終焉
かつてシンデレラが落とし物をした階段の踊り場へユメは突如現れた。 当時の華やかな装いとは程遠い成れの果てで、船長の腕にしっかりと抱かれ。
予想を遥かに上回ったユメの様子に広間に集まっていた者達は息を止めた。
正気を失っているのは明らかで、硬直しているのか、握られたままのナイフだけが狂気の末を示していた。
「心臓ははずしている、今すぐ手当だ」
硬直した船員達を、
副船長の救いの言葉が動かした。
一人、また一人と走り出し、
船医を連れてあの大時計の前で直ちにユメの救護が始まった。
あれやこれやとできる限りに駆け回る。
指示を出せる者の声が幾度となく響き渡り、そしてまたばたばたと駆けていく音や集められた医療器具が忙しそうに音を立てる。
今、現状で施せる全ての事がユメに注がれた。船の医者とレッドフォース号の頭脳の見解は同じで、扱いが素人な上に、両手で降り下ろした事によるブレで、出血さえどうにか出来れば、後は本人次第で助かる可能性は大きいと言う事だった。
幸いここには全ての物が揃っている。
医療室を探すという手間はあったが、人数と的確な指示の速さがものをいい、治療に必要な物は全てかき集める事ができた。
後はユメ生命力次第とは言うが、ユメは自らナイフを刺した。ユメは生きたいのだろうか?少なからずそんな疑問が何人かにはよぎっただろう。
「絶対に救ってみせる」とは思っても、実際に冷たい蒼白の頬を擦り、ピクリとも動く事のない手を握りしめていると、生命力を感じとる事は難しい。
もうここで出来る事は何もないという所まで施し、後は経過をみるしかないのだと船医が告げると、祈りの似合わない男達の誰もが祈った。
手を合わさなくとも、
膝を着かずとも心から祈った。
戻ってこい
必ず戻ってくるんだと
誰もが強く願った。
皆の願いが叶えられたのか、ユメが生きたいと望んだのか、どちらかは解らない。
「今…動いた」
ただ、ユメの意識が戻ったのだという事だけは確かだった。
ぽつりと呟かれた誰かの一言で全員の意識がユメの瞼に集まる。
指の間接がいびつに動き出し、
うめき声にも似た苦しそうな息をつくと、閉じられていた瞼は、ゆっくりと開かれた。
「ユメ」
ユメ。
彼は、シャンクスは確かに私の名を呼んだ。もう聞く事はない筈のあの声が。
低く優しい声に少しの神妙さ。
“おはよう” とでも言うようなそれは、
まるで海猫が船乗り達の朝を彩った、
いつかの航海の朝に見た
あの風景を思い出させる。
胸が痛むのはナイフのせいではなかった。はっきりと明確になっていく意識が邪魔で、心が折れてしまいそうだ。
覚悟を決めて勝手に死んだのに、
大好きなクルー達が私に必死で延命処置をしたのだと思うと、疑問符しかでてこない。
この人達は、こんな小娘の考えくらい解っていた筈だ。解っているからこそ安々死なせなかった…でもそれはそっちの都合。
解っている癖に
解っている癖に
何故逃してくれないの
「どうして死なせてくれないのよ」
船長の胸の中で目を覚ましたユメが全員に向けた言葉は醜いものだったが、それすらも、皆には想定内の事でしかなかった。
「死にたい理由を言え。死なせてやらない事もない」
理由次第で、とでも言うように、容赦なく向けられたライフルは再びユメに死のチャンスをもたらした。
言えば死なせてくれるのかとベンを睨み付けたのは、後に続ける予定の言葉を聞き取るシャンクスの顔を、見る事ができなかったからだった。
「私は赤髪海賊団のためならなんだってする。最強と呼ばれるこの船にいつか及ぶ危険から私がいない事で守ってみせる。だからここで別れさせて」
嘘偽りのない真実を、今出せる限りの誠意と声で伝えたつもりだったが、返ってきたのは思わぬ爆笑の渦だった。
「何がおかしいのよ!!」
何を言っても、
男達は腹を抱えて笑ったまま。
「女に守られたんじゃ男がすたるだろう。おい、ここに守られたい奴はいるか」
ライフルを向けたままのベンまでもが笑っている始末で、応えるようにクルー達からは次々と声が上がる。
「冗談じゃねぇ」
「女は黙って守られてな!」
「なんだっていいがユメは死なせねぇぇぇぇー!」
次々に上がる反論に圧倒されていると再び耳元で引き金の音がかちゃりと響いた。
「さあどうする。却下、だそうだ」
フツフツと怒りが込み上げてくる。
死ぬ程の覚悟と誠意を散々笑われているのだから当たり前だ。
それに加えてシャンクスは、
名前を呼ぶ以外に未だ何も話さない。
ユメの気持ちを置き去りに盛り上がるクルー達の中には、ちらほらと船に戻る者さえ現れ始めた。
「私の覚悟はどこへいくのよ!!!」
「もっとマシな理由を言ったらどうだ」
今まで無口だったシャンクスのとどめともいえる一言に、旅路でずっと殺してきた想いや苦痛が膨れ上がって熱を持つ。ユメの怒りの沸点は簡単に崩壊した。
「好きだからに決まってるでしょ!!それ以外に何があるってのよ」
沈黙の中で目を細め、
口の端を釣り上げたシャンクスを見ながら、男達はまた大笑いを始める。
「なによ、なんなの?…勘違いしないで!この船の皆が…私は、ねぇ聞いて!」
急いで取りつくろっても、すでに次の旅路へ思いを馳せて、レッドフォース号へと駆け出すクルー達には届いてはいなかった。
ユメを抱きかかえたままゆっくりと歩き出すシャンクスには確実に届いている筈なのに、彼までもが皆と同じように聞かないふりをする。
「待って!行きたくない」
最後の想い出になる筈だった悲痛の舞踏会は随分と姿を変え、荒れ果てている上に、二つに折れた円卓にはあの巨大なシャンデリアが被さっていた。
耳に張り付く胸からは
微かに鼓動が聞こえ、
いつもの太陽が香る。
悔しいくらいに暖かい彼の腕の中で、自分の心との温度差が痛い程ヒリヒリ胸を焦がした。
「ユメ、諦めてくれ。何を言おうがもう二度と離す気はない」
こちらには目もくれず、
ただ正面を見据えたまま突き進み続けるシャンクスはそれ以降、何を言っても、どうあがいても、どれだけ胸を叩いても沈黙を守った。
「今更そんな…嫌だ!」
大好き
私だってずっと一緒に
「降ろして!」
貴方に危険が及ぶ位なら
私は…
「シャンクスなんか」
命だって惜しくない
「大嫌い…離して!何度でも言ってやる!大嫌い大嫌い大嫌い大嫌い!やめろ!!大嫌いだ」
首を絞められた様に酷くかすれた声で紡ぐ言葉は、全て自分の涙によって飲み込まれて言った。
どんなに暴れて胸を叩いても微動だにしないのは、怪我を負った私を揺らしたくないから。
何も言わず好きにさせて止めないのは、攫っていく謝罪と、葛藤の狭間にいた私に全てを吐き出させるため。
そして全て受け止めて尚、
何があっても離したくないという意思を、私に解らせるため。
本当はぜんぶ解ってる
でもこんな私を気遣う全ての優しさが、温かさが。匂いが。状況も、自分も、今感じる全てが嫌で仕方がなかった。
「大嫌い」
城前の広い階段に差し掛かった時、シャンクスは胸を打つ手を掴むと、足を止めぬまま、まるで独り言の様に呟いた
「ああ…俺は耳がイカれちまったみたいだ」
ユメ、
「俺には全部、
愛してるにしか聞こえないんだ」
過ぎ去った嵐が嘘のように。
眩しい限りの太陽が、身体中を包み込んで心までも溶かしていくようで。
しばし暗闇の中に居た私には、
熱くて眩し過ぎて、
また暗闇にとすら思ってしまう。
それでも身体は、脳は、心は太陽を待ち望んでいたのか、再び昇った陽に涙が止まらなかった。
私を許してくれたのは
全能の神でも
愛の女神でも
大切な仲間でも
自分自身でもなく
赤毛が自慢の
無精髭をはやした、
ただの海賊の男だった。
荘厳な神の加護を受けた美しき芸術の都に、潮風に乗った海猫たちが朝を告げていく。きゃあきゃあと響く数羽の鳴き声に混ざった小さな女の泣き声を、ただ太陽だけが聞いていた。
落とした靴は戻らなかったが、
大天使が見下ろす赤毛の男と傷だらけのシンデレラは、間違い無く、童話を越えた終焉の証だった。
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