過ごしやすい気温が続いて呑気にしていると、球技大会が終わってしまえば急に秋の気配をすぐそばに感じるようになった。少し前まではまだ、みんな夏服のシャツに袖を通していると思っていたのに、気がつけばジャケットがないと心細さを感じるような季節になってしまっていた。
日の沈みも日に日に早さを増しており、今年も気がつけばあっという間に冬を迎えるのだろう。年が明けるとすぐに春高が始まる。その前に、目下には東京都代表決定戦が控えている。
日々の部活も、日を経るごとに熱が高まっていく。3年の諸先輩方にとっては、高校最後の春高になる。まだ始まってもいないことに感傷的になるのはいくらなんでも早すぎるだろうか。けれど、きっとこれからはセンチメンタルな気分になる間もなく過ぎ去ってしまうだろうから、やはり今やるべきである気がした。
「赤葦くん、事件ですよこれは」
人知れず物思いに耽っていたところを真面目な顔をした白福さんに呼び止められる。いつもはゆったりとした話し方が特徴的だけど、やけに取り繕った声をしていた。
こういうテンションのときの白福さんは、大抵悪ノリをしていると相場が決まっている。白福さんの後ろ、円になって座り込み、何やら床を凝視している先輩達を見て、やはり何か良からぬことに巻き込まれようとしているのだと察知した。
「なんですか、事件って」
「あれを見なよ」
関わりたくないという気持ちを全面に態度に表していたつもりだったけど、それは無駄な努力だったらしい。ぐいぐいと背中を押され、連れてこられたのはしゃがみ込んでいる怪しい全円の集団の中央だった。そこには誰かのスマホが置かれていて、どうやら集団が見ていたのは床ではなかったということが分かる。
画面には何かの動画が再生されていた。それが何なのか分かったのは、スマホを手に取ってからだった。
「え」
目に飛び込んできた映像に言葉が詰まる。頭が真っ白になった、と言い換えてもいいかもしれない。
「なんですかこれ」
「なまえちゃんのライブ」
なんでそんなものを見ているのか問い正したい。自分がバレー部の未来について思いを馳せていたというのに。しかし言葉を思いつくよりも先に、映像から目が離せなくなり、それは叶わなかった。
流れ続ける映像は、みょうじさんにフォーカスされているようで、カメラは彼女だけを追い続ける。
いつも見ていた、ひとつにまとめられていた髪が、映像の中では耳よりも高いところでふたつに結ばれている。みょうじさんが踊るたびに揺れ動いて、まるで生き物のようだった。
ダンスのことも歌のことも良く分からない。それでも目が離せないという事実だけで充分な気がした。
踊りながら、歌いながら、曲に合わせてくるくるとみょうじさんの表情が変わっていく。眩しい笑顔も挑発的な目配せも、次々と変わるそれはどれも自分が見たことないものばかりだ。
みょうじさんの丸い瞳にはこちらは映っていないはず。しかしみょうじさんの視線はこちらを見ているに違いないと思わせるほどの、心がそこにある。
「なまえちゃんバズってるよ。どうすんの赤葦」
「どうするもなにも、すごいですね」
「こんな可愛いの、世界が見つけちゃうじゃん」
「なんで白福さんキレてるんですか……?」
真剣な顔をしていたと思っていたら、今度は頬を膨らませ始めた。どこに白福さんの怒りを刺激する箇所があったのか全く分からない。疑問符を頭に浮かべていると、白福さんはぷいと顔を逸らして輪から外れていってしまった。
「白福も気になってんのよ、お前となまえちゃんが」
「はあ」
すかさず木葉さんに肩に腕を回されて、その場から離れることができなくなる。みょうじさんのことを、なまえちゃんと呼ぶ木葉さんが妙に気にかかったが、今は一旦触れずにおいた。
「この間結局ちゃんと聞いてなかったけど、どうなんだよ」
「…………どうとは」
「いやいやいやお前さあ」
はっきりしない俺の返答に、木葉さんは大袈裟にため息をついてみせた。言わんとしていることは分かる。思わず濁してしまったのは、自分でもまだ考えがまとまっていないのと、みょうじさんとの交流を知られたくないと思ったからだ。
知られて困ることは何もないと思っていた。それでも、知られたくないと思ってしまった。
「なんか良さげだったけどなんもねーのかよ」
「良さげ、ですか」
良さげ、というのもずいぶんふんわりした言葉だな。そう称された自分達をどこか他人事のように思ってしまうほど、現実味に欠けている。
木葉さんや白福さんが期待するような、浮いた話がなければいけないのだろうか。
いけないということはないはずだ。そもそも周囲が囃し立てるから、なんて理由は不誠実にもほどがある。
憎からず思っていることは確かだった。けれどみょうじさんへ抱いている思いはそれだけなのか。名前の分からない感情を、どう扱えばいいのか。完全に途方に暮れていた。
以前にみょうじさんは、自分のことを普通の女の子だと、そう言っていた。
そんなのは、これを見てしまった今となっては完全に彼女の謙遜でしかないと言い切れる。
今これを見ている人のうち、みょうじさんが心の内に抱える思いを知っているのは、どれほどいるのだろうか。みょうじさんが頑張る理由を、戦う理由を、笑顔の奥にある夢を。
それを知ってしまったから、みょうじさんの道を邪魔してしまうことを、どうして良しとできるだろうか。
流れ続ける映像の中、回る彼女のツインテールを眺めている。出口のない、リピートされ続ける映像とリンクするように、己の思考も出口のない袋小路に入り混んでしまう。
ぐるぐると、止まらない頭をなんとか引き戻したのは、集合を告げる声だった。