08



なまえが音駒へ向かったのはその次の週のことで、結局研磨と彼女は丸一週間以上顔を合わせていなかった。徐々に、というか明らかに不機嫌になっていく研磨を見て耐えかねた黒尾がなまえへ連絡を入れたのだが、彼女からの返事は驚くべきものだった。
黒尾は直ぐに研磨を捕まえて事態を問おうと思ったのだが、自分が干渉しすぎるのも良くないかと冷静になろうと努めた。

「研磨。お前、最近なまえに連絡したか?」
「……してない」
「はぁ…連絡しろ。今すぐ」
「え?クロ突然何…」
「何でも!今!すぐ!携帯出せ!」

渋々取り出した携帯を黒尾はひょいと取り上げて速攻なまえの名前を押して通話を始める。彼が電話するのを渋らせないためだったが、一応彼女の名前が最近の通話履歴の上の方に入っていたことは許してやろう、と黒尾は彼に携帯を戻す。コール音の鳴る携帯を返され、なんで勝手に掛けてんのと言う研磨に対して、黒尾はなまえから聞けと行ってその場を離れた。
流石の研磨とて愛しのなまえを早々に手放すことなどしないはず。少々のすれ違いくらい何とかなるだろう…多分。と一抹の不安を抱えながら、黒尾は足を速めた。

「もしもし?」
《研磨…?》
「うん」
《そう、良かった》
「何が?」

幼馴染によって掛けられた電話により久しぶりに会話をしたなまえと話が噛み合わないことに研磨は少し苛立ちを覚えた。それが声に出ていたようで、なまえがごめんねと謝るものだから、黒尾と彼女の間に何かあったのではと研磨は幼馴染の姿を探したが辺りには見当たらず、階段に腰掛けてなまえの言葉の続きを待った。
しかし彼女もまた無言で、今日は電話の先のざわつきもない。ライブハウスのバイトを辞めたとて他のバイトが残っているので、またその休憩中ということもある。だが、電話越しに聞こえる喧騒はなかった。

「なまえ、クロと何かあったの」
《黒尾?無いよ?》
「ふーん…それ、ホントだよね?」
《うん…何もない》

黒尾から連絡が来たのは昨日のことで、電話を取るなりお前研磨と喧嘩したか?と突然言われ何のことかと聞けば、研磨の機嫌が悪いから喧嘩でもしたのかと思ったとのことだった。
そもそもなまえと研磨は連絡すら取っておらず、その理由は互いが互いのことを案じてのことだったのだが、まさかそこまですれ違っているとはと実情を聞いた黒尾は頭を抱えたのだった。
恋愛初心者の研磨はまだ置いておくとして、なんでなまえが連絡しないんだよと問えば、研磨は部活で疲れているだろうし、普段電話すること少ないって言ってたし…と次第に小さくなる声。はぁ、と黒尾はため息を吐いて連絡しねぇ研磨も研磨だけどなと昨日はそれで電話を切ったのだった。

《なんで?》
「クロに電話しろって言われたから」
《黒尾が…》
「やっぱり何かあるんでしょ。おれの知らないところでクロと何話したの?クロの方がいいと思った?」
《研磨、私…》

そう言って言葉を濁すなまえに研磨の苛つきは頂点に達しそうになったが、仕方なく彼女の言葉を待った。黒尾の方が好きかもしれないと言われたらどうしよう、背が高くてバレーに対しては真面目で人のことをよく見ている幼馴染が女子から言い寄られているのは何回か見たことがあるので特段違和感はないが、そもそも黒尾と付き合っているのはなまえの友人のはず。そんなことが許されるわけがないと分析しながら研磨は顔を顰めた。

《電話してもいいの?》
「は?」
《研磨、部活の後疲れてゲームも出来ない日あるって言ってたから…》
「…え?」

拍子抜けとはまさにこのことだ、と研磨は思わず携帯を落としそうになるのを危うく阻止してなまえの声に耳を傾けた。自分の妄想なのではないかと思うが、実際こうして電話を繋いでいる、と一瞬画面を見るがそこに表示されている名前は紛れもなくなまえの名前。
疲れて何も出来ない日があるのは事実で、確かに彼女が前に音駒に来た日にそう零したことがあるかもしれないが、あれはなまえと付き合う前のことだ。そんなことまで覚えているなんて、と二重の意味で研磨は驚いた。

《だから、電話したら悪いかなと思って》
「なまえって、ホント変だよね」
《え、何突然》
「なんでおれにそんな気遣うの。おれはなまえがバイト中だったらと思ってかけなかったんだけど」
《それはあるけど、着信あったら折り返すし…》

なんだ、と研磨は頬が緩むのを感じた。自分たちがすれ違っていることに気がついて無理矢理電話を繋いでくれたのか、と気を遣って姿までくらませた幼馴染に感謝した。しかし疑問なのは、今まで恋愛経験のあるなまえがこんなに奥手なのは何故かということだ。年上と付き合ってきたという話は聞いたが、今までどうしていたのか、と聞けば彼女はまさかそんなことを研磨に聞かれるとは思わなかったと言って笑った。

《多分、そんなに好きじゃなかったんだと思う》
「何それ」
《電話しなくても何とも思わなかったし、電話する時も何も考えてなかったから》
「どういう意味?」
《研磨に電話する時は、部活終わったかなとか、疲れてるかなとか、色々考えるんだよ。今まではそんなこと一度もなかったのに》

なまえの言葉は研磨にとっては衝撃的で、そっか、と返事をして天井を見上げた。多分もうすぐ部活が始まる時間だ。どんだけ長電話するんだよと黒尾に怒られるかなとか、夜久にドヤされるかなとか、色んなことが頭を過るが今日くらい許してもらおう、と研磨も笑った。

「同じこと考えてたんだね、おれたち」
《…うん》
「良かった、なまえに嫌われてなくて」
《それ私の台詞》
「うん。これからもよろしくね、なまえ」

電話しながら荷物を持って立ち上がると体育館へと足を向かわせた。ずっと電話をしていたいがそんなことは難しい。彼女の声を聞きながら部活に向かうのは悪くないしこの何気ない距離があっという間に感じる、と研磨は思いながら着替えるまでの間なまえと電話を繋いでいた。
じゃあ部活だから、と電話を切ろうとすると、バイト終わったら電話するねと返事がくるのでそれに頷いて電話を切る。
部活の開始時間まであと1分。ギリギリ間に合ったと研磨は走り出した。体が軽い、今日は絶対調子がいいはずだと体育館へ入ると、黒尾が手を挙げてこちらへ視線を向ける。

「クロ、ありがとう」
「やーっと生き返ったな?ったく、うちの脳で心臓のお前が死んでると練習になんねーっつーの」
「うん…ごめん」
「お前ら集合!」

彼の言う通り、何となく全身に血が通い始めたような、脳に酸素が回ってきたような気がすると研磨は感じた。なまえとたった数分電話しただけなのに、こんなに昨日の自分とは違うのかと。水を得た魚と言うべきだろうか、と研磨はボールの行方を追いかけた。

「研磨ァ、今日すげぇ調子いいな!いつもやれよ!」
「いつもは無理」
「今日は特別だもんなー?色男」
「おいおい何だよ研磨ァ!!気になんじゃねぇか!!」
「虎うるさいしクロは余計なこと言わなくていい」

すれ違いながら前に進むのは、バレーも恋愛も同じかなと研磨は仲間を窘めながら思った。そんな幼馴染の姿を見て黒尾は一人安堵の息を吐いた。





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