それは秘密のはずだった
突然として外が慌ただしくなり部屋を出てみると、ケントさんやセインさんを含め複数の方が宿舎内を忙しなく走りまわっていた。何事かと声を掛けると、やれやれといった表情でセインさんは口を開いた。
「あの…どうかなされたのですか?」
「あー、ルセアさん。それが、名前様が会議中に飛び出していってしまったという話なんですよ。それで俺達も含めて探しているんですけどね、これが見つからなくて…」
そろそろ、戦いも終盤に差し掛かっている。こんな時にいなくなるなんて、責任感の強い彼女には考えられないことだ。会議中なら尚更のこと。何かあったとすれば――
まさか、とは思ったものの不安になり、彼に礼を告げ私はリンさんの元に向かった。
「リンさん?いらっしゃいますか?」
「ルセアさん?ああ、名前のこと聞いたんですね。どこに行ってしまったのか……」
「ええ。あの…誠に失礼ながら、会議ではどのようなことをお話しに…?」
嫌なことばかり頭によぎる。そんな考えを払拭すべく彼女の元を訪れたのに、そんな慰めさえも神は叶えてくれないようだった。
「確か…ヘクトルが、じきに黒い牙の兄弟との対戦になるって言って、それから名前が部屋を飛び出したんです」
私の考えは的中してしまった。
名前さんと黒い牙の関係は、恐らく今の時点で私と元黒い牙のラガルトさん以外は誰も知らないはずだ。ましてや直に戦うであろう黒い牙の兄弟の話をするのはごく当たり前のことで、そんな話で名前さんが飛び出したというのが彼女たちにとって不思議でないはずがない。
しかし名前さんにとっての黒い牙は………
「兄弟…」
「ルセアさんは……何か、知ってるの…?」
リンさんは鋭い。私は思わず漏れた一言に厳しい視線を送る彼女に少しうろたえてしまった。言うべきか言わぬべきか考えた。しかし軍を導く彼女達にはこのことを知る権利がある。名前さんを支える役目としてもだが、友人としても。私は簡潔にだが彼女と黒い牙のことを話すことにした。
恐らく名前さんは兄に会いに行っていて、またかなりの確率で精神的に不安定になっているであろうことが想像に難くないので、まともに話すのは難しいと判断した結果だ。
「名前さんは、リーダス兄弟の義理の妹で………元、黒い牙です」
リンさんはその事実に驚愕しているようだったが、私にそれ以上を話すことは出来なかった。
元黒い牙という過去が、この軍で彼女を苦しめるであろうということは容易に予想できたのだが、この状況でそのことを隠すことができるほど現実は優しくなかった。
「…黒い…牙…!?」
私の言葉を聞いた後のリンさんは、彼女に対する不信感を含んだ驚愕の表情を見せた。裏切られたと思うのも無理はない、黒い牙は敵将に違いない。だが、彼女が所属していたのは過去。とはいえそれを理解させるまでの力は自分にはない、と思った。
「おい、お前。それはどういうことだ?」
「ヘクトル…!」
振り向いた先には、ヘクトル様とエリウッド様の姿があった。私とリンさんの話を聞いていたであろうことは容易に推察できた。エリウッド様はともかく、ヘクトル様はオスティアの密偵である――確か名前はレイラと言ったか――彼女を黒い牙によって失っている。黒い牙に憎悪を抱く彼がいるのもわかっていたのに、周りに気を配らず無用心に話した自分を後悔した。
「おい、どういうことだ!」
「あ…あの…これは…」
「元黒い牙なんて……そんなこと、あいつから一言も聞いてねぇぞ」
私自身も既に後戻りが出来ないところまで来てしまった。しかしこれより先は彼女と黒い牙の問題なので、私が首を突っ込んでまで話す権利はない。
「…申し訳ありません…詳しいことは、名前さんから聞いてください…。彼女は必ず帰って来ますので…」
この緊迫した状況の中、素知らぬ顔で光る月が憎かった。もっと私も、自分の意見を主張出来るようになりたかった。名前さんのことも、レイモンド様のことも、コンウォル家のことも。
「あんたは、なんで知ってるのに言わなかったんだ?」
痛いところを付かれた、と思った。私と彼女は幼い頃からの友人ではあるが、長年連れ添ったわけではない。どうして自分が、この重大事を言わなかったのか。それはもちろん、彼女を傷つけないためではあるのだが、ではなぜ私は彼女をここまで庇護するのだろう。それが当たり前で、理由など考えたこともなかった。少しの沈黙の後、ヘクトル様から突き刺さる視線に耐え切れず私は口を開いた。
「それは……」
「………あと、なんであいつが帰ってくるってわかるんだ」
このことに関しては確信が持てる。
彼女がこの軍を放って寝返るなんてことは考えられないからだ。そのつもりなら、最初から軍の人に心を開いたり仲良くしたりする必要などない。今の彼女の心はきっと、様々な思いが渦巻いているに違いない。そのことを考えると、胸が痛んだ。
「名前さんが、この軍を大切に思っているからです」
私がそう言った瞬間、セインの声が通ったのを皆が耳にした。
「名前様!!」
彼の一声で、彼女を探していた皆が一斉に声の元へと駆け付けた。
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