嘘の花







夢を見た。
見たことがない凄く広い屋敷に居る私を、月明かりだけが照らしている。影に飲み込まれそうな中、先に佇む人間に胸の痛みを打ち明けた。

「五条様、私はいつまでも貴方を愛しております」

ああ、ついに告白しちゃう夢なんて見ちゃった。てか、五条様って。なんて思ったのも束の間、視線の先に居たのは五条悟の姿では無かった。
五条によく似ているけれど違う。そして私も、私では無かった。告白だけして走り去った私は忍者のような装束をしていて、ふと持っていた鏡を見れば瞳は今と変わらず、撫子のような淡い瞳から涙が溢れていた。
なぜ、泣いているのか分からない。でも、苦しい。胸がぎゅぅっと締め付けられて、ズキズキする。

夢の中までこんな気持ちになるなんて。
目覚めた時には、瞳から水滴が落ちて枕に染みを作っていた。







夢の内容は朝の準備をしていたらすっかり頭から離れ忘れた。何か大事な夢を見た気がするけど、何だったっけ。

ゴウコンというものに参加した昨日。
非術師との会話はたいそう疲れた。楽しかった時間もあったけど、まず波長が合わなくて自由奔放な非術師にイライラが募る。しかし、せっかく誘ってくれた硝子にも迷惑をかけてはいけないと、無理矢理笑顔を作って優しく接することに徹底した。
それでも疲れてしまった私に硝子が色々気を利かせてくれて早めに帰れたけど、非術師からメアドを教えてほしいと背がまれたのでアドレス交換する事に。
寮に帰るとメールが届いていたが返信する気など湧かず、疲れて寝てしまった。


そして朝になった今でもブーッと鳴る携帯を閉じて机に突っ伏す。
……私にはまだ早かったのかもしれない。
今まで出会ってきた非術師とは違って、呪術というものを軽く理解している人達だったから話しやすかったのはある。けれど自分勝手な行動を見ると内心腹は立つし、ニコニコと無理矢理笑顔を作るのはとても疲れる。

教室には私一人。周りを気にせず、大きくはぁーとため息をついた。もうゴウコンの事は頭から消し去ろう。
任務の関係上、授業を一人で受けるという事は多々ある。今日も多分教室で自習だろうし、昨日テスト勉強していない分、自分でも頑張らなきゃ。
無理矢理やる気を出し、夜蛾先生から自習用にと大量に渡されたプリントに名前を書く為ペンを走らせると、ガラリと教室の扉が開いた。
まさか人が入ってくるなんて――思わず入り口に顔を向けると五条の姿があった。

え、任務じゃないの、今日二人??
気まずい空気を感じながらも、彼の姿をちゃんと見て胸が高まった。心躍る気持ちを落ち着かせて「おはよ」と笑って声をかければ、返事は返ってくる事はなく、入口に一番近い私とは逆の端の席に座った。

……また無視かい。ま、そっちの方がいいけど。

胸が高まった後の無反応は、切り傷を作るように胸が痛い。……痛みなんて感じる事は、私には許されないのに。

気を取り直して再びプリントに目を移し一つずつ問題を解いていく。
五条が教室に居座るって事は多分、夜蛾先生が来るからだろう。来ないのであれば、私が居ることが分かった時点で開けた扉を閉めて教室に入ることなんて無いはずだ。
五条に意識を持っていかないよう、早く夜蛾先生が来て欲しいなと願いつつ、勉強に集中する事に意識を向けた。

あ、これこの前夏油が教えてくれたやつ。
一つずつ問題を解いていくと、硝子と夏油のおかげで正解率が上がってるのが分かる。スラスラとペンを走らせれば、ふと机に置いていた携帯が振動した。
携帯を開いて通知を見ると、メール一件。メールを開けば昨日の相手から。返信はあとあと。
携帯を閉じてペンを再度握れば、また携帯が振動する。開いて相手を確認し、携帯を閉じて机におけば、また振動した。

「うるせーな、バイブきれよ」

はっと顔を上げれば、先ほどまで端の机に突っ伏していた五条が私の机の前に来て文句を吐いた。

「ごめん……切り方分かんなくて」
「はあ?……貸して」

あからさまに不機嫌な彼に携帯を渡せば、彼は隣の席の硝子の先に座って私の携帯をポチポチ操作する。


久しぶりに、話した。

…………バイブの音、そんなに気に障るくらいうるさかったのかな。
申し訳なく思いつつ、彼の顔を横目で見れば相変わらずの仏頂面をして携帯の画面を見ていたが、一瞬ぱちりと目があった。

「顔死んでんぞ」
「うるさい……ちょっと昨日寝るの遅くなっただけだもん」
「お前、テスト近ぇのに誰とメールしてんの。そんなんだから赤点とんだよ」
「別に返信してないよ。昨日硝子がゴウコンっていう会合に連れてってくれたんだけど、非術師の人達からメールが沢山着てさ……非術師ってこんな頻繁にメール送るくらい暇なのかな」
「お前……合コン知らねーで行ったの?」
「え、会合でしょ?非術師の気持ちを理解する交流会だと思ってたんだけど……」

五条にまで驚かれた。違うの?と聞き返せば、別に、と曖昧な返事をする。間違えては、なさそう……?

「んで、パンピーと連絡先交換したのかよ」
「非術師に喧嘩売っちゃうから、克服しようと思って……」
「……メールの内容見せて」
「?いいよ」

特に見られて困るわけではないので、五条に携帯を渡したまま、目線をプリントへ向けた。
会話してくれる事に、今までの不安が消えそうになるけど……やっぱり今までの五条とは少し違っていて、でも…こうやって話せる事が私の胸の痛みを和らげていく。私の心を乱す病みたいな存在なのに、薬みたいな存在でもあるのはなんとも不思議だ。
心の中でふふっと思わずほくそ笑むと、「これ返してんじゃん」と言ったので、顔を上げてケータイに表示されたメールをみた。

「あぁ、その人だけは好印象だったんだよね。顔が七海に似てるんだけど性格が真逆でさ、その時点で面白いのに、話も面白くて、その人とは楽しかったからお礼の返信したの」

そう、あのゴウコンの中で唯一お腹を抱えて笑った15分間。七海に似ててビックリしたけど物凄く陽気な性格で、話がとても面白かった。
15分毎度に行われる席替えのせいで話は途中で終わってしまったけれど、私が出会ってきた非術師に良い人枠に入る程、第一印象は良かった。

ふうん、と冷たく相槌をうつ五条の様子を見て、メールの文章何かおかしかったかな?と少し反応に気になった。

「コイツと、また会うのかよ」
「え?……まあ」

非術師克服する為には良いかなって思ってたし。一人の非術師が、非術師全員と同じ気持ちではないと思うけれど、少しでも苦手な部分を掴んで克服出来れば成長へ繋がる。術師として、足手まといになったり迷惑な存在にならないようにする為に、一歩進まなければならないし、やれる事はやってみたい。

五条が私の携帯を渡すように手を差し伸べてきたので、手を伸ばして受け取ると、そのまま私の腕を掴み、驚いて携帯が床に落ちた。

「五条?」
「お前、七海が好きなわけ?」
「は?!ち…違うけど」
「じゃあ誰だよ」
「誰って、」

腕を掴む手とは別の手でサングラスを外し机に置いた五条は、まっすぐ青く済んだ水のような瞳で私を見つめる。いつだって私の心を掻き乱すのは、五条しか居ない。
言いたい、言えない、言いたい。

それはっ……と場をつなぐような言葉だけが出てきて胸がつっかえ、頬がどんどん熱くなる。破裂しそうで溢れそうなドロドロが喉を通って吐き出しそうになるのを、ごくんと飲み込んだ。
これは終える気持ちなんだから、吐き出しちゃダメ。

「ごっ……五条には関係ないじゃん。それに諦めるって言ったでしょ」
「関係無くねーわ。お前の一番は誰だ、七海か?傑か?何で俺には、なんで」

握られた腕を強く締めつけられる。
何?五条は何を言いたいの?どうして七海と夏油の話が出てくるの?意味の分からない言動に、どう対処していいのか分からない。
私をまっすぐに見つめる瞳は、悲しそうなのに、どこか怒ってるのが分かって思わず口をあけた。

「……五条、どうし、」

不意に強い力で腕を引っ張られ、座っていた椅子は音を立てて転がり、彼に向けた心配の言葉は途切れた。

唇に触れた、知らない感触。視界をいっぱいに広がる青い瞳。背中に回った大きな手。この状況を理解するには、そんなに時間はかからなかった。

「……お前はっ、俺だけ見てりゃいーんだよ」
「んぅっ、んん、」

一度離れた唇は再度塞いできて、口の間からねっとりとした熱いものが口内に入って動き回る。絡まる舌に驚いて、息が出来なくて、声が漏れてしまう。

なんで五条が、私に、キスしてるの?

ドンドンと胸板を押してもびくともしない。
彼には大切な許嫁が居るというのにどうして。
混乱する頭の中、息が出来なくて思わず五条の制服の裾を掴む。引き離すだけなのに、どうしようも、この空間から離れられない自分が居た。


…五条がこのまま、私だけ映していればいいのに。






それが、本心なの?

心の中でぽつんと浮かんできた言葉に、はっとして再度胸板を押せば、ゆっくりと唇は離れ、抱きしめるように背中に回っていた手も解けて、距離をとった。

違う、違うのに。なんであんな気持ちになっちゃったんだ。絶対…絶対ダメなことなのに、祖先と同じような道を辿る事するなんてダメなのに。
五条は私のことを過去と切り離してみてくれていた。なら、この状況がいかにいけない事なのか分かってくれるはず。

上がってしまった息を深呼吸して整え、彼を睨みつけた。

「っ、なんでこんな事するの!……私がっ、祖先の事があって五条とこういう事する関係嫌なの、分かってるでしょ?!」
「分かってねーのはお前の方だろ。お前は、七海でも、傑でも無い、俺のモンだ」
「何言ってんの……?私は……五条のモノになった覚えはない。五条にはリコちゃんが居るでしょ」
「……盗んだ呪具が見つかってもないのに、俺に口答えすんのかよ」
「は……?」

何それ。本当は、今までそう思ってたの……?
あの時も、あの時も……過去の事なんて、気にするなって言ってたのに、あれは嘘だったの?


「はは、……何、五条様、とでも呼べば満足?」


一瞬、夢のように蘇る知らない記憶は、今の私と同じように笑って涙を流していた。
…貴方も、こういう気持ちだったのかな。
泣かないと決めたのに止まらなかった涙の向こう側には、歪な表情をした五条が私を見ていた。

「……お前、早く呪術師やめろ」
「絶対にやめない。私は過去を止める……五条のものになんて、絶対にならない」
「……お前なんて嫌いだよ」
「私だって……五条の事、大っ嫌い」

もう何度ついたか分からない嘘。真実にしようとしても出来なかった嘘。
今度こそはその嘘を本当にさせてよ。