微温
「レポレロ。カタログを読み上げよ」
「はい、ジョバンニ様。西の国が640人、東の国では231人、ここガルニエでは1003人にございます。うち若い娘が1526人、御婦人が330人、未亡人が…」
華々しい劇場や美術館に挟まれた道を
カツカツと靴を鳴らして通り抜け、
従者のレポレロにいつもの如く
自慢のカタログを読み上げさせる。
いつもなら数人の女を手に掛けている頃だというのに、今日はといえば「何故私をお捨てに、」などと愚問をもって付け回す飛んだ邪魔者のせいで時間を奪われてしまった。
『貴女に私など到底釣り合わぬのです』と言えば、私という男が身を引いたという事で自分のステータスに星がついたと思ったのだろう、その女はいとも簡単に身を翻していった。
「今の女はどうか」
「余程美しい娘だったに違いないでしょう」
「あんな未亡人のような黒いヴェールを被っているんだ。細やかな頬が少し見えただけだ」
「それで充分にございましょう。ジョバンニ様は絵描きより俊敏な想像力がおありですから一瞬のうちに残りの部分を書き足しておしまいになる」
「ならば私が絵を描けば伝説と称されるであろうな。どれ城に戻って緑の服の女でも描いてみるとしよう」
入り乱れる観光者の中からいつものように手頃な女を物色し、群衆に消えていった黒いヴェールの女の後を追って街の広場へ出た時だった。
「私のいた世界じゃ絶対に…」
人混みの中から聞こえた声の主を探していたジョバンニは、石碑の前に立つその発信源を見つけると眉間に皺を寄せ、目を凝らした。
「…先に戻れ」
「はい、ジョバンニ様」
「戻ってあの集団に伝えろ。このジョバンニが通ずる者を見つけたと」
「かしこまりました」
去っていく従者に目もくれず、
急いでその女が消えていった宿の裏口へまわると支配人を捕まえた。
「これはこれはジョバンニ様、先日は」
「挨拶はいらん。今入った女の部屋を言え」
怯えて口を割った男に札束を押し付けて、
男は非常階段の扉を開けた。
暗がり部屋の不法者を
うっすらとランプが淀ませる。
長身の影絵はゆったりとした動きで部屋の隅まで行き着くと揺らめきながら静止した。
見れば見る程に異国情緒漂う女。
まさか異世界に通ずる者が
本当に存在するとは。
「お前は私が頂く」
眠る女の顔を焼き付けて、
男は窓の外へと消えていった。
不法者が闇に消えるのと、部屋のドアが開けられたのはほぼ同時の事だった。 不穏な空気を感じとったベンはライフル片手にユメの部屋を開けたがそこに人影はなく、ただ窓際のカーテンが夜風に吹かれているだけだった。
部屋は特に荒らされておらず、何者かが侵入していた事など知るよしもないユメは目を覚ます事もなくすやすやと寝息をたてている。窓に鍵をかけて部屋を出ると、その不可解な出来事に眉を潜めて再びロビーへと降りていった。
「えらく時間が掛かったな」
「あぁ、あまり言いたがらねぇもんで」
長期滞在となるこの島の状勢を聞き出そうとしたのだが、誰も彼も聞こえぬ振りで早足に立ち去り、やっと話した女にもこの島にはルールがあるのだと突っぱねられてしまったのだった。
「頭。ユメの部屋に誰かが入った」
「…なんだと?」
ソファーに項垂れていたシャンクスは急に立ち上がると血相を変えて食い付いた。ベン曰く、危害も加えず物取りでもないその不法者はただ侵入して出ていったのだという。
島の事について教えてくれないかと声を掛けた途端、何かに怯えて挙動不信になる町人といい侵入者といい。この島にはその外観からは想像もできない何かがある事はほぼ確実だ。
ログが溜まるまでの長い時間をこの不穏な島で過ごさなければならない。ユメが何者かに狙われているのだとすれば片時も離れず腕の中に閉じ込めていたいぐらいだが、今後の事を考えても今はこの国を調べる必要がありそうだ。
「厄介な島に来ちまった。明日から帰らねぇ日があるかもしれねぇがユメを頼む」
珍しいなと笑うベンから煙草を巻き上げて2階へ上がると、シャンクスはユメの部屋を見張るクルーを下がらせて隣室のドアを開けた。
窓辺に不寝番の酒を並べて
テーブルに置かれたマッチをひとつ擦る。
ただ立ち上る白い煙を眺めながら、
あいつは最近吸わねぇなあなんて出会った日の事を思い出していた。
柄にも無く煙草なんかを吸っている理由は自分でも解り兼ねる。ただ隣の部屋で眠る女を抱き締める事ができなくなった理由を考え、甲板で追いかけ回してくる無邪気な笑顔を思い出し、どれ程自分が自然に触れていたかを思い返す。
触れたくてたまらないのに、想いが深くなるにつれて見えない有刺鉄線が張られていくようだった。壁を隔てて眠るユメに、壁以上の距離を感じるようになったのはいつからだったか。
歳なりに色々なことを達観しているつもりだったが自分でもまだ解らない事があるものだ。
今すぐに不法者が現れればと月を眺め、
それが沈み、太陽が昇るのを見届ける。
シャンクスにとって、
延々と酒を煽り過ごすこの一晩は、
いつになく長い長い夜だった。
朝日の差し込むロビーに集う群の中でも、自分が一番注目すべき人物は夜が明けてもなお、強烈なアルコール臭を放っていた。
一体今まで何処で何をしていたのかと思うと前にもよく似た切なさで一杯になるが、それでも優れない表情を見ると心配せずにはいられなかった。
「シャンクス。今日はトマト食べた方がいいよ」
“好きになった方が負け”
諦めきれぬ過去の偉人達の言葉を胸に押し込んで、返事も待たず足早に宿の外へ出た。
「なんだ…?」
「トマトは二日酔いに効くそうだ」
「…ほーう…ユメめ。随分可愛い事言ってくれるな」
二日酔いはどこへいったのか。
副船長の言葉に気を良くしたシャンクスは、数人のクルーを引き連れてニヤニヤとユメの後を追った。
「ユメ、ちょっとこい」
「なに?……ちょっ…と!…やめてってばっ…髪ぐちゃぐちゃじゃない!!」
「いやぁ、トマトか。トマトなぁ」
「お頭。そろそろ止めとけ…気持ち悪い」
「ひでぇなベン」
がっしりとホールドされて頭を撫でまわされるユメは必死に抵抗していたが、どこからどう見ても照れ隠しにしか見えないその表情と、お頭のニタニタとだらしないその顔は平和そのもので、出掛け際の全員が激しく笑い飛ばしていた。
「…あれが見えるか」
城のバルコニーから街の宿へと向けられた望遠鏡から目を離すと、ジョバンニは従者のレポレロにその場所を譲った。
「あれは四皇の赤髪に御座います」
「そんなものどうでもよい。あの娘が欲しいのだ…だが見ての通り面倒な仲のようだ」
猫足の白いチェアに掛けると
男はひとつ、
ティーカップに角砂糖を落した。
「いかがなさいましょう」
「争い事は好まぬ。解るなレポレロ」
「はい。よく存じております」
「あの男が酒場をうろついていると聞く。出入りする女共を脅して口止めをしておけ。仲違いさせるのはその後だ」
「かしこまりました」
「金に目がない輩共も雇っておけよ」
紅茶の残りを悠々と口にする男は、広場の中央を眺めては楽しげに微笑んでいた。
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