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第3章 再会
第7節
あの日から変わってしまった日々。彼が大切にしていたあの家も、二人で過ごしたあの場所も、あの笑顔も、全て2年前にオスティアに置いてきたのだと本名は自分に言い聞かせて納得させてきた。レイモンドの苦しみを思えば感情を押し殺すことなど訳無いと。
それでもいつしか元の2人の関係に戻れるのではないかと心のどこかで思っている自分がいることに本名の胸中は複雑だった。戻れたとしたら、どんなに幸せだろうかと。
しかし、現実はそう簡単でないことを彼女は理解していた。人の気持ちほど難しいものは無いのだ。彼が自分を許そうとしてくれていることも感じ取ったが、その感情こそが彼自身を苦しめているのではないか、と本名は信じて疑わなかった。
どうして、と本名が静かに呟くと、その声は森の闇に吸い込まれるように消えていった。彼の姿はない。流星群が去った後、彼もまた再び闇の中へと消えていったのだ。正確に言うと、レイヴァンは天幕に戻ったので闇の中にいるのは本名自身であるのだが。
“約束”
こんなに弱くなかったはずなのに、と本名は幼き頃の思い出を振り返った。流星群をもう一度見るという儚い約束は、不慮の事故によって叶えられた。それが幸いだったのか、それとも不幸だったのかは分からない。
環境も立場も違う、こんな森の中で叶えられた約束が、果たして本当に果たされたというのだろうか?
とはいえ、流星群が次は何年後に地上から見られるかなど分かったものではない。本名は虚しさで押し潰されそうな胸を抑えてその場に蹲った。
こんなことを思う資格などない、どうして私がこんなに切ない思いをしているの、彼はこれまでどんなに傷付いたと思っているの、と自分を鼓舞しようとも、思いは溢れ出た。
自分の家が傷つけたのにも関わらず、約束を忘れていないと言ったレイヴァンの苦しげな表情を思い出し、本名は胸を叩いた。
「…本名さん?」
「……その声は…ルセアさん?」
「こちらにいらっしゃったのですね。少し…お話ししたいことがありまして…」
「レイモンド…のことですね」
はい、と静かに答えながらルセアは本名に歩み寄り、姿が徐々に鮮明に見えるようになった。彼は本名がコンウォル家との交流が少なくなった後にやってきた従者で、顔も朧げな間柄であったがその声だけはしっかりと覚えていた。病弱な少年のわりには大人びた受け答えをする人物だと本名の記憶には残っており、彼にもまた壮絶な過去があったらしい、という漠然とした事実だけを両親から聞いていた。
「ずっと…彼と共に?」
「ええ…。コンウォル家が無くなってから今までお供しています」
「そう、ですか…」
「本名さん、お願いがあるのです」
ルセアは真剣な眼差しを本名に向けて口を開いた。それは覚悟と言うべきか、請願と言うべきか、ただ本名にとって彼の言葉は重く肩にのしかかるものであることに間違いはなかった。
それでも彼女はその切なる願いを断ることは出来ず、静かに頷いて受け入れたのだった。ルセアは本名が頷くのを見て微笑んだ。
“レイモンド様を、救ってください”
救う、という意味が何を指しているのか分からない本名ではなかった。彼自身が復讐に取り憑かれているということは痛いほどわかる。だが、自分がそれを取り除くのもまた筋違いではないか、と。
忘れたことはない、とレイモンドに言われてもなお本名にとってコンウォル家への罪の念は変わらない。変えてはいけない、と頭の中で警鐘が鳴り響く。
「レイモンド様は本名さんとの思い出を何度も私に語ってくれました。今日の、流星群の話もまた、レイモンド様から聞いたのです。そして、貴女との思い出を語る度に、お辛そうな表情をしていました」
「……」
「ですから、レイモンド様もどこかで気が付いていたのかもしれません。貴女の家との関係に…」
「気が付いて見て見ぬ振りをしていたのなら……私からその傷を掘り返すことなどできません」
「せめて、幼馴染に……レイモンド様のご友人に、戻ってはくださいませんか?」
ルセアは真っ直ぐ前を見据えたまま本名へ訴えた。口には出さずとも態度で主君の心を理解しているからこその言葉であった。レイモンドが彼女との関係の回復を望んでいるからこそ、夢にまで見るほど悩んでいるのだとルセアは確信していた。オスティア侯ヘクトルを初めて目にした時の怒りに燃えた表情といったら、手が付けられないほど恐ろしかった、とルセアは思い出していた。
本名の家がその対象だと判明した今になっても、レイモンドは何も行動を起こそうとはしない。むしろ、彼女を気遣うような言動をいくつかルセアは目にしていた。
「ルセアさんは、何故そこまで…。貴方とて、私の家のせいで苦しんだでしょう?」
「憎しみからは、憎しみしか生まれません。レイモンド様は、そのことを十分に理解されています…。ですから、お2人にはどうか幸せに…」
「幸せ…ですか」
「はい…本名さんが幸せを望むことは…決して罪ではありません。勿論、レイモンド様が望むことも…です」
幸せを望むことは罪ではない。ルセアはそう言って笑みを浮かべた。その言葉は本名の心に染み込むようにふわりと氷のように優しいもので、傷付いた彼女の穴だらけの心にあっという間に吸収された。
その間にも、2人の頭上を通り過ぎていく流星群は、きらりきらりと月よりも美しく輝いている。
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