幻のような未来





「ユメが寝るまでここに座ってるから、もうそれでいいだろう?」


「だめ!さっきは一緒に寝てくれるって言ったじゃない」


「あのなぁ」


「ごめん…でも寝てくれなきゃ…やなんだって」


その男は
延々と繰り返される同じ会話に
何度となく大きな溜息をつく。

しかし
呆れている訳ではなかった。
ずっと我が儘を聞いていたくて
話を終わらせずにいるこの男は、

本当は一緒に寝たいのではなく
安静にさせるための
作戦だという事に気が付いていた。


試行錯誤してこの策なのだろう、
まるで子供な甘い戦法に
随分と見くびられた、と思った


しかし
この子供だましで幼稚な作戦を前に
自分が勝てる訳がない事も知っている。

死んでも呼ばないといった女が、
必死に招き入れようとする姿に
不確かなものを、確かに感じていた

そして男はやっと
負けてやる事にする。


不安げに伸ばされた手を握りしめ
また何度目かの大きな溜息をつき

確かに、目の前に、
存在しているのだという事実に
言葉にならない思いを噛み締めていた




ひとつの枕を遠慮がちに分かち合い
手を握って微笑みをくれる男を
その女はじっと見つめていた。

そして

突然現れ、偶然出会い
僅かながら航海を共にした私が
こんなにも貴方を愛してるだなんて
思いもしないでしょう?

そう思い、顔を歪める



「痛むか」

「うん、すごく痛い」



何度も微笑みに満たされ
その度につられて笑い
そしてまた、
声にできない独白に顔を歪める



一枚の毛布を分かち合い
その中で少しの言葉を交わした。

未来を見ている男は当たり前に
次は 今度は これから と語る

次は貝殻なんて拾うなよ
今度は担いでやらないから、早く治せ

これから先
何かあれば必ず俺を呼べ



でもそこに私は居ない

存在しない



未来を無くした私は、それを聞く度に喉を引き裂き涙を殺し、人生において一番に愛してしまった男へ、笑いながらに酷く嘘つきな気分で相槌をうつ。


そしてその幻のようにも見える未来に、さも当たり前のように自分の幻影を置いてくれているこの男へ、何度も、何度も、ありがとうとごめんなさいを贈る。

背中の傷はとても浅いもので、その思いに比べれば痛くも痒くもなかった。





女は知らなかった。
愛がこんなにも痛い事を。
この痛みに勝る痛みなど
この世には絶対に存在しないと。

男は知らなかった。
愛がこんなにも尊い事を。
この思いに勝る思いなど
この世には絶対に存在しないと。



しかし二人は知っていた。
重ねられた手が
こんなにも暖かいという事を。

そして願っていた。
繋いだ手の温もりを手放したくないと
このまま朝日を見たくはないと


いつまでも見つめ合い
決して満ちる事のない思いを
手のひらの温度に重ね、

奪い合うように胸に刻み、
二人は心を満たしていた








どうしてもシャンクスを休ませたくて、断れないような頼み方をしては隣に寝かせたけれど、心が痛んでも怪我のせいにすればいいと思っていたのに、この島の薬はとても良薬で瞬く間に傷口は薄くなる。

笑えなくなった時の言い訳を失って、結局すぐに安静にさせる事ができなくなってしまった。



完治するまで外出禁止令が出たのは言うまでもないが、お陰でめっきり出掛けなくなったシャンクスを見る機会は倍に増えた。

食事を兼ねた宴の中で
今日は寂しくないのか?と
皆にからかわれ、

楽しくてつい、
「寂しいけれど手を出してくるから」
と油を注いでみたり。

手を繋いだだけだ、と大声で言い張るシャンクスは皆から一切攻撃を受けて、散々笑われていた。



眩しかった。

皆が、シャンクスが、
それを包むこの空気が。
全てが愛おしかった。

降りると決めた心には酷すぎる日々に
壊れそうな程の葛藤が延々と続く。

私はついに
離れてしまうシャンクスに
どう接するべきなのか
すっかり解らなくなっていた


どうせ離れてしまうのなら
何も見たくはないし
何も話したくはない


何も感じたくないと
そう思っている筈なのに。


目で追うのを止められなくて
言葉を避ける事ができなくて
突然向けられる笑顔に胸が騒いで

その苦しさに、
自分を見失ってしまいそうだった。


だからと言って部屋にこもれば
余計な心配を掛けてしまうだろう。

そう思い、一日の大半を皆の集まる
ロビーに身を寄せるようになった。

始めは隅で本を読むふりをしながら
皆の声と音に、彼の気配を目ざとく見つけてしまう事に思い悩み、悶々と考え込んでいた。



しかし、時が経つにつれて
次第に集まりだす話し声や
笑い声に聞き耳をたてている内に
暗雲たちこめていた自身の心が
忘れられる程晴れていくようになった。

たわいもない、
どうでもいい話であればあるほど
彼等の人格を引き立てていく。
彼等と出逢えて幸せだと、そう思った。



すると急に、
こんなのは私らしくない
皆と笑ってたいと思えてくる。



笑っていようか、最期まで。

引き際は美しく在りたい。
始まりが笑顔だったのなら、
幸せの証明に最期まで笑っているべきだとそう思った。






私は読みもしなかった本をやっと閉じ、部屋に戻ると、バッグの中から譜面を取り再びロビーへと駆け出した。


飾られた宿のギターを抱え
軽く掻き鳴らして音を合わせる。

すると、
しばらく聞く事のなかったその音に
徐々に視線が集まり始める。
次々と向けられる笑顔が、
とても心に響いた。



「おめぇ傷はもういいのかー?」


「大丈夫!もう全然痛くないよ」



笑って譜面に視線を戻すと、
記された旋律を奏でながら
軽く鼻唄を歌った。


バスルームで口ずさむように
誰かに聴いて貰うためではなく
自分の思いをしまうために

染み付いて離れない、
想いと同じだけ
馴染んでしまったこの歌を。
貴方のためだけの歌と共に、
歌うのも想うのも
もうこれが最後だと言い聞かせた。




聞き慣れた歌に引き寄せられ、
足早に階段を掛け降りた視界の奥では
ふわりと穏やかに笑うユメが、
出会った頃のようにギターを引いていた。


いつものはじける様な元気こそ無いものの、ここ最近気落ちしていたユメが少しでも元気を取り戻したのかと思うと、この光景に感動もひとしおだった。


譜面のページをめくったユメと丁度視線が交わり、その瞬間ニッと笑って見せたせいでユメは旋律を見失い、「あれ間違えた」なんて言いながら、調子の外れた音をデタラメに鳴らして、更に明るい笑顔を見せた。


「リハビリって事でー」


照れながら言い訳をする姿は、もう普段のユメとそう変わらない程のものだった。



終わりまでを全ておどけながら歌い終えたユメの周りには、いつもと同じ顔が集まり始めていた。


「寝たきりがやっと完全復活だなぁ」

「指差してゲラゲラ笑ってたの知ってるんだからね。船に戻ったらヤソップの銃コレクション全部海に捨ててやるから覚えときなさいよ」

「威勢の良さも絶好調だな」
「乾杯だ乾杯!酒持ってこい!」
「よし、快気祝いに胴上げだ」

「馬鹿かっ!背中に傷があんだろう!」


賑わいの中水をさすシャンクスは
悪化したらどうするんだと、後ろから優しくユメを取り上げる。
ひとりの女のざわつく心をよそに、その様子は今までの平穏な船旅の宴のように見えた。




ロビーには
ほぼ全員が集まった。

そしてその奥から歩み寄る
煙草の煙を燻らせた副船長が
ついに全ての終わりを告げた。



「お頭、ログがたまった」



今までなら島に別れを告げると、
決まって新たな旅の始まりに祝杯を上げ、海へ帰るのだと華々しく出港してきただろう。



けれど今の私にとっての出港は
かけがえのないものへの別れ酒と、
決別の日になってしまう。


まさか
こんなにも早く
訪れてしまうなんて。




『明日の早朝、潮が引いたら出港だ』




とりまく歓声が熱くなる度に
私の熱を覚ましていく。


でも、
憂うにはまだ早い。

哀しみと憂鬱に浸るのは、
彼等が去ってからと決めたのだから。






「ねぇシャンクス」




彼の腕の中で反転して見上げると、
優しさを含んだ大好きな声が
私の名前を、呼んでくれた。





最後くらい
夢みてもいいよね、




「今からデートしよう?」





 






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