みょうじさんを見つけた。
春高の日、決勝のコートで、最後に交わした言葉と違わずスタンドに立つ彼女を見た。試合終了後に見上げた先で、みょうじさんは泣いていたようだった。
ただ夢中で走って、繋いで、ここまで来た。結果に悔いがないかと言われると、やり直せるならばとも思う。
それでもやっぱり、ここに来ることができて良かった。この人たちと一緒に、バレーができて良かったと、心から言える。
過ぎてしまえば、あっという間の日々だった。厳密に先輩たちとの別れが訪れるのはもう少し先になるけれど、一つ大きな区切りがついたことに変わりはない。掲げてきた大きな目標を超えたことへの安堵や寂しさを、ゆっくりと実感する間もないままに、学園生活は等しくこれからも続いていく。
3年生の引退を経たところで、自分にはあと一年が残されているわけで、事務的なことやら主将の引き継ぎやらを行うことになる。とは言え、これまで副主将としてこなしてきた経験から、日々の活動を行っていく上でさほど気にすることもないように思えた。
みょうじさんに、お礼を伝えなければと思っていた。約束を交わしたわけではなかったのにあの日みょうじさんが来てくれたこと。見つけたときの驚きも、喜びも、全て伝えたかった。
話をしたいと思ってみょうじさんを探しても、中々その機会が訪れることがなく、数日が経過してしまった。
校舎で見かけても向こうが取り込み中だったり、そもそも姿を見つけることができないことも何度かあった。これまであんなにもエンカウントできていたことのほうが、不思議だったのかもしれない。探そうと欲を見せると何事も、思い通りに行かないことが多くなるものなのだろうか。
以前までの自分ならば、きっとここまでで手をこまねくだけだっただろう。みょうじさんを見つけることができると以前に宣言した手前、諦めるという選択肢は存在していなかった。
とは言え用意した作戦は至ってシンプルなもので、ただ移動教室の隙を狙って待ち伏せるという、それだけのことだ。それだけのこと、なんて豪語しておきながら、実行に移すには中々勇気のいる作戦だったので最後の手段としておいた。
狙うのは音楽室からみょうじさんが教室に戻ってくるタイミングだ。しかしドンピシャリという時間を予想してそこに遭遇するのはさすがに無理がある。最終手段と言うには些か直情的で、目立つことこの上ないのを覚悟して、廊下でみょうじさんが通りかかるのを待っていた。
何をするでもなく、教室のドア付近にただ佇んでいることが、こんなに難しいことだとは微塵も想像しなかった。通行人の邪魔をしないように、極力端にいるつもりだったけれど、さっきから道行く何人かの視線がこちらに注がれているような気がしてならない。
みょうじさんが現れたのは、半数以上が教室に戻ってからだった。友人たちと一緒に笑い合いながら、軽やかな足取りでこちらに近づいてくる。声をかけるにはまだ遠い距離だろうか。そんなに大きな声を出さなくても、いずれはこちらに気づいてくれるはずだ。それでも早く気づいて欲しいと、行き場のない欲望に足をとられて動けない。
あはは、と笑うみょうじさんの声が、軽やかにこだまする。もう声をかけられる距離にまでなった時、こちらが動いたのとみょうじさんと目があったのは、ほとんど同時だった。
「みょうじさん」
みょうじさんと目があって、弾かれたみたいな勢いだった。調整に失敗した声のボリュームは想定よりもずっと大きく、行き交う喧騒の中でかき消さてしまう心配なんて無用だった。
丸い瞳がパチリと瞬いて、ぽかんとこちらを見つめている。みょうじさんの反応にあてられて、眉間のあたりにわっと熱が集まるのが分かった。恥ずかしい。みょうじさんを待っていたのは事実だけど、それにしたってもっとスマートに済ませてしまえるはずだったのに。
そんな内省を瞬き一つ終える隙にして、ここからどう立て直せるかと考えている間に、こちらに駆け寄ってくるみょうじさんが見えた。
「赤葦くん」
「……みょうじさん」
パチパチと、近くで見るとずっと大きい瞳が、星のように瞬く。みょうじさんが驚いたときに見せてくれる、その表情が好きだった。
彼女と一緒に歩いていた友人はちらりとこちらを見て教室に戻っていった。確かあの子は、前にみょうじさんを呼び止めたときにもその隣にいたような気がする。
駆け寄って来てくれるとは思わなくて、まだ赤いであろう顔を隠そうにも隠せなくて、思わずさっと目を逸らしてしまった。
きっとみょうじさんは、俺の考えていることなんて全てお見通しなのだろう。にっこりと笑いかけたまま、言葉が出てくるのを何も言わずに待っている。
「今日、昼休み時間あるかな。この前のお礼と、よかったらちょっと話したくて」
礼の一言や二言、この時間で済ましてしまうこともできただろう。けれど授業の合間の休み時間だけでは足りないと思った。この件に関して、時間はありすぎるなんて思うことは決してない気がした。
みょうじさんは再び、ゆっくりと一度瞬きをして、こくりと頷いた。
「うん、いいよ。購買いってからでもいい?」
「もちろん。ていうか俺も行くし」
「お、チーズサンドは譲らないからね!」
「ふふ」
そこも勝負になるのかと、相変わらずの調子でいるみょうじさんが微笑ましい。
無事みょうじさんとの約束を取り付けることに成功して、彼女とはそこで別れる。安堵していられるのも束の間、数時間後のみょうじさんへ何を話そうか、授業よりもそのことについて考えなければならなかった。
*
待ち望んでいたような、もう少しだけ猶予も欲しいような。それでもやっぱり、楽しみにしていた昼休みはあっという間にやってきた。
授業終了を知らせるチャイムが鳴り、約束通りまずは購買へと急ぐ。
教室を出てすぐのところで、同じタイミングで隣のクラスから飛び出してきたみょうじさんの背中を見つけた。彼女も先ほど言っていた通り、これから自分と同じところを目指すのだろう。
走ることのできない、廊下というこの空間が恨めしい。それでもどうせ、あとには合流することができるのだから、今このときだけの距離は許容できる。
背中を追いかけてたどり着いた先で、振り返ったみょうじさんにあっけなく見つかってしまった。
話をしたいとみょうじさんのことを誘って、承諾を得られたところまでは良かった。けれど話すことしか考えておらず、どこで話をするかまで頭が回らなかった。
パス練習をしていたころと違って、外でランチという気候でもなくなってしまった。
一縷の望みを託して、みょうじさんにどこかいいところを知らないか、と聞いてみる。彼女は少し得意げな顔で、こっち、とだけ言って歩き始める。
「チーズサンドゲットできた」
「おめでとう」
「そっちは何狙ってたの?」
「野沢菜おにぎり、ゲット」
「赤葦くんはお米派かあ」
肩を並べて隣を歩くみょうじさんが、屈託のない笑顔で購買での戦果を報告してくれる。こうして学校内で、他愛ない話ができることが、嬉しかった。
「多分誰もいないと思う。私たまにここ借りて練習してるんだ」
「練習」
案内されてたどり着いた先は、空き教室の一つだった。練習、というのは彼女の活動の一環だろう。
遠慮がちに扉を開けば、彼女の説明通りそこには誰もいなかった。中に入ると、暖房は入っていないけれど廊下に比べて幾分かほわりとした空気に包まれる。
「なんか、改まると照れるんだけど」
このまま何気ない話をだらだら続けてしまうと、いつまでも本題にたどり着けないことは目に見えていた。だから率直に、腰を落ち着けてしまう前に、みょうじさんの時間を使ってまで伝えたかったことを一番に切り出した。
「春高、応援来てくれてありがとう」
「……すごい、気づいてたんだ」
「え、目合ったと思ってたけど」
「う……待って、てことは、見てるじゃん」
「泣いてたの?」
「言わんでよ!」
今のは少し、意地悪だったかな。耳まで真っ赤にしてしまったみょうじさんを見て、反省の念は湧き上がってきたものの、それよりも初めてみる反応に興味が湧いてしまった。
「だって感動したもん。そりゃ泣くよ」
頬を少し膨らませ、眉根を寄せてはいたけれど、告げた言葉から怒ってはいないのだと窺える。
臆面なく、自分の感情を言葉にして曝け出す。当たり前のように、感動したから泣いたのだと、さらりと言ってのけてしまう。それがどれほど難しいか知っているし、みょうじさんのすごいところなのだと改めて気付かされた。
「準優勝って、本当にすごいって思うけど、一番悔しいんだろうな」
ぽつりと、思わず溢れてしまったみたいな言葉だった。
みょうじさんも己の口から出てきた言葉に驚いたようで、瞬きを二、三度繰り返す。
いつかのみょうじさんが俺にしてみせたのを思い出す。言葉の続きが聞きたくて、じっとみょうじさんを見つめて、俺はただ黙っていた。
みょうじさんは視線をそらして、すぐに戻すけれど、俺が何も喋らないでいるのを見て、観念したように小さく息をついた。
「最後まで頑張ってきたのに、やっぱり結果の話になると複雑っていうか……優勝以外どうでもいいとかそんなことないけど」
慎重に言葉を選んで、諭すような口調だった。
ここはとても静かで、みょうじさんの言葉間違っても聞き流してしまうことはない。
「頑張ったねとか、いくら周りが言っても、結局自分が納得できてないことが一番悲しいと思うから」
だから。みょうじさんの言葉は一度、そこで途切れてしまう。
視線は外れない。けれどその続きを口にすることをためらっているのだろうなと、揺らいだ瞳は物語っていた。
「赤葦くんは大丈夫かなって、心配だったんだけど、良かった」
ふわりと眉をさげて、揺らいでいた瞳は緩やかに弧を描いて。みょうじさんは安堵の笑みを浮かべる。
一心に見つめていないで、意識を少しでも別に分散しておけば良かったなんて、思った頃にはもう遅い。
良かった。真正面から受け止めたみょうじさんの言葉は、ずっと重く響いた。
「頑張るのは、楽しいから」
はにかむみょうじさんを見ていると、浮かんだのはいつか彼女が言っていたのと同じものだ。
頑張ることは、楽しい。全てを棚卸しした今、残ったのはその思いだった。
「春高終わったから、来月は研修旅行だね」
「あ、そっか」
唐突にみょうじさんから出てきた学校行事の話題に、うまく反応ができなかった。
気を抜くと己の学校生活は部活一色に染まってしまい、不思議にも思わないことが長く続いてしまう。それも悪いことではないのだろうけど、振り返ると思い出すのは体育館のことだけになりかねない。
チーズサンドを開封して、手を合わせてから頬張るみょうじさんを眺める。忘れていたわけじゃなかったが、せっかくの戦利品を手にしたままだったので、みょうじさんに倣って食べることにした。
「赤葦くんは関西行ったことある? 私大阪しかないから楽しみだな」
「うん。俺も」
球技大会以来の、みょうじさんと迎える学校行事。校舎を離れて、普段とは違う環境になるのだということを意識した途端、楽しげなみょうじさんの心がこちらにも移ったみたいだった。
ただの行事の一つでしかないと思っていた。イベントには違いないけれど、それを心待ちにしていたわけでもない。
それでもみょうじさんにかかれば、みょうじさんと話をしているだけで、期待が塗り替えられていくのは面白い。