる。だが今の俺には、果たさなくてはならない約束がある。あの約束を、破るわけにはいかなかった。

「名前の苦しみを、少しでも俺が背負えたら……と思ったんだ」

彼女は俺の肩をやんわりと押し、俺に視線を合わせて、ふわりと微笑んだ。

「ありがとう、ヒース。あと…さっきは取り乱してごめんなさい。私…混乱してしまって…」
「いや、君が平気なら良かった。……もう遅くなってしまったから、早く合流しよう。皆が心配しているだろうから」

そう言って立ち上がり、長い間待たせているハイペリオンの元に向かおうとした時だった。不意に歌声が聞こえ、俺は立ち止まった。

歌う彼女の姿は大層美しく、そして儚かった。




その歌詞はまるで今の俺達を表しているようだった。戦場で出会い、こうしてつかの間の一時を共有していることは奇跡に近いかもしれない。
もう、すっかりこの恋は目覚めてしまったようだ。俺は振り返って、彼女の視線を捕らえた。

「ヒース、」

俺の名を呼んでこちらに歩みを進める彼女の表情は少し微笑んでいるようだったが、それが逆に強がっているようで寂しげにも映った。

(恋、か…)

戦いの最中こんなことを考える自分にもいささか呆れたが、それよりも彼女を絶対に守ろう、という気持ちの方が強かった。彼との約束は関係なしに。

(必ず、守ってみせる。彼女の命も、心も…)





眠っていたハイペリオンを起こし、その背中に飛び乗った。そのあと名前の手を引き、後ろに乗せた。

「俺に掴まって」

名前に一声掛けたあと、相棒に声をかけるとハイペリオンは地を蹴って一気に空へと上がった。
すぐに村が見え、近づくにつれ高度を落とすように指示を与えると、彼はその通りに地上へと向かう。もう少しこの時が続けば良いのになんて考えは振り捨てて、彼女を地に降ろした。

「平気か?」
「…ええ、すごいのね、あんなに高く上がるなんて思ってなかったわ」
「今日はハイペリオンも張り切ってたみたいだから尚更だな」

彼女が皆の元に行くのを確認し、お休み、と挨拶をして俺はハイペリオンを指定の位置に戻すため手綱を引いて歩き出した。
辺りは暗くなっていたが、彼女を迎えにきた人の松明で少し明るく照らされていた。

「ヒースさん、」

声を掛けられて振り向くと、そこには松明を片手に持ったルセアさんの姿があった。

「辺りは暗いですし、お使いになって下さい。私は戻りますので…」
「あ、ありがとうございます」

ルセアさんは男性だが、最初は名前と姉妹なんだとばかり思っていた。あの二人は並ぶと本当に美しく、俺なんかが入り込む余地もなかった。

「…それに入り込んでしまったんだけどな」

俺の不思議な独り言にハイペリオンは小さく鳴いた。何でもないさ、と声を掛けて背中を撫でてやった。最近はペガサス達ともまあまあ仲良くしているようで、こいつが帰って来ても二匹が騒ぐことはなくなった。
前にペガサス達が騒いで、フィオーラとフロリーナを起こすハメになったな、とそんなことを思い出しながらハイペリオンを優しく叩いた。
相棒は再び小さく鳴いて俺をちらりと見てから、早く行けと言わんばかりに目をつむって眠ろうとしていた。





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