清らかな晴天が胸をすくような良き日和である本日、いよいよ球技大会当日を迎える。いよいよ、というほど楽しみにしていたわけではないけれど、張り切るチームメイトたちを眺めていると士気も上々であることが窺えた。
マッチングは学年関係無く行われるため、途中先輩たちと当たるという可能性も大いにある。特に木兎さんは、何事に置いても勝気な人なので、万が一対戦をすることになってしまった時のことを考えると少しだけ気が重かった。
みょうじさんとは、あれ以来今日までに何度か昼休みに練習する姿を見つけては、軽くパスに付き合っていた。約束を取り付けていたわけではなかったけれど、教室の前を通りかかって彼女の姿が見つからない時、自然と校舎のどこかにいるのではと、探すようになってしまった。
そうして見つけてしまうと声をかけないわけにもいかず。さらに時間があるかと聞かれれば、正直に答えないわけにもいかず。そうこうしているとボールが投げられて、パスが始まる。そんな流れが多かった。もちろんこちらに予定がある時も、彼女も一人ではなくて友達と一緒にいることもあったので、毎日がそうだったわけではない。
一番最初に練習に遭遇して以来、話をすることも多くなったけれど、それでもあんなにも彼女の心の内に触れたのは、あの時だけだった。それからの会話は特に他愛もない、授業やクラスについて、時々バレーの話など、ありふれた会話ばかりだ。
物足りなく思っているのではない。むしろあの話をきっかけにみょうじさんのことを一層理解できて、他愛ない会話も楽しめるようになっていた。
ただ、それも、きっと今日が終わってしまえば。全てが元に戻るのだろう。なんとなく、球技大会というものがふんわりと、自分たちの間に横たわっていて、それを介することがなくなった後を考えることができなかった。
そのことを惜しむ気持ちはもちろんある。けれど、今の自分にはその状況を進展させることができるきっかけも思い浮かばなかった。
「赤葦! 初戦から俺に当たるとは運のない奴め!」
人知れず思い悩んでいたところ、こちらの心中などお構いなしに引き戻す、底抜けに明るい声が耳に届く。目下の心配事に対する願いも淡く、たった今打ち砕かれてしまった。
*
「惜しかったな……」
「いや、あれは勝てんよ」
「やっぱスゲーのな、ボクトサン」
実に無念。朝練のときから気づいていたが、今日の木兎さんは実に絶好調で、まさに八面六臂の大活躍だった。あのパワーで試合を進められてしまうとこちらはもう成す術がない。負けるつもりで試合をしたわけではないけれど、バレーならともかく、専門外の勝負で勝つことはやはり難しかった。
「赤葦おつかれなー」
「おー」
たった一試合やっただけだというのに、本当に疲れた。チームメイトからの労いの言葉にもきちんとした返事ができないほどに。というのも、試合中木兎さんのマークをほぼ担当して、予想していたことだったが相当振り回された。こちらの戦力を考えると妥当な作戦かつ、自分から名乗り出た手前完全なる自業自得だった。
「でも赤葦もやっぱスゲー。ボクトサンについてってたじゃん」
「うん、もう二度とやりたくない」
切実に呟いた願いに、慰められるようにチームメイトの一人から肩を叩かれ、労りを感じた。寄越される視線にも、どこか憐れみが含まれているようだった。
「俺ら先戻っとくわ」
「ああ、うん」
おつかれ、とこちらからも言葉を返すと、チームメイトたちは手のひらを見せて試合会場に戻っていった。その背中を見送ってから、深く息を吸って、長い時間をかけて吐き出して、深呼吸を繰り返す。そうしていると、もしかして彼らは気を遣ってくれたのかと思い当たり、くすぐったいような思いがした。
しかしいつまでも一人反省会に勤しむわけにもいかず、ほどよいところで観戦に戻らねばならない。その前に、水分が必要だということを思い出したので、調達に向かうことにした。
時折体育館から湧き上がる歓声や、甲高い笛の音を外から聞いていると不思議な気分に包まれる。いつも自分はその中にいるはずで、渦巻く熱狂やドラマに身を置くことは嫌いではなかった。まだ今日という日は続くけれど、色々と総合的に考えて、木兎さんとのバスケは中々できない体験で、楽しかったと思うことにしよう。
「赤葦くん。偶然だねえ」
ぐるぐると空回りを続ける頭のターンテーブルに、針を落とすみたいに。そうして新しく聞こえてきたのは、この数日ですっかり耳に馴染んでいた、みょうじさんの声だった。
後ろから声をかけられたと思い、振り返ろうと顔を向けたのとほぼ同じタイミングで、みょうじさんは追いついて肩を並べて歩いていた。身長差がある以上、どうしたって顔を覗き込まれてしまうのが妙に恥ずかしい。絶対に見られたくないわけじゃない。うまく説明できない心のせいで、一言で表せない気持ちばかりが胸の奥に溜まっていく。
気のせいでなければ、声をかけてきたみょうじさんは得意気というか、含みのある笑みを浮かべているように見えた。例えば今から、何か悪戯でも仕掛けるような。偶然、と口にした彼女の言葉に少しだけ違和感を覚える。
「みょうじさん。なんでちょっとドヤ顔?」
「ふふふ。最近見つかってばっかだったから、今日は私の勝ちだと思って」
みょうじさんの表情の理由が知りたくて、自分で思ったよりもずっと直球の言葉が出てきてしまった。そしてそこから返ってきた答えは予想もしないものだった。知らない間にいつのまにか勝負になっていたらしい。無邪気に緩むみょうじさんの目元を眺めていると、なんの勝負かよく分からなかったが、負けでもいいかと思ってしまう。
「あ、笑ってる。また私の勝ち」
「え、それも勝負?」
「だってそういうのも数えないと勝てないんだもん」
「意外と負けず嫌いなんだね」
「あれ、気づかなかった? あんなに一緒に練習したのに」
おかしいなあ、と言いながら、みょうじさんは一人首を傾げる。けれども言われてみると、確かに。パス練習をしていたときの、ボールを懸命に追いかけるみょうじさんの姿をすぐに思い出す。
「初戦終わった?」
「うん! 勝ったよ!」
満面の笑顔にピースサインを添えた報告は、そんなみょうじさんを知っている自分にとっても嬉しいものだった。みょうじさんの活躍をこの目で見れなかったことが、素直に悔やまれる。
「赤葦くんもおつかれ。ちょっとだけ見てたよ」
「えっ。ありがとう」
試合に集中していて全く気が付かなかった。見てくれているとは思わなくて、反射的に礼が口をついて出た。しかしここでお礼を言うのは違ったとすぐに思い直したが、後悔はすでに遅い。
けれどみょうじさんは特に気に留めるでもなく、そのまま会話は進んでいく。
「木兎さんはやっぱりすごかったけど、赤葦くんもナイスファイトだったね」
「負けたけどね」
「じゃあ、私が次も勝つよ!」
赤葦くんの仇打ち、と息巻いて、妙にやる気をたぎらせている。一瞬の間を置いた後、肩の力が抜けたみたいにふっと笑いがこみあげてきた。
「みょうじさん、クラス違うけど」
「でも師匠の仇は弟子がとるものでしょ」
またも知らないところで色々と状況が動いていたらしい。自分は師匠になっていて、みょうじさんはその弟子になっていたようだった。
そもそもどう頑張っても球技大会のシステム上、みょうじさんが木兎さんと直接対決するのは難しい。全く筋違いの主張を声高に宣言するのがおかしくて、今度は声を上げて笑ってしまった。
「弟子より先に負けるなんて、師匠の名折れだな」
「まあまあ、任せといて」
頑張るから。そう言って、引き止める間もなくあっという間に前へと走り出してしまった。みょうじさんの背中に頑張って、と声をかけることもできないまま、吹き抜ける風を掴もうとするみたいに、伸ばした腕が空を切る。
去り際にさらりとだけ交わる視線を、駆け抜けてしまうその身体を、すこしでもここに留めておきたいと願うのは、あまりにも愚かだろうか。
それでも、一度でも認めてしまったこの気持ちをなかったことにはできなくて、今この場では行き場のない手のひらを、固く握りしめて誤魔化すことしかできなかった。