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第1章 現在
第2節
港町バドンで海賊たちからの洗礼を受けていたリキア同盟軍は、新たな仲間を迎え入れていた。一人は闇魔道士のカナス、そして剣士の偽名。レイヴァンはその名前を聞いて何も引っかかることはなく、ルセアと共に海賊たちとの戦いに向かっていた。
それは彼女と顔を合わせていないというのもあったが、自分も新参者であるレイヴァンは彼らが挨拶に来ないことを気にはしていなかった。
「危ない!」
キン、と音がしたと思えば自分のものではない剣が転がり、目の前には見知らぬ女が立ちはだかっていた。その髪の色に見覚えはあったが、この寄せ集めの軍で決め付けるわけにはいかない。ましてやこの色の髪を持つ人間は多く、特別なものではない。
しかし何故か揺れる髪がレイヴァンの心を揺り動かし、彼はその人物が自分の代わりに弓矢を受けたことに気付くのが遅れてしまった。
「…っ!おい!しっかりしろ!」
「貴方は…怪我は…」
「俺は問題ない。傷薬を使え。少しは良くなるだろう。あとはシスターに見てもらうんだ」
その場へ座り込む女に声をかけるも、彼女はレイヴァンの方を一度も見ることなく手を伸ばして応えた。その様子に少しばかりの違和感を持ちつつ彼は傷薬を手渡してその場を立ち去ろうとしたが、様子が気になってもう一度振り返るとその場に先ほどの女の姿はなかった。
「どういうことだ…?まさか…本当に…」
「レイモンド様、何か…?」
「いや…何でもない。行くぞ、ルセア」
彼女はレイヴァンから傷薬を受け取って、素早く木陰に身を隠していた。彼を守りに行って自分が怪我をするのは全く問題ないのだが、深入りして正体を気付かれてしまっては意味がない。不審がられただろうが、これが最善の策なのだと自分に言い聞かせて彼から受け取った傷薬を塗り込む。
「い…っ…!」
弓矢は避けたつもりだったが、腕を掠めてしまった。利き手でなかったことが不幸中の幸いと言うべきだろうか、赤い血の滲む腕にさらに薬を塗り込むとその痛みが体を貫く。
「私はまだ死ねないの…。レイモンド、貴方を守る為にも…」
近くで響く彼の声を思い出す。本名が共に過ごしていた時代の昔の彼とは違う、低くなった声。それでも見違うことがないほど変わらない容姿。
捜し求めていたコンウォル家の嫡男をようやく見つけた。彼もまた偽名を使っており、レイヴァンと名乗っているようだった。この戦いが終わるまで自分の存在を知られるわけにはいかない。静かに見守り、窮地には手を貸してその命を守るしかない。
バドンでの戦いを無事終えた後も、偽名はレイヴァンの元へ現れては会話もままならないうちに消え、彼はいつしか偽名の存在を気にするようになった。初め会った時のように怪我をすることはあまりなかったが、何故自分に危険が迫った時にいつも現れるのか、不思議であった。更にルセアの話によるとプリシラの元にも度々現れているらしく、コンウォル家にまつわる何かしらの過去を知っているのではないかと検討をつけた。
「おいウィル、偽名という女が何処にいるか知っているか?」
「えっ、偽名さん?何用?いつもレベッカと一緒にいるのは見るけど、何処にいるかまでは俺もわかんねーよ」
「そうか、それならお前に用はない」
「は!?何だよそれ!」
背後で騒ぐウィルを無視して進むと、ペガサスナイトの姉妹の姿が目に入った。レベッカというと、ウィルの幼馴染みという緑色の髪の弓使いの少女のことかとレイヴァンは自分の記憶を呼び戻す。まだこの軍の人間に心を許したことはないし、挨拶を回ったこともない。二人とすれ違ってそのまま歩いて行こうとした時、彼の耳に探していた単語が飛び込んできた。
「……偽名、この軍の人と…挨拶した?」
「……いいえ…。まだ話したことのない人が……」
「ウィルがキアランの………したから…」
レイヴァンはレベッカの声を知らなかったが、偽名を呼ぶ名で二人がその奥にいることは明らかだった。
彼は足を止めた。あと一歩踏み出せば真実が分かるかもしれない。しかし今更彼女に会って身分を説明するのか?事の成り行きを語るのか?それで一体何になる?彼女が、本名がコンウォル家を取り戻してくれるとでも?
――いや、そんなことはどうでもいい。俺はただ真実が知りたい。あの女が、何者なのか。
そしてレイヴァンは一歩を踏み出して彼女達の前に姿を現した。三つ編みの少女、レベッカが彼の偽りの名を呼んだ。一方の偽名は彼を見てひどく驚き、俯いた。間違いない、とレイヴァンは確信した。その理由は明確ではなかったが、彼は確信した。偽名が、彼のよく知っている本名であると。
――どうしてお前が、戦場に。
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