>
冷たい床に吸い込まれるようにナデシコは生気を失っていった。どんなに暗闇に目が慣れたとはいえ、誰もいない、ひとつも光のない世界で希望を見つけるのは難しかった。
目を閉じて落ち着いて思うのはコウガの民、フウマの民の絶望であった。きっと彼らは、今こうして彼女が絶望感を抱いているのと同じように、この国の退廃ぶりに失望しているに違いない。ナデシコは嘆いた。
「お父様、どうしてでしょう。私に力が無かったからでしょうか…私に…力があれば…貴方を守れたのでしょうか…」
深い嘆きは灰色の床へと吸い込まれていった。ナデシコは再び体を起こし、壁際へと足を進めた。外の世界はどうなっているのだろう。自分は永遠にこの場所に閉じ込められるのだろうか。不安を抱いて耳を澄ますと、刀がぶつかり合う音と、自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
第十三話
二度と戻れない過去が今の私を嘲笑う
届かない最期の思い
フウマ公国での戦いはカムイ一行を足止めし竹林に仕掛けられた罠は彼らをじりじりと追い詰めた。その中でも一足先にフウマへと入っていたサイゾウは、弟スズカゼの助けもあってコタロウの元へと真っ先に向かうことが出来た。
父の仇であり、カゲロウを捕らえた人物を、彼は許すことが出来なかった。たとえ以前の友好国の相手だとしても、今の彼にとってそれは重要事項ではなかった。
「誰だ、貴様は」
「俺は…5代目サイゾウ。白夜王族に代々仕える者だ…」
「サイゾウ?ほう、なるほど…あの老いた上忍の息子か。小癪な上忍、あれは私が始末したのだ。今更仇討ちにでも来たのか?」
「やはり…お前が…父を…!」
挑発的なコタロウを前にサイゾウも怒りを抑えられなかった。スズカゼは対峙する二人の様子を視界の片隅に入れてはいたが、彼もまた目の前の敵を倒すことで精一杯だった。何を話しているのか彼は分からなかったが、兄の後ろ姿でその怒りは弟にも伝わってくるようだった。
「奴は弱かった。弱くて私に指一本も触れられずに地獄へ落ちていった!そんな奴の息子の貴様に私が倒せると?」
「許さん…。お前はこのサイゾウが必ず倒す!」
その時まだサイゾウは知らなかった。なぜ彼の父が簡単に命を落としたのか。最期まで友情を貫いた強い父の姿を、彼は知る由もなかった。
コタロウは分かっていた。いつか自分の元へ彼らが来ることを。そして、姪が自分の悪事を露にすることを。
―兄を殺して国を自分のものにしたつもりだったが、最後までお前は私には従わなかったな。力で従えても、私に反発する瞳は変わることがなかった。ナデシコ、これからフウマ公国はお前のものだ。そして私の罪を背負うのも公女であるお前なのだ…。
コタロウは薄れゆく意識で姪に被せてしまった罪を案じた。叔父さん、と明るい声と笑顔で呼んでくれた昔の姿が彼の目に浮かぶ。暗夜王国へ出向いた際に買ったライブを渡した時は本当に喜んでくれたものだ、と当時の彼女がはしゃぐ様子を思い出していた。
「馬鹿…な…」
「仇は討った…。父上…」
―ナデシコ、どうかお前は私のように欲にまみれる生き方はやめてくれ。いつまでも強い叔父ではいられず、すまぬ…ナデシコ…。
コタロウは兄が嫌いだった。
兄の娘であるナデシコのことも、もちろん嫌いだった。しかし、月日を重ねるごとにナデシコは彼女の母へと似てきた。陰ながら彼女の母を慕っていたコタロウは、どう足掻いてもナデシコを心底嫌いにはなれず、物心が付いた頃は遠ざけるようになった。
もちろんその真意がナデシコに伝わるわけもなかったが、彼は満足していた。きっと誰かが、大好きな彼女に似た姪を守ってくれると信じて息を引き取った。
サイゾウは公王の倒れたフウマ公国を制圧し、すぐにカゲロウ救出へと足を進めた。彼女は地下牢へと閉じ込められており、その姿は安易に発見された。
「カゲロウ!無事か!怪我はないか!」
「サイゾウ…!なぜ、お前が此処に…」
「お前を助けるために決まっているだろう…。フウマ王は討った。この国は制圧された」
「そんな…私のために皆戦ってくれたというのか…。任務で命を落とすことは覚悟していたが、またこうして生きて会えてよかったと思っている」
スズカゼは地下牢に一人の影しか確認することが出来ずに飛び出した。彼女の姿がない。一体どこへ閉じ込められているというのだろうか。その場所が彼に分かるはずもなかったが、足を止めることは出来なかった。そしてその様子をオロチだけが見守っていた。
「ところでカゲロウ、フウマ公女の姿が見えないが」
「ああ…ナデシコ殿は別の場所へ幽閉されているのだ。私にも分からない…」
「カゲロウ、サイゾウ。スズカゼならフウマの姫を探してとうに此処を飛び出して行ったぞ」
外は明るい。
勝利の明るさと言えるほどの潔さはなかったが、淀んだフウマ公国へと光が差し込んでいた。
>