先手は
嘘のラブソング
なんでも買ってくれるという、今まで生きてきて一度も言われた事が無い素敵な言葉を頭で何度も再生してみるが、少し視線を落とせばテンションはガタ落ちだ。
「私すごくダサい。お父さんの服着た子供みたい」
「まあ、買うまでの辛抱だ」
「早く脱ぎたい」
「今脱いでもいいぞ」
「絶対イヤ!」
木々のトンネルが作った木漏れ日の中を歩きながらくだらない会話をして、こんなに穏やかな日を過ごす海賊も居るんだなと半ば偏見混じりに思った。
好きな物を買っていいという所も、盗む ではない辺り、きっとシャンクス達はとても良心的な、悪者じゃない海賊なんだ。
「あれだ、ユメの初仕事は余興だな」
ぼけっとしているとそんなことを急に言われて目が丸くなる。
「どういうこと?」
よくよく聞けば、毎日飲みふける宴で歌でも歌っていれば、打ち解けるのも時間の問題だという素敵な提案だった。
「いいの?どうしよう」
あれでもない、これでもないと鼻歌を歌っているうちに 町の中央までやって来ていた。素朴そうな町並みだったのに賑わう辺りまで来てみればなかなか華やかそうな店が軒を連ねている。
「いつ買いにこれるか解らねぇから、いるモンは買っとけよ」
なんでも好きなだけ買えと言われてスイッチが入ると、この島の店全部覗いてやるんだと気合は充分だ。
ちらりと隣の顔をのぞき見たら、
呑気にあくびをしながら目尻に涙を溜めたシャンクスが、目覚まし代わりに腕を広げているところだった。
男の人は買い物に付き合わされるのは苦手なのが鉄板だし、ましてやこんな面持ちだから、連れ回すのも可哀想だ。お世話になっていくであろう人にあまり不快な思いはさせたくない。
丁度いい事に私は買い物に時間をかける方じゃない。ここはいつもの倍の気合を入れて、びっくりする程の量を、凄いスピードで買ってこようと心に決めると、買い物の女心とは別の楽しさが込み上げてくる。
「なにやってんだ」
「準備運動!買い物すぐ終わらせるから」
「おい」
「じゃ!」
返答を待っていたら付いて来てしまうような気がして、一気に走り出すと一番近いお店に駆け込んだ。
最低限のローテーションで回せる下着や服をパパっと抱え込んで直ぐに会計をすませる。そして次次違うお店に入ってみたものの、詰め込んだ物を見ながらふと思う。
「あれ?意外と…少ない?」
頭の中で買ったものを並べてみると、購入済みの物で服は充分足りそうだし、必要かもと想定してカゴに入れた物もそんなに多くはない。
無理矢理買いこもうとは思わないけれど、これは確か風呂を覗かれた代償の買物の筈で。
だとしたらこの量は。
「なんか、いけすかない…無駄な物を大量に買ってやろ」
隅っこの方にちらっと見えた雑貨なんかも詰め込んで、夢中になって無駄なものを探していたら、やけにめかし込んだ綺麗な人が目に入った。
同じ女なのに、こうも違うのかと感動しながら眺めていたら、視線に気が付いたブロンドさんが、少し不思議そうな顔をしたあと綺麗に笑った。
綺麗に引かれた口紅が微笑むように動いて、大人な装いとのギャップに、同性とはいえ一瞬どきっとしてしまう程だ。
「あんな人がお酌でもしてくれたら、船の皆は嬉しいんだろうなぁ」
コツコツと靴を鳴らして店を出ていくお姉さんの背中を見つめながら、ちょっとした悪戯を思い付いたユメは飛び出すように次なる店を探して走り出した。
「終わった!ありがとうシャンクス」
ユメが戻ったのは別れてからほんの数分後で、ただ荷物を置きに来ただけだと思ったシャンクスはそれだけでいいのかと何度も聞いた。
「少ねぇな、何買ったんだ?」
「大量のシャボン玉」
袋から自慢げに取り出されたそれを見て、シャンクスは腹を抱えて笑いだした。ひぃひぃ言いながら指まで指してくる、笑い過ぎて苦しそうなその姿を見て『勝ったな』と訳のわからない確信が生まれた。
これから海賊船に乗ろうという奴がシャボン玉なんか買うかといつまでも笑っているシャンクスに向かって、アヒル型した容器のお腹あたりを押せば、シャボン玉が顔めがけていくつも飛んで地味な攻撃を仕掛けていく。
「だって買う物少なかったから。覗きの代償が安上がりなのはどうかと思ってさ」
「アヒルを買ってやればまた見れるのか」
「んなわけないでしょ!」
無駄な物を買ってカサ増ししようという作戦だったのに、考え方次第ではアヒルで買える女だったと言う事に気がついて、あからさまにしまったという顔になる。
「ちょっ、もう一回行ってくる…!」
「帰るぞー」
「待って待って、私そんなに安くないわよ!」
もと来た道を来た時よりも遥かに騒々しく行く道程は、背後に現世があって、そこから海の世界へ飛び込んでいく我が身のような気がして。
知らない道をこうして笑いながら楽しく歩けているという事実が「大丈夫だよ」と暖かく背中を押してくれている様な気さえする。
船に戻れば誰かのおかえりが聞こえて、
まるで昔から友人だったみたいに
冷やかされたり、からかわれたり。
お前の部屋を作ったと連れて行かれた先で自慢げに腕を組んで佇む、名前も覚えきれていない人達の笑顔を見れば、それが気休めでない事が解る。
朝の騒動なんてすっかり忘れて、暖かい気持ちに満たされてうっかり涙腺が緩んでしまいそうになりながら、皆に何度もありがとうと辞儀をした。
「お礼にこれあげます、カエルがいいですか?クマがいいですか」
「こんなもん海に要らねぇだろ!」
「お前どう見たって蛙って顔じゃねぇな」
「海賊にシャボン玉か」
「船長への嫌がらせで敢えて無駄な物買ったんです!良かったらお一つどうぞ」
手渡されたシャボン玉を、小刻みに震えながら笑う皆の反応が可笑しくて次々と渡していけば、帰り道のシャンクスと同じように豪快に笑う男達。
多くのものを与えてくれる彼等の笑った顔が見られるのは快感にも等しいものがあって、このままずっと笑われていたいとさえ思えた。
急にやる事が無くなってしまった午後、
船はいよいよ陸を離れた。
自身にとってカギとなる島を離れることの意味と、そうせざるを得ない理由を知っていても尚、いざとなると不思議な気持ちになってしまう。まるでこの島自体が産まれ育った場所だったかの様な錯覚に陥って、小さな声で行ってきますと呟くと遠ざかっていく故郷に別れを告げた。
「お頭の隣しか空いてなかった」と言って与えられた小さな船室で、少し減ったシャボン玉の容器を並べてみる。
ソワソワと落ち着かない気分を、ちょっと珍しい場所に引っ越ししただけだと言い聞かせながら、衣類が入った紙袋に手を伸ばした。
買ったばかりのシンプルなワンピースをおもむろに取り出して、いつも買い物あとにやる様に体にあてがってみる。
普段は大体ジーンズを履いているけど居候の様な身分だし、洗濯物が増えるのもどうかと思ったりなんかして汚れても直ぐに洗えて、直ぐに乾きそうなワンピースを選んでみた。…のはいいけれど。
着慣れない物を着なければいけないわけで、少し勇気がいる事も、ましてや似合うかどうかなんて全く考えずに買ったので、これを着た自分がどう見られるのかを変に想像してしまう。
「どう思うんだろ」
元々静かな部屋に更に沈黙が続いて、ふとよぎった一抹の思いに疑問を抱いた。何故だか頭に浮かんだのは、あの時顔を覗き込んできた赤い髪を揺らしたシャンクスの顔。
誰に見て欲しいっていうんだ?
これじゃシャンクスに見て欲しいみたいじゃないか。
好きな人がどう思うかを、いちいち気にしていた友人を思い出して、それと照らし合わせながら焦ったように反論してみる。
シャンクスは私にとって恩人という、
今一番近い距離にあるから、
最初に思い浮かべたっておかしくはないんだ。
理屈としては成立しているのに、いちいち浮かぶのが笑った顔や、不覚ながらも胸が高鳴ってしまった瞬間の表情だなんて本当に気に入らない。
それに一番恐ろしいのは自己暗示だ。
好きなのかな?と一度思った事がマインドコントロールとなって、本当にそうなってしまう事もあるからだ。
歳の数だけ女を手玉に取ってきた筈で、そんな質の悪い見るからに色男の思うがままなんて絶対に御免だ。
大体、あんなに年の離れた大人の男がこんな小娘を相手にする訳が無いし、いつか降ろされるかもしれないし、 ある日突然帰れる可能性だってある。
ほら。
上げればこんなに理由がある。
絶対に大丈夫。
シャンクスには騙されない!
そう散々否定論を唱えると、
ユメはその決意を固めて
メイク道具に手を伸ばした。
次に思い浮かべるのは
あの微笑んでくれたブロンドのお姉さんだ。
先手を打って、なんだか憎らしいあの男を先に手玉にとってしまえばいいんだと思い付いたほんの悪戯だ。
本気で手玉に取れるとは思っていない。
ただ、からかかって遊んでやろうという目論見だ。
無駄な買い物のひとつである、シャンクスの赤い髪を彷彿させるようなワインレッドのロングドレスを着るとピンヒールを履いた。
普段着用に買ったワンピースでさえしっくりこないのに、こんなぶっ飛んだ服なんてとんでもないけど。
これを一度着てしまえばあれなんて大したこと無くなるだろうし、それに気合の入ったコスプレで悪戯をかますと思えば自分も楽しめるし一石二鳥だ。ステージ衣装だステージ衣装。
空が星空に覆われた頃、
甲板に一人…また一人と、
次々にクルーが集まりだして
昨夜と同じ光景が広がる。
賑やかな音の合間に男達の笑い声。
ユメは深く深呼吸をすると
キィと軋む扉を開けて、
静かに歩いていった。
「お頭」
「ああ?」
「しまらねぇ顔してるが」
煙草を燻らせるベンが、
口の端を片方だけ釣り上げて笑った。
「まぁなぁ。こういうのも中々いいもんだ」
ユメが船に乗ってから急に訪れた暖かくて平和な昨日今日を思い返して、そういえはまだ宴席に姿が見えないなと思った時だった。
騒がしかった声が消えていく。
一人、また一人と声が消え、
全ての音がフェードアウトしていく。
ガチャガチャとうるさかった騒音までもが無くなって、その空気の原因を突き止めるまでの間に、完全にその場は静まり返っていた。
そんな空気の中を、コツコツと場違いなヒールの音を響かせながら、知らない女が宴の輪の中を歩いていた。
鮮やかなワインレッドのドレス。
胸元がざっくりと開き、背中があらわになっていて、うなじにはリボンがとまっている。女は深々と太ももまで入ったスリットから肌をちらつかせながら立ち止まり、群衆に向かって振り向いた。
「……ユメ?」
「おいあれ…?!」
「ユメじゃねぇかー!」
急に現れた女に魅せられて黙っていた男達は、その正体がユメだと解るととてつもない盛り上がりをみせた。
「どーも、新人ユメです!余興やらせていただきまーす」
綺麗に笑えたかどうかは解らないけれど、お姉さんの綺麗な微笑みを真似てみた後、ふっと大きく息を吸った。
どうせやるならとことんやろうと、事前に仕込んだ目薬により潤んだその瞳で、ただただセンター奥の一点、一番遠くに腰かけるシャンクスだけを、片時も目をそらさずに見つめて歌い続けた。
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