遭難ごっこ
「おにぎり2個テイクアウトでー」
「お前またなんかやったのか」
タンタンと軽快な包丁さばきを響かせる背中に声をかけると、振り返る瞬間に袖が触れたのか、刻まれた野菜がパラっと落ちて、邪魔するからじゃねぇか的な嫌な顔で舌打ちをされてしまった。
「おい…お前食え」
「嫌だよ落ちた物なんか!」
溜息をつく元々嫌そうな顔が、野菜を拾い上げる流れで足元から頭までを見た後、さらに怪訝な顔に変わる。
晩御飯より数時間も早く仕込み中の厨房へおにぎりをせびりにやってきた上に、コソコソと裏口から忍びこんだ私は、湯上りのまま丸めた着替えまで持っていたから、そりゃあ誰が見たって不審だろう。
「シャンクスが来ても言わないでよ」
「仲がよろしいこった」
「どこが」
いつもと違う行動をしないと直ぐに出くわしてしまいそうだから、まさかこんな時間に風呂に入るとは思わないだろうと、早めにシャワーを浴びた。後は食事を確保して、部屋にさえ戻らなければ今日は顔を見ることは無い筈だ。
ずっとこうしているわけにはいかない事も、逃げれば逃げるだけ会い辛くなるのも解っているけど、次に会う時もあの瞬間のシャンクスのままだったらと思うと、次なんて当分来なくてもいいと思ってしまう。
乱暴に閉まったドアの音と、置き去りのマントがいつまでも頭の中に焼き付いて、どこか冷たいシャンクスの表情が今までの温かな日々を全部塗り替えてしまったようにすら思える。
「ほれ、素直になれおにぎりだ」
「なんで私が素直になんの…」
絶妙なタイミングで差し出され、
確かにもう少し違った服装をしていれば良かったと後悔もしたけど、弄ぶようなシャンクスの余計な行動がさらに問題をややこしくしているから、たとえ私が素直に謝ったとしてもそれだけでは解決しないし、だからと言って『好きなんだからその気がないならそんな事しないで』なんて言える訳もないし。
恋心さえ無ければ、
簡単に解決したんだろうか。
そう思うと溜め息が止まらなかった。
いろんな場所を転々としているうちに見張り台へたどり着き、交渉の末なんとか見張り番を代わって貰う事に成功した私は、その高さから見る景色にまるで海のすべてを我が物にした様な優越感を存分に味わっていたけれど、うっすらと星が見え始めた昼と夜の境目のこの雰囲気は、嫌な事があるとよく行ったあの浜辺にも似ている気がして段々とつまらなくなってくる。
あの時は振り返るとシャンクスが笑っていたのに、今はもう遠くに行ってしまった様な気がした。
昼間の気温が嘘みたいな冷たい風が吹くし、その冷たさにほんの少しすれ違っただけでこんなにも辛いなと自分を重ねてしまうし。
綺麗な星空を眺めている筈なのに、最後に見た表情ばかり重なるからもう涙腺が壊れてしまいそうだった。
「そこに居るだろ」
突如響いたその声を、
最初は見張り番が変わった事を知らない誰かのものだと思っていた。用件だけ叫んで伝えるのを見た事があるし、今もこうして何かを知らせに来てくれたのだろうと、返事はせずに言葉の続きを待っていた。
ところがいつまで待ってもそれっきり続きが聞こえてくる事は無く、嫌に続く沈黙がひとつの可能性を見出した。
「ユメ」
ああ、やっぱりそうだ。
下にいるのがシャンクスだと解った瞬間、爆発したように心臓がはね始める。何度も名前を呼ぶ声が穏やかに響いては優しく消えて、呼ばれれば呼ばれるほど、逃げた自分だけが悪者になっていく。
「会いたくない」
「なら俺が行く」
「来たら飛び降りるから」
なんの心の準備もできていないのに急にハシゴが音を立てるから、つい勢いで言ってしまった。
「馬鹿…!下を見るな!」
本当に飛び降りようなんて思ってもいなかったのに、吐き捨てようと身を乗り出したとたん予想以上の高さに目がくらんで、しまったと思った時にはもう自分の力でなんとかなるラインを越えてしまっていた。
危機的瞬間は全てがスローになると言うけれど、恐怖で力の限りに目を瞑っていたから、もう駄目だと言う事以外は何も解らない。
せっかく声を絞り出したのになんで最初にごめんねが言えなかったんだろうか。そんな事を考えながら、ただ待ち受ける最後の痛みに備えてできるだけ力を込めたのに、流れる時の中にその衝撃はいつまで経っても訪れず、代わりに想像とは違う小さな衝撃と温もりが身体を包み込んだ。
シンと静まる空気の中で恐る恐る目を開ければ、受け止めた衝撃で座り込んでしまったシャンクスの腕の中に収まっていた。
「…お前なぁ」
直ぐに身体を気遣おうとして手を伸ばしたけれど、呆れた視線に気が付いて、触れる勇気を無くしてしまう。
「飛び降りようなんて思ってなくて、目がくらんで」
「探したんだぞ」
「それは…シャンクスが」
ついさっきまで呆れた顔をしていた癖に、言葉に詰まった私を見る瞳は、段々と泣き言を聞く優しい色に変わっていく。
「酷すぎるよ。見せつけてなんかない」
小さな声でそう呟いたら、
あの瞬間が蘇ったみたいに胸が痛んで
泣きたくもないのに声が震えた。
「悪かった」
顔を歪ませて涙を堪らえる私を、笑っているようにも、悲しそうにも見える切なげな表情で見ていたシャンクスが、頬に触れたあと急に抱き寄せるから、裸の心臓を抱き締められているみたいできりりと胸が痛んだ。
「でもなぁ、やっぱりあんな格好は俺の前ぐらいにしとけ」
「なんで」
「ぼけっとしてたら狼共に喰われるぞ」
「シャンクスは食べないの?」
「腹が減ったら喰うかもな」
「嘘つき、さっき食べたじゃない」
「舐めただけだろ」
ココ。と肩の辺りを指して訴えれば、
とぼけた様に顔を傾けて悪びれもせず、ニヤリと笑う目元の近くで、さらりと赤い髪が揺れた。
悪ガキみたいだと思ったのに意識が奪われて、時が止まってしまいそうになる。責め立ててやろうと思ったのに切り札はもうないし、こうも華麗に切り返されては成す術がない。
今ならそれとなく
言えるんだろうか。
至近距離で惑わされた自分の体からは、
やけに脈音だけが響いていた。
「もてあそぶの、やめてよね」
「そんなつもりは無いんだが」
本人に弄んでいるという自覚が無いだけで遊びなのかもしれないし、これが嘘という事だって充分にありえる。
何通りもある受け取り方が「本気な訳がない」と私を否定したけれど、それでもうっかり勘違いしてしまいそうな程優しく微笑む瞳は私を映すから、何度目かの抱擁もかわす事ができなくなってしまった。
傍にいろなんてとんでもない台詞が馴染んでしまう程に、甘やかな時間のあと結局二人で見張りをする事になり、一足先に見張り台へ戻ってきた私は、お酒を取りに行ったシャンクスを待ちながら悶々と頭を抱えていた。
開けっ放しのシャツから見える胸元、
肌、その質感、知らない温度。
鋭くて優しい色のある瞳と
そこへ走る傷跡、
どきっとするほど赤い髪。
鮮明に思い出されるそれらが、さっきまで自分を抱き締めていたのだと思うと、今でも鼓動が速くなる。
それなのにここへまたシャンクスが来るだなんて、思い出してしまった手前どうしたらいいのか。
どうにか落ち着こうと忘れかけていた晩御飯を広げ、一口、また一口と味わう様にゆっくり食べてもみたけれど何も効果は得られず、ただドキドキしながらおにぎりを頬張る自分が、とんでもなくお馬鹿に見えて直ぐにやめてしまった。
「なに唸ってんだ」
「ひっ!…声くらいかけてよ!」
音もなく登ってきたのか、私が気がつかない程考え事に夢中だったのか。あっという間に乗り上げたシャンクスは仰け反って驚く私を無視して隣に落ちつき、脚の間をトントン叩きながら「ほら」と言った。
「…なに?」
「側に居るんだろ」
「なっ…!」
そんな風に笑って追い詰められれば遠慮しますとも言えないし、かと言ってお邪魔しますなんて大人しく座れる訳もなく。何を言ってるんだと固まっていたら結局腕を掴まれて、無理やり足の間に座らされてしまった。
冬物のコートを足元に掛けてくれたのは有難いけど、お陰で後ろから抱き締めらているような気がして、なんでこんなに急接近してるんだろうとドキドキや緊張を通り越して疑問ばかり浮かんでくる。
そわそわと動く私の戸惑いは全て見えているようで、シャンクスがこらえる様に笑う度、くっついているせいで私まで小刻みに揺れるから身体中が熱くて仕方ない。
「笑わないで!笑わないでってば」
「すまんすまん」
両サイドの太ももをバシバシ叩いてやってもその揺れはちっとも収まらなくて、アルコールでも入らないとやってられないと思った私は、隣に転がる酒瓶のコルクを抜いた。
「寒いね」
「次は一年中真冬の島だからな」
「雪降るの?」
「降るも何も積もりっぱなしだ」
「じゃあ一年中クリスマスできるね」
「なんだそりゃあ」
「…知らない?」
聞いた事も無いという事は、この世界には存在しないのかもしれない。サンタが来ない歳になっても、心を躍らせる人々や街の雰囲気は見ているだけで幸せな気分になれるっていうのに、まさか存在すらしないなんて。
見せてあげたいなぁ。
それが駄目なら伝えるだけでも。
「年に一度しかない日でね、」
こんな体勢のまま朝まで一体どう過ごせばいいんだと思っていたユメには格好の話題だった。
得意でもない酒を延々と煽りながら、赤い服のおじいさんが煙突からやってきて枕元にプレゼントを置いていく話をした。
夢見る子供達と、
大人になると知るその正体。
ツリーの飾りに込められた願い。
それと、
サンタクロースの笑い方も。
「ヘッヘ。いいねぇ。もっかいサンタみたいに笑って」
「もう寝ちまえ、黙らせるぞ」
「それって殴るってこと?」
「さあな」
「私はこっちがいいですねぇ」
恥ずかしさしのぎに飲んだお酒と背後の熱が12月のイルミネーションの中を漂っている様な気分にさせて、シャンクスの首に腕を絡めて唇を重ねる映像が頭に浮かんだ。
ああ、なんてラッキーな夢だろう。
これならいつだって抱き締められる。
毎晩こうして、
夢で会いに来てくれたらいいのに。
不意打ちに驚く顔をいつまでも笑いながら、私の意識は記憶に残る聖夜の街へと消えていった。
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