稲荷の化身の稲荷寿司(表)
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その年は山の恵みも少なく、冬になるまでに蓄えが出来るかも怪しかった。
父親は栄養不足から痩せ衰えた身体を引きずるように、山へ狩りに出かけていく。妻も子も同じように病んでいる。鳥の一羽でも仕留めて帰らねば、冬どころか明日もないだろう。
しかし山もまた病んだように静かで、父親はどんどんと奥に入っていった。もしかしたらここより先に獲物が居るかもしれない。もしかしたら、もしかしたら、そう自分に言い聞かせてどれだけ歩いただろうか。ふと気がつくと、父親はお屋敷の前に立っていた。
門は開いて、暖かな風が吹いている。庭には美しい桜の木があり、満開に桃色の花を咲かせていた。
「ごめんくだせえ」
随分歩いたせいか、喉がとても渇いている。水を分けて貰いたかったが、父親が中を覗き込んで声をかけても、人っ子一人いやしない。仕方なく裏口から中に入ったら、そこは調理場だった。
すると父親はあるものに目がいった。黄金色の輝きをはなち、ふっくらと美しい米がきらめいている。それは三つ並んだ稲荷寿司。飢えて乾いた身体に、その香りは染みこんだ。我も忘れて近づいて、理性が焼き切れる。信心深く誠実だった父親は「ごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいごめんなさいごめんなさいゆるしてください」と泣きながら稲荷寿司を盗んで食べた。
すると、どういう事だろうか。途端に飢えと渇きは消えて、病んだ身体もかつてのように動くようになったではないか。
皿に残るもう二つも掴み上げ、父親は転がるように屋敷を出た。行きはあれほど困難だった道のりも、帰りは飛ぶように速い。見知った道に出て、家までをまっすぐに走る。家の前には妻と子がいた。どうやら知らぬ間に三日も経っていたらしい。
まだ温かい稲荷寿司を二人に渡し食べさせると、血の気の失せた白い頬に朱が戻り、病の気を祓いまたかつてのようによく笑う元気な様子を見せるようになった。
それもこれも仏の加護だと思い、今まで以上に信心深くなる父親だったが、それから数日後、白い髪をした見知らぬ男がやって来た。
「貴様どういう了見じゃ。私がぬし様に食べていただこうとした稲荷寿司を! この小狐が! ぬし様へじゃぞ! 小狐が丹精込めてつくったお揚げを!」
酷く憤る男は、畏れを覚えるまでに美しい姿をしている。まるで神仏のようだ。そう思ったとき、父親は気がついた。
小狐、ぬしさま……稲荷が作った主への捧げ物……仏への捧げ物!
地に這いつくばりながら「申し訳ございません」と謝り倒す父親に、その妻と子も縋り付きながら「わたしもたべたの、わたしもわるいの」「主様への供物とは知らず大変な事を、誠に申し訳ございません。夫は身体を壊した私の為にしたのです、すべての咎は私に……」と涙々の謝罪の合唱。
白髪の稲荷の化身は顔を顰めながらまたひと吠え。
「やかましい!! 迷い込んだのはわかっておる!! 言いたかったから言っただけじゃ!!! 我が主が貴様に!! あまりにも痩せ過ぎて惨めで哀れじゃと、ほれ!! 拾え! うちで採れた芋じゃ、これでも食って肉をつけろ! ぬし様の優しさに感謝しながら寿命分生きて平和に死ね!」
その声を最後に、稲荷の化身はドロンと姿を消し、残されたのは一冬では食べきれないほどの芋だった。
一家はこの芋を隣近所にも分け与え、稲荷の化身と仏の慈悲を忘れぬようにと、神社を建てて今も尚、長く長く信仰を続けているという。
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