シュトラウスに完敗
見張り台から聞こえた声を皮切りに、
けたたましい大砲の音が響き渡る。
波の飛沫が高々と上がり、船体が大きく揺れるたび、糸が切れた人形の様に右へ左へ、身体を壁に打ち付けながらずるりと崩れ落ちた。
敵襲だという事は誰かの叫び声で解った。
爆音の後のひゅんひゅん風を切る音、
それが海へ落ちる音。
これが恐らく大砲の音だという事も解る。
この船は敵意を持った何者かに襲撃されているのだ。そう頭では理解している筈なのに、抜け殻の様に呆けたまま動く事もできなくて、危機感も焦りも恐怖も何も感じられないまま、たださっきまでの数秒前まであったひとときが何故過去になってしまったのかを不思議に思いながら、呑気に空を仰いでいた。
「ここにいたのか」
眺めた空の青の端っこに赤色が見える。
体がうまく動かなくて、
それでもゆっくりと振り返れば、既に目の前まで来ていたシャンクスが、目一杯背中を丸めて子供を相手にするみたいに顔を覗き込んできた。
「行くぞ」
返事も待たず、
あっという間に持ち上げて、未だ続く大砲の音の中を颯爽と歩いていく。直ぐに見慣れた部屋の辺りへ出て、ドアを蹴り開けたシャンクスは奥のベッドへ私を下ろした。
ぽんぽんと頭を撫でる、
この世の物ならなんでも
掴んでしまいそうな程大きな掌と、
軽々と抱き上げた逞しい腕。
暖かくて広い胸と、
優しく笑うシャンクス。
スローで離れていった暖かさと優しさ全てに、初めて自分が、不安で仕方ないのだと解った。
「俺が戻るまで開けるなよ」
放心気味なのは変わらなくて、
ただ最後に聞いた一言に
初めて身体が反応する。
「少し黙らせてくる」
やっとのことで伸ばした手は、
バタリと扉が閉められた瞬間に行き場を無くしてだらりと落ちた。
大砲の音は直ぐに止まったのに急に身体が震えだして、ベッドの端で身体を抱き締めながら、扉を見つめる以外に私にできる事は何もなくて。ただ時が止まった様に感じていた。
ここは海賊船で
彼らは海賊で
これが恐らく彼等の日常で。
そしてそこへ踏み込んだ私と、
そんな私を受け入れてくれる彼ら。
それなりの覚悟を持ち、
好き好んで海賊をやっているこれがあたり前の彼らに対し、行かないで欲しい、戦わないで欲しい、無事でいて欲しいと思うなんてわがままだ。
勝手に乗り込んだ一般人にそんな事を願う権利なんて無い筈だ。そう解ってはいても、いざ扉から光がさせば、私はそのわがままを無理にでも通さずにはいられなかった。
「驚かせてすまなかったなぁ」
ただいまを言うように戻ってきたシャンクスが隣に座ってベッドが揺れる。
無事を確かめようと頬や腕に手を伸ばしてぺたぺた触り続ける私に「大丈夫だ」と言いながらも、気が済むまでされるがままにじっとしているシャンクスは、その間も柔らかく微笑んでいて、本当に何もないんだと、まんまと安心させられてしまった。
彼等と同じ船に乗りながらも、
こんな事で泣いてしまいそうな自分が恥ずかしくて、シャンクスに見られたくなくて、喉のあたりがギュッと締めつけられた瞬間に、私は抱えた両膝に顔を伏せた。
「浮ついた気持ちでいたんだなって思って…なんかごめん」
できるだけ慎重に。
声が震えてしまわないように。
気落ちした程度にしか見えないように、ゆっくりゆっくりと息を吸い込んで、気持ちが流されてしまわないように最大の注意を払った。
「無理もねぇさ、平和だったんだろ。ユメの世界は」
「それに、あんな中に出て行くシャンクスを止めたかったのにできなくて、動けなくて、」
「心配してくれんのか」
「だって、死んじゃったらどうしようって思ったから」
真剣に話しているのに他人事の様に笑って冷やかすから、つい声が大きくなってしまう。顔を上げた途端、尚も笑っているシャンクスが変に輝いて見えたから、涙が堪えきれなくなって、悔しくて悔しくて乱暴に涙を拭った。
「こんな事でやられる程弱かねぇさ」
シャンクスにとっては「こんな」と言えてしまう程小さな出来事で、私にはショックを受けて動けなくなる程大きな事で。
それはつまり、
私は彼等とは全く違うステージにいるという証拠にほかならなくて。
こんなにも暖かい彼等に出会ってしまったのに、行き場を無くしたとはいえ、余りにも住む世界が違い過ぎるんじゃないかと思うと、胸が苦しくなって今にも息が止まりそうになる。
私は、
ここに居てもいいんだろうか?
そう考えずにはいられなかった。
それなのに、答えが欲しい癖して、その答えは明確だから聞く事もできない。きっと聞いてしまえば最後、私は彼等とサヨナラする覚悟を決めなければいけなくなるような気がして。
これ以上話す事もできなくなった私は、またさっきの様に呆ける事しかできなくなっていた。
どれだけ時間が流れたのか解らないくらい、涙が枯れるまでずっと小さく丸くなっていた私は、同じ部屋にいる筈の、それ以後話す事の無かったシャンクスの存在が気になりだして、やっと顔を上げた。
じっとこちらを見つめるシャンクスと目が合ったけど、何かを考えているような感じで、不思議と目が合った気がしない。
「ちょっと来いユメ」
やっと視線があったと思ったら、
急に立ち上がってあっという間に外へ出て行ってしまった。一体なんだったんだろうとぼんやりしながらも、呼ばれた事を思い出して急いで後を追いかけた。
シャンクスが向かったのは甲板で、
疎らにいるクルーたちに加え、宴を始めようとする人達が料理や酒を持ってどんどん集まり始めている最中だった。
「今日は惜しかったなぁ」
「あいつら筋はいいんだがな」
ごった返す人達の中で見失ったシャンクスを探していたら、耳に入ってきた会話がどうにも気になって、二の足を踏みながらも私はその輪の中に首を突っ込んだ。
「なんの話?」
「さっきの度胸試しさ。あいつらこの近海で出くわす度に撃ってきやがんだ」
「なのに毎回はずすんだよそれが面白くてな」
「暇な俺らにはゲームみたいなもんさ」
「なのによ、今日はお頭が止めに行っちまったんだよ」
「お宝まで巻き上げてなぁ!もう置くとこてぇってのに」
「あーあー面白かったのになぁ。あいつらもう二度と撃ってこねぇぜ」
あいつらとは大砲を撃ってきた敵船の事だった。そしてそれをこの人達は「遊び」だと言う。
彼等にとっては遊びレベルの砲撃に私はあんなにもショックを受けていたのかと、予想を遥かに超えた自分の平和ボケ具合に唖然としてしまった。海賊船に居ながらなんと恥ずかしい事か。そう思うとまた気が落ちてくる。
敵襲がゲームみたいなものだなんて言い草、私に思うところを一つ残していった事に代わりはないにしても、完全に拍子抜けだった。
「おい、さっきからお頭が呼んでるぜ」
「………あ!」
この船は大きくて広いうえに
乗組員もたくさんいる。
それなのに、
「お頭の所まで案内しますぜ!」
なんて言ってくれたこの人は
とっても足が速かった。
「おう姉ちゃん!」と声を掛けられる度に、お頭に呼ばれてるのだと謝りながら、やたらと早足な案内さんを必死に追いかけた。
座り込んで酒盛りする隙間を
縫うように走り抜け、
急に立ち上がった人を
ギリギリでよけて、
猛ダッシュの使いっぱしりさんに驚いて立ち止まり、そしてまた走り出す。
どんちゃん響く音と楽しそうな笑い声の間で、まばらに置かれたランタンが煌めいて、駆け抜ける度に光の残像を残しながら流れていく。
そんな、アトラクションみたいな一瞬を駆け抜けた先に、シャンクスは居た。
呼吸を整える事に必死だった私は全く気が付かなかったけど、ギュッと瞑っていた目を開ければ、シャンクスの後方で確かに何かが見える。
いびつな山を型どる、その輝く何かが、ボヤっとした視界がクリアになった瞬間に、楽器の山だという事が解った。
ゴールドに輝く管楽器。
艶やかな木目の弦楽器。
可愛い民族楽器やボンゴにコンガ。
思わず笑ってしまいそうな赤のマラカス。
そして私の大好きなギターと、
星空を写し込んだ綺麗なピアノ。
「ユメの居場所は他に無いんだろ。だったら慣れて貰うしかねぇ」
宝の山をバックに、
シャンクスはこんな事を言った。
他に行く宛が無いんだから仕方ないと。
それでも降りかかる出来事には
慣れていけばいいのだと。
余興番長にお土産だと、
無理やり私に楽器を押し付けて。
役目と存在理由をくれたんだろうか。
強制的な言い回しはつまり、
そういう事なんだろうか。
これは問う事ができなかった
私への答えで。
私は此処に、居てもいいんだろうか。
「ひとつだけ聞かせて。
シャンクスは…仕方がないから乗せてくれてるの?」
「さあどうだかな。…それともあれか」
壮大な星空が広がる中で
丸々とした月が
宝の山を照らして、
幾つもの光を散りばめていく。
なんでこんなにも
輝いて見えるんだろう。
「 “ユメには言えない”
とでも言えば仕返しになるか?」
夜風が赤い髪を
さらりと吹き抜けたその瞬間、
満月を背負ったシャンクスが、
心を揺さぶる程、
とびきり甘くて優しい顔をするから。
あまりの眩しさにめまいがして、
あぁもう完敗だと、私は思った。
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