唄えなかった
ピアフの賛歌




流れる様な三拍子ばかりだった会場はがらりと空気が変わり、突然盛り上がり始めた中央には男ばかりが集まり始めていた。


「ねえ、なにか始まる」


膝に乗っていた頭をぐりんとそちらへ向けた女の意識はもう前方に釘付けで、ちょっと見てくると言い残すと、男のもとから駆け出していった。



「ドレスだって忘れてないかー」


見てくるだけに終わらず、輪になって踊る陽気な集団に混ざり、夢中で手を繋ぎ合って踊る女を、男はずっと眺めていた。


「えーなんてー?」


ケラケラと楽しそうに
笑いながら目を輝かせ、
女はあれよあれよと
ポルカの中へ巻き込まれていく。

その奇行を見る貴婦人達は
品がない、はしたないと
美しい羽扇子に言葉を隠し
冷ややかに眺めていた。


そんな中
その珍しさに気を良くした
一人の男は踊りを教え始め

裾をたくし上げてまで
楽しそうに真似る女の
あまりの不器用さに肩が弾むほど笑い

女はそれを繰り返しては
自分の滑稽さに背を丸めて笑った。



すると貴婦人の羽扇子は
いつしか冷ややかな言葉ではなく
大口と笑いを隠すものに変わり

その目は子供を見るように
暖かく穏やかなものへ

靴まで脱ぎ捨てて
がむしゃらに笑う女、

それを見てなだれ込んでいく貴婦人と

大きな笑いを巻き込んで
更に軽快さを増していく音楽。

そこにはもう
異端視する者はおらず

男達は笑い
貴婦人達は女を愛で
異端とされた女は奔放に輝き
全てを巻き込んで
ひとつの世界を作りあげていた。



遠巻きに眺めていた男は思う。

周囲を巻き込み
無邪気にはしゃぎ回る女と
宙を舞う無数の仮面に、
まるで我が船を見ているようだと。


そして輝けば輝くほど

いつかその時が訪れ
帰ることを選んだ時、

枷になるだろうと
何度となく見送ってきたものが

その顔を見る度に
浮き彫りになる事へ
苦悶の表情を浮かべる



しかし本能はもう指示を聞かず、
動き出した体は人混みを掻き分け
背を向けた女にその手が届くまで
もう周りが見えなくなっていた


「あ!ねえねえ凄く楽しかったのよ?!来てって呼んだのに。シャンクスがいたらきっともっと何倍も楽しかった!」


光を掴もうと手を伸ばせば
その輝きは期待通り目の前で弾ける

込み上げる思いのまま
衝動任せに腕を引き
バルコニーへ連れ去ると

冷えた外気が
体を包み込んだ瞬間
隙間を埋める様に抱き寄せた



「…どうしたの?」


「俺はただの男か」


「…うん」



年中温暖気候なこの島には珍しい寒波が流れ込み、薄着の肌には少し酷な風が吹く。

男は不安げに揺れる灯火を消えてしまわぬ様にそっと抱き締めたが、その度に身を溶かされ焦がされていた。





「愛しくて堪らなくなっただけだ」




ついた一息は白いもやになり
女を霞めて夜空を舞う。


肩に顔をうずめてしまった男に
自らの頬をすり寄せ

溜息のように溢れた弱い一言が
見上げた星空に溶けていくのを
女はずっと眺めていた



私は決別の日に、決意が揺らいでしまいそうな程待ち望んだ、夢にまでみた最高な言葉を貰った。しかし全てを捨てる覚悟を決めた今、屈するわけにはいかない



「どうしたの?
いつもに増してプレイボーイじゃない」



もうこんなくだらない言葉でしか最後の砦は保てなかった。そして案の定砂の砦は脆くも波に流される。


いつもの様に笑ってはくれず

抱き締める力を僅かに強め、
傷痕をなぞる手は僅かに掠るばかりで
その震える指先に涙が溢れそうだった


「ユメはどう思う」


剥き出しの肩に口づけが落ち

もうだめだと

あまりの苦しさに私もと、
言ってしまおうかと思った。
もう黙っている理由なんて
あるのだろうかと。

彼が望むものになら何にだってなりたい私は、いっそこの苦しみを投げて飛び込もうかと考える程、脳が痺れて回らなくなっていた



そして

肺の空気を出し尽くしたら
全てを語ろうかと
諦めかけた私の耳に、
美しい音が届く。



広間の大時計が

一度、二度、三度

ぼおん、ぼおんと。


間を置いて響く度に終わったんだと
一つ二つと決別の音は鳴る。


時計の双針は12を指し示し
私は答えられるチャンスを無くした
だけどもういい


彼に平穏な日常を返すためならどんな事でも徹底してやる。そう思えば諦めた代わりに湧く思いは燃え、自分を褒めてあげたい程にまた綺麗に笑う事ができた



「はいダメーーーざんねーん。終わり!あと五分早かったらなぁぁ」


「おいおい、踊って帰って来なかったのはどこのどいつだ」


あの時計の音は、
きっと彼にとっても
最後の砦だったのだろう。

スイッチが切り替わった私のどうでもいい言葉を、気にもとめず乗ってくれる微笑みにそう確信した。

この人が隠す思いが、私の足枷になると言うならば、喜んで引き摺るというのに。一船の頭へ戻ったこの人は、それ以上の言葉を微笑んで飲み込み、応えを求めず私を逃がす。


ありがとう
大事にしてくれて
もうこれだけで充分だった。



「早く来ればよかったね」


「ユメがもう少し早くファスナーを上げられてたらな」


「届かなかったんだから仕方ないでしょ」


「まあ、またいつか来ればいいさ」


「うん、絶対ね」



会場内はついに終わりを告げる
最後のワルツが流れ始めていた。
照明は再び橙色を帯びて暗くなり
シャンデリアだけが
ゆらりと優しく煌めく。


「ね、もっかい踊る!」


答えられなかった代わりに、足が浮くほどの勢いで抱きつき、そして自ら飛び込む事のできる幸福を隠れて味わい、その喜びを噛み締めた。



「この演奏、今までにないくらい感動的だと思わない?」



長く続かぬその時は、終演の手前で一筋の線を引くように胸を引っ掻いて消えていく。演者へ向けられた拍手の間中余韻に浸り、始まりの時を刻み始めた秒針は、あっという間に日付を越えた。



「さあ帰るぞー!早く出航の用意しなきゃ忘れ物しちゃう」


「また買い込んだのか」


「…しまった自爆した」


「最小限にしとけって言ったろう」


「大丈夫シャンクスが持ってくれる。私も担いでくれるんでしょ?」


あのなぁと呆れた振りをするシャンクスと、笑いあって来た時のように手を繋ぎ、あたかも宿へ帰るかの様に一歩を踏み出し、まるで今思い付いたかのように自然にその手を離す。


「あ、ちょっと待ってて!弦楽隊さんにさっきの曲の楽譜わけてもらえないか聞いてくる」


笑み混じりに迷子になるなよと言うシャンクスからは、疑う素振りなんて全く見えなくて、上手く騙せた事に心底安心した。



そして身を引き
ゆっくりと背を向ける




まだ、まだだ。
彼はきっと今も私を見ている
人混みが隠すまで気は抜けない


帰る様子のない人々は
ホールの中央で再び
異様な歓喜に包まれていた。

その中へゆっくりと滑り込み、隠れるように人混みに紛れ、潰れた様に歪む醜い顔を見られずに上手く離れられた事で、全ての糸が切れると、切り裂くように痛む喉が悲鳴をあげようとする。


もう少し、もう少し
まだ。

そう言い聞かせて歯を食い縛り
堪えきれなかった涙は
手にした仮面に押し付けた



賑やかす底抜けに明るい音楽は
その全てを掻き消してくれる

こんな小さな悲劇など、
陽気の中で気が付く者は
誰一人として居なかった





「すいません、寒いので、体が覆える程のブランケットを貸して頂けませんか」


震える私を見たウエイターは調子が悪いと勘違いし、直ぐに黒いブランケットを差し出した。これで赤いドレスを多い隠せば、遠目に見つける事も困難だろう。





「あと…電話を二つ貸して下さい」





広間の一番奥
大きな階段の下で涙を何度も拭い、これが本番だと、深い深呼吸で心を落ち着けて、貰った電話のうち一つをウエイターに託した。



「伝えたい事があるんです。この電話をバルコニーの…世界で一番格好いい赤髪さんに届けて下さいませんか」






快諾の言葉の後
受話器に耳を当てれば、
波音を覚えるという巻貝の渦ように
人々の歓喜の声が聞こえ
遠ざかり

先程のウェイターが
お電話ですと
呟く声が小さく聞こえた。





「…あー…誰だ」


「あのねシャンクス」


「………ユメ?」



「私、船降りるね」












「もう戻らない。決めたの」



思い返せばあちこちに散りばめられていた異常はこれだったのかとやっと答えがでた。

どうりで大人しい筈だ。
初めからこれを最後にと
待っていたのだろう。

全く元通りなんかではない
全て真逆だったのだ




だが今になって
どれほど答えを繋げても

うまく騙したこの徹底ぶりが
覚悟の程だと言うならば、

決意し
行動に移したユメの
意思を揺るがせ、
追いつく事は難しいだろう





「ユメ…聞け」




「自分の意思だから。この島で暮らす。私を乗せてくれてありがとうね」






会場を見渡し姿を探せばホール奥、
正面階段の中程で、見覚えのある仮面を付けた黒ずくめが、電話片手に異様なオーラを放っていた。




「解ったからその仮面を取れ」












何故だろうか

一方的に伝え、
何も話す気なんて無かったのに。

突然の言葉を怪しむ事もなく、言う通りに仮面を外してしまい、引き摺ると言った足枷の重さに耐え切れず込み上げた涙を、この時ばかりは、どれ程深い呼吸をしようとも止める事はできなかった。









「好きだ」







階段の踊り場めがけて一気に駆け上がったが、途中で脱げ落ちてしまった靴を振り返ると、遥か視界の向こうで小さく見える赤髪がこちらを見つめていた。




この果てしない距離を繋ぐ線が一つ
唯一残された線が一つ
これを切ればもう
二度と愛しい声は聞こえない

それでも
素敵な言葉をくれたシャンクスに
涙声を届けるわけにいかない



ありがとう、
さよなら。



無言で切るとテーブルに置き、
残りの階段を
振り返る事なく駆け上がった。











小さな島の、小さな街の
小さな城の片隅で
崩れ落ちた女は床を這う

その様子を
通りがかる仮面達は揃いも揃って
異端を見る眼差しを向けていた


狂ったように不気味に揺れ
立ち上がる事もせず
やるせなさ握り締めた拳を
なり振り構わず床や壁にぶつける

人は其れを泣くではなく、
狂気の沙汰とでも言うのかもしれない。



駆け寄るウエイターの手を振り払い

会場に溢れる大音響に隠れて
辺りの鏡を全て割り
手当たり次第に引き倒し破壊し
暴れに暴れる間中、

目を隠した仮面の下
むき出しの頬には幾筋も涙を流すのに
その女が声を発する事は一度も無かった。


取り囲む人々は皆
滑稽だみっともないと眉をひそめ
涙を見て笑い蔑み同情する

そしてその狂気さに
なんと醜い
怪人のようだと誰かが呟く。






狂喜乱舞する群衆にも
平和に今日を生きる街の人々も
各々の背負う人生があり、
当たり前に幸不幸が用意されている。

彼等のそれを覗く事はできないが、
女には間違いなく
今日自分が一番不幸だった。


太陽が沈んだ
世界が終わった
ただそれだけだった。


だから周囲などもうどうでもよかった。
無くした物以外はまるで興味がなくなってしまった。
かつての輝く光景も、焦点の合わぬ眼にはゴミ溜めとそう代わりないまでに映る。沈みゆく太陽が置いていった愛の言葉が、切望した分だけ自我を真っ黒に染めていた。





「もう手が付けられない!どなたか、この方のお連れ様をご存知ありませんか」




ウエイターの吐いたとんでもない言葉に体を震わせた女は割れたガラスを握り締め、取り囲む群衆を脅しながら道を開き、叫び声の届かぬ場所を探して逃げる様に城の闇に消えていった。





 






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