美しい時間





近頃のユメが前のように活発ではないと言うか、つまり元気がないというのは、跡が残る程の傷までつけられたあの一件への後悔や、救い出した方にも怪我あると知って負い目を感じているからなのだろうと、誰もが皆そう解釈していた。


しかし以前の姿と変わらぬ程に回復したユメは、今では傷の経過を見せろと言って塞がった跡を見るなり、やっぱり体も普通じゃないと散々笑うまでになっている。

気落ちしている様子なんて全く感じられない笑う姿も、からかった後の顔を真っ赤にして吐く暴言にしても、全てが元通りだった。


この突然の提案は、
本人の言う初めて上陸した記念のほかに、消化した負い目への最後の侘びと、気晴らしも含まれているのかもしれない。


出港してしまえば気掛かりだった事件の謎は煙に巻かれる事になるが、何も起きずにこのまま船を出せるなら、もうそれでいいだろうと思っていた。




「シャンクス待って、もう少しゆっくり歩きたい」



気が付けば必死にジャケットの袖を掴むユメが酷く情けない顔でこちらを見上げていた。
少し背伸びしたという靴が歩き辛いのか、立ち止まると寄り掛かるようにして腕を掴んでくる。


「おっと、すまない」

「今…絶対航海の事とか皆の事考えてたでしょ」

「言っても信じないだろう」

「なによ」

「お前の事だ」



絶対に嘘だと、ずるい手法だと言いいながらも頬を赤らめるユメを、いつもとひと味もふた味も違った思いで噛み締める。


「考えなくてもここにいるんだから、その言い訳は通用しないと思うけど」


酷くつまらなさそうに言ったその言葉が、裏を返せば「私だけを見て」と、誘惑にも匹敵する威力を持っているとも知らないだろう。
拗ねた顔をするユメを捕まえて、もうしばらく堪能していようかと、足を止めた。




「それもそうだ。なら、」





まぁ、と微笑んだ通りの婦人
野次を飛ばす酔っ払い
闇から聞こえた冷やかしの口笛
驚いて振り向く路地裏の猫の目


抱き締めた女を見つめる男と、
目を丸くして固まった女。


時刻は
10時8分42秒

世界はこんなにも美しく
ひたすらに時を刻む。




「ユメだけを見ていようか」



道の真ん中で突然抱き締めるから、
私は体の動かし方を忘れてしまった。

いつもなら逃げ出しているかもしれないけど、全てを噛み締めようと必死な今日ばかりはそんな気にもなれなくて、甘い言葉に惚けていたいと、周囲の目を捨て置いてシャンクスを見た。


“お姫様”という自分には到底似つかわない仮面のお陰で、彼に対する想いだけは偽り無くいられる。

もう少し、後もう少しこうしていたいけれど、幸せの深追いはいつも良い結果をうまないから、ずっとこうしてるわけにもいかない。



「明日は朝早いんでしょ?早く帰って寝なきゃいけないから姫はそろそろ先を急ぎたいんだけど」



腕を出しなさいよと離れて手を突き出せば、エスコートを求めたその手を握られて、腕に捕まるよりも恥ずかしい思いをした。


「これも中々捨てがたいと思わないか」


なんの躊躇いもなく手を包み込み、返事を待たずして歩き出すシャンクスに胸が一杯に満たされていく。



「もう……一般人の男の人って設定でしょ?身分が違うのに全然言う事聞いてくれないのね」

「人が多くて歩き辛いな…抜かしてやるか」

「ちょっとちょっと!やだもう!」



街灯の灯る通りを寄り添って
歩く人達は皆幸せそうに見える。
星が輝いて、街は煌めき、
人々は笑う。

一歩先ゆくシャンクスに手を引かれ
その真ん中を、
言葉にならない程の幸せを抱えて
私は笑いながら駆け抜けた。





「なあ、どこに向かってるんだ?」

「城の舞踏会があるらしいのよ。ドレスに相応しい場所じゃないとね」

「そんな貴族舞踏の経験は無いぞ」

「私も無いよ。音楽に合わせて揺れてればいいんじゃないかな?」

「随分適当だな」

「いいのいいの、雰囲気が堪能できればそれで」



島の奥にそびえる城までの緩やかな上り坂は、店先の明かりがどこまでも石畳の道を照らしていて、曲がりくねった先が見える度に心が踊る。

立ち飲み屋で腕相撲をする男、ショーウインドウの中のテレビを見ながら、そのハイライトで歓喜の声をあげる人々。街灯下の怪しげな占い師。

そして城前の広場には、
色とりどりの煌びやかな仮面の出店がランタンをまばらに挟んでずらりと並んでいた。



「わぁ…凄い、映画みたい」


一番近い店に駆け寄ると、飾られた面の装飾の美しさを一つ一つ手にとって眺めた。


「仮面するのか?」

「もうしてるじゃない。私はお姫様の仮面、シャンクスは四皇じゃなくてただの男の人の仮面」

「どこで聞いたんだ?」

「街の人が船みて言ってたよ?まぁ、シャンクスってこんなだし全然ピンとこなかったけど」


目しか見えない怪しげな面を付けて羽扇子を扇いでいたユメは、その中から白い目元だけの物を取るとシャンクスに手渡した。



「こんなの付けたら顔が解らないだろう」

「トレードマークの髪色があるじゃない。大丈夫よきっと」

「…」

「…シャンクスじゃない…なんか違う人」



しゅんとするユメを笑うその声はあまりにも豪快で、店の奥で腰掛けていた男が様子を伺いに顔を出す程だった。


「お客さん観光できたのかい?城へ行くなら急ぎなよ。あと一時間しかないから」


二人の装いを見てそう教えてくれた店主は、聞いてもいないのにご丁寧に時間まで教えてくれる。


「いいんです、少し見に来ただけだから。ご親切にありがとうございます」


遊びで付けていた面を元に戻して振り返れば、同じく面を外したシャンクスがそれをじっと見つめていた。


「それ付けてったら?」


欲しくなったのかなと、笑い混じりにそう言えば、わざとらしくフムと考えるような寸劇が始まった。


「今日1日ただの男とするなら、この仮面がその肩書きだ。…てことでいらないな」


「えー!待って、私は欲しい!島土産に持って帰る!絶対に!」


あっさりと台に戻されたその仮面が名残惜しくて、手を引かれながらもそれを掴んでしまったユメは、反発する様に店の陳列台へ手を伸ばした。



「お客さん!お代!」



引きずられながら抵抗していたら、ふと笑われた気がして、振り返るよりも早く金色のコインが頭上を飛んでいった。

慌てて手を泳がせた店主はやっとの事でそれを掴み、毎度と威勢のいい声を張り上げたが、突き上げた拳は店の棚を倒し、がらがらと音を立てて、商品が台からなだれ落ちていく。

ユメは足元まで転がってきた古い文字盤から目を逸らすと、繋がれていた手を解いてシャンクスの腕を捕まえた。


城の正面階段に差し掛かり、
念願の大扉を前に顔を見合わせた私達は、それをあけた瞬間、二人して宝箱を開けた子供みたいな顔をしてしまった。


弦楽と洋酒や花の香り。
踊る仮面の華やかさと、狂喜の絢爛さが向かい風のように押し寄せてくる。

圧倒されて立ち尽くしていたけれど、手を引かれて足を踏み入れた途端、その独特な空間に、体中がゆっくりと優しく包み込まれていくのを感じた。



「ほら、踊るんだろ」



丁度ワルツの最中に入ってしまったし、何よりあんな風にシャンクスと踊るのかと思うと完全に尻込みしてしまった私は、端の方で眺めていようかと思っていたのに、嫌な予感漂うその言葉に思いっきり動揺してしまった。



「えっ、えっ、踊るの?今から?」

「おいおい、さっきの威勢はどうした?揺れてりゃいいって言ったのはユメだろ」

「あー…いやー…雰囲気を楽しみに来ただけだから…あんな風にしてまで踊らなくていい」

「ほーう。そういう事なら益々…楽しもうじゃないか…なぁ?」


「ええええ!…ちょっと、あああ!」


強引に引き寄せるから慌ててさっきの仮面を付けたけれど、すぐに取り上げられて近くのテーブルに置かれてしまった。



「そんなの置いとけ」



諦めきれずテーブルへ伸ばした手は絡み取られて、逃がさないとでも言うように、腰に回った手は更に強く力がこもる。



「ひどい…なによこの羞恥心……しんじられない……病気になりそう」


隠すものが無くなって今すぐ逃げたいぐらいなのに、至近距離のシャンクスは馬鹿みたいに上機嫌だから、口を結んで目を逸らすしかなかった。


「いつになく可愛いこと言うじゃないか」


「平民は黙ってて」



凄く嫌な顔をしてるのが自分でも解る。燃えるように熱くて、そっぽを向いてやり過ごすしかない私が、不機嫌な顔をすればする程、シャンクスは嬉しそうに笑っていた。


演奏が終わった瞬間、
窓際の椅子めがけて一目散に逃げ、このままどう気を持ち直そうかと考えていたら、どこで貰ってきたのか飲み物とオードブルを持ったシャンクスが戻ってきて、隣に座るなり突然口に何かを押し込んできた。


驚きながらも食べてしまったのは、島特産のフルーツらしく、あまりの美味しさに一瞬で笑ってしまう。
するとあっという間に、さっきの羞恥心がそれと同じ速度で何処かへ飛んでいってしまった。


私達は華やかな風景を眺めながら乾杯をし、そのまま豪華な刺繍のチェアに足まで乗せて、贅沢に寛ぐ周りの人の真似をして、踊り疲れた貴族の様にのんびりと過ごした。


ただただゆったりと。シャンデリアの装飾についてとか、演奏の素晴らしさについて語り合い、美味しい料理を摘んでは時々お酒を飲み、そしてまた何でもない話をする。


膝に頭を乗せてきたシャンクスに、
なんとなく手持ち無沙汰の仮面を被せてみたら、捕まえられた手に指が絡められて、いびつな形で拘束された指同様に、鼓動も表情も固まってしまった。


するとその戸惑いが伝わってしまったのか、また口に葡萄を押し込まれてしまい、やっぱり笑ってしまう私は結局どこまでもシャンクスの思う壺だったけど、
小心者な心をどこまでも迎に来てくれるその優しさには、一生溺れていたいと思った。





共有するひと時は暖かく、
まばたきの一瞬さえ惜しい程に
眩しく輝く。

過ぎ行く秒針はそれを逃す事なく、
ひとめもりずつ、
かちこちと音を立てながら
綺麗に閉じ込め続けていた。






 






<< top >>

index