シレネの花





「ちょっと!なにすんのよ!」


見つからないよう毎日場所を変えている私は、それを探す途中で一人の女にぶつかった。怒鳴られて振り返れば、綺麗な服が珈琲で茶色く濡れている。


「…すいません!大丈夫ですか…?」

「大丈夫に見えるの?!いくらすると思ってんのよ!」


まくし立てる女は怒りの沸点で。申し訳なさで必死に謝りながらどうにか許して貰えないかとその方法を考えていたが、ついに片手で胸倉を掴まれてしまった。


「目障りよ早く消えて!! …」



言葉の後に「彼から」と聞こえた気がしたけど、大声で怒鳴られた私は耳鳴りのせいかと納得し。

気まぐれな風が運んで来たのか、胸元に付いていた小さな花を払い落とすと、その勢いにぽかんとしながら再び歩き始めた。


散策するうちに朽ちた遺跡の様な場所を見つけ、その中央にある枯れた噴水の前で私は膝を抱えた。
全てを覆うように緑が茂り、囲むようにそびえる大木が人目を遮断して柔らかな太陽光だけを所々に散らしている。その中でいつものようにシャンクスを思い浮かべると涙を流して途方に暮れた。





「ユメさんがまさか四皇赤髪の船に乗っていようとは…思いもしませんでした」




すると
背後からの知った声。
何故こんなところに。何故それを。

ジョバンニさんに聞きたい事は山ほど浮かんだけれど、驚きよりも先に彼の発した言葉の一部が気になっていた。



「よんこう…?」


我らがお頭の事を指しているのは解ったが、聞きなれないその言葉にシャンクスの未だ知らない何かが隠されているような気がして胸騒ぎがする。



「ユメさんが異世界から来た事はその出で立ちで解っていました。当然この世界にとって赤髪がどの様に大きな存在かなど知らないのでしょう」



今日のこの人は驚きばかりを与えてくる。違う世界から来た事は姿からも解るのかと衝撃を受けたけれど、その衝撃が小さかったのは、シャンクスという人間の大きさが予想の斜め上をいっていたからだった。




静かに語られ始めたこの世界。
大航海時代と呼ばれる
この時代の全てを、
私は彼の口から聞かされた。

この時代の幕開けも、
そこに君臨するかの四皇についても。



なんてとんでもない世界へ来てしまったんだろうか。そんな彼等の船でうっかり平和に暮らしながら、彼らの事を一切知ろうとしなかった自分に呆れて、教えてくれなかったシャンクスを恨んで、ただ口を開けている事しかできなかった。


偶然出会ったあのシャンクスが
そんなにも凄い人物だったなんて


突然大きな爆弾を落とされて、
当たり前に傍にいた記憶の中の彼は、微笑みながらマントをひるがえして手の届かない人になっていく。絶望にも似た哀しみがわいた。




「…知らなかった…この世界も…あの人も…そんなに凄い人だったなんて」



「まぁ…捕虜になられた貴女が知らないのも無理は有りません」



急に噛み合わなくなった会話に、疑問とショックが次々と後回しになっていく。追い討ちをかけるように襲い来る驚きに思考が止まりそうになった。




捕虜。
ジョバンニは間違いなく、
私の事を捕虜と言ったのだ。


捕虜になった覚えも無ければ、
捕虜にするなんて言われた覚えも無い。
私は親切な彼等に拾われ、
助けられただけだ。

そんな根も葉もない話を一体どこから聞き付けてきたのか不思議に思った私は、否定することなくその真意を黙って聞く事にした。



「…捕虜?」


「仲間ではない事は解りました。海賊が戦えもしない女性を乗せる訳が有りませんからね。何故だか解りますか」



彼の紡ぐ言葉に不穏な空気を感じた。本能が聞いてはいけないと必死に告げているのにも関わらず、聞きたがる自分をもう止める事が出来ない。




「女は船を滅ぼす最大の弱み、汚点になるからです。人質に取られた時に見捨てる事が出来るなら別ですがね。でも無理でしょう仲間なら。情が移ってしまいますから」



無知の上で成り立っていた平穏は、
この言葉を聞いて静かに終わった。

船に乗るという事は
そういう事だったのかと。

はたして自分にそんな覚悟があっただろうか。いや、皆無だった。 ただ彼等といつまでも一緒に居たいと、子供の駄々のようなレベルの思考でしか無かった。


きっと偉大な彼等は、全てを覚悟した上で私を乗せたんだろう。その上シャンクスは私に余興番長だなんて取ってつけたような居場所など与えて、甘やかしてくれていた。俺が守ると付け加えて。


きっとシャンクスも、
クルー達も、
言葉通り私を守ってくれるだろう。

でももし前の様に砲弾が飛んできたら。それ以上の恐ろしい何かがあの船を襲ったら。

皆が私を犠牲にするなんて到底思えなかった。きっと限界まで戦って沢山の犠牲を出し“無事でよかった”なんて言うに違いない。


そんなこと私には耐えられないだろう。シャンクスが愛しい、好きだ、などと言う以前の問題だった。




「捕虜でも仲間のように接しているとは。噂通りの“良い海賊”なのですね」




ジョバンニさんが何を話しても、
繰り返されるのはあの言葉だけ。

…女は船を滅ぼす。
…最大の弱み。
…汚点。



グルグル回る思考の中で、ある日の宴で交わされた会話を思い出した。


“惚れた女にゃ弱ぇもんなんだよ”


冬島出航の日。
ヤソップに言われた言葉だ。

あの日、無神経にもシャンクスに頼めば家族を乗せて貰えたんじゃない?なんて聞いてしまった瞬間の表情の意味を、言葉を、やっと理解できた。

ヤソップがあれ以上語らなかったのはきっと私への優しさだ。 女である私が船に乗った意味を知った上で、私の“皆と居たい”という想いを殺さない様にわざと濁してあれ以上語らなかったのだ。

おどけて宴の中へ飛び込んでいったあの笑顔の中には私がいたなんて。



彼らの包み込む様な優しさに
私の日常は守られていたんだ。



こんなにも大事にされていたのか。
皆のその優しさが苦しくて苦しくて、胸の痛さに吐く息が段々と短くなっていく。

私はこの世界に来るべきではなかった。
そんな事は解ってるのに、だからといって簡単に離れられる訳はなくて。


決して開けてはいけない
パンドラの箱を
開けてしまったのだろうか。


真実がこんなにも苦しいのなら何も知りたくはなかったと思う程に、記憶の片隅では平穏な日々が輝きながら蘇っていた。








“酒場に来ない女に聞け”


その言葉がひっかかっていたシャンクスは、女の助言通り当てはまるような街人に声を掛けて歩いていたが何も収穫を得られずにいた。


もしかしたらあの女が適当な事を言っていただけかもしれないが、今謎を解くにはあの言葉にかけるしかない。

そしてずっと気がかりだったユメの部屋に侵入した奴が、島の人間がこぞって口をつぐむ理由に絡んでいるようなそんな気がしていた。




「あの……水やりたいんですけど」



壁にもたれ掛かっていると、
ジョウロをもった若い娘が困った様子で横に立っていた。離れて後ろを見ると足元では小さな花が懸命に咲いている。


「おう、これはすまない」


花に水をやる姿を見ながら、聞いてみるかとさして期待もせずに言葉を続けた。



「酒場には行った事あるか」

「ないわ。煙草の匂いが駄目なの。あーゆう所って煙たいでしょ?」

「…この街の奴は何を隠してんだ?」


カランと音をたてたのは、足下へ水を散らしながら落下したジョウロだった。女は急に険しい表情に変わり、腕をひっ掴むと半ば無理やり家の中へと押し込んだ。



「あんな堂々と聞かれたんじゃ答えられるもんも答えらんないわよ。誰かに聞かれたらどーすんの」


急変した態度に“当たりだ”と悟る。


「どういう事なんだ」

「あんたも女に手を出されたんだろ」


何も聞かずして出たそのワードに、
やはりその二点が
無関係ではなかった事が示される。


「話が早ぇな。心当たりがあるのか」

「ドンファンよ」


今までの苦労はなんだったのかと思うほど、その人物の名はあっさりと告げられた。


「有名な犯罪者かなんかか?」


女は軽く笑うと、
窓際のカーテンをさっと締める。


「この国の権力者よ。国を動かす事には関与していないけど彼は色んな人と通じているから何をしようと咎める人はいない。なんて言ったらいいのか…この国の裏の顔、闇の部分そのものじゃないかしら」


「…ほう」


「それをいい事に、片っ端から女に手を出してはその数を数えてる軟派野郎なの」


あの時既にユメが手を出されていたかもしれないという思いがよぎって、ふつふつと腸が煮えくり返る。


「何をされるか解らないから街の人達はすっかり怯えてしまって、今では妙な集団に出入りしてるとか悪魔崇拝者だとか変な噂まで」

「あんたはこんな簡単に吐いちまっていいのか?」

「彼に口説かれてるから手は出されないわ。勿論私はあんなのお断りだけど」


どこでそれを知ったのかと聞けば、甘い言葉にうつつを抜かしていたある日「彼は私のものだと」喧嘩を売ってきた女が、去り際に真実を告げたのだと言った。

今までに泣きを見た女達は楯突く事ができない代わりに、狙われている女達へせめてもの警告にと、罠の意を込めて“シレネの花バトン”をまわすようになったのだという。


光る目を欺きながら、喧嘩を吹っ掛けてはその花を置いて去っていくというその言葉に、昨日の女の寂しげな目が浮かんだ。


「酒場にこない奴に聞けと言われたのは何故だ?」

「最近は華やかな人より素朴な町娘ばかりが狙われてるのよ、私みたいに地味な女がね。口説かれてる被害者なら口を割ると言いたかったんじゃないかしら」


次々と明かされる島の真実。
散り散りだったピースは全てはまったが、出来上がった絵面は危険な物だった。


ユメが危ない

あの時目をつけられたなら
襲われるのはこれからだ。

礼も言わずに出ていこうとしたが、
慌てた女がその腕を引き止めた。


「ちょっと!あんたの女は…まだ手は出されてないの?!」

「…さあな。侵入されただけらしい」

「ならまだ間に合うわ!ドンファンは無理矢理襲ったりはしない。彼女は無事よ」


女の言う事がさっぱり解らなくなった。 目をつけられたが襲われる事はない。一体どういう事か。


「彼の恋愛ゲームなのよ、襲ったりはしない。ただあんたの彼女が落ちたら別よ」

「…不戦勝じゃないか。あいつが落ちるとは思えないんだが」

「馬鹿ね。その子を愛してるのなら油断しないで四六時中見張る事よ。ドンファンはどんな手でも使う。…あんたにヒントを教えた女の顔を忘れないで。あいつの手に落ちたら皆あんな風になるのよ」


その言葉に、バーカウンターに座っていたあの女の姿が浮かんで、鳥肌が立った。

誰でもよくて声を掛けていた訳ではない。たまたま目に入ったあの女が、焦点の合わぬ目で虚ろに宙を眺め、からっぽの廃人のようだったから思わず声を掛けたのだ。

いざ話始めれば普通の女と変わりない程に正気が戻り、挙句怒鳴り散らして水まで掛けてくるその勢いに、たいした事はないのかと気にもとめなかったが。


襲われる事はない。
ユメが落ちなければ?

望むところだ。




「そのゲーム、のってやる」




ユメは誰にも渡さない。


にやり、と浮かべる不適な笑み。



「女、礼を言う」


こうしてユメの知らぬ間に、赤髪とドンファンの戦いは静かに幕を開けたのだった。






 






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