仲直りの花







ぱちん、と言うよりは、少し重みのあった音だった。任務もなんとか一件落着に追えたのに、毎度の夏油の説教タイムだ。

「…痛い」
「私は謝らないよ。非術師に手を挙げるなんて名前もどうかしてる」
「あんなに言いたい放題言われたら、私も怒るよ。助けてって言ってきたのは、あっちなのに」
「でも殴る事はないだろ?」
「夏油も私のこと、叩いたじゃん」
「…論点を変えるんじゃない。何度も言ってるけど、非術師には呪霊は見えないし闘えない。その人達に文句を言っても変わらない。非術師を守るのが私達の役目だ」
「…別に、私は非術師の為に呪術師になったんじゃないもん」

私は、私の為に。祖先の悪事を終わらせたくて、五条への想いの為に、呪術師になった。
今まで任務で非術師と接して良い事よりも悪い事の方が多かった。呪霊を生み出さない為には、非術師の平凡な日常が不可欠だろうが、それにしても傲慢だ。
夏油に私の意見をぶつけると、今まで五条に対して見せていた、怒った時の顔を私に向けてきた。この顔が出るといっつも術式を使っての喧嘩が始まる。
やば、と思った。
五条と同じくらいに強い夏油に勝てるわけもない。夏油の表情に冷や汗をかくと「夏油さん、別の任務が入ったので急ぎお願い出来ますか?」と最近入った新人の補助監督さんが声をかけてきた。
それに素直に返事をした夏油は、補助監督と一緒に車に乗り込み、別の任務へ向かった。

…と、そんな事があったのが一週間前。
未だに私は、夏油と仲直りが出来ていない。


******



「…どうしたらいいと思う?」
「謝れば?」
「謝る機会さえくれないんだけど…」
「土下座で部屋の前居てもスルーしそうだもんな、傑のやつ」

今日も任務から帰ってきた夏油と五条に会えば、普段は三人で談話室で雑談して悪ふざけが始まるのに、夏油はすぐに部屋に戻っていった。
五条はいつもと同じようにソファに座ってテレビをつけ、あ〜疲れたと欠伸をした。
そんな五条の向かい側のソファに座って、五条に相談を持ちかけると、相槌も打たずに携帯を弄りながらも話を聞いていたらしい五条の答えは、謝れば?の一言だった。

いつも夏油と居たのに、この一週間、私はいつの間にか五条と一緒にいる事が多くなった。
それは嬉しい。
嬉しいはずなのに、夏油との関係が元に戻らない事がずっと気がかりで嬉しいと思えない。

「五条と夏油は喧嘩してもすぐに元通りじゃん?なんで私の場合だとこんなに引きずるの?」
「俺と傑は最強だし?同じフィールドじゃねーのに一緒にすんなよ」
「なんでよ、私の方が絶対夏油といる時間長いもん!」
「それはお前が雑魚だから傑が面倒見てるだけだろ。対等じゃねーのにお前が生意気な事言ったんじゃねーの?それは傑も怒るわ〜」

五条の言葉にぐさりぐさりと胸に刃物が突き刺さったかの様に痛む。…そりゃあ夏油の方が強いけど、対等じゃないからと言って夏油が差別するとは思えなかった。
こんな喧嘩初めてでどうしたらいいのか、何も思いつかず、はあ。と溜息が自然と出る。
すると五条は「…傑に聞くだけ聞いといてやるよ」と言ってくれたので、協力してくれる気持ちに嬉しくて頬が緩んだ。
ありがとう!と五条に礼を言うと、そういえば明日の任務って北海道だよな?と急に言い出す。
そうだけど?と突然何を言い出すんだろう?と疑問に思っていると、「お土産、楽しみしてるから」と爽やかな笑顔を放つ五条。
…いいよ、チョコレートでもクッキーでもケーキでもキャラメルでもバウムクーヘンでも和菓子でも何でも北海道任務の給料分買ってきてあげる。




冥冥と一緒だった北海道任務。
行きの飛行機の搭乗前に名前は携帯を開くと、五条から土産リストと【聞いたけど、別に怒ってなさそうだから大丈夫だろ】と書かれたメールを受信した。
…本当に?と思いつつ、帰ったら謝ろうと全力で任務を終えた、次の日。

東京の高専に戻った名前はいつもの早朝ランニングのいつものコースを走っていると、見た事のない関係者が二人を見かけた。
お辞儀をして通り過ぎると「もしかしてあれが名字の娘?」「ああ、窃盗でも横取りでもする名字だよ」とクスクス笑いながら隠し事の様に話しているが、聞こえる声。

…ああ、五条家の関係者か。
名前は複雑な気持ちになり、出来るだけ五条家の人達会わないように、いつものランニングのルートを変更した。
ランニングが終え、帰る時でさえ見知らぬ関係者が沢山居る。どんだけ居るんだよ!と関係者が居て通れない道を影から覗いては、帰れない…と落胆しつつ、どうにか出会ないルートで医務室まで向かったのだ。

北海道任務で怪我した足の経過を硝子に見てもらおうと医務室に向かえば「そういえば今朝方、夏油が倒れたよ。最近休みも無かったらしいし、熱も出てたから任務疲れのせいだろうけど」と名前の包帯を巻き直しながら硝子は言った。

「そうなんだ…。夏油、怪我してても顔に出さないもんね…大丈夫かなあ」
「実はこれから任務なんだけど、名前よかったら見舞いついでに看病してくれない?」
「えっ私が?!」
「うん。無理にとは言わないけど」
「…ううん、やる!まかせて!」

名前の中で断るなんて言葉はどこにもなかった。
硝子にお願いされる事なんて滅多にない。それに夏油にはいつもお世話になってるし、喧嘩したままのこの状況を打開したい。
名前はやる気に満ち、硝子に「看病って何をしたらいい?」と早速やる気に満ちていた。





コンコン。


名前は硝子から預かった荷物や、看病しながら終わらせたい夏休みの宿題を入れたバックを片手にノックをすれば、少し顔が赤い夏油が部屋から出てきた。しかし、夏油は名前の顔を見て直ぐに扉を閉めようとする。

えっ絶対まだ怒ってるじゃん?!と、大丈夫だろと五条が送ったメールを差し戻したい気持ちになる。なんとか閉まる扉を阻止しようと咄嗟に名前は身体を挟み込んでタンマタンマ!!といえば、夏油は怠そうにはあ、と溜息を吐いた。

「…何、どうしたんだい」
「お見舞いにきました。あの、上がらせてください…」
「ダメ」
「あの、そこをなんとか」
「風邪移つるだろう?」
「あ、あの…そう言うと思って、マスクしてきましたので!硝子任務行っちゃったし、お願いされたのっ、お願いします」

扉を閉めるノブを持ったまま不機嫌そうな顔をする夏油に、思わず名前は思わず敬語になってしまう。
というか扉そんなに押されてると、身体半分になっちゃうからあ!!と冷や汗をかきながら顔で訴える名前に、夏油またはぁ。と溜息を吐いた。
ドアノブを閉めようとする力をを緩め、分かったよ。と言って招き入れた。

お邪魔します。と言った名前は部屋の扉を閉め、荷物を置いて床に正座した。何してんの、と夏油が問うと、そのまま頭を下げ、ごめんなさい!と謝る。

「夏油、この間はごめんなさい。…確かに一般人を殴るのは悪かったって反省してます。あの、私、別に夏油と喧嘩なんかしたくなくて…ごめんなさい」

いつ謝ろうかと名前はタイミングを考えていた。
名前にとって夏油は頼れる兄のようでもあり、一緒に笑ってくれる友でもある。それが欠けたことをいち早く元に戻したくて、部屋に入って直ぐに頭を下げた。
何でここまでずっと不機嫌なのかは分からないけれど、兎に角頭を使う事が出来ないくらい、ショックが大きかった。
ピリッとした空気が続いて、更に不安になる名前に夏油は顔あげて。と声をかける。恐る恐る顔を上げると、夏油はしゃがんで名前の頬に優しく触れた。

「…私こそ悪かったよ、名前に手を上げてしまったからね。意地張ってしまって、中々謝るタイミングが分からなくなってたんだ」
「夏油でも意地っ張りな所あるんだ…」
「特に名前に関してはね」
「…何で?私が弱いから?」
「名前の事が大事だからだよ。どんな形であれ、人を殺めて欲しくないからね」

夏油は名前の将来を心配していた。非術師は弱い。その為に、私達はいる。そんな守らなきゃいけない存在に手を上げてしまう所に、名前がいつか牙を剥き人を殺めてしまったら。
夏油は名前の笑顔を思い浮かべながら、地獄のような未来を、その将来に悲しそうな名前を想像して、名前の顔を見ると複雑な気持ちになり中々和解が出来なかった。
五条から突然【そういえば名前が傑の事で悩んでたけど、どーなの】とメールが着た時に、人を傷つけるなと言いながら、彼女を傷つけてしまった自分に嫌気がさした。
【問題ないよ。気を使ってくれてありがとう】と五条に返信したが、問題はアリアリだし謝ってきたのは名前からだ。
…ああ、女々しい所が自分にもあったんだなあと少々凹んだ。
しかし仲直りが出来た今、先程まで夜蛾先生と接する時のような強張った顔をしていた名前は、いつもの柔らかい顔に変わっていてホッとした。「一般人はまだ好きにはなれないけれど、殺そうなんて思ってないよ」と苦笑いしながら否定した。
そこにはいつもと変わらない空気が戻っていた。



入り口付近の床に座っていた名前に「とりあえず入り口に居るのも何だしコッチに来なよ」と夏油が手招きすると、名前は立ち上がって持ってきた荷物をベッドの近くに置く。
夏油に「色々持ってきたからベッドで寝てて」と言うと、もう寝飽きたよと言いながらもベッドに横になった。
名前は硝子から預かった熱冷まシートを横になった夏油のおでこに貼ると、冷たそうな顔をし、ちょっと可愛いかも。と少し心躍る。

「…もしかして、ちょっと楽しんでる?」
「えっ?!そんな事ないけど…でも、おままごとやってるみたいで、ちょっと楽しい」
「…病人で遊ばないんだよ」
「はーい」

少し呆れている夏油に名前は元気よく返事をする。
硝子から体温計を預かっており、測ってと夏油に渡し、その他にもゼリーやスポーツドリンクも貰ったので名前は使う分だけ袋から取り出してサイドテーブルに置いた。
ピピッと音が聞こえ、名前は夏油から体温計を渡されて見てみると、37.9度。
うーん、まだ少し熱いな。顔はまだ少しダルそうだし、寝て置いた方が良さそうだなと名前は「しんどい?大丈夫?」と夏油の長い前髪を撫でながら聞くと、少し目を見開いて「大丈夫だよ」と微笑んだ。



夏油の様子を確認しながら、名前は溜まった宿題を終わらそうと近くのローテーブルをベッドの近くに寄せる。

「ねえ夏油、テーブル借りていい?夏休みの宿題おわらなくて。夏油終わった?」
「ああ、初日に全部終わらせたよ。ダラダラしてても面倒だしね。課題を持ってきたって事は、もしかして今日一日私の看病しながら部屋つもりかい?」
「え、うん…だめ?今日、朝から五条のお家の人が高専に居てさ。部屋の外に出るのも嫌だし、一人で居るのも寂しくて」

それもあって、ここに来たかったんだ。と少し辛そうな名前の顔をみて、夏油は気の毒な気持ちになる。
呪術界の御三家同士が仲が悪いのは有名だが、それは家同士である。しかし名字の家系には、もう名前しかいない。それをこの子一人で背負うには、重過ぎるんじゃないのか。
「あ、迷惑だったら出てくわ!」と苦笑いする名前に、夏油は「居てもいいけど、風邪移んないようにね」と苦笑すると、同じように名前も「ありがとう」と苦笑した。



気づけば夏油はいつの間にか寝ていた。
時計の音と名前の勉強する鉛筆の音、窓の外から聞こえて来る蝉の鳴き声を耳に目を閉じると夢の中に入り込むのはあっという間だった。
…今何時だ?
夏油は身体を起こすと、随分と身体が軽くなっていた。怠くない。時計は14時を回っていて、随分と寝てたなあと身体を伸ばした。
ローテーブルの方を見れば名前の姿はなく、夏休みの宿題であるプリント類がテーブルの下に置いてあるだけ。
…どこに行ったんだろうか。と気にするとガチャリと部屋の扉が開いた。 

「あ、夏油起きた?」

部屋に入る名前の手にはトレーに丼物の器が乗っており、ローテーブルに置いた。夏油が何ソレ?と聞くと、うどん!と名前は笑顔で答えた。

「昔ねー、熱出した時はおじーちゃんが頑張ってうどん作ってくれたんだよね。夏油もうどんなら食べれるかなって思って」
「私に作ってくれたのか?」
「うん。…あ、麺アレルギーとか無い?!大丈夫?!」
「大丈夫だよ。…いただいてもいいかい?」
「うん、どーぞ!」

早朝に呪霊を祓って倒れてしまったので、朝から何も食べていない。空腹感を感じた夏油はベッドから出て床に座り、いただきます。と手を合わせうどんを啜る。
温かいうどんが身体を巡り、栄養が身体に行き渡っているのが感じる。美味しい、と勢いよく食べる夏油に、名前はそんなに早く食べなくても、と笑った。


「ご馳走様でした」
「お粗末様でした。良かった、食欲あって」
「うん、さっきより全然良いよ。…しかし名前って料理出来たんだね。とても美味しかったよ」
「本当?良かったー。子供の頃からおじいちゃんと二人暮らしだったからさ、おじいちゃん料理苦手だから私が覚える羽目になっちゃって」

でもそんなおじいちゃんが一生懸命にうどん作ってくれた味、最高に美味しかったんだけどね。と微笑んだ。
そういえば名前はいつもお昼はお弁当箱持ってきてたっけ、と夏油は思い返す。
小学生の頃に父親と母親は居なくなり、唯一の家族だった祖父と名前の十五年程の記憶。そこで祖父が教え、覚えたのは、祖父がいつ死んでも大丈夫なように育っていける術だった。

「…なんだか悟には勿体無いなあ、名前は」
「えっ、何、急に?!」
「いや、こんなに悟の事を想った一途な女の子が家事も出来るし、呪術師になる為に凄く努力してるなんてさ。私が貰っちゃいたいくらいだよ。どうだい、乗り換える気はない?」
「…何言ってんの。夏油私に対して恋愛感情持ってないでしょ?」
「分かんないよ?これから名前の事好きになるかもしれないじゃん」

夏油は名前に対して獲物を狙う様な目付きをして、ニコリと笑った。やっぱり熱あるよ…と名前は夏油の言葉や表情に焦った。…まさか本気じゃないよね?と困惑していると「私の事は恋愛対象として見てない?」と聞かれた。

「恋愛対象っていうか…私、夏油になりたい」
「え?…なりたいの?」
「うん!だってさ、呪霊沢山取り込んで操れるじゃん?」
「それは術式の話だろ?…名前の呪霊好きも相変わらずだね。しかもならなくても名前も呪霊を操れるじゃないか」
「…でも取り込む事は出来ないし、結局祓わなきゃいけないじゃん。あ、ちなみに大量の呪霊を一気に出す事って出来るの?」
「出来るけど…何か企んでる?」
「いや、沢山の呪霊と触れ合いたいなあと思って…無理?」
「闘いでしか使わないから、触れ合うなんて事でやった事はないよ。それに高専で未登録の呪霊出したらアラーム鳴って怒られちゃうしね」

そうなの?と名前の知らない高専のシステムについて夏油は軽く説明した。夏油が取り込んだ呪霊は千を超える。それを一つ一つ登録するのは面倒だ。
なるほどなあと、ふわふわしている顔しながら納得している名前を見て、夏油は本当に理解したのか?と少し疑問に思いつつ「だから難しいと思うよ」と言うと、残念そうな顔をした。
夏油に対して恋愛感情を持ち合わせていない事を実感して、脈なしかあ。と夏油は笑った。

「そっか、じゃあ名前は悟にしか目がないんだねえ」
「分かんないよ…別に今まで恋愛した事無かったし」
「初恋なの?尚更悟に勿体ない、可愛いのに」
「もう揶揄わないでよ!でも夏油も好きだよ。硝子も、夜蛾先生…は少し顔怖いけど」

名前は夏油に笑顔を向けると、コンコンとドアを叩く音がした。ふと部屋の扉を見ると、ガチャリとドアが開き、五条が現れた。

「傑〜大丈夫か?あれ、名前いんじゃん。仲直りした?」
「悟、部屋に勝手に入ってくるなって言っただろ」
「いーだろノックしたし」
「あ、五条…色々ありがとうね」
「別に、何もしてねーし。つーか土産は?」
「あるよ、皆の分も買ってきたから明日授業前に渡すね」

柔らかい笑みを五条に向ける名前を見る夏油は、ここに来た時よりも短期間だけれど随分と柔らかくなったな。と感じた。
それに先程の唐突に好き。と言われて心が躍ったのは本当だ。ああ、可愛いなあと笑みが溢れる。

「さっきから傑ニヤニヤしてね?なんかあった?」
「いや…さっきね、名前が私の事好きって言ってくれたんだ、それが嬉しくてね」
「はあ?」
「ちょ、夏油?!それはあくまでも仲間としてだからね?!」
「分かってるよ。…もちろん悟の事も好きだろ?」
「別に…嫌いじゃない、よ」

何故、別に。ではなく、そこは好きと言えないんだろうか。それは多分、名前にとって五条の存在が特別だからなのだろう。
しかし今までは嫌いと大きな声で言っていたのに、自身で素直になれるようになって。
名前が少し成長している事に夏油は頬が緩んだ。