再会は残酷にも
それからすぐのことだった。
ヘクトル、エリウッド、リン、マーカスと私が部屋に集まり、次の戦いに備える会議が行われると、まもなく黒い牙のリーダス兄弟との対戦が始まる、とヘクトルから告げられた。
頭が真っ白になった。昔の大切で幸せな日々を取り戻すために今まで生きてきた自分が彼らを倒して先へ進むということが受け入れられず、私はその言葉を拒絶するように、彼らの制止を振り切って部屋から飛び出した。
暗闇の中を走って向かう先はもちろん、大好きな兄弟のところ。場所はわからない。ただ、ここで止まってしまえば、ずっと奥にしまったはずの涙が溢れてしまいそうだった。
森の中を随分と走って突如として視界が開けたと思った瞬間、喉元に剣が突き付けられた。
「何者だ」
「…まさか…黒い牙?」
「質問に答えろ」
残念ながら密偵であろう彼の顔は半分が布で覆われていた上、その目にも見覚えはなかった。あの頃の黒い牙の仲間の顔を忘れるわけはない。自分が抜けた後の新入りなのだろうと私は推察した。
兄を追って敵の懐に飛び込んで、密偵に見付かって、ここで死ぬというのだろうか。そんな自分が哀れになってきて自嘲的な笑みさえ浮かんできた時だった。
「ぐっ……!」
密偵が倒れ、背後に気配がすると思って振り向くと、見慣れた深緑色の髪の彼がいた。必死に追ってきてくれたのだろうか、いつも側にいる大きな相棒も忘れて。
「お怪我はありませんか?」
ヒースが駆け寄ってくる間も動かない密偵は急所を打たれたのか、すっかり気絶しているようだった。それよりも何故、敵の陣地に飛び込んだ私を咎めないのだろう。いっそ、私が全て悪いのだと言ってくれれば喜んでこの軍を裏切ることだって簡単に出来るというのに。
「…ヒース……」
どうしてこの軍の人は、こんなにも私に優しくしてくれるのだろうか。無論、それはヒースだけに当て嵌まることではないのだが、そんな優しさが今の私には辛かった。
「てめぇら、ここで何してる」
声が掛かったと思えば、その声は私が会いたかった、彼の声に違いなかった。振り向くと、あれからずっと逞しくなって身長も伸びているものの、雰囲気は昔と変わらない兄の姿があった。
「ライナス、兄さん…」
思わず、涙が溢れてしまった。泣かないと決めたのに。これでは兄さんを苦しめてしまうとわかっているのに、私の気持ちとは裏腹に涙は止まってはくれなかった。まるで、この先の未来がわかっているかのように。
ライナス兄さんは私に気が付き、伸びている仲間を一瞥して目線を合わせるように腰を屈ませた。
「名前、か……。ったく、おめぇは相変わらず泣き虫だな」
わしゃわしゃと頭を撫でられた。懐かしくて、暖かくて、どうしようもなくて、ただただ涙が出た。彼の言葉をひとつひとつ、覚えていたかった。敵であるはずの、大好きな兄の言葉を。
「お前だろ?ヘクトルだとかのとこの軍師は。噂は聞いてるぜ。にしても、乗り込むには少なすぎねぇか」
どんなに辺りを見回しても、もちろん此処に来たのは私とヒースだけだ。リンたちがこちらに来ないことを願いながら、私は兄さんの姿を忘れぬよう涙を拭った。
風が私たちを撫でる。季節が幾度過ぎても、兄さんは昔と変わらない優しさで私を受け入れてくれた。それが嬉しくて、哀しくて。
「私…!兄さんを、倒すなんて…っ…!」
半ば叫ぶように訴えた。
この状況を生み出したのは兄さんではないのに、もうそんなことを考える余裕さえもなかった。
しばしの沈黙を挟み、兄さんが重い口を開いた。
「…親父と兄貴の作ってきた道を逸れるつもりはねぇよ。悪ぃが、お前がそんな弱気なら俺がお前の仲間を殺す」
兄さんの目は揺らぐことなく私を見つめていた。
父さんと、ロイド兄さんが作ってきた道。戻りたい、と言いたかった。しかし時は既に遅く、私は今の軍で大切なものを作りすぎてしまった。彼らを失うのも、恐かった。
ヒースが心配そうに私を見つめている。彼を、失いたくない。いつの間にかそう考えている自分がいた。
「どうして…どうして戦わなくてはならないの…?兄さん、私…どうしたら…!」
このままでは頭がパンクしそうだった。いっそ、兄さんとは会わない方が良かったのではないかとさえ思った。
膝が震え、崩れ落ちるように座り込みそうになった腕を、ヒースが支えてくれた。
「名前様…!」
ヒースが隣に来た瞬間に兄さんは身を翻して数歩離れ、そしてこちらへ何かを投げた。私の視界は涙でぼやけ、良く見えなかったところをヒースがそれを捕まえてくれた。
「これは…指輪…」
「お袋の形見だ。…名前、約束しろ。俺を倒して、ネルガルを倒して、世界をお前の望む幸せなもんにしろ。わかったな」
呆然とする私をよそに、兄さんはヒースに一言何かを伝えた。それに対して彼は、力強い視線と承諾の意を示した。
その答えを見て、兄さんは私たちに背を向けた。
いずれこうなってしまうということは、黒い牙を追われたあの時から、頭の中のどこかでわかっていたのだと思う。けれど、それを認めてしまえば昔と同じ兄さん達には二度と会えないような気がして、どうしても理解したくなかった。
「ッ…ライナス兄さん…!」
私の必死の呼び掛けに振り向いた彼は、長年慣れ親しんだ、厳しくも優しい兄であった。金輪際、兄と妹という関係としては会うことはないだろう。次、会う時はもう……敵だ。私は今の兄さんの表情を目に焼き付けた。
「いいか。お前はずっと永遠に、俺達の妹だ。忘れるな」
「……兄…さん…っ…!」
辛くて、切なくて、私はとうとう崩れ落ちた。
こんなにも彼らに大事にされていたのに、それに気付かなかった自分を呪った。もっと早く気付いていれば恩返しも出来たのに、今さら兄さんは信念を曲げる気はないようだった。大きなひとつの後悔が私の胸の中に渦を巻き、それが涙となって溢れた。
駆け寄ってきてくれたヒースの胸で、長い間忘れていた涙を流した。いきなり飛び出して来たものだから、エリウッド達が心配して追いかけてくるかもしれない。でも、そんなことを気にする余裕もないほど私の精神は参っていた。
「お前、名前は何だ」
「ヒースと言います」
「……名前は俺の…リーダス家の妹だ。……泣かせたらブッ殺す。いいな」
(必ず守ってみせる。彼女も、この約束も。)
俺は自分自身に固く誓って、ひたすら涙を流す名前に回した腕の力を強めると、彼――ライナスは少し口角を上げたが、どこか寂しそうに見えた。
そうだ、お前は俺たちの妹。
どんなに離れても、会えなくても、何気ない日常を過ごすことが叶わないとしても、一生変わることはない。
思い出なんて寒いものに縋る気は無いが、俺たちはもう止まれない。そうだろ、兄貴。
ライナスは偵察の仲間を抱えながら、自分に語りかけるように心の中で唱えた。
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