37


扉を開けて待っていたのは、まるで高校ナンバー1セッター宮侑のような髪型に家着ではないと思われるタートルネックのセーターと細身のパンツを履いている、まるで若者のような格好をした男性だった。彼女の家にいる人物など1人しかいない筈だが、と研磨がパチクリと瞬きをすると、いらっしゃいとその人は若い2人を迎えた。
案の定なまえはその人を“父さん”と呼び、研磨はやはりそうかと目を泳がせながら会釈をして家に上がる。予想していなかった人物だ、と研磨は家主の2人の後ろについて行きながら考える。自分の父親とも、黒尾の父親ともまるで違う。一番近いのは、と思い起こしたのは烏野高校のコーチ。

「父さん。改めて、私の彼氏の孤爪研磨くん」
「なまえから話は聞いてるよ。よろしくね、研磨くん」
「孤爪…研磨です。よろしく…お願いします」
「試合見に来るなら連絡してくれれば良かったのに」

ぺこりとお辞儀をすると彼女の父は笑って研磨の顔を見た。この人は分からない、と研磨は直観的に思った。なまえの両親は離婚している。その理由はこの父を見れば何となく察するが、とはいえ彼女との距離感が分からないような人では無さそうなのにあまり会おうとしないのは何故なのだろうか。来年大学生になる娘がいるように見えないのは確かだが、と研磨がちらりと彼を見ると、ニコニコと笑顔で見つめられていることに気がついて研磨は目を逸らした。

「直ぐに移動する予定だったから30分くらいしか時間無くてね。音駒が2試合あったおかげで研磨くんを見れたよ」
「戸美戦…ですか?」
「うん、そうだったかな。黄色いユニフォームの。研磨くんはバレー上手だね。驚いたよ」
「いや…別に…」

なまえは2人の会話を聞きながらコーヒーを淹れていた。超がつくほどの人見知りで口下手だということは伝えているし、しどろもどろな研磨を父が不愉快に思うことは無いだろう。試合を見に来ていたなら尚更彼の実力が分かっているはずだ、と彼女は3つのマグカップに注ぐ香ばしいコーヒーの香りに口角を上げた。

「なまえ、おれのことなんて紹介したの?」
「超人見知りなプリン頭のセッター」
「え…何それ…」
「流石に今の一言だけって言うのは嘘だけど、大体そんなところかな。そんな顔しないでよ」

あからさまに嫌な顔をする研磨に対してなまえは笑った。ちょっと仕事の電話だと言って父は居間から出ていき、残された2人は熱いコーヒーに息を吹きかけて喉を潤している。いつも彼女の家に来る時は2人きりなので他の誰かがいると思うとどういう気持ちで過ごしたら良いか分からない、と研磨はマグカップを両手で包み込んで底の見えない水面を見つめた。軽率になまえへ触れるわけにはいかないし、かと言って自分から彼女の父に話題提供出来るようなタイプではない。

「なまえ、おれ…余計なことしてない?」
「してないと思うけど…何か気になる?」
「うん…ちょっとね」
「父さんも研磨の人となりを探ってるだけだと思うから心配しないで」

まるで心を覗かれたようだと研磨は驚いて顔を上げたが当のなまえはそんな彼の視線に気が付いていないのか、暗に気が付かない振りをしているのか、必死に熱いコーヒーを冷ましていた。
人の親に会う経験はそう多くなく、研磨は幼馴染の父親を思い浮かべたがあまりの相違に再び視線を落とした。違う人間なのだから当たり前のことだが、自分の知る“父親”の中で一番攻略が難しい人物なのでは、と研磨が考えていると、扉の向こうからワハハと笑い声が聞こえてきて2人は顔を見合せた。

「あんな感じだけど、仕事は出来るの。だから色々任されてあちこち行ったりして」
「うん…何となく、分かる」
「私はずっと家で、父さんの帰りを待ってた」

彼女の父は洞察力に優れ、人の動きを見ている。それはほんの少し接した研磨でも分かることで、恐らくなまえのことを見ないうちに彼女が成長し、気がついた時には分からなくなってしまったのだろう、と彼は察した。あれほど人を見ているのだから大体のことは分かるはずなのに、いざ自分の娘となるとそうもいかないものか、と研磨は不思議に感じつつも心情を案じた。
小さかった娘がいつの間にか大人になってしまい、親としての責務を果たせなかった。取り返せない時間を今更嘆くことも出来ず、今から親として振る舞うことが娘にとって良いことなのかの判断が出来ない。そんな現実から逃げながら悩んでいるうちに月日は経過し、娘は家に彼氏を連れてくるし、来年から大学生になる。些かストーリーとしてはこんなところか、と。

「いやぁ、悪いね。盛り上がってしまって」
「いいよ、仕事なら仕方ないし」

父が壊れ物を扱うようになまえに気を遣うから、彼女も同じく気遣いの塊のように人格形成されたのだと研磨は納得した。彼女もとても人をよく見ているし、だからこそ抱え込みすぎる。当初こそ似ていないと思ったが、似た者同士の親子なのだ。そしてこれは研磨の憶測だったが、彼らは恐らく本音で話し合ったことは無い。もしこの親子にその経験があれば、こんなに不自然な会話はしない。なまえは父に求めることはないし、彼もまた自分の娘を制することは無いのだろう。
かと言って、他人が首を突っ込むのは別問題だ。

「そうそう、なまえから聞いたかな。私も昔バレーをやっていてね。ポジションはMBだったんだ」
「あ…はい。何となく…」
「高校バレーなんて久しく見ていなかったからすごく新鮮だったよ。音とか、匂いとか…ね」

自然に相手に話題を合わせられるのは営業マン特有のスキルだろう、と研磨は思った。自分には絶対に出来ないし娘であるなまえに出来るかと問われるとそれも甚だ疑問だ。話術に長けているというか、引き込まれるというか。フランクでこちらの答えを自然に導くような話し方に研磨の緊張も徐々に溶けていった。



prev next


戻る top