赤ではない寂しさ
「また明日ね」
どうせ飾るならたくさんの人に見て欲しいと、宿主に許可を得て透明の瓶を借りてきて、ロビーのテーブルにそれを飾り部屋へと戻っていった。
疲れが増した気がして、ソファーの背もたれに項垂れると、天井に向かってついた溜息と共に、くそう、と間延びした悪態が出る。
「王子様だと」
「早く枯れちまえ」
「ハッハッハ!!!」
さっさと片付けて、こうして宴に居られれば毎晩だってユメを隣に置いとけるってのに。
一度ここまでと見切りをつけたシャンクスだったが、早くこんな日々を終わらせたい一心で、空になった酒瓶をテーブルに置くと、再び夜の街へと出ていった。
部屋に戻ったものの眠る気にもなれず窓の外を眺めていたユメは、真下の出口から眠らぬ街へと消えていくシャンクスの後ろ姿を、頬杖ついて眺めていた。
今日は早く戻ったんだし、このまま眠りについてくれれば近頃の気だるそうな調子も良くなるだろう。
それに隣で眠っていると思えば私も、少しは眠れるだろうか…なんて思っていたのに。本当になんてタイミングの悪い、見たくない時に限って見たくないモノは見るものだ。
さっきあれほど飲んだというのに一体何処へ出掛けていくのかとか、その先で何が起こるのかとか、嫌な事しか浮かばなかった私はできるだけ考えない事にしようと、用もなく部屋をうろつき、ドレッサーに並べられたパンフレットの中からひとつを手にした。
「オペラハウス…」
一度は見てみたいと憧れていた敷居の高そうなそれを、すねた気持ちと、昼間みつけた調度品の死角にある非常階段の存在が背中を押した。
宴にまで顔を出し、お休みと部屋に戻った私が出掛けるなんて、きっと誰も気が付かないだろう。
適当なワンピースに着替えて夜の街へと繰り出せば、行き先のせいか一人歩きが楽しく感じる。あんな奴が居なくても充実した時間が過ごせるんだと自分に証明しているみたいで、靴音に合わせて静かなわくわくとした鼓動を感じる。
パンフレットの裏に書かれた小さな地図を見ながら、今歩いている隣の石柱に囲まれた外壁の建物が星印だと解ると、その出入り口へまわり込む。
豪華な外装は正面玄関へ出ると更に華やかさを増し、中から洩れる黄金色の明かりが、赤絨毯と混ざって夢のようなコントラストを生んでいる。
ぼんやりとその光景に惚けていたら、入口の兵士に声を掛けらて、ドレスコードが駄目なのかとヒヤヒヤしたが、案外すんなりと中へ通してくれた。
「おや、昼間のマドンナリリーさんではありませんか」
不意に掛けられた声に振り返ると昼間の王子様が立っていて、やっぱりどこか心細かった私は見知った人に出会えてほっとした気持ちになっていた。
「…あ!あの時はお花をありがとうございました。……あのー、マドンナリリーさんて呼ばれるのは少し恥ずかしいんですけども」
「それは失礼しました、私はジョバンニと申します。貴女のお名前をお聞かせ願えませんか」
「ユメです」
「それにしても一人でオペラ鑑賞とは…見過ごせませんね。私をお供させては頂けませんか?よければご案内致します」
よければ とは言いつつも、返事は聞かずに横へ立ち、半歩ほど前へ出た彼は曲げた腕を突き出した。
軽く振り向いた横顔は優しくて暖かくて、今日の演目を語りながらエスコートする彼は、高貴な貴族に見えるのにどこか子供のように無邪気にも見えて思わず笑ってしまいそうになる。
劇場の上にある個室の様に区切られたスペースへ案内され、椅子に置かれたオペラグラスを手に取ると間もなくして開演したそのステージに、私はもう釘付けだった。
全てを忘れて というわけではない。
寧ろ違った意味で心を奪われていた。
シャンクスから少しでも考えを離したかった上での行動だったのに、奏でられる壮大な報われぬ愛の物語に、引きちぎれそうなほど切なさが増してしまったのだった。
涙ながらの愛の歌が胸を締め付けて、幕が降りてもまだ劇中に取り残された様な気分にさせる。
「いかがでした?」
「素晴らしかったと思います。……でもやっぱり私はハッピーエンドの方が好きです」
来た時のように差し伸べられた手を取ると、慰めるような優しい微笑みで返される。
「次はハッピーエンドが見られるといいですね。またいつでも来てください。自由に入れるようにしておきますので」
お代を払っていない事に気がついたけれど、最後の一言で彼がここの所有者なのだと知って本当に腰がぬけそうだった。
「今日はありがとうございました」
「ええ、ではまたいつか」
どこまでも紳士で、本当にまるで王子様なジョバンニさんは相変わらず素敵な人だ。でもその青い目が揺れる度、金色の髪がなびく度に赤ではない事に寂しさを感じる。
正面玄関を出た後の送りますという彼の申し出を丁重にお断りして、決心した私は下町に向かって歩みを進めた。
あたる夜風は気持ち良く、
切なさを増大させる。
今にも泣き出してしまいそうな気持ちを押さえ込んで、私はシャンクスを探すために、バーの並ぶレンガ通りを目指した。
「いい加減教えてくれよ」
「他を当たってくんない?」
「悪ぃな。何か聞くまでは帰れねぇ」
明かりの落ちた暗がりのバーカウンターで延々と繰り広げらるこのやり取りには、マスターも飽きれ顔だった。
話すうちに綻びを見せ始めたこの女から、何としてでも糸口をと長い間粘っていたが、苛立ち始めた女は、最後の酒を呑むとついにシャンクスの胸倉を掴んだ。
「あんたしつこいのよ!……酒場に来ない女に聞くことね」
引き寄せて罵倒を浴びせ、離れ際のヒントを囁いた後に、水を浴びせるという妙な行動は、明らかに第三者の目を欺くためのものだと直ぐに解った。
「あーフラれちまった。…マスター、もう一杯貰えるか」
風のように去って行った女へ感謝の代わりに一芝居乗ると、しばらくの間その言葉の意味を考えていた。
◇
何軒目だったか、裏通りのトンネル脇にあるバーの扉を開けた時だった。
来客を告げるベルを鳴らさぬように、そっと開けたその隙間から直ぐに会いたかった人を見つけたが、隣の女とキスを交わそうとしている様にも見受けられるその光景に、開けたばかりの扉を閉じた。
「…なんで。」
なんで、どうして神様は
こんなにも落とし入れたがるのか。
いつも強がりばかり言ってしまうけれど、今は笑われたって構わないと、心を決めて必死で彼の姿を探したのに。そんな小さな勇気すら報われなかった。
できるなら街で絡まれた時も、今も、
一番にシャンクスに会いたかったし、抱き締めて欲しいと思っていた。
けれど、
彼は強く願った時ほど遠くにいる。
こんなに近い
扉を開けて数メートル
声を掛ければ届く
物理的な事実を頭で何度繰り返しても、胸を刺す痛みで心が折れてしまった私には、壁の向こう側というわずかな距離さえ越える事ができない。
会いたい思いで走った道を
隠れる様に戻る帰り道、
生まれて初めて寂しくて
死んでしまうかもしれないと思った。
その夜からシャンクスはますます宿に帰らなくなり、出くわさないだけなのかもしれないがいつ帰っているのか、いつ出掛けたのか、とにかく居ない日ばかりが続いた。
そしてユメもまた、
居ない人へ募る思いが嫌で、よく出掛けるようになっていた。行く宛もなくただ静かに思いにふけられる場所を探して街を歩き、膝を抱えて木々を眺めては、木漏れ日の暖かさに涙を流す毎日を送っていた。
綺麗な女の人と顔を寄せ、いつか自分へ向けたあの色のある瞳でその人と視線を絡める、洒落た映画のように絵になる二人。
頭では一番記憶に新しい彼の顔を思い出し、心の中では大事にしまってあったあの言葉がうるさくリフレインする。
側に居ろだなんて。
居させてもくれないのは
あんたじゃない。
これだから嫌いなんだ。
人の心を弄ぶプレイボーイなんて。
シャンクスは嘘つきだ。
大嘘つきだ。
あんな馬鹿野郎、大嫌いだ。
そう責めれば責る程、
違うだろ と言葉がよぎって
涙は止まらなくなる。
解ってるんだ
大馬鹿者は自分だって事くらい
行き場のない思いを抱きしめて、私は外だなんてお構い無しに声を上げて泣いた。
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