第1章 現在



第1節





神様はなんて残酷なのだろう。
本名は考え込む時間が増えていることに気が付いていなかった。幼馴染みと言える相手の家を自分の父が貶めたなど、冗談でも考えたくなかったのに。
方法はどうであれ、父が家族を思ってくれた点に疑う余地はない。だからこそ心から憎むことが出来ず、狭間で苦しむことになっている。


「どうしたの?足に根っこが生えてきちゃうよ?」
「レベッカ…。ありがとう、心配してくれて。ごめんなさい」
「あ…ごめんね。迷惑…だった?」

良かれと思って気遣ってくれる友人を傷付けてしまったかと、彼女は精一杯の弁解をした。リキア同盟軍に加入してから打ち解けずにいる上に、家族のことを一人で悶々と考えていることが多かった本名にとって、レベッカの存在は非常に貴重であった。
自らが心を閉ざしているだけなのに、彼女に気を遣わせてしまうなんて。本名は眉尻を下げるレベッカに申し訳ない気持ちを募らせた。

「皆、偽名の剣の腕が良いって言ってたよ。どこで習ったの?」
「そうかしら。見よう見まねと、ほとんどが独学よ。特別な師は…強いていえば、幼馴染みといったところね」
「凄いなあ、私はウィルが相手じゃまだまだ足りないくらいなのに、そんな幼馴染みがいて羨ましい!」

今では彼を幼馴染みとは到底呼べないけれど、あの時までは紛れもなく本名の幼馴染みだったのだ。本名は彼の最後の表情を思い出していた。目を閉じればいつでも浮かんでくる優しい笑顔が、彼女を苦しめる。そして、その笑顔を戒めにして本名はこの世界で生きていた。

「私も、羨ましい…わ。今は、昔が」
「えっ?昔に何かあったの?」
「そうね…。忘れられないことがあったの。今でも、きっとこれからも。あの人が私を許しても、私は私を許せない」
「偽名……?」

偽名という偽りの名で自分を守るのは、彼に出会った時に身分を隠すためであるのだが、果たしてそれが効果を成すかどうかは分からない。不思議な顔をするレベッカには返事の代わりに笑顔を返すと、少々納得いかない顔でうーんと悩ましげな声が聞こえた。

「ごめんなさい。何でもないの、忘れて?」
「偽名の幼馴染みの人って、どんな人?」
「どんな人?自分に厳しくて…強くて…。でも、とても優しい人だったかしら…ね」
「そうなんだ。私のお兄ちゃんも…とても強い人だったんだ…」

だんだんと小さくなる声で語るレベッカがひどく寂しげで、本名はそれ以上話を深堀することは出来なかった。何があったのかは気になるが、互いにまだ距離を詰められない部分があり、本名も幼馴染みであった彼のことをレベッカへ十分に話す気はなかった。

そもそもが様々な場所や立場の人間が集まって出来た寄せ集めの軍に過ぎない。一人ひとりが複雑な過去を持っていても何ら不思議ではないのだ。現に本名は立場を隠し名前を変えてこの軍に身を置いている。それもまた、特別なことではないと思っていた。

「あ、そうそう!偽名、この軍の人とは全員挨拶した?」
「え?挨拶?いいえ…。まだ話したことのない人がたくさんいるわ。レベッカはこの軍に入って長いの?」
「長い…のかな?そうでもないけど、全員とは一通り話したよ。ウィルがキアランの騎士団に所属してるし、そのお陰もあって…」

レベッカの無邪気な笑顔は本名の心をじんわりと癒した。本名はあまりリキア同盟軍の人々とは関わらないようにしていたので挨拶回りの誘いは何気なく断ろうとしていた。その理由はもちろん、彼に似た人物がいるからに他ならない。


赤い髪、鋭い目つきだけでなく、彼女の直感が本当に似てると感じていた。
本名はレイヴァンと呼ばれる彼を無意識に追いかけ、その窮地を救っていた。もし彼が本名の捜し求めている人物であれば、すべきことはただ一つだ。

「あ、レイヴァンさん」
「…!」

噂をすれば影というものか。レベッカが彼の名を呼び、本名が振り返るとそこには紛れもなく彼の姿があった。あの頃と変わりない真っ直ぐな瞳でこちらを見つめられ、本名は目を逸らした。


――逃げられない。


本名はそう思い、観念して彼へと向き直した。探るような強い視線が突き刺さり、心が痛んだ。



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