空飛ぶオムライス
部屋からでも充分わかる朝の静けさの中で、布団の温かさに浸りながら窓をみたら、朝もやがかかっていて、まだ外気に触れてもいないのにとても清々しい気分になった。
さてせっかくの早起きだ。
今しかできないことはなんだろう?
皆の寝顔を見に徘徊しようか。
それとも弾けもしないバイオリンを弾いて歩こうか。きっとみんな「頭がいてぇ」とか言って飛び起きてくるに違いない。シャンクスの顔にピンクのチークを塗りに行くのもいいかも。
我ながら面白い事を考えるなぁなんて思ったけど、思い付いた事全部シャンクスの顔が早く見たいだけなんじゃないかという共通点をみつけてしまったから、自分を褒めることに考えをシフトした。
嫌がらせみたいな悪戯しか浮かばなかったのに、私ってば良い子だなぁと繰り返していたら、本当に優等生な気分になってくるから不思議だ。何か善い事をしなければ。
「少しは役に立ちたいな」
多くのものを与えてくれる彼等のためにできる事ってなんだろう。前に切り出した時は「ここに慣れてからにしな」と言われてしまったし。それでも今すぐできそうな事なんてやっぱりお手伝いくらいしか浮かばない。
今日こそは引き下がらずに仕事を見つけてやるんだと決意して、私は早めの朝食をいただきに食堂を目指した。
「おいおい珍しく早ぇな」
まだこんなに早いのに、外に突き出した換気扇からは白い湯気が上がっていて厨房の大変さを感じる。
もしかして時間外とかあるんだろうかと思いながらこっそり食堂の中を覗いたら、直ぐにコックさんと目が合ってしまった。
「目が覚めちゃった」
「雪かアラレでも降りそうだな」
相変わらずこんな扱いだけど、カウンター越しに作業を見つめていたら何が食べたいかと聞いてくれた。
治ったら好きなもん食わしてやると言った約束を果たしてくれるそうで「豪華でセレブリティなサンドイッチを死ぬ程たくさん食べたい」と言った私に、本当に驚くほど山盛りのサンドイッチを作ってくれた。
「お前ぇ、少しでも残したら捌いて干物にしてやるからな」
「すごーい!いただきますっ!!」
洒落にならないくらい恐ろしい事を言っているけど、彩りの美しさや美味しさに私が感嘆の声をあげる度、孫をみるおじいちゃんみたいな顔をしているのを知っているから、ちっとも怖くなんかない。誰よりも口は悪いけど、とってもとっても優しい事を私は知っている。
みずみずしいレタスの食感が、トマトが。横目に見えるコックさんの笑顔も、全部が嬉しくて美味しい。
そんな幸せな気分で黙々と食べていた私だったけど、思ったより早くに胃袋の限界値がやってきた。文字通り死にそうになりながらこっそりテイクアウトしようとお皿を持って逃げるタイミングを測り、ちらちらと厨房を見張る。
「もう食えねぇんだろ」
なんでバレたのかと慌てふためく私の元へ歩いてくるコックさんを見て、ゲンコツされるか捌かれて干物にされるかのどっちかだと覚悟を決めた目の前で、皿と引き換えにエプロンが置かれたものだから、私は小首を傾げてしまった。
「働きゃあまた腹減るだろ」
この人はどこまでいい人なんだろう。
まるで私が手伝いたかったのを最初から知ってたみたいに思えてくる。
「手伝ってもいいの?」
「お前ぇが変な注文するからあいつら真似して訳の解らねぇ注文してきやがるんだ。責任とって少し働け」
早くにお手伝い先が決まって、
これでやっと役に立てるんだと
私はウキウキでエプロンに腕を通した。
「宜しくお願いします!」
日が昇って少しずつ温まる食堂で悠々とテーブルを拭きながら看板娘みたいだなんて浮かれていた数分前の私を、今に泣きを見るから目を覚ませと殴り飛ばしてやりたい。
数分前の私!暖かい木漏れ日の食堂は直ぐに血塗られた戦場になりますよ!今すぐ走って逃げなさい!
こうして何度念を送っても時間は巻戻らないし腕は痛いままだし。ホント今すぐにでも蒸発したい。もしくは急な高熱でぶっ倒れたい。
「ボケっとするな!早く持ってけ馬鹿たれ!!」
「ハイーッ」
起きてきたクルー達が満員になる程いっぺんに押し寄せて、肉じゃない肉っぽいのとか、二日酔いマシになるやつとか、元気出るセットとか魔法定食とか…とにかく意味のわからない注文を次々に言い始めたからこうなった。
作るのは私の仕事じゃないからいいにしても、そんな滅茶苦茶な注文覚えられる訳がない。しばらく手書きのメモで対応していたけど無茶な注文が連なってよく解らなくなるし、急いで書くから自分でも読めなくて結局エプロンのポケットにねじ込んでしまった。
カウンターには既に出来上がったご飯達が運んでくれ!と待機しているのに、後ろでも「腹減ってしぬ」と大きな子供達が文句を垂れてくる。もう存分に死ねばいい。
私が手伝い始めたのを面白がって皆わざと取りにこないのだ。中には頑張れよと応援して取りに来てくれる優しい人もいるけれどほんの少数で、大体は慌てて走り回る私をゲラゲラ笑って鑑賞している。
集まる視線にもめげず仕事に没頭したお陰で、皿を何枚かいっぺんに配膳する技を編み出し、ばんばん運んでカウンターは空になったけど、次は違う問題が発生し始めた。
コックさんは意味不明な注文から想像して作るけど、私にはそれの定義が解らないし、かと言って注文した方も、目の前にあるのが自分の頼んだものかどうか確信がないから、皆して首をかしげたり討論会を始めたり、もう本当に訳が解らなくなっていた。
「や、…んー、これが魔法定食っつう定義はなんだ?…頼んどいてアレだがコレ本当に俺のか…?」
「これで二日酔いマシになんのか!…本当に俺のか?解んねーな…これでマシになると思うか?」
「てめーの気分なんて知るかよ!こっちはただの握り飯だぞ!文句あんなら替えてくれ!」
「知らないわよそんなの!訳わかんない頼み方するからでしょ!好きなの食べなさいよ!!」
混沌とし始めて結局、戦いのブッフェスタイルになったのは大助かりだが、大食い男達の食欲は止まらない。
「ユメちゃんオムライス!」
「ユメちゃんカレーライス!」
「はいはい順番です!コックさんオムライス追加ー!」
「おお、いい所に来た!嬢ちゃんこれ…」
「知りません」
「何でもいいからくれー!俺の分が回ってこねぇぇぇぇ」
「コックさんお任せ料理追加でーす!!」
「俺のカレーライス…」
「もう…!!コックさんカレーライスもー!!」
「姉ちゃん水」
「セルフですってば!!!」
注文を聞いて
それを厨房に叫んで
また注文を聞いて、
出来上がった料理は走って配膳。
何度もダッシュで往復しているうちに俊敏に反応できるようになって、不意打ちの注文にも対応可能になってきた。
「おいソースくれよ」
「おう、すまねぇこっちだ、投げるぞー」
「ケチャップ誰か投げてくれ!」
「ケチャップいくぞー」
皿がねぇと厨房から怒鳴られて、
飛び交う調味料をよけながらテーブルに駆け寄って、空になった大皿を重ねていたら誰かが急にエプロンを引っ張ってきた。
「なあ頼む!1回でいいんだ!ハート書いてくれ」
「っはぁ?!」
「なーっ!頼むよ夢なんだよー」
「忙しい!忙しいんだってば!」
「てんめぇ…ずりぃぞ!俺のオムライスにも名前書いてくれー!!」
「お、お、お、おい……嘘…だろ?…ハート書いてくれんの…かよ…これは幻か?」
「いやいやいや、言ってない言ってない!やるって言ってない!!」
「マジかよ!見せろ見せろ」
「書かないっ!書かないってば!!!」
厨房からは絶え間なく響く、煮えちまうから早く持っていきやがれという怒号。そして私の周りに群がって離れない、ケチャップのハートに愛妻を夢みるオムライス派達。
「皿!!!はよせんか!!!」
「あああああ!もう!!書くから離して!」
皿だ皿だと私を追い立てるがなり声に追加注文の声がぶつかって、どんどん焦りが募っていく。
…諦めよう。この輪から抜け出すためには書いた方が早い。そう思った私は男達を一列に並ばせるとケチャップボトル片手に腕まくりをした。
「1人1回やり直し無し!解った?!」
丁寧にやったり絵心を重視したら遅くなってしまうから駄目だ。少なくても文句を言われる。できるだけ迷いなく勢い良く多めに!
「見ろよ俺の!ハートだぜハート」
「たまんねーな!」
「パパって書いてくれパパ」
「やめろバカ野郎手が入ってる!!…ああ…ハート割れちまったじゃねぇか!」
「見てくれ特大のハートだぞ。姉ちゃん好きだぜありがとよー!」
「俺のなんかケチャップ切れて吐血みてーだ」
急いでお皿を厨房に下げなければ。
なんとか満足させることができて取り巻きが一人また人と席へ帰っていく。その開いた輪の隙間から抜け出そうとした時だった。
誰かがソースを投げるから、それを避けるために低く屈んで、走りだそうとして止まらない自分の右足が、エプロンの裾を踏んだ。
バーンと大きな音が響いて、床に叩きつけられるようにして転んだ私は、驚きとショックに打ちひしがれて動く事もできない。
完全に電池切れしてしまって、誰かのオムライスが降ってきた事にもしばらく気が付かなかった。
私何やってるんだっけ。
皿ごと散ったケチャップと、オムライスを眺めながらも、ぼんやりとしたまま完全に思考は停止していた。
「あー…………、大丈夫か?」
すっかり忘れていたあの声が後方から聞こえて、転んだ時より何倍も激しいショックが襲ってくる。
やっと気が付いた事態に全身が青ざめ始めて、私はえらくすーすーする太股の辺りを手探りで確認しながら、捲れ上がったスカートの裾を、ゆっくりと伸ばした。
「すまねーな、朝からとんでもねぇサービスを」
神様なんでこんな試練よこしたんですか。
これは必要ですか。
私今すぐ身を投げて波に飲まれたい。
海の藻屑になりたい。
力なく立ち上がってフラフラしながらも、シャンクスの前までなんとか歩いて、口を塞いで笑いをこらえるガードの薄い腹に向かって、ケチャップまみれの拳を何発か入れてやった。
厨房を目指して走りだす私の耳には、いつまでもゲホゲホむせながら止まらない笑い声が付きまとって、もう気が狂いそうだった。
「てめぇ皿はどうした」
「もう嫌だー!!!!!」
長い休憩を貰って、
金属のひんやりしたテーブルに頬をくっつけながらうなだれているうちに、戦場に居た大半がはけていて食堂にはまた平穏が訪れようとしていた。
げっそりして魂が抜けた様に動かなくなった私をコックさんは流石にそっとしておいてくれたけど、朝残したサンドイッチに手を伸ばそうとした時になって、本日最後の仕事を頼まれた。
「皿取ってこい」
すごい手際で食器を洗いながら、アゴでくいっとテーブルを示して、誰よりも遅く起きてきたシャンクスの食べ終わったお皿を下げて来いと言っている。放心休憩を挟んでもうどうでもよくなっていた私は無言でユラユラと皿の元へと向かった。
食った食ったと呑気に水を飲むシャンクスの隣で大皿を何枚か重ね、スプーンとフォークをその中に入れて、ついでに軽くテーブルを拭くと銀のトレーにそれを全部乗せた。
「ユメ」
そのまま真っ直ぐ厨房に帰ろうとしたら、
シャンクスが立ち上がって、積み上げた皿に空になったコップを積んできた。
「お代だ、とっとけ」
耳元に囁きとキスを残して去っていく背中を見つめながら、数秒遅れて、無になっている隙を付かれたんだと気が付いた瞬間に腕の力が抜けて、私は持っていた皿を全て割ってしまった。
面白い音を立てる皿
コックの半狂乱な叫び声
バタンと締まった扉の音と、
外から聞こえる笑い声。
もう二度と、
ここの手伝いだけはしないと
私は胸に誓った。
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