何をするという訳でもない。

私の恋人である男は、「大丈夫?辛い過去でもあるの?」と聞きたくなるくらいの無口だが、それなりにコミュニティ能力のある人で、今は私の部屋で私の買ったファッション誌を何が面白いのか全く分からないけど一生懸命読んでいる。着たいのでもあるの?一緒に買いに行く?

「水戸部凛之助くん」

返事はなく、ただ顔を上げて私を見る愛しの恋人殿は、すっかり温くなったコーヒーを一口飲んで私の言葉の続きを待っていた。

「生理が来ない」

ブシャッ。

酷い連鎖が発生。
咽こんだコーヒーが雑誌に噴出。慌てて雑誌を拭こうとして勢い余って上着にかかり、近くに置いていたティッシュで少しでも被害を減らそうと手を伸ばしたら、カップが転倒。コタツの上が大参事。

混乱の極みに居て右往左往している凛之助にタオルを渡して机の上を任せ、剥ぎ取った上着を持って染み抜きに向かう。
さっさと終わらせて帰ってきたら、どこから引っ張り出したのか「子供の名付け辞典」を手に持って震えていた。
それ私がポケットなモンスターの名付け用に買った奴だけど、紛らわしくてごめん。

「いや、ただの不順なんだけどね」
「……!」

なんとも言えない顔をしてそろそろと私の腹を撫でる凛之助くん。きみはひとつ、大切な事を忘れている。

「私たちは肉体関係がありません。
今時珍しい清純派カポーやってる二人の間で生理が来ないって言ったら体調不良の方疑ってよ。
処女懐妊と他の男に足開いたとのどっちを思い描いたかお言い。お?あ?」

「……」

「『マリアな感じで…』ってそっちか!心清らかだな!好き!」

上半身裸で正座して名付け辞典を持っているような恋人と、仁王立ちの私という意味の分からない図。
とりあえず凛之助が着れるようなサイズの服は我が家にはないので、寒さに震えつつバスタオルでも纏ってもらう。暖房の温度を上げてあげるあたり、私は優しい。

「水戸部凛之助くん」

「……」

「私達は中学校からのお付き合いですね」

「……」

「君から貰ったラブレターは今でも大切に保存しています」

「………ッ」

「私は君の無口なところとか、人に優しいところとか、仲間想いで家族想いなところとかが好きです」

「……」

「という訳で私達のこれからについて話し合うから少しは協力するように。イエスなら膝を一回叩く。ノーなら二回叩く」

ぱん。と膝を一度叩いて凛之助は頷いた。
その時点で「何だこれどこかで聞いたことがある交霊術だ」とか、頷くか首を振るかでいいんじゃね?と気が付いたけど、至極真面目な顔をした凛之助がいつものように私のボケを綺麗にスルーしてくれたので、そのまま続けることにする。ボケ殺しって辛いわあ。

「来年は三年生です。大学進学です。将来の夢は決まっていますか」

ぱんぱん。二回。この男は基本的に喋ること以外は何でもできるので、やろうと思ったらどの道にでも進めると思う。
正直私だって未来設計なんてまだ決まってない。

「私と一緒になりますか」

ぱんっ。今めっちゃスナップ利いてた。

「凛之助のこれからを私に下さい」

ぱんっ。そして私の両手を掴みコクコクと頷く。

この男らしい告白は定期的に行われているので、本日の主題ではない。
私だって本当は凛之助から「俺について来い」とか言われたいとは思うけど、どう考えてもそれは無理。

三年間付き合ってる現在、私が凛之助の声を聴いたのは三回。
「好きです」と「こっち」と「苗字さん」だけだ。

告白された時に「言葉で言え!伝えろ!じゃないと断る!」と胸倉つかんだ時に「好きです」。
一緒に帰った時に何も考えず車道側を歩いていたら腕を引かれて「こっち」。
最後のに至っては、男子たちの会話の中で「水戸部お前恋人いるってマジー?だれ?」「苗字さん」「シャベッタアアア!」というのを教室の反対側からうっすら聞いただけなので、直後に「何だその他人行儀!下の名前を知らないのか愛が足りんぞ愛がー!」とタックルをしかけた。
小金井君が「水戸部が『ちゃんと知ってるよ名前さん』って言ってるからやめたげて!」と引き剥がしに来たけど、そういう私に聞こえない音波での会話なんて認めない。

バスケ部入学の時に屋上から叫んだらしいけど、運悪く私はその日遅刻して朝礼に出れなかった。
というか酷い裏切りを受けた。
家庭の事情で一人暮らし。それにプラスして低血圧の極みである為、毎朝起きるまで電話を掛けてくれていたのに、その日に限ってメール一通だった。結果、起きれず遅刻。
届いたメールの件名『ごめん』本文『今日はゆっくり寝てて』。
完全に確信犯です本当にありがとうございました。
思い出したらムカムカしてきたので、目の前にあるほっぺたを抓りあげる。眉をハの字にしてパンパンと二回膝を叩いているのをみて、ほんのり癒された。

「なんとなくね、これからずっと先も凛之助と一緒にいるような気がするのよ」

ぱん。一回膝を叩いて嬉しそうに笑う邪気のなさが眩しい。
この若さにして未来を確定させちゃうのは早すぎるかなーとか、一生一緒よ!的なキラキラしい妄想をしているわけじゃない。
私なりに最大限の現実味を持った想像の末に、隣に凛之助がいないのがちょっと想像できなかった。

凛之助の言葉数の異様な少なさをここまで気にしないのはたぶん私だけだろうし、自覚ありだが反省はしないガサツさ全開の私をまるっと好きになってくれるのも凛之助くらいで、自分で言うのもなんだけどお似合いの二人だと思う。破れ鍋綴じ蓋って思った人は一発ずつビンタするからそこに並べ。

「最近、不景気でしょ」

「……?」

「凛之助が仕事に就く未来がまったく想像できないから、私が稼ぐ。
将来の事は気にしないで、凛之助は家でレースでも編みつつ私の帰りを待つべき」

「!?」

プロバスケプレイヤーになるならなるがいい。心の底から応援しよう。
ただ…サラリーマンになる凛之助の図が、どうしても今の私には想像できない。

「私は凛之助にはのびのびと生きてほしいので、お金のことは一切気にしないでください。
サラリーマンになって部長に怒られて泣きそうな顔で帰ってくる凛之助。想像しただけで私のストレスが限界を超えた。血管ぶちぎれる」

いや、絶対にサラリーマンになるとは思ってはいない。
でも日本人で最もポピュラーな仕事だし、真っ先に思いついたのがこれで私の心が折れたのです。

「もう心配でたまらんのですよ私は。いい?ちょっと長くなるから聞き流し可よ。
だいたいこんな高身長イケメンスポーツマンに惚れられてかーらーの交際なんて、いったいどこの少女漫画よ!
料理上手でお気遣いの天使で無口だけど好意は駄々洩れって、冷静に考えて?最強よ?こういうの萌えキャラっていうのよ?
そんな水戸部凛之助くんですが唯一にして最大の欠点、かっこ私はチャームポイントだと思ってるかっことじ。その言葉数の少なさよ!日本全国民に小金井君の特殊能力オートでつけばいいのに!
今はいいの、でもこれから先よ!大人になって社会の歯車になったその時!凛之助の個性を認めない上司が現れネチネチといびり出したら…!?
生真面目な上に努力家でコツコツと仕事をこなす、燻し銀よ?当然業績も上がり、オフィスレディ共がこぞって「水戸部さんの寡黙な態度カッコいいステキ抱いて」と媚を売る。
それが気に喰わない部長四十五歳独身禿頭は凛之助の態度や口数の少なさをネタにイビリだす。
しかし持たざる者の妬みを知らぬ水戸部凛之助は、素直に己を反省し改善を試みるも、そもそも妬みから出た事。いかに努力しようにも報われぬまま今日も疲れた足取りで電車に揺られて帰宅するのであった……」

「………」

「聞いてよ!」

「!?」

聞き流し可って言ったのに…とでも言いたそうな眼をした凛之助は、私の身振り手振り付きの熱弁中に洗濯機から上着を取り出し乾燥機に入れ、コーヒーを新たに二杯淹れ、夕飯用のお米をセットし、ついでに豚肉に下味をつけて冷蔵庫にねかせていた。
ただでさえ傍から見るとひとり言にしかならないんだから、もう少し私に興味を持っていただきたい。
おずおずとミルク多めのコーヒーを差し出してきたのでありがたく一気飲みして、キッと睨んでみる。
困ったなあとまた眉をハの字にして、私を宥めようと頭を撫でてくるけど今日は騙されない絆されない。

「娶るから嫁に来てよー!」
「……」

そんな「しょうがないなあ」みたいな、我儘言う子を見る眼でみたって撤回しないんだから。
くそう、しゃぼんの良い匂いがする。私が男に生まれて凛之助が女の子だったらこんなに思い悩まずともすんだのに!

あれ?もしかして私って今はやりのヤンデレというものなのでは?
思いつめすぎて「監禁って楽だよなあ」と最後の手段まで考え出したけど、これはつまり「貴方の全てが欲しいの」という病んでてデレデレな感じなのではなかろうか。うんきっとそうだ。アイアムヤンデレ。

「………」

ぐちゃぐちゃと一人でいろんな事を悩んでるけど、凛之助は相変わらず少し困ったような宥めるような笑みを浮かべて、私の頭を撫で続けている。
なによ!私ばかり悩ませて!と、怒りたいキモチもあるけど、勝手に想像して悩んだり結論付けたりしているのは私なので、そういう類の我儘はさすがに言えない。後で思い出して恥ずかしい思いをするに決まっている。

「もう少しね、」

「……?」

「あともう少しだけ、凛之助の声が聞きたいだけなの」

どうして喋らないかという事は知らない。
もともとの性格もあるだろうし、上にも下にも兄弟が多くて、喋らなくても周りが理解してくれてたっていう育ちが原因かもしれない。
いろんな要因があわさって混ざって今の水戸部凛之助が出来上がっているから、私はまるっと全部好きでいるんだけど、たまにはですね。さみしくなる時もあるのです。敬語。

「これからもずっと仲良しでいたいじゃない。
将来的には同じ墓に入る事前提でこういう関係になったでしょ」


中学時代。ラブレターという古風な呼び出しを受けて立った私は、顔を真っ赤にさせて恋情を書面で提出してきた凛之助に言い放った。

「私、軽い女じゃなくってよ!付き合うなら結婚覚悟、初夜まで未開通!」

確かその時嵌ってたゲームの台詞と、「水戸部君って大家族だったよね何かあったらあっという間に孕むわコレ」という生々しさ全開の想いを合わせて咄嗟に出たのがそれだった。
我ながら最低過ぎる返答に、予想外にも必死で食いついてきてくれたので今に至る。

「多感な時期なのよ高校二年生!わかる?!」

突然怒鳴るとビクリと驚いた凛之助が、ぱんと膝を一回叩く。まだ覚えてたの。愛い奴め愛い奴め。

「将来の事とかリアルに考えて夜も眠れなくなるお年頃!ここまで把握した?おっけい?」

膝を叩く隙すら与えず畳み掛ける。
ふと「これは喧嘩なのだろうか」という疑問も掠めたけど私は別に怒ってないし、凛之助に至っては突然ドッキリを仕掛けられた上に半裸のまま延々と絡まれ続けているという可哀そうな状態であるだけなので喧嘩ではない。
最初に言った通り「私たちのこれからを話し合う」というテーマから外れて…ない。ないよね?
うん、言いたい事言いまくってるだけな気もするけど、語り手が一人だけなので仕方が無いのです。
軌道修正してくれないんだもの。そりゃ暴走するわ。

「夜中にふと目覚め「ああ私たちは将来どうなるのだろう。最低でも三人は子供が欲しいなウフフ」と妄想にふけり、その妄想の中で子供に「パパの声が聞きたいよう」と泣かれる凛之助を想像してしまって飛び起きた私ですよ!
そして自覚!私、凛之助の声忘れてる!なんなのこれ!この前誰かから聞いたんだけど、人って声の記憶から忘れて行くらしいよ!私の365日のほぼ全てを占めている癖に吐息の記憶しか残してくれないとかどういう了見。解せぬ。実に解せぬ。
せめて私に忘れられない程度には喋ってくれてもよろしいんじゃなくて?
本日の議題『三年目の私たち過去・今・そして未来へ』で私が抱えている漠然とした不安感を払拭する為には、君のトークスキルをあと少しアップさせる必要があるのです。
少しで良いの、ただでさえスポーツマン家庭的優しい頭いいナイスガイなんだから、無口という一枚の壁がなかったらホント…ただのイケメンじゃない!惚れない女は頭がおかしいレベルよ。危険過ぎて国が動く。
だから、…だーかーらー!聞いて!本棚の漫画を巻数ごとに揃えるのは今しなくても良いことでしょ?!五巻だけないのは確かこの辺に置いて…あった、ハイ。って違う!
ねえ聞ーいーてーよー!無ー視ーしーなーいーでー!」

またもや私の訴えを軽く流して、今度は細部の掃除をはじめた酷い凛之助の背中をリズミカルに殴打する。
振り返り、おもむろに抱きかかえられてベッドの上に下ろされた。
これで移動方法がお姫様抱っことかなら私だってキャアと可愛く言ってあげただろうに、水戸部家でよくみられる年少の弟妹を効率よく移動させる前抱き式移動だった事に大憤慨。遺憾の意。
うおおお!と雄たけびを上げつつ暴れていると、そっと頭を撫でられた。

「なによっ」
「……」

ソッと渡されたのはカーペットクリーナー。通商コロコロだった。
ああ…埃がたつからコロコロしてろと、そういうわけですね。はい。敬語。

「うおおおおおお!凛之助の馬鹿!イケメン!好き!」

にこにこ微笑みよってからに!
この憤りを全力でコロコロにぶつけ、一通り終えてからベッドに突っ伏した。
うっうっうっと泣いたふりをして、向こうが折れるのを待つ。

「ね…一回だけ。一回だけで良いから「愛してる」って言って?
そうしたら全ての不安は消え去り、人々の心に希望の火が灯り腰痛も治り砂漠に草木が生え宝くじが当たり小金井くんにも彼女が出来る。
私ばかり好き好き言うのは不平等よ。釣った魚に餌をやらないと飢えて死ぬよ?それとも私の片想い?」

言葉に出すと結構痛いものがあって、本当に悲しい気持ちになってきた。
そんな私の様子にただならぬものを感じたのか、相変わらずの困ったような顔で私を見て、落ち着かない様子で口に手を当てたり視線をそらしたりを繰り返す。

私まで黙ったら、この部屋は本当に静かだ。二人しかいないし、テレビもつけていないから当然だけど、たまにはこの居心地の悪さを自覚して私を大事にしてくれても良かろうよ。普段から大事にされている自覚はあるけど、そう我儘を思ってみる。

意を決したように佇まいを直して、凛之助は私と向かい合った。


「………昔も、今も、これからも、…ずっと、愛してる」

「誓う?」

「誓う」

「…もう一回。名前も呼んで」

「俺は、名前さんを、あいしてるよ」

チャラーン。電子音が背後からワンフレーズだけ流れた。

硬直する凛之助。
史上稀に見るゲス顔の私。

「私も愛してるよダーリン」
「……!!?」

背後に隠していたアイフォンを弄る。
『俺は、名前さんを、あいしてるよ』
なかなか綺麗に録れていて余は満足じゃ。

「!!」
「これで私、あと十年は戦える」

取り上げようと伸ばしてきた手を避けつつ、スカートの中にアイフォンを避難させる。
なんてところにいれるんだと大慌てだが、三年目にして今だ清らかなお付き合いである為、無理やり手を突っ込んできたりは出来ないのだ。
勝てぬ戦と理解したのかそうそうに諦め、項垂れた。耳まで真っ赤になってプルプルとふるえている背中に、のの字を書いて甘える。

「これねー。凛之助からの着信音にするの」
「……やめて」
「こういう時だけ喋るのは卑怯でーす。聞こえなーい」

くふくふと笑って、広い背中に抱きつく。
いいですか。女とは。というか私とは、こんなふうに君のたった一言でテンションが上下して、幸せになったり不安になったり妄想にとらわれたりするのです。
だからたまには、耳に聞こえる形で甘やかして欲しいと思ったりするのです。敬語。

お願いやめてという懇願を無視して、設定を変えた。
それがまさかあんな事態になるとは…と、フラグをたてておく。



後日談。
学校にて。

キャッキャうふふと休み時間に友達とおしゃべりをしていたら、同じ教室の端にいた凛之助が「時間が合ったら一緒に帰ろう」とメールをくれたわけだけど、まあ、その、

マナーモードにし忘れてたよね。

『俺は、』の時点でヤバいと気がついたけど、私以上に慌てたのは凛之助だった。
端にいたはずの彼は助走も着けずに、机を二つ三つ踏み超え私の元へと大ジャンプ。

「水戸部がー!!?」

小金井くんの絶叫。
机が倒れる音とその絶叫で『俺は、』の続きは誰にも聞こえなかったけど、そのままの勢いで私ごとポケットに入ってるアイフォンを確保。全力で衝撃を消したのか私にはまったくダメージは無かったけど、その一瞬で満身創痍になった凛之助。

「……それは、駄目…ッ」
「本当にごめん。メール着信のはやめる」

そしてクラスは混乱の渦へと巻き込まれた。

「水戸部が喋った!!」
「どうした喧嘩か?!苗字さん謝って」
「名前も悪気だけはない子なの。許してあげてー!」

「喧嘩じゃないし、どうして私が悪いと決めつける!」

天使が通る一瞬の静寂の後、一斉に「日頃の行ない」と返された。
どういう事なの。どこで示し合わせたのそれ、こんなにチームワーク良いクラスだったっけ?

私、というかアイフォンを抱きしめたまま動かなくなった凛之助は、自分のやった行動を思い返して完全に頭の中真っ白状態になっている。
事態の収拾が付かないまま、とりあえず私へのご褒美としてハグハグしておく事にした。はぐはぐぬくぬく。しあわせ。


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