06



研磨が黒尾と別れて家の鍵を回すと、電気が点いていることに気がつく。今日帰ってくる日だっけと靴を脱いでリビングへ向かうと、おかえりという母親の声がする。ただいまと返事をして、部屋着に着替えるべく洗面所へ向かう。ここでなまえとあれこれした次の日だ、親がいなくて良かったと心から思った。

「研磨、昨日誰か来てたでしょ?」
「え、なんで」
「お皿2つ置いてあるし、洗濯もした?」
「…うん。来たよ」

親は目ざといなと研磨は夕飯を食べたらこれ以上この話を広げられる前にそっと部屋に行こうとしたが、それは母の猛追によって阻まれた。研磨の部屋も綺麗になっているし、鉄朗くんが来たとは思えないし、ましてや家に上がったのが男の子では無いのではという話までされる始末。面倒くさいと研磨がゲームを取り出そうとした瞬間、これ、と見せられたのは見覚えのあるタオルハンカチ。
あ、と研磨が口を開けると、やっぱりねと得意げな母。これ拾った上で男じゃないとかあんな仮説を立ててくるの性格悪いな、と研磨は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「ね、これ誰の?」
「…持ち主にはおれが返す」
「研磨、知ってた?これ、学校指定のタオルみたいなの。まあ昨日これを持ってたのは偶然としてね、調べたらビックリ!超頭いい女子校じゃないの!」
「う…」
「こんな頭良い子と知り合いだったなんて知らなかった」

どんな子なの、写真ないの、と完全に興味津々な母が面倒くさくて研磨は携帯からなまえの写真を探した。あるにはあるが、基本的に女子が3人とも映っているので、あれこれまた話が長くなりそうで嫌だった。1枚だけ見つけたのは、研磨となまえが2人で電車の座席に座って携帯を見ている写真。黒尾か誰かが隠し撮りしたのが送られてきたんだっけ、とそれを母に見せた。

「え、この子?本当に?」
「うん」
「こんな可愛い子なの?天は二物を与えたのね…。あ、それで研磨、この子とは付き合ってるの?」
「…うん」

消え入るような声で頷けば、母はキラキラした瞳で研磨を見つめている。あ、これ面倒くさいやつだと研磨がタオルを奪ってじゃあおれ部屋戻るからと足早に部屋へ向かうと、ついに研磨に彼女…!と喜んでいるような母の声が聞こえて、ため息をつくとタイミングよく携帯がなった。
画面に表示された名前を見て少し慌てて電話に出て部屋の扉を閉めると、もしもし、と少しざわついた場所から電話の主の声が聞こえる。

「どうしたの?」
《私の忘れ物なかった?》
「あ、うん。タオル」
《やっぱり。なんか忘れたような気がしてて》

黒尾と母にバレたことと夜久に言わないで欲しいことを伝えると、なまえは頭を抱えたような声でごめんと言ってきたので、何事かと聞くと既に彼女の友人が言ってしまったかもということだった。時すでに遅しとはまさにこのことか、と研磨は明日の部活が過酷だろうことを覚悟した。夜久くんに電話する口実が出来たと喜んでいた友人を止める脳が無かったというなまえに、どうせいつかはバレるしと研磨はらしくない言葉をかけた。

「で、次いつ音駒来る?」
《うーん、明日は模試の後バイトで…来週かな》
「そっか」
《行く時は連絡するから》

早く会いたいなんて自分らしくない気持ちだ、と研磨は思いながらざわつく彼女の背後が気になり、どこにいるのと問いを投げかけるとバイトの休憩中ということだった。ライブハウスの喧騒を思い浮かべると、これでも静かな方なのだろうかと研磨は自分と全く違う世界に身を置くなまえの姿を思い浮かべた。あの化粧をして髪をすこし巻いて大人っぽい彼女が不特定多数の誰かと会話をしている。愛想もよいなまえのことを好きになる人が現れても不思議ではないだろう。研磨は不服そうに返事をした。

《研磨、なんか不機嫌そう》
「…うん」
《大丈夫、研磨以上に好きな人なんて居ないから》
「えっ」
《あ、ごめん呼ばれちゃった、じゃあまたね》

さらりと驚くことを言われた、と切られた電話画面を見つめてその言葉を反芻した。おれ以上に好きな人なんて居ないなんて初めて言われた、とベッドへと飛び込む。顔がニヤケているのを感じる。これでは幼馴染のことを言えない、と研磨は枕に顔を押し付けた。
思い出すのは、このベッドで2人でしたこと。あの時、なまえには拒否権があった。だってなまえはまだ床のマットレスの上にいて、自分がここに上がってくるよう誘ったのだ。狭いベッドに彼女がいた感触を思うと、今でも甘い空気が蘇るように感じる。
はぁ、と研磨は息を吐いた。洗濯してしまったのでもうなまえの匂いは残っていないが、彼女の匂いはわかるしすれ違ったら気がつく自信がある、と研磨は自負していた。
友達の時はこんな風に感じてたっけ、と着かず離れずな時期のことを思い出していたが特段引っかかっていた印象はない。元々静かで聡明ななまえのことを気に入ってはいたが、こんなに自分の中の存在価値が上がったのはつい昨日だったのかもしれないと。

部活で疲れていた研磨はゲームを片手にそのまま眠っており夕飯の知らせで目覚めたが、地獄のような両親からの質問攻めの夕食時間を想像してため息を吐いてリビングへと向かった。

「でも本当に気を付けるのよ、なまえちゃん良いとこのお嬢様でしょ?」
「お嬢様…ではないと思うけど」
「だってあの学校、もちろん頭は良くないと入れないけど学費も相当かかるもの」
「そうなの?」

ということは、単身赴任で家にいない彼女の父親の仕事の金稼ぎがいいのだろうか。詳しく聞いてはいないが、彼女自身のバイト代はそこまで多いと思えない。補填するとしても食費と光熱費くらいだろう。
そこで研磨はそういえば、と以前たまたま耳にしたなまえと友人の会話が頭に浮かんだ。大学は国立に行くとかそんな話をしていたなと2人の言葉を思い返していると、ちょうど母も大学の話を始めた。

「なまえちゃん、どこの大学行くか聞いた?」
「いや…国立ってことくらい」
「国立!?まさか東大か!?」
「そこまでは聞いてない」

東大かと驚いたのは父だ。まあ難関校の特進クラスだから東大を目指していても不思議ではないが、具体的な学校名を聞いたことは無い。夜久のことが好きな友人は外語大に行くと日頃から言っているので知っているが、そのレベルとなると…と研磨が思考を凝らすと、出てきた名前は東大に劣らない有名校ばかり。

「なまえちゃんに負けないようにな、研磨。バレー部の頭脳なんだろ」
「頭で勝つなんて無理だよ」
「ところで研磨、次なまえちゃんはいつ連れてきてくれるの?」
「えー…」

質問ばっかりでいやだ、と研磨は夕飯を掻き込んでそそくさと風呂を済ませて部屋へと逃げ込んだ。どうせ明日も同じことになるんだ。夜久や猛虎やリエーフからは質問攻めで、福永と海からは意味ありげな視線を送られるんだ。想像しただけで嫌だと研磨は不貞腐れながらゲームを起動させた。

次の日の部活は予想通りの状況で、厳しい練習にぜえぜえと息も絶え絶えの研磨を見て黒尾はニヤつきながら、ドンマイと口パクで伝えてくる。腹立たしいと苛つく研磨を見て地味にキツいサーブを打ってくる福永に、盛大に嫌な顔を見せた。

「はー、今日のやっくん傑作だったな」
「まじ疲れた…最悪」
「彼女持ちへの洗礼だぜ、研磨」
「そんなのいらない…」

黒尾と歩く帰り道の足取りは重い。今日一日で一週間分の疲れが来たような気がする、と研磨がため息を吐くと、お前いつもさりげなくサボってるから丁度いいんじゃねぇのと黒尾は笑った。

「クロはあの時うまく逃げてたじゃん」
「まーキャプテンだし?皆を統率するのが役目だし?」
「は…?」
「心底理解出来ないみたいな顔すんな」

そうしてなんとか日曜日の部活を乗り越えたのだが、研磨は帰路のあいだに次の日の課題を途中にしていたのを思い出して更に地獄の形相をしていた。なまえに手伝ってもらえば?と言う黒尾に対して、今日バイトらしいから…と肩を落として答えると、模試の後もバイトとかあいつストイックだな〜と感心した返事が返ってくる。

「何の課題だよ?俺が手伝ってやろうか?」
「いい」
「そこは即答かよ」
「うん。クロの頭は参考にならないし」

二度と手伝ってやんねーぞと憤慨する黒尾と別れて家に戻るが、机に向かいたくもないしリビングにいたくもない。もうどうしたら良いのか、と思って携帯を開くとなまえからのメッセージが入っていたのに気が付く。部活終わった時来てたっけとその時間を確認すると、どうやら黒尾と話していた間に来ていたようだ。
中身は彼女が1つのアルバイトを辞めるという内容だった。学業優先ということかと続きを読むと、そこにあったのは予想外の言葉で。

「えっ!」
「研磨、帰ってたの。おかえり」
「あ……うん、ただいま」
「なんか嬉しそうね」
「うん」

メッセージを見て、研磨は浮き足立つ気持ちを抑えて部屋へと向かった。今日はいい夢が見れるかもしれないから、仕方なく課題もやらないと。なまえに電話して聞こうかな、でも英文和訳だしどうしよう、などと考えながら。


〈お疲れ様。私、ライブハウスのバイト辞めることにした。音駒の練習の手伝いしたいし、もっと研磨を近くで見ていたいから〉





prev next


戻る top