気分が悪い。天幕を出ると、太陽こそ強い日差しを保っていたが風も吹いており心地よい天候だった。


Episode:08 Mystery deepens



木陰に腰掛けて小川のせせらぎを眺めていたいだけなのに、沢山の出来事が私の脳裏に浮かんでは消え、休息の時間を邪魔される。
深く息を吸っても頭が休まらず私はほろりと独り言を零した。もちろん、後ろから近づく彼の足音に気づくことはなかった。

「忘れてないけど、忘れたい。全部…」
「前にもそんな言葉を聞いた気がするよ」
「…!クレイン…」

彼は隣に静かに腰を下ろした。私は気まずくてそこを去ろうとしたが、何だか体が重くてそのままの体勢でいることしか出来なかった。
彼の匂いがする。軍にいてもなぜか高貴に感じるこの香りは、しばらく近くにいたせいか覚えてしまった。

「名前は…最近ずっと苦しんでいるように見える」
「そう…かな」
「この前は、その…分かったような口を叩いてすまなかった。君のこと、まだ何も知らないというのに」
「…私の方こそ、突き放してごめん」

彼はそれ以上何も言わなかったし、聞いても来なかった。横目で彼の様子を伺うと、先程の私と同じように小川を見つめていた。
クレインの長い睫毛が彼の目に影を作っており、その瞳から表情は読み取れなかった。

「…似てる、お母さんに」
「君は…僕の母を知ってるのか?」
「あ…いや、何でもない」
「名前!」

ルイーズ様のことを思い出していたせいで、つい口走ってしまった。私としたことが何という失態だ、呼び止めるクレインの声に耳を貸さず私はひたすらに彼から逃れた。

「名前は…ただの傭兵ではないのか…?」






僕は今までの彼女の言葉を頭の中で反芻させたが、それはどれも彼女の過去を知る手掛かりにはならなかった。

「うーん。生きるために傭兵として働いていること、矢を刺そうとしたこと、涙を流していたこと…どれも結びつかないな…」

思えば、彼女は初めて会ったあの時でから雇い主を言わなかったり、秘密の多い人物だった。はじめは普通の女の子という印象だったが、戦いが激化するうちに秘められた内なる闇を見ている気がする。それでも、こんなにも一緒にいるのに何も分からないとは。

「君は…一体…?」

名前のことを知れば知るほど、分からないことが増えて知らない人に思えてくる。本来ならば知るほど理解出来るはずなのに、不思議だ。

あれから彼女は僕を再び避けているようで、話どころか顔を合わせることも少なかった。深いため息を一つ落とすと、後ろから声をかけられた。

「クレイン坊ちゃんでも悩むことがあるのか」
「ディーク…ああ、少し気がかりなことがあってね」
「恋煩いか?」
「な…!そんなこと…!僕はただ心配して…!」

彼は笑いながらどうしたのかと聞いてきたので、彼女の名前は出さず断片的に悩みを打ち明けた。これはクラリーネには到底言えないし、パーシバル将軍に言えることでもなく、ディークは本当の兄のようだと再度実感した。

「まぁ名前は確かに秘密が多そうだ。一人でいることも多いしな」
「…ディーク、僕は名前を出してないはずなんだが…」
「誰のことかなんて言わなくても一目瞭然だ。顔に書いてある」

まさか一枚どころか二枚も三枚も彼が上手だとは思わず僕は驚いた。顔に書いてあるなんて、当の名前が知ったらと心配したがディーク曰く、あれも色恋沙汰には鈍感な部類だろう、と。

「俺はあいつと親しいわけじゃないが、戦う時の目付きは異常だ。お前も見たことがあるだろう」
「うん…それには気付いているよ。凄まじい殺気だからね」
「クレインには悪いが、俺が思うにあいつは―――」


ディークと別れ僕は彼の言葉を何とか飲み込もうとしていたが、どうしてもそれが出来なかった。あんな普通の女の子が、そんな訳ないと思いたかった。
しかし今までの様子から、戦う様子から、言動から、それを裏付けるものはたくさんあった。
それでも何故か名前が気になるのは、ディークの言うように恋煩いなのだろうか、それとも…。


「…名前…」
「!!……クレ、イン…」


僕の目の前に現れたのは、今一番会いたくて、会いたくない人だった。



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