一人の花







はじめから答えを聞く前に、この恋が終わっている事なんて分かっていた。それでもこの恋を諦められなかったのは私であって、今思えば彼が私を揶揄うのを止めない事に、どうこう言う筋合いは無かったのかもしれない。

でももう、それも本当に終わり。



「最近どーよ、五条と進展あった?」
「その事なんだけど、本当に諦める事にしたの。今まで相談乗ってくれてありがと、硝子」
「はあ?も〜そのパターン何回目?大丈夫だって、アイツも去年よりは成長してるし、それに名前の事だって、」
「……が出来たの」
「?なに?」
「五条に、許嫁が出来たの」
「はあ?」

五条と気まずい空気になった後、衝撃の事実が分かった日の夜。
女子寮の廊下でばったり出会った硝子に「よ、久しぶりに懺悔会しょっか」と誘われて昼間の出来事を話せば、硝子の部屋に呆れた声がタバコの煙と共に広がった。



***






「はあ許嫁?知らねーよ、ンなモン。こっちはもう見合いなんて懲り懲りなんだっての。勝手に決めつけんな」

一人の小さな子供の衝撃的な発言に呆気な声が出た私達であったが、反論する五条の声が外に響いた。

「うそつけ、お前の祖父母達から話は通してあると聞いた!証拠あるんだからな!」
「ああ?!祖父母?!……祖父母…そーいや、なんか言ってたよーな…」

思い当たる節があるんかい。
記憶を辿るよう五条だが、一方私はというと、許嫁という言葉に頭がいっぱいになって言葉が出てこない。
彼女が居たと聞いたことがあったけど、許嫁となれば人生の伴侶。まさか片想いの相手にこの歳で嫁が出来るなんて誰が想像出来るだろうか。
……だからって彼女が出来ないなんて可能性はゼロじゃないはずなのに、私はここまでズルズルと叶わない気持ちを引きずっていた。


やだ……五条が、誰かの、恋人になるなんて、そんなのやだ。


沖縄で五条と理子ちゃんが仲良さそうにしていた時に感じた胸の痛みに、押しつぶされそうになる。
……やだなんて、私が言う資格どこにも無いのに。


「とーしろー!」
「あ、おねーちゃん!」

ふと声がして廊下の先を見ると、私たちと同じくらいの女の子がこちらに向かって走り、それに答えるように男の子は手を振って満面の笑みを見せ、女の子に飛びついた。
さっきまでこの子、鬼みたいに歪ませた顔してたのに。この子がとうしろーって名前で、お姉さんってことは…もしかしてこの女の子が。

「あの、五条悟さんですか?」
「…そーだけど」
「わあ、やっぱり。昔一度お見かけした事はあったけど、とても素敵な方。おば様からお話があったと思いますが…今回、悟さんの許嫁になる京都校一年、乙山リコと申します」

理子ちゃんと、同じ名前。
黒髪ロングな髪は顔は違えど、理子ちゃんを思い出す。そして許嫁という言葉は嘘ではないと改めて理解した。

「勝手に話し進めんじゃねーよ」
「あら、おば様からは電話で怒鳴りながら一言返事で了承が帰って来たと、おっしゃってましたけど」
「…話聞いてなかったんだっつーの。つうか京都の一年?京都の奴ら弱すぎて面白くねーし興味ねーよ」
「ふふ、そうですね。でも私、入学時から一級呪術師なんですよ?特級呪術師の悟さんには及びませんが…その他の術師には負ける気しないですね」
「……ふうん、中々の呪力だな」

サングラスを下にずらした五条は、ニヤリと笑ってそう言った。凄いな、一級の強さを持ってるって……。

「悟さんの六眼なら分かると思いますが、わたし天与呪縛のせいで心臓が弱いんです。今の所、持って二十年。闘えばその分、寿命も減っていくんですが、その代わり呪力は人並み以上あります」
「成る程ね。でも俺、許嫁とか堅苦しいの大っ嫌いなんだよね」
「悟さんが今年に入ってお見合いを全部断っていたのは聞いてます。だから強要はしませんが…チャンスくれませんか?絶対認めさせますから」
「へえ、自信満々じゃん。いーよ、のった」


一瞬耳を疑った。五条が、許嫁になるチャンスを与えた?
てっきり最後まで拒むと思っていた私は、五条に目をむけると一瞬目が合ったが、何もなかったかのようにリコちゃんに話しかけて廊下を進んでいった。
まるで私の存在を消すかのように向けた目に対して、彼らの姿が見えなくなるまで、その場から一歩も踏み出すことが出来なかった。

さっきまで五条に対して怒っていたのに、次は行かないで。なんて我儘を言える立場ではない。
そうだ、元々五条家に対して酷いことをしてきたのに、反抗するなんて許されるはずもないのに。
…なんでこんなにもどんどん我儘になっちゃうんだろ。



***




「それで?その許嫁、どうしたの?」
「寮母さんが空いてる寮部屋に住むことになったって言ってた。授業もこっちで受けるって。…まあ最近任務ばっかだから授業受ける時間なんて無いだろうけど…とりあえず交流会がある時までに許嫁になる事を認めさせるんだって」
「マジで賭けにのったのアイツ……しかも名前置いて行くなんて……何考えてんの」
「…でも、これで良かったんだよ。呪具返してもいないのに、五条のそばに居る事を五条家の人たちもずっと嫌がってたし……それに五条とも喧嘩しちゃったしね」
「喧嘩したの?」
「うん……ちょっと。でも……なんて謝ればいいのかも分かんないし…だからこのまま嫌われてリコちゃんを応援しようと思って」

嫌われてたのは前からだけど、一緒に遊園地に行ったりDVDを一緒に観たりするようになったのは、彼が少しだけ私を好きになってくれたからだと思ってる。
元々私はホワイトデーに振られてるし、今までの出来事を全部捨ててでも、五条が幸せになってくれるのなら応援したい。

「五条さ、前に恋したことないって言ってたんだよね。だからリコちゃんが五条に恋してるんであれば、五条もリコちゃんに恋して欲しいし」
「恋したことないって、あのバカが無意識なだけだろ」
「そうなの?」
「…まあ、私は名前がこれ以上傷つかないのなら、あのバカがどうなろうとどうでもいいよ。元々私は名前はあのバカよりもっといい人が居ると思ってたし」
「さっきから硝子、五条の事バカバカ言い過ぎじゃない?」
「人の言う事ちゃんと聞かないやつなんてバカでいいの。それに、今まで五条のせいで名前との時間取られてムカついてたし」
「そうだっけ……ごめん硝子」

そういえば硝子とこんなに長時間一緒に居るのは久しぶりかも。
タバコを灰皿に擦り付けた硝子は謝る私に対して、ぎゅっと抱きしめて頭をふわりと撫でた。

「いーの、これからは私と一緒の時間増やそ。……名前の痛いの、私が治してあげるから」
「……ありがと」



今までも時間が経てど痛みは消える事は無かった。でも、私には諦める選択肢しか残っていない。応援するのが一番いいに決まってる。
揶揄うように私に求めた肌の振れあう行為も、リコちゃんと睦まじい仲になれば、満たすことも出来るだろう。
私と違ってそこには愛がある。

恋はここで終わり。もっと他の事を考えよう。恋よりもっと楽しいことは世界に溢れてるはず。呪具を返して、階級を上げて、一人前の呪術師になってみせる。
私は五条が居なくても大丈夫、一人で歩いて行ける。



**






「今日はここまでにしよう」
「え……まだ私やれます」
「心が上の空だ。これじゃいつまで経っても上達しない」
「そんな事、ないです」
「名前、何を考えてる。最近様子がおかしいぞ」


夜蛾先生が私の心中をつくように言葉を投げかける。

六月に入って激務が続く中、雨が降っていてグラウンドが使えないので道場で稽古をつけてもらっていた。
先生の言う通り、最近心がどんどん黒く爛れるようなドロドロとしたものが渦を巻く。

あの日から五条とは一言も話をしていない。
それで良かったのに、彼がリコちゃんと一緒にいる所、仲良さそうに笑っている所、一緒に手を握っている所、遠くで抱きしめあってる所……夏油に用があって部屋に訪ねた時に隣の五条の部屋からリコちゃんが出てきた時は、一番驚いた。
半年以上しないと入れなかった彼の部屋に、彼女は出入りしている。どんどん私が居た場所を自分色に塗り替えていた。


やだ、仲良くしないで、話さないで、笑わないで、触れちゃ…やだ。
そんな気持ちが気を緩めば私を襲ってきた。
もう諦めるって決めたでしょ、と自答する度にさらに胸が苦しくなるから、敢えて頭を空っぽにして何も考えないようにしたのに中々うまくいかない。

「本当に…何でもないです」
「しかし自己管理もできない奴に任務を任せるわけにはいかない」
「…っ、そう言って全然進展ないじゃないですか!あの時会ったおじいさんは時間が無いって言ってたのに……早く行かなきゃ手遅れに……!」

もともと今日は夜蛾先生に沖縄で出会ったあのおじいさんの事を聞きに訪ねていた。
中々進展の話が耳に入らないので不安で問うと、話をすり変えて稽古の話をしてきた。何かあるのだろうと受け入れて稽古をお願いしたのに、結局何も手がかりが出ていない様子に苛立ってしまった。

「関係者が確認に言ってるのは事実だ。お前が必要以上に気にしていたから、上にも確認はしている。だが、今のお前には無理だ」
「なんでですか!」
「今のお前は、足手纏いでしかない」

叫ぶように問い詰めると、それを抑えるように冷たく重みのある声で夜蛾先生は答えた。その言葉に身体が反応して小さく跳ねる。

「万が一死んで呪霊化しても困る。…もし任務に行きたいのであれば、健康第一。飯はちゃんと食べる事だな。タンパク質は大事だぞ」
「……………はい」
「……名前、これは心配してるんだ。以前より目のクマも酷いし痩せてる。何かあるのならちゃんと言え」
「…大丈夫です。ご迷惑おかけしてすみません」

確かに夜蛾先生の言う通り、最近眠れないし起きることが出来ない。毎日続けていた早朝ランニングもやらない日が増えた。こんなにも無気力な体に対処法が見つからなくなったのは、人生で初めてでどうしたらいいのかわかんない。
一刻も早く解決したいのに、目的とは裏腹に上手くいかず先生にも迷惑をかけてしまってどうしようもない自分が最低だ。

「名前、朝食は食べたか?」
「いえ……今日はまだ」
「なら食べてこい。そうだな……唐揚げなんてどうだ」
「…それ、先生が食べたいだけじゃないんですか?」
「………そうだ」
「…ふふ。いいですよ、持っていきますね」

辛い気持ちばっかだけれど、幸せはそこら中に溢れているんだから、頑張らなきゃ。
夜蛾先生のこんなお茶目な所見たこと無かった。あんなに怖かった先生も、今では可愛く見える。
……先生、ありがとう。
唐揚げ、とびきり美味しいのを作ろっと。





共有スペースのキッチンへ行くと人影が見えた。
チラッと覗くと、リコちゃんがキッチンに立ってううんと顰め面をしていた。何してるんだろ……?
気になって後ろから覗くと、キッチンにはたくさんの調理器具が溢れている。ケーキでも作ってるのかな?
よく見てみるとリコちゃんは小皿に乗っていた黄色い歪な形をした塊を見つめて唸っている。
近くに置いてある沢山のボウルには割れた生卵がいくつも入っていて、黄身が割れた生卵や殻ごと入った生卵が入っていた。もしかして作ってるこれって…

「卵焼き…?」
「うわぁあっ?!」

背後に居たことに気づかれていなかったらしく、私の声に大きなリアクションを見せた。やっば。

「ご、ごめんなさい……驚かせちゃって」
「…っ何ですか、名字名前」
「あ、私の名前知ってたんですね」
「知らないわけがないでしょう。五条家に泥を塗って…それにお兄様と一緒に任務してるのも有難いと思いなさい」
「お兄様……?あ、乙山って…もしかしてあの乙山さんの…?」

名前に既視感があったのは、それもあるのかもしれない。
お兄さんの乙山さんと同じで、リコちゃんは私に対して冷たく侮蔑するような目を向ける。五条に対してあんなに笑顔で可愛らしい表情をしているのに、今はなんだか山姥みたいな…って失礼か。
そんな顔をするのは、私の祖先の過去の事を理解していているからだろうし、反応は乙山さんととてもそっくりな印象を持った。

「そうですよ。兄は十三郎です」
「ジューザブロー…」
「呼び捨てで呼ばないでくださいっ!!」
「あ、ごめんなさい」

十三郎か……確かに十三郎っぽい顔をしてるかも。
そういえば初めて会った時に居た子供の名前は十四郎だったっけ。それに思い出せば乙山さんに顔も似ていた気がする。リコちゃんとは全然似てない気がするけど、女の子だからだろうか。

「それで、何か用ですか?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと朝食作ろうと思って。そっちのキッチンに私物の調理器具置いてたので取り出してもいいですか?」
「別にいいですけど」

キッチンの奥にしまっていた私物のフライパンと鍋を取る。ずっと猫が睨みつけるような顔で見てくるので、居た堪れなくなり背中合わせのキッチンを使う事にした。
リコちゃんと五条のこと応援したいのは山々なんだけど、まさかの乙山家。そして乙山家の私の印象は災厄オブ最悪。関わらないのが一番のエールなのかも。それにリコちゃんがここで調理してたら、五条も来る可能性がある。
今、五条と対面したらどうにかなっちゃいそうなこの胸のドロドロが溢れそうな気がする。そんな状況で会いたくないし……ちゃっちゃと済ませちゃお。


冷凍庫にしまっておいた鶏肉を解凍して下ごしらえをして、冷凍していたご飯を解凍し、味噌汁を作り、鶏肉を揚げる。
黙々とやれるし、やっぱり料理って好きだ。
鶏肉に衣をつけて油に入れるとジュワワと弾ける音とともに、背後からぎゃあっ!?と驚く声がした。

「ち、ちょっと揚げ物なんてき、危険なモノを…!!」
「大丈夫、コツ掴んだら案外平気ですよ」
「き危険じゃっ!危険…!!」
「じゃって……」

驚くリコちゃんはまるで理子ちゃんみたいだ。強気なオーラを振り撒いているけれど、仕草や反応がとっても可愛い所も似てる。
……こういう女の子っぽい方が、五条に合ってる。
あまり怖がらせるわけにもいかず、揚げ終わった唐揚げを早めに皿に盛った。よし、完成。
ふいに視線が気になり、入り口を見るとひょっこり可愛い後輩が顔を壁から覗かせていた。

「あーーっ!やっぱり、美味しそうな匂いがすると思ったら名前ちゃん先輩だ!」
「灰原、もしかして任務帰り?」
「うん!さっき帰ってきました!」
「お疲れ様、良かったら少し多めに作ったし食べる?」
「えっいいの?!食べるー!」
「おっけー。リコちゃんもよかったら……あ、揚げ物苦手なんだっけ……?」

出来た唐揚げを小皿によそって灰原に渡し、リコちゃんにも、と別の小皿によそって気づいた。さっきあんなに驚いてたのに忘れるなんて。

「……別に、苦手な食べ物ないんで大丈夫です」
「あれ?そういえば見ない顔だ、はじめまして!一年の灰原です」
「京都高の一年の乙山リコです。悟さんの許嫁になる為に三ヵ月こちらでお世話になる事になりました。同じ一年同士よろしくお願いします。」
「へえ同い年なんだ!……てか、五条さんの?でも五条さんって名前ちゃん先輩と付き合「わーーーっ!?ちょっと灰原!!ほら、あーーん!」

能天気な顔で問題発言しそうな彼の口に無理矢理唐揚げを入れて塞いだ。
おいしー!なんて唐揚げに夢中になってるけど、もしかして前に噂された五条と私が付き合ってる問題の事、言おうとしてたこの子?!?!
そんな噂がたってるなんてリコちゃんが知ったら、五条家の人になんて言われるか…ここは話を逸らさないと…!

「そ、そういえばリコちゃんは何を作ってるんですか?卵焼き?」
「そうですけど。……なんですか、下手とでも言いたいの?」
「い、いやいや!五条に、作ってあげてるのかなぁー……って」
「別にそうだとしても、貴方には関係ないでしょ」
「マア……ソレハソウデスネ」
「なになにー?卵焼き?僕食べてもいい?」
「…味見程度なら、良いですよ」

唐揚げをペロリと食べた灰原は、お腹が空いているようでリコちゃんが作った卵焼きに目を向けた。
そういえばあれから30分近く経ってるけど他に何か作ってるのかな?と気になってリコちゃんの方を覗けば、皿に大量の卵焼きがのっている。
…これは作りすぎなのでは…?少し心配を抱いたが、また逆鱗に触れるもの良くないと言わないことにした。

「ん〜…味はちょっとしょっぱいかも。でも、ご飯すすみそうな味だね!」
「……そう、」
「そういえば五条、甘めの卵焼きが好きって言ってたから、甘い物も作ってみたらどうかな?」
「……なんですかそれ。私より貴方の方が悟さんの事を知ってるって言いたいんですか?」
「……イエ、ベツニ…」

アドバイス程度なら良いかと思ったけれど、それさえも火種だ。もう関わらないようにしておいた方が良さそうだ。
他にも何か言いたそうな彼女の少し不安そうにする顔が気になったけれど……これ以上嫌なことも言われたくないし黙っておこう。



「二人ともごちそーさま!美味しかったです!」
「そうだ灰原、よかったら夜蛾先生にも唐揚げ持ってってくれないかな?食べたそうにしてたからさ」
「いいよ、丁度報告書貰いに行くところだったんだ!」
「ありがと、よろしくね」

タッパに唐揚げを入れて灰原に渡すと、そういえば、と私の眼をじっと見てきた。

「寝不足?クマ出来てるよ、大丈夫?七海も最近名前ちゃん先輩元気ないって心配してたよ」
「……ちょっと眠れなかっただけ、大丈夫。心配かけてごめんね」
「ううん、何か出来ることあったら言って。無理しないでね」
「ありがと、灰原」

じゃあ!と元気よく手を振って灰原はキッチンから出て行った。
ああ、まさか後輩にも心配されるなんて、最低だ。硝子も夜蛾先生も、灰原も七海も、私に優しく接してくれて心配してくれる大事な仲間。だからこそ誰にも迷惑かけないと決めたのに、どんどん悪化している。もう誰にも負担はかけたくないし、分からないようにしなきゃ。

弁当箱に料理を詰め、調理器具を洗って使用したキッチンを片付ける。調理器具だけはリコちゃん側の棚にいれなきゃいけない。
あまり声をかけるのも億劫になるが、意を決して後ろを振り返れば、リコちゃんがこちらを睨むように見ていた。

「?!……あ、えっと、終わったんで、フライパン、直していい…デスカ?」
「……べつに、いいわよ」
「あ、アリガトウゴザイマスー…」

目線に対して勘弁してくれと言いたい気持ちでいっぱいです。
そもそも年下に敬語使うのが歯がゆい。けれど五条家と関りを持つ人に無礼をすれば、また嫌味を言われる。うん、やっぱり最悪オブ災厄だ。
片付け終わってキッチンからでようとするが、彼女は依然と私を睨みつけていた。

「そ、それじゃ、オツカレサマデス…」
「……っ待って」

呼び止めるリコちゃんの方を見ると、なんともいえない顔で泣きそうな声をしながら「…お願いします」と小さな声で私に話しかけた。

「…へ?」
「…どうしても、形が綺麗にならないの。…それに先程の彼が言ったように…少し辛くて。………改善点だけ教えて」

先程の威勢はなんだったのかと言いたくなるほど、プライドをへし折ったように弱々しく彼女は私にお願いする。
まさかそんな事をお願いされるとは思わなくて、呆気に取られていると、また睨みつけるような顔をしてきた。

「…っ何よ、嫌ならいやって言いなさいよ!」
「いえ、まさか。……いいですよ、リコちゃんからそう言ってくれて嬉しいです」
「べ、別に勘違いしないでよ、名字家の事を許したわけじゃないわ!」

恥ずかしそうにするその顔は、先程とは別で可愛くて、思わずにやけてしまうと「笑わないでください!!」と赤面の表情をした。
確かに家系の事に関して嫌悪を持っているのは変わりないだろうが、それでも頼ってくれた事がとても嬉しい。
…少し近寄りがたいけど、でも、とっても可愛い女の子。出来ればこの子と、もっと仲良くなりたいなあ……なんて好きな人の許嫁に思っているのは、私も少し諦めがついたのかな。

殻が入ってしまって諦めていた生卵達も、殻を取り除いてかき混ぜてしまえば問題は無いし、色んな味の卵焼きを作るのも味変出来て楽しいだろう。
簡単に分量と、焼き方、コツを一通り教えれば文句一つ言わずに、すぐに自分の力に変えていた。

「…美味しい…しょっぱすぎないし、こっちも、程よい甘みがある」
「でしょ?あとはネギ入れたりとか、明太子入れたりするのも美味しいよ。これが出来たらオムライスとかもいいかもね」

味見をするリコちゃんは驚いた顔をしながら満足してくれたみたいで、こちらも教えた甲斐があったなと思えた。料理を教えてる時にボソりと「料理なんてしたことがないの。いつも家政婦やお兄様が作ってくれたから」と教えてくれたけど、初心者でこの上達は凄い。
一生懸命頑張って作ったんだ、きっと五条も喜んでくれると思う。
ちなみに敬語を使ってることには、気持ち悪いからやめてくれませんか?と言われたので使わないことにした。
出来た卵焼きをお皿に盛り、リコちゃんが最初に作ってた卵焼きはボツとなり冷蔵庫に入れて後で自分で食べるらしい。
使った調理器具を一緒に片付けていると、布巾でボウルを拭き上げるリコちゃんがポツリと口をこぼした。

「…教えてくれて、ありがとう」
「別に、これくらいいいよ。また私に出来る事なら何でも聞いて」
「でも……何で教えてくれたの?悟さんの許嫁なのに」
「だからだよ。…私ね、リコちゃんと五条の事応援してるよ。五条、恋した事無いって言ってたから、今度は恋してるって思える人に出会って欲しいって思ってたの」
「…それが、貴方の本心なの?」
「へ?」
「想いを諦めるって、あなたには出来たの?」
「…え」

私が五条に気があった事を知ってるような問いかけをしてきたことに、思わず言葉が詰まる。
もしかして、私の気持ちがバレてた……?でも、どうして?
返事をすれば、肯定という意味になりそうで口を紡ぐと、リコちゃんはそうね、と声を漏らした。

「…私達、縛りのある者同士、本心なんて関係ないわよね」

……私達?疑問に思いつつも、他家の事を藪から棒に聞くのも失礼だし、この話を深堀されるのは私も嫌だ。
片付けを終えると、先程の発言が何事も無かったようにリコちゃんは「ありがとう、コレも美味しくいただくわ」と私の作った唐揚げと卵焼きをトレイに乗せて、リコちゃんは台所から出て行った。





縛りの事が頭に残りながらも、お弁当を持って部屋に戻ってテーブルに置いて一人ご飯を食べる。
雨音が響く部屋で食べるご飯は、先程つまんで食べた時よりも美味しく感じなくて、少し残してしまった。
ふと意識を離すと、五条の事ばかり頭が回る。この前、私の部屋に来てくれた事さえ幻の様だ。

…今頃、うまくいってるかな。
この調子でリコちゃんを後押しして、五条がリコちゃんの事を好きになってくれれば……。
二人の幸せを願っているのに、幸せそうな二人の顔を想像すると胸の奥底で嫌だ嫌だと喚く自分がいる。


…そんなヤツ私の中にはいらない。
きらい。きらいだ。

何度も何度も、反抗する私自身に言い聞かせた。