「あれ?夏油居ないの?」
高専の広い施設の一角、談話室として使っている場所で夏油と待ち合わせをしていた。
…昨日の任務の報告書、今日までなんだけどなあ。
一級呪霊の任務、夏油の補助として向かった訳だが、なんと相手は特級呪霊。苦戦したがなんとか倒して、呪霊は夏油が飲み込んだ。
元々は一級呪霊だったのだが、特級呪物という物を所持しており、そのせいで特級並みの強さになってしまったらしい。
特級呪物を回収すると、報告する書類が一枚増えるらしく、その書き方について夏油に教えてもらう予定だった。
一応夏油にメールしてみるが返事はない。
一つ前の受信メールには【先生と話があるから、終わったら行くね】と一時間前にメールが来ていた。まだかかるかなあ。
…ソファに座って待つが、眠気が襲ってくる。昨日の疲れが全く取れない。呪霊に腕を切り刻まれたせいで、腕も包帯グルグル巻きだ。硝子が反転術式でそこそこ治してくれたから、後は身体の生命力で治すのみ。
あー、やっぱウトウトする。ちょっと眠ってもいいよね、夏油なら起こしてくれるはず。
なんて考えてたら、いつの間にか睡魔に襲われて意識が遠のいた。
「あれ、名前じゃん」
任務を終えて自室に戻ろうとした五条は、通り道の談話室でソファに座ってる名前を見つけた。
「何やってんの」と声をかけようとしたが、近づいて見ると眠っている事に気がついた。声をかけるのをやめ、左隣のソファに腰を下ろす。
名前の寝顔を見るのは初めてではない。夏の任務以来、たまに重なる任務の帰りにも疲れた寝顔を見ていた。しかし毎回暗闇で薄暗くてよく見えず、昼間の明るい中で寝ている顔を見るのは初めてだった。
改めて見ると、素直に可愛いと思った。
名前はいつも五条に対しては不機嫌な顔や怒った顔をする事が多い。最近になって笑ったり緩んだ顔を見せるようになったが、その回数はまだまだ少ない。
五条はふと、好奇心で名前の頬を摘んだ。
むに、という言葉が合いそうな柔らかい感触。不思議な感触で、もう一度、二度、むにむにと触れる。
眠っている最中でも感触が伝わったのか、ううん…と唸るというより、甘い撫で声をだし名前は少し顔を歪ませた。
五条の興味は止まらない。摘むのをやめて、次は押してみる。
次はふに、という言葉が合いそうな感触が伝わる。柔らかい感触と、名前の顔が少し反応するのが面白い。単純にそう五条は思った。
次はどうしようか。と、無意識に名前の髪に触れる。胸下まである柔らかくて細い艶のある髪の毛。
名前って、こんなに繊細で柔らかいのか。それなのに……また傷を作って。
五条は名前の成長を少しずつ感じていた。最初に出会った時は、絶対に途中で挫けて辞めんだろと思っていた。しかし名前の根性は、思ったよりも熱い。どんどん駆け上がり、二級でもギリ良いんじゃないかと思えるくらいに感じる。
しかし、まだ傷を作っているのであれば、まだまだだな。と包帯に巻かれた腕に触れようとした時、気配を感じてピクリと止まる。
「悟、いくらなんでも寝てる子にセクハラはダメだよ」
「…セクハラなんてしねーよ」
後ろから声をかけた夏油は、テーブルを挟んで名前と五条とは反対側のソファに腰掛けた。
「…悟、名前の事気になるかい?」
「まあ、どーやったらこんな大福見たいなモチモチ肌になるのかはちょっと気になるな」
「そうじゃなくて、異性として気になるか聞いてるんだよ」
「はあ?相変わらずうるせーし面倒としか思ってねーよ」
「その割には出会った頃よりは喧嘩も少なくなったよね」
「…まあ、コイツが前より確実に強くなっているのは事実だし。そこら辺の女よりは面白れーかな」
五条はまた名前の頬突きながら答えた。
全く。と夏油は質問した答えに真面目に返答しない五条にため息をついた。
ブルブルブルブル。とテーブルに置いたケータイが振動する。背面ディスプレイにはメール受信:送信者:彼女8と書かれている。五条は頬を突いていた手を止めて、携帯を弄り始めた。
「悟、まだそうやって連絡してるのか?いい加減止めたらどうだい」
「ハッ、次から次へと寄ってくるからしてやってんだよ。どうせまた怒って別れ話されるだけさ。女ってめんどくセー」
「…その話、名前には言うなよ」
「はあ?なんで?」
「なんででも」
五条家には次々と跡取りとして見合いの話が舞い込んでくる。面倒だが女と遊ぶならそれは暇つぶしになるだろうと、昔から見合いの話は受け付けていた。しかしお付き合いを初め、五条と接する内に分かる彼の破天荒ぶり。
見合い相手の女は、最初は好意を寄せる顔をするが、最後には鬼のような顔で破談を申しつけて終わるのがいつものパターンだった。
夏油もその話は五条からよく聞いていたが、名前には言わなかった。五条が他の女と付き合っている知れば、落ち込むだろう。
しかし、彼女が想っている五条への気持ちは、五条家の家柄で見合いをする他の女とは違う。
夏油は自分勝手ながら、名前にその気持ちを諦めて欲しく無かった。そんな純粋な心を、捨てて欲しく無かったのだ。
そして、五条の今後の人生に置いても、それは。
五条は「意味分かんね」と呟いて、また名前の頬をツンツンと突き始める。オモチャじゃないんだぞ。と夏油は思いつつも、これ以上遅くなると夜蛾先生も待ってはいないだろう。仕方ないが名前を起こす事にした。
「ほら、名前起きて。報告書書かないと間に合わないよ」
夏油は名前に声をかけるが、起きる事なくまた顔を歪ませて唸る。
「んー…夏油、おんぶ…」
「はあ?おんぶ?」
「あぁ、前に任務帰りに起きなくて、おぶって部屋まで送ったんだよ。これは相当疲れてるっぽいね」
「なんで傑におんぶされてんだよ…起きろブス!」
五条は名前に顔を近づかせて、思いきりの頬を抓る。名前は煩さと痛さで目を覚ました。
「むーもう!ひひゃいよ、へほう!!」
「傑じゃねーよバカ」
「へっ五条?!なんっ…顔近い!」
ぱちん!と五条の頬に平手打ちが当たる。
名前が初めて五条に攻撃をクリーンヒットさせた瞬間であった。痛え…と五条は少し怒りを覚えつつも顔を上げて名前を見れば、彼女の顔は真っ赤になっていた。
「そんな顔が赤くなるまで怒るか普通?怒りたいのはこっちなんだけど」
「ちが、いや、、ごめん。…え、どういう状況?」
「はあ?」
五条は無意識にまた名前の頬を抓る。先程よりは柔らかく。ふに。ふに。殴られて怒ってた意識は、十秒も立たずして消えていった。五条には怒る気持ちよりも、名前の頬の柔らかさに夢中になってしまったのだ。
「えっ、ちょっと五条謝るから、ごめんって」
「別に痛くねーし、ていうか早く報告書書けよ」
「う、うん。だからその頬摘むのやめてよ」
「やだ」
「何、そんなに気持ちいいのかい?あ、本当だ」
「ちょ、夏油も摘むな!」
「いいじゃないか少しくらい」
「何なのこのバカ二人!ふざけんなっ!」
名前は夏油と五条の頭に平手チョップをして頬から手を離させた。
もう!と名前は気を取り直し、準備しておいた書類をテーブルに広げて報告書を作成していく。夏油に記入の仕方や書き方を確認しながら進めていった。
「つーか何、特級呪物見つかったの?」
二人の記入用紙を見ると特級呪物回収書と書かれているのを見て五条は少し驚く。
「見つかったよ、両面宿儺の指。一本だけね。大きい呪力の気配がしていたから何事かと思ってたけど、まさか宿儺の指で驚いたよ」
「そりゃあんなん何本もポンポン見つかんねーだろ」
「…リョーメンスクナって強いの?」
てかリョウメンスクナって何?と名前は二人に問いかける。任務の際に指を見た時「これが呪霊の指なの?!」と目を輝かせていたが、呪霊が好きな名前が両面宿儺の事を聞けば、興味を持つんだろうな…と夏油は思いつつも説明した。
「名前は両面宿儺の事知らないんだね。遠い昔、呪いの王と呼ばれていた特級呪霊だよ。さっき回収したのはその宿儺の20本あるうちの指の一つさ」
「へー!呪いの王ってカッコイイね!一度会ってみたいなあ」
「馬鹿かお前。呪いの王だぞ、出会ったらお前なんて瞬殺だ。楽しむ暇なんてねーよ」
「そっか、死んじゃうか…」
五条の言葉で名前ははっとする。呪術師というものは死と隣り合わせなのは、闘っていく内に直ぐに実感が湧いた。
転入して直ぐに四年の先輩が一人亡くなったと人伝に聞いた事があった。転入したてで情なんて湧かなかったが、今、一年が全員生存している事が奇跡なのかもしれないと、怪我をする度に思う。
…いつ死んでもおかしくない世界だ。
「しかし、今回の任務は名前が居て本当に助かったよ。居なかったら片腕持ってかれてたかもしれないな」
「大袈裟だよ。私の術式全然効かなかったし、呪力での攻撃と防御しか出来なかったもん」
「…何、そんなやばかったの?」
「力の加減を見くびっていてね。名前が庇ってくれたおかげで私は怪我しなかったし、呪霊に隙もできた。…その代わり名前が怪我しちゃったけど、ごめんね」
「本当全然大丈夫だよ、硝子に治してもらって全然痛くないし」
ホラ!と名前は腕を曲げたり伸ばしたりして笑顔で元気だとアピールする。本当かい?と少し心配そうな夏油に「うんうん!と心配しないで!」と明るく振る舞った。
名前はこれ以上心配をしてほしくない為、ホラ早く書いちゃお!と筆を走らせ、書類を書き終わらせた。
優しくされるのは嬉しいけれど、何だか同等に見られていない様に感じて、嫌だったのだ。
書き終わって名前と夏油は椅子から立ち上がる。夜蛾先生の元へ向かおうとすると、名前は左腕をギュッと締め付けられた。治癒を施し包帯を巻いてるとはいえ、痛みが走る。顔を顰めて左腕を見ると、五条が握っており、彼は無表情の顔で見つめた。
「五条?どうしたの…?」
「…無理、すんなよ」
いつもなら「弱いんだから強くなれよ、バカ」と言ってた五条が、こんなにも分かりやすく名前に対して心配をする事なんて無かった。名前は少し驚いたが、心配そうな五条の顔を見て「有難う、大丈夫だよ」と笑った。
そんな彼女の顔を見て、五条の中にある気持ちがまた少しずつ動き出す。今まで仲間として守ってきた事が、それとは別の意味で護りたい。でも、それを言葉にする事が出来なくて、五条はやり場のない気持ちに駆られた。
…アイツにはもう、誰かに守られる気持ちはない。何があっても、立ち向かっていく。そう感じた。
先月俺に負けて泣いていたアイツはもう居ない。