声が導く先は





彼女はヒースさんの腕に抱かれていた。その様子を見る限り、どうやら全く力が入らないらしくぐったりと体を預けている。見たところ傷はないので、戦闘があった訳では無いことは分かる。

「名前、どうしたの?何があったの?」

リンさんの呼び掛けに、うっすらと目を開けると彼女は周りにいる人を目で確認し、ヒースさんの腕から抜け出した。ゆらりと揺れる体を再度支えようとする彼を、名前自身が無言で制した。

「…ルセアから聞かなかった…?」

今の名前さんはあまりに痛々しく、見ていられず私は目を伏せた。私が話したであろうことを理解している彼女の思いを考えると私まで泣きそうな気持ちになり、ここに戻ってきたことすらも讃えたいほどであった。

「……元黒い牙ってことは聞いたの。でも、どうして」
「何も、言わないで」

語尾を強めて、彼女はリンさんの言葉を遮った。それと同じくしてヘクトル様が彼女に近付き強い口調でそれを咎めた。

「リンに八つ当たりすんな。気になるのは当たり前だろ。大人しく話してもらうからな!」
「……嫌よ」

雰囲気が悪かった。エリウッド様は熱くなるであろうヘクトル様をいつ止めに入ろうかと二人を交互に見ながら様子を見ており、ケントさんとセインさんは心配そうにこちらに気を配りながら、野次馬のように集まってきた軍の皆へ説明をしている。

「…何だと?」
「私の気持ちが、貴方に分かるわけがない…お願いだから、少しくらい放っておいて…!」

私は思わず目をつむった。彼女が感情を露わにするのは非常に珍しいので周りの方々はとても驚いているようだった。ヘクトル様は、その言葉に逆上することなく無言で宿舎へと向かい、リンさんとエリウッド様も、こちらに心配そうな視線を投げかけながらそれに続いた。

「……ヒース、ごめんなさい。あなたを私の茶番に付き合わせ…て……」

緊張が解け、その場に倒れそうになった名前さんをヒースさんが支えた。

「随分お疲れのようですので、名前さんをお部屋へ運んで頂いてもよろしいでしょうか?」

ヒースさんの背中を見送って、私は少し寂しい気持ちに駆られた。できることなら、自分が側にいて彼女を励ましてあげたい。しかし、当の彼女が選んだのは私ではなく、彼。

私は彼女の親友で、それ以上でもそれ以下でもない、と自分に言い聞かせるように頭の中で何度も反芻させた。



駄目よ、名前。
優しくされたって、いつか別れがくるんだから。それをわかっていながら、どうして今の関係以上を望むの?あなたが悲しむだけの気持ちなんて、捨ててしまいなさい―――




私が目を覚ますと、そこは宿舎の一部屋だった。辺りを見回すと一心不乱に本を読み耽っている見慣れた緑色の髪が見えた。

彼はまだ私が起きたことに気づいていないようだったので、先ほどの声の主について少し考えた。おそらく、私の最も尊敬する‘あの人’であることに間違いない。しかし、なぜあのようなことを私に言ったのだろうか。ヒースに視線を移してもう一度考えようとしていたら、目が合った。

「名前さん、気分はいかがですか?」

違和感があると思えば、呼び名が変わっていることに気が付いた。そのことを聞くとルセアから、様付けはやめた方がいいと言われたらしい。それを指摘すると、ルセアさんがと口を開いた。

「あなたが嫌がるから、と」
「ルセアは私のこと、相変わらず良くわかってるわ」

私はそう言って体を起こし、窓の方に視線をやった。今は考えることが多すぎて頭がパンクしてしまいそうだった。それ故、彼にも頼る羽目になってしまったのだ。

「ごめんなさい、ヒース」
「どうして名前さんが謝るんですか?」
「あなたをこの騒動に巻き込んでしまって……」

これ以上、彼を巻き込む訳にはいかない。この問題は私の問題で、兄さんのところに彼が来たのも何かの偶然だ。

「俺のことは構いません。それに、ルセアさんからも…」
「ルセアが、何て?」

私が言葉の続きを促すと少し彼は口ごもって、いえ何でもありません。と言った。ルセアの本心も気にかかったが、そんなことを考える余裕は今の私にはなかった。

「何かあったらすぐに言って下さい。俺に出来ることなら何でも力になりますから」

わかっているんだ。彼に、全てを委ねてはならないことくらい。そうですよね、と頭の中の声に回答を委ねたが、ついぞ返事は返ってこなかった。


いずれ別れる運命。人とは残酷な生き物なの。
ねぇ、名前。あなたにもいつかそれが分かるはず。


「名前さん?」

この想いはどうすれば消えるのだろう。彼を、こんなにも大切に想うこの苦しい気持ち。兄さんを想うのとはまた違う、辛くて切ない感情の波が私の心を揺さぶっている。

「ヒース、」
「なんでしょう?」

彼との未来は考えてはならない。
いや、彼に限らずともこの軍に参加する皆との未来は考えることは禁物だ。私は開きかけた口を閉じて鼻から息を吸い、高ぶる心を落ち着かせた。

「ごめんなさい、何でもないわ」
「失礼ながら、お兄さんのこと…ですか?」

それを聞かれると思い出してしまう、あの平穏な日々。そして自分の置かれた状況。私は軍師としてこの軍を動かし、ネルガルを倒さなければならないのだ。その行く手を阻むのが愛する兄だなんてこと、誰が決めたのだろう。もう一度やり直せる、そう言って欲しい。それならば私はルセアとも出会うこともしないし、黒い牙を抜けたりはしないのに。

「出会わなければ良かったのに、と思ってしまうの」

ヒースは頭に疑問符を浮かべてこちらを見つめている。
いっそルセアともヒースとも出会わなければ私はあのまま黒い牙で、何も知らず幸せに過ごせたかもしれない。そんな考えさえも浮かぶようになってしまった。

「俺は、あなたと出会えて良かったと思っています」

彼の言葉が私の心に染み渡る。先ほど自分が言った言葉を後悔した。彼は私との出会いを、こんなにも誇りに思ってくれるのに、どうして私が彼を否定することがあるだろうか。

「変なことを言って、ごめんなさい。でも、私はただ、昔の平穏な日々を取り戻したかっただけなの」

こんな話をヒースに言ってもどうしようもないことくらい頭では分かっていたけれど、誰かに話さずにはいられなかった。
気付けば空はいつの間にか暗くなっていて、窓の外には月が輝いていた。

「……あなたが俺に、過去を話してくれたのもこんな夜空の日でしたね」

チクリと胸が痛んだ。そう、あの日私はヒースに嘘を付いたのだ。それを明かすことは今は出来ない。私は無言でその話題を避けようと思ったが、ヒースは言葉を続けた。

「俺が、必ず名前さんを守ります。この命に替えても」




1/40
prev  next