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一斉に烏が飛び立つ音が聞こえた。何かあったのだ。まさか、と思ったが彼の勘に狂いはなかった。カゲロウがフウマ兵に捕らえられた。握り締められた手は震えており、その怒りが如何程のものかが伺い知れる。
父の仇でもあるフウマに、かつての恋人が捕らわれたという事実は彼にとって許し難いことであった。たとえどんな犠牲を払おうとフウマ公王の命を奪うと誓って彼は竹林を進み続けていた。
そんな彼に同調したのはオロチだった。カゲロウの親友である彼女もまた、どんなことをしてでもカゲロウを助けたいと思っていた。
「おい、カゲロウが捕まっているというのは、この辺りか!?」
「そうじゃな…斥候からの情報だとそのはずじゃ。しかし…こう入り組んでおっては、どこにおるかわからんのう。こればかりは、わらわのまじないでも皆目見当がつかぬ」
「とにかく、じっとしていても始まらん。辺りを探ってみるぞ」
第十一話
後悔?いいえ、きっとしない。
たとえこの命を失ったとしても。
余りにも迂闊であったとカゲロウは自身の行動を静かに分析していた。三手に分かれて進軍してから、自分の進む道に最も兵が配置されていることに気づいたのは既に手遅れになった後であった。竹林に覆われるフウマ公国は他国にとっては攻めにくいが、自国兵にとってはカゲロウ達はまさに籠の中の鳥であったのだ。
最後まで守ることの叶わなかった主君へ祈りの念を捧げつつ、共にここまで来た仲間のことを思った。
「オロチ、サイゾウ…」
そして思うのはこの国に住まう旧友のことであった。彼女の柔らかい笑顔をカゲロウは思い浮かべた。父を失い、声を失い、彼女は今どのような気持ちで生きているのだろうか。
サイゾウの父の死には立ち会ったのだろうか。彼とどんな会話をしたのだろうか。会って聞きたいことが山ほどある。カゲロウは近づく足音を小耳に挟みながら窓のない地下牢の天井を見上げた。
「ナデシコ殿…」
「姪に命乞いでもするか?白夜のくノ一も滑稽な姿だな」
「貴様…!私は相手が誰であろうとそのような真似はしない!」
「どうとでも言っておけ!お前は所詮人質なんだ。自分の立場を弁えてから発言するのだな!」
フウマ公王は嘲笑を浮かべて鉄格子越しにカゲロウを見下ろしていた。そんなコタロウに対しても彼女は姿勢を変えることなく凛とした態度で臨んでいた。
「ふん、お前もナデシコも…目障りな奴は全員まとめて、このフウマ公王が葬ってやる!」
背を向けて発せられるサイゾウの言葉を耳に入れつつ、白夜兵としての尊厳を失う訳にはいかないと、カゲロウは自身の主君を思い浮かべて気持ちを落ち着かせた。
カゲロウが捕虜として捕らえられてる地下牢までの道のりはさほど遠いものではなかったが、コタロウ派の兵に見付かないように事を運ぶことが難を極めていた。それでもナデシコ達はカゲロウの救出への道筋を見出そうとしており、幸か不幸か、この夜の月の光はやや弱い。計画を実行するのは今夜しかなかった。
「行きましょう。カゲロウさんの元に。必ず助けるのです」
ナデシコは昔出会った友人の姿を思い出していた。あの時からカゲロウは頼れる姉のような存在だった。フウマ公国より外のことは知識としてしか知りえなかったが、彼女やスズカゼと触れ合うことでナデシコは色んなことを知っていった。
彼女もまた、スズカゼと同じようにナデシコが巫女になるのを応援してくれた一人である。
「ナデシコ様、特に兵の姿もなく順調です」
臣下の言葉通り兵の姿はまばらで、弱い月の光では彼らの目にナデシコ達の動きは映らなかった。竹林を利用して姿を隠しながら地下牢に近づくもそこには偵察通りの見張りが立っていた。
臣下の一人が吹き矢で見張りを眠らせて、数人で中へと入る。冷たい空気が階段の下から上がっているのを感じる。灰色の床と壁がより一層その冷たさを引き立たてていた。
「カゲロウさん…!無事でよかったです…」
「ナデシコ殿…!なぜ此処に…」
地下牢の見張りから奪った鍵を片手にカゲロウの元に駆け寄ると、彼女は心底驚いた表情を見せていた。それもそうであろう、白夜王国にはナデシコの消息は一切伝えられておらず、カゲロウはおろかスズカゼやリョウマですらその詳細を知る余地はなかったのだ。
「貴女のことは私が守ります…。もう誰も傷付けたくないのです」
「しかしナデシコ殿、私を助けるなど危険すぎる!直ぐにでも戻ってくれ…」
「いいえ。私は決めたのです。カゲロウさん、行きましょう」
「何処へ行くというのだ?ナデシコ」
ナデシコ様、と臣下が悲痛な声で彼女を呼ぶ音が地下牢にこだまする。振り返らずとも分かる、慣れ親しんだ声。ナデシコがカゲロウに申し訳ないと言わんばかりの視線を投げかけると、彼女もまた目を閉じてそれを受け取っていた。
「お前は生きてこの国から出られると思うな。姪とはいえ許すものか…。おい、お前達!この裏切り者をあの場所へ放り込め!」
「カゲロウさん…!」
コタロウはナデシコを臣下に連れていかせた。“あの場所”がどこを示すのかカゲロウには分からなかったが、竹林の中に孤立した建物があるのだろうと悟った。しかし、もしかしたらその場所は生きながらにして苦しみを味わうのかもしれない。特にこの男なら自分の姪でもやりかねない。カゲロウは焦っていた。
自分の立場が変わったわけではないがこのままではナデシコの命が危ない、くノ一としての直感がそう告げていた。
「ナデシコ殿…!」
「ふん、カゲロウ…。残念だったな。せいぜい来ない助けを待つことだ」
「貴様、ナデシコ殿をどうするつもりだ!」
「どうする?そんなことがお前に関係あるか?ここから出て助けに行くのなら、話は別だがな。ははっ!そこで好きなだけ喚いていればいい」
にやりと笑ってコタロウは地下牢から姿を消した。カゲロウはナデシコが来てからずっと鉄格子を握っていたようで、ふと手を見ると赤錆が付いていた。これは昔にここに投獄されていた捕虜の血が固まったものなのだろうか。カゲロウはぼんやりと考える。
「ナデシコ殿…どうか無事で…」
カゲロウさん、と再び自分の名を呼んでくれたのだ、声を失ったと聞いていたためにそれだけで良かったではないか。主君への伝言を伝えられないのは心残りだが、かつての友の生きる姿を見られたのは不幸中の幸いだ。カゲロウはそう思い始めていた。
“もう誰も傷付けたくないのです”
ナデシコの言葉と切なげな瞳が頭に浮かぶ。フウマ公国で起きた事件の全貌が白夜に伝わってきた訳ではないが、弟である現フウマ公王が兄を暗殺したことは明白であった。それを目撃したであろうナデシコ。もう誰も傷付けたくない、その言葉の真意は何を示しているのだろう。彼女が誰かを傷付けるなど想像も出来ない。
「どういう意味なのだ、ナデシコ殿…」
立ち上がって出入口の方へと視線を向かわせたが、そこには誰の姿もなかった。
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