翌日、目覚ましもかけていないのに6時前に目が覚めた。
元より眠りが深いタイプでは無けれどいつもに増して浅い眠りだったなと時計を見つめながら思う。二度寝出来そうな眠気はないので仕方なしにベットから起き上がってカーテンを開けた。昨日と一昨日の晴天とは打って変わって空は曇り、今にも雨が降ってきそうな色をしている。
天気と同じようなどんよりとした気持ちを抱えながらも折角の早起きだ。たまには朝からしっかりしたご飯でも食べようとキッチンへ向かう。するとコーヒーの香りが漂っているではないか。
高校に上がってから一人暮らしをしているのにまるで今淹れたような強い匂いの元と思われるキッチンの扉を勢いよく開けるとそこには昨日も朝から拝んでいたその顔があった。
「おはよ」
「どうやって入ったんだよ!」
「俺、大家さんと仲良しだから」
開けて貰った!とあっけらかんとして言うものだから言葉も出ない。
あの人の息子達自立しちゃって寂しいから俺のことめっちゃ可愛がってくれんだよね。あ、このコーヒー大家さんに貰った高い豆だからゼロも飲めよ、と俺の不機嫌などお構い無しに朝から超元気に捲したてられて寝起きの頭はあまり働かない。
気付いたら言われるがままダイニングテーブルに腰掛けて、彼奴が作ったであろうハムエッグとトースト、サラダにヨーグルトという見本のようなよくある洋食の朝ごはんに手をつけていた。
「ところで何しにきたんだよ」
「お前が死んでないか心配で来ちゃった」
語尾にハートでもつきそうなテンションで言われて思わず向かいに座る馬鹿の向こう脛を蹴る。お前昨日から暴力的!とクレームを入れられたが不法侵入してる奴に言われたくない。
「ご覧の通り生きてるよ」
「そうみたいだな」
見ればわかる。と言うと同時に蹴り返してくる足を払う。悔しそうな視線が飛んでくるが大体お前のすることなんかわかってる。何年一緒にいると思っているんだ。
でもそれは此奴も同じだろう。卵に添えられた調味料、サラダのドレッシング、ブラックコーヒー。どれも俺の好みの味が並んでいる。
「今日紗織と会うよ」
「まじ?」
「まじです。正直行きたくないけど会いたいって言われたらやっぱり嬉しいとも思っちゃうんだよね」
あんなところ見ちゃったけど気持ちは簡単に変わらないらしいな、と笑うと上手く笑えてなかったのか彼奴は微妙な顔をして、無理すんなよと呟いた。自分だって紗織にフラれたばかりなのに本当にお人好しだ。
「まぁそういうことだから。それ飲んだら帰れよ」
「はいはい」
俺のブラックコーヒーとは対照的なほぼ白のミルクと砂糖たっぷり入ったカフェオレを飲む奴に声をかけて食器を下げる。図らずも朝から元気をもらったことで昨日の鬱々とした気持ちからある程度切り替えが出来た。
使った食器を洗ってリビングに戻ると彼奴は飲みかけのカフェオレのマグを持ったまま眠ってしまっているではないか。
ただそれも偏に俺の心配をして、夜型のくせに早朝から行動したからなのだとしたら無理に起こす気にもなれず指を掛けたままになっているマグをそっと外して椅子にかかっていた彼奴の上着を肩に乗せてやった。
それから俺は静かに眠る彼奴はいないものとして掃除洗濯を済ませ、時間まで参考書と睨めっこをした。彼奴は9時ごろに起きたかと思えば、ぼけっとした顔でソファに移動して二度寝する。帰る気は無さそうだが勉強の邪魔にはなっていないので帰れと忠告するのも面倒くさくなった俺は放置を決め込み、約束の30分前までひたすら勉強をした。
俺の家から駅までは歩いて10分もかからないくらいの距離だ。結局あのまま寝腐っている彼奴はそのままに家を出て、駅前のウェルカムバーガーに向かった。
途中そういえば食べ損ねた昼食を思い出してあちこちから漂う食べ物の匂いに空腹を刺激されながらも、約束の場所に辿り着くとそこにはすでに紗織の姿がある。今日はネイビーの薄手のニットに白いパンツ姿だ。しかし昨日と同じく黒縁の眼鏡をしていて今さっきまでやっぱり好きだと浮き足立っていた気持ちが一気にどろりとした黒い感情に飲み込まれるのを感じた。
「待たせた?」
「ううん、私が早く来すぎちゃっただけ」
当たり障りのない会話を済ませてしまえば途端会話が途切れる。普段ならいくらでも出て来る話が全く出てこない。
「ごはん食べた?」
結局言いづらそうに切り出した紗織のその言葉で昼食を取ることになり、口数も少ないまま近くのお洒落なカフェに入った。店を選んだのは紗織だが、ここがこの辺では有名なカップル御用達の場所だとこの子は知っているんだろうか。
とりあえずオススメメニューを頼んで、目の前で何やら難しい顔をしている紗織に「話ってなに」とできるだけ心の中の気持ちが出ないように心がけて声をかけた。
「この前の話なんだけど」
「この前って、ごめんなさいの続き?」
きちんと話を聞こう、今はこの黒い気持ちは我慢しようと抑えていたのに紗織の顔を見たら昨日の光景が頭をよぎってしまい、紗織の言葉に被せるように冷たく言い放ってしまった。拒絶するような俺の態度に紗織が固まる。やってしまった。
「よかったじゃん。アメリカに行った好きな人に会えたんだろ」
「何の話」
「これからは男と2人で出かけるとか思わせ振りなことしないほうがいいと思うよ」
「だから何の、」
「ごめんなさいって言われたら振られたって事くらい分かってるから改まって断るとかしなくていいから」
気持ちとは裏腹に口からはどんどん言葉が出て来る。俺が1つ話す度に紗織の目が潤んでいく。また泣かせてしまうのかと罪悪感を感じながらも俺のせいで泣けばいいだなんて最低な事も思ってしまう。
しかし紗織はぐっと唇を真一文字に結んだかと思うと静かに目を閉じて、再び俺の目を見た。その時にはさっきまでの溢れそうに揺らいでいた涙の影は無く、凛とした眼差しに射られる。
「お願い、零。話を聞いて」