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>なまえさんまじキツいっすと漏らす犬岡に容赦ない彼女の指摘が入り、部員は感嘆の声を上げる。元バレー部のなまえの的確且つ冷静な指示に猫又監督もニコリと笑うだけでサポートはない。何本目か分からない彼のサーブを拾う夜久もそれを煽るようにまだ余裕だぜと声を上げ、研磨がトスを上げた。彼女が体育館の端からパソコンを弄りながら犬岡に指示を出すのをどんな気持ちで見ればいいのか分からない、というのが彼の正直な感想だった。
久しぶりに会ったのに会話もさほどしていない。ここに来る間にちょっと話したくらいだ。なのにほら、今だって犬岡と小さな画面を2人で覗き込んで話している。もう一本、背中を叩いてボールを渡すなまえを見て研磨は不満な気持ちを払拭すべくボールを追いかけた。
「犬岡のサーブ、お陰様ですげー良くなったんじゃねぇ?」
「ムラがあるから実戦で使えるかはもう少し様子見かな」
「だな。まぁまだ1年だし、長い目で見てよ。つかお前、研磨の分析しねーのな」
「…うん」
あっそ、と言った後にあいつあんな顔してるから後で声掛けといてと黒尾の言葉で研磨の方を見ると確かに些か不機嫌そうな雰囲気が漂っているのがわかる。研磨がヤキモチ妬きっぽいという友人の言葉を思い出し、あまりにその通りな恋人の姿を見てなまえは一人でほくそ笑んだ。
遅れた友人2人が駅に着いたという連絡が入り、2人が来るまでひと休憩入れることになったのでなまえは研磨の元へと向かう。黒尾がニヤニヤしながらこちらを見ている気がしたが構うものか、とドリンクを手渡す。
「…ありがと」
「妬いてる?」
「面白いわけないじゃん」
「そっか、ごめん。でもちょっと嬉しい」
「は?何で。意味不明なんだけど」
研磨がヤキモチ妬いてくれたことが嬉しいの、となまえがはにかむと、釣られて研磨も頬を赤らめて俯いた。恥ずかしいやら嬉しいやら、さっきのモヤついた感情が飛んでいくような感覚だと研磨はタオルで顔を拭いて誤魔化すようにドリンクを飲んだ。
そんな彼を見つめるなまえの顔を見て夜久と海は顔を見合わせて苦笑した。まさかこの部活にあんな青春が持ち込まれるとは想像もしておらず、しかもその主が研磨と来た。なまえは聖母かよと言う夜久に対して、絵にでもする?と海が返すと、じゃあ写真撮っとくかと携帯を取り出す黒尾。お前は父かよと笑い出す夜久に気付いた研磨が黒尾を止めるのも、楽しい時間の一コマだ。
「お待たせしました〜」
「お久しぶりです監督、遅くなりました」
「来た来た、じゃ再開なー!おい研磨俺の携帯勝手に触んな!」
「さっきの写真!!」
「わーったから後で!」
6時間目に移動した上に先生が遅れてきて全然授業終わらなかった有り得ない、と憤慨しながら資料を探す友人に労いの言葉をかけながらなまえが今日の練習スケジュールを話すと、2人はそれぞれ分析した部員の元へと向かっていく。
なまえたちと音駒との繋がりは部員と交際しているという以外になく、学校自体に付き合いがあるわけもない。そもそも私立の女子校と公立高校、しかも男子の部活に関連があるわけもないのに猫又監督は彼女たちをサポートメンバーとして認めてくれ、直井コーチもこうして当たり前のように学校に来るのも許可してくれた。
無論彼女たちの学校名でそう判断したのかもしれないというのはあるが、それにしても警戒心というものがないのだろうか、となまえは優しい音駒の指導陣に不安を感じつつボールを目で追いかけた。
「なまえ」
「何?」
「疲れた。癒して」
「うん、いいよ。お疲れ様」
帰り道は黒尾と一緒のはずだが今は研磨と彼女と2人きりで彼はいない。その理由は簡単だ、明日は朝練休みだからとニヤリと笑って別れを告げたのだ。彼らが何をするかは想像に容易かったが念の為何処に行くのと友人にこっそり聞くと、夜久達のキューピッド役と笑っていたので心配する必要はないだろう。研磨はこんなに疲れているのに3年の2人はなんと体力のあることかとなまえはある意味感心していた。
癒してと言いながら何もしない研磨と2人で歩いていたが、どう考えてもこれは孤爪家への道だとなまえは分かっていた。
「何もしないから、一緒に飯食って一緒に寝てよ」
「う…うん、いいけど…。親御さんいるよね?」
「もう言ってあるし。なまえのこと」
「え、どこまで言ったの!?」
「付き合ってること」
そうだよね、流石にその日に最後までしましたまでは言わないし研磨が言うわけないとなまえは焦る気持ちを抑えながら彼の隣を歩いていた。路地を曲がったところで一瞬手が触れて2人してぴくりと肩を揺らして足を止めて見つめ合う。
我ながらなんてウブな反応をしたのだろうと思っているとじっと猫目がなまえの本心まで覗くような目をしてくるので思わず逸らすとその手をぎゅっと握られて再び歩き始める。
「え、」
「そこまでね。さっきのお返し」
「さっきって…」
「部活行く前の」
男子生徒を振り切るためにとった行動を差しているのは明確で、なまえが合点がいった反応をすると研磨はその手を握る手を強めた。彼女がナンパされているのを見るのも堪えたが、それよりも助けに入れなかった自分に嫌気が差していた。黒尾だったら、夜久だったら、福永でも芝山でも、きっとあの中に入って何してるんですかと言っていただろう。もしなまえが冷静に返事をしていなければどうなっていたのか分からない。はぁ、と研磨は何度目か分からないため息を吐いた。当たり前だが部員の皆はなまえに手を出すことなどしない。必要かもしれないからと全員と交換した連絡先。美人だのなんだと言っていた猛虎とて連絡をしていないと聞くし、それが普通の空間にいたので彼女が口説かれるというのを初めて目の当たりにしたのだ。誰かに盗られるかもしれないという焦燥感や不安が研磨を襲っていた。
「研磨…?」
「あ…ごめん、痛い?」
「私は大丈夫だけど…どうしたの?」
「…何でもない」
「何でもないことないよ、なんかあった顔してる」
立ち止まって、違うと首を振って俯く研磨をなまえは眉尻を下げて見つめた。空いた手で彼の髪をさらりと梳くと、研磨、と優しく名前を呼んだ。好きだと自覚してから、彼の存在は急速に彼女の中で成長していくばかりで萎むことなど知らないかのように膨らんでいた。間違ってもいい、立ち止まってもいい、また2人で歩き始められればそれで良いと思えるほど、彼が愛しいと思っていた。
「なまえ、おれさ」
「うん」
「なまえが誰かに盗られるかもって、初めて思ったのに、なんか…どうしたらいいか分かんない。おれ、こんなに誰かを好きになったことなくて」
ぼそぼそと話す研磨の言葉を一言一句逃さぬようなまえは聞いていた。その端々に込められる不器用な愛情が嬉しくて涙が出そうなのを堪えながら頷いて相槌を打っていると、言葉少なな彼女の反応に研磨がなまえをちらりと見ると今にも溢れそうな涙を溜めた瞳に驚いて目を丸くした。
「え、なまえ、なんで泣いて…」
「ごめん…嬉しくて…」
「は…?」
「私ばっかり、研磨のこと、好きだと思ってたから」
そう言って笑うなまえの頬を手で覆い、親指で涙を拭った。恋ってこんなに良いものだったんだ、と研磨は彼女を抱きしめようとしてここが路上だったことを思い出す。幸いにも人は少なく今のところ誰ともすれ違ってはいないが、いつ誰がこの道を通るか分からない状況でそんなことをして近所の人の話題になど上りたくない、と急速に研磨の頭は回転し、もう一度なまえの手を取って歩き出した。
「なまえ」
「何?」
「ちょっと顔直して」
「は?」
「泣いた後みたいな顔してたらおれが親に何か言われるから」
彼氏の実家の前で堂々と化粧直しする彼女なんてそうそういないよ、となまえはマイペースな研磨に笑いながら鏡を取りだした。
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