終わらないティータイム
雪崩込む様に入った最上階の部屋の扉を、内側から閉め、扉を叩きつけたのと同時にずり落ちていく拳が、扉の布張りに血の跡をつけ、白と金の模様に鮮明な赤色が悲しく映える。
無事に姿を消す事はできた
だからもう我慢しなくていい
重たかった荷物が全て落ち、解放された私は、何日も前から耐え忍んできたものをこの瞬間やっと声にした。
ありがとうやごめんなさいといった綺麗な思いは消え、隠していたヘドロだけの声が醜く部屋中に反響する
数分前の笑顔はもう帰らない過去
解っているのに、ぼやぼやと光を放つ記憶は一秒でもあの時を取り戻したくて、いつまでもシャンクスの顔を描き続ける
嫌だといくら手を伸ばしても、一秒毎に遠ざかるその現実を受け入れられない私は、この場面を前に悲鳴を上げることしかできなかった
「降りたのですね」
私も、初めから部屋に居たこの人も、どのくらいそうしていたかは解らない。ただ喉が潰れ声が出なくなった頃に、そっと差し出されたマドンナリリーはどうしようもない私を救うべく無垢に微笑んでいる様に見えて、その花を抱き締め、ジョバンニの手を取った。
「ここは私の部屋ですが、それでも構わなければいつまでも好きなようにお使い下さい。私の部屋はまだありますからご心配なく。それにここが一番、塔の上が見えますから」
連れられて大きな椅子に座ると、ジョバンニは大窓を開いてまともな会話をする事なく出ていった。それと入れ替わる様に入ってきた医師が裂けた手のひらに処置を施し、部屋には自分ひとりだけが残る。
街が人が全てが眠っていて、自分だけが目を開けている様な気分。この世界へ来て初めて過ごす一人きりの夜はやけに静かだった。
窓は開いているが幸い声は枯れ、どれだけ泣いても壊れた機械のような音しか出なかったから眠る街は起こさずに済んだ。
後は去るところを見届ければ彼らには私が来る前の平穏が戻り、私には出会う前の平穏が戻る。
見送りではなく、自分のリセットボタンを押すためにこの目で見なければいけない。
静けさに落ち着きを取り戻し、
夜が明けるまでさめざめと遠浅に浮かぶ船を眺めた。ところが予定の時刻になっても、日が昇りきっても、昼になってもその船は動く気配すらない。
待つつもりなのだろうか
あんな去り方をしたのだから納得していない事ぐらいは想像がつく。でも例え誰が待っていようが迎えにこようがもう話す気すらない。
躊躇わずに去って欲しいと願う度、燦々と降り注ぐ太陽を浴びてそこにあり続ける船を見て涙が溢れた。
早くいけ、早くいけとその時を待つうちに街は再び闇に静まり、そしてまた日が昇る。出航予定時刻が過ぎたその日も、船が視界から無くなる事はなかった。
不眠のまま迎えた二度目の朝、
いちいち様子を見に来る従者をシャットアウトすべく部屋の内側から鍵をかけると、しばらくは滞在する気なのだろうと窓際から離れてベッドに潜り込んだ。
疲れきった身体は毛布の温もりに沈むように気を遠ざけていく。過去を見ぬようコントロールしていた意識は舵を失い、まどろみの中で大広間の階段からでもはっきりと見えた彼の姿と、受話器ごしの“好きだ”という言葉を掘り返し、内なる願望の現れなのか楽しかった航海の残像は夢となって走馬灯のように駆け巡った。
月を背負った彼から目が離せなくなったあの日、背中ごしの体温と二人でみた星空、その時飲んだ甘いお酒の味、豪快に笑い飛ばす仕草、頭をくしゃくしゃにする大きな手、太陽の似合う後ろ姿のシルエット。
振り向いて欲しくて必死だった頃の想いまでのせて、彼の腕の中で眠っているとまで錯覚させた残酷でリアルな夢は、そのままそこでぶつりとカットアウトした。
夢と現実の区別さえつかず、重たい瞼をこすりながら温もりの主を探してみても目に写るのは何の思い入れもないただの他人の部屋だった。
「好き…好きだった、シャンクス、…私もって言いたかった」
抱き寄せた枕にしまい込んでいた言葉を沈めれば、疲労の溜まった身体のどこにそんな力が残っていたのか、枯れた筈の涙がまたとめどなく溢れる。嘘をつく事も本心を隠し通す事も、こんなに身を削る事だったとは。
「早く行って…もう忘れたい」
後先考えず徹底してきた覚悟の代償はとても大きかった。ここに居たからこそ得られた柔らかな人格が、自分が、少しずつ灰色に塗り替えられていくのを感じる。
座り込み、部屋の隅と変わりゆく自分の影をただぼうっと眺めていた。
「何かお持ち致しましょうか」
小さいノックをした主はおそらく食事を進めているのだろうけれど、ひた隠しにした思いを全て吐き出したからといって心の安息を取り戻した訳ではない。
むしろ塗り替えられた黒い部分が更に研ぎ澄まされた様な、そんな感覚があった。
「煙草下さい」
何も良い方向に運ばない時は、行き場を無くしたどうしようもなさを全て自分にぶつけたくなる。
今までそうやって手をつけてきたから、この世界には似合わないと思って辞めていたけど、久しぶりのそれはやっぱり一番現世の味がした。
無心で吸って吐き続け、
部屋の空気は瞬く間に濁り始める。
煙は傷口によく滲みた。
まるで炙られてるみたいに焼けたように疼くけど、自分には死んでしまいたい勇気すら無いから。せめて愚かな行為に溺れていたかった。
何も求めず、水すら口にしようとしない事に見兼ねて部屋に無理矢理おし入ったジョバンニは、揉み消された吸殻などで酷く汚された窓際で倒れていたユメを医師達に介抱させた。
そしてうまく手中に転がり込んできたその女と窓の外を眺めては、高笑いで勝利に酔いしれていた。
憔悴しきっていたユメは自己防衛本能に従い、昼と夜との境目すら無視して長い間眠り続けていた。
途中で目を開ける事もあったが意識は無いようで、また直ぐに目を閉じ、夢もみない深い眠りへ落ちていく。
年中夏気候なガルニエには
秋の訪れを思わせるような、
少し冷たい風が街中を吹き抜けていた。
「無茶はいけません。…食事はとってください」
目を覚ませば窓辺の床ではなく、
大きなベッドの上にいた。
心配そうな顔で突然多い被さり、優しく抱きしめてくるジョバンニはそう言って直ぐに眩しい無垢な微笑みを浮かべる。
そしてやはり、それ以上の会話をする事なくあっさりと部屋を出て行った。
しばらくその背中を見ていたけど、しまったとある事を思い出した私は直ぐにメイドの腕を捕まえた。
「どの位寝てたの」
「私共は入れ替わりですので…眠り姫の様にぐっすりで御座いましたよ」
話にならない。
ならば自分の目で見ればいいと
ベッドから足を下ろす。
「ユメ様どうかお召し換え下さい」
「これしか着ない」
「まだ安静にと…」
「うるさい!!!離せ!」
頑なに拒み、押さえつけようとするメイドや医師の手を振り払って、足を引き摺りながら窓辺に立ち、カーテンを引いた。
眠っている間に出航したのだろう。
そこに
レッドフォース号の姿は無くて。
私はそのまま気を失った。
あちら側の世界が恋しくなった
販売機、不法投棄のバイク
汚いゴミだらけの浜辺
父母友、私のいた場所
アスファルトとビル
排ガスにまみれたあの世界。
もう会う事がないなら
同じ空を見ているとも思いたくない。
少しの希望も残したくなかった。
でも都合よく戻れる訳は無いから。
だから、
懸命に暗示をかける事にした。
あー!とっても
不思議な物語だった!
時間も忘れて没頭してしまった。
さぁ、お話は終わった。
本を閉じて、本棚にしまって。
コーヒー飲んでギター弾いて、
あと10分経ったら
友達に会いに行こう。
そう思えば
不思議と心が現世に戻る。
すると
直ぐに誰かと話をしたくなって。
世話になりながらまともに話す事がなかったジョバンニの部屋を探して、私は城内を散策しながら陽気に歩いていた。
「元気になったのでお礼言いにきました。ありがとうございます」
部屋を訪れた事に驚いていたけど、彼は直ぐに笑って部屋へ入れてくれた。
「お茶でもいかがかな?丁度ケーキが」
「やった!頂きます」
ティータイム中だったのか、テーブルにはティーセットが一式とケーキやビスケットがいくつも並んでいる。
突然元気になった私を見て面食らったのかジョバンニはいよいよ静かになってしまったけれど、そこは無視してなに食わぬ顔で長ソファーに隣り合って座った。
「どうしたんですか」
「本をひとつ読み終わったんだと思う事にしました。そしたら急に楽になったんです」
しばしの沈黙のあと不思議そうに訪ねてきた彼にそう返したけど、こちらが平然としていればいる程うたぐり深い眼差しを向けてくる。
それを素直にくすぐったいと感じ、
似たような会話を繰り返しながら益々笑ってしまう自分がいた。
「大丈夫ですって」
「あんな様子だったんですよ?誰だって心配します」
「ほんとごめんなさい。でもほら、今は元気ですから」
いやいや。
いえいえ。
そんなやりとりの中、
笑っているところを突然引き寄せられて、私の顔は彼の胸元にぶつかった。
「無理をするのはやめなさい。痛々しくて見ていられない」
彼の優しさに少しだけ目元が熱くなる。温もりが成り代わった訳じゃないけれど、自分を保っていられないグラグラな私がもたれ掛かるには、それはそれは丁度いい暖かさだった。
干渉してこない上にいつも微笑みをくれるジョバンニは、まるで気のいい男友達みたいに、こうして時間を共有してくれる。
「もう多分、本当に大丈夫。後は時間がなんとかしてくれると思う。それまでジョバンニが1日に何回もお茶に誘ってくれたら、きっともっと大丈夫だと思うよ」
自然に笑った事に驚いたのか、その言い草にかは解らないけれど、面食らったあと声に出して笑い、今までとは少し違う砕けた表情で笑ってくれた。
「では何度でも」
それから1日に何度も彼の部屋を訪れ、お茶を飲みながら美味しいものを食べたり何でもない話をした。
体調が悪かったり気が落ちたりすると抱き寄せてくれる励ましみたいな暖かさも微笑みも居心地が良くて、お陰で笑っていられるようになった。
傷跡が癒えて過去になりきるまで
私達のティータイムは何時までも続く。
気を反らせるには打って付けの暖かさに、私はしばらく甘えている事にした。
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