五条だけは、私の事を許してくれていると思っていた。愛人関係だった関係も呪具を盗んだ過去も、名前がやった事じゃないって、そんなに気に止むなよって笑いかけてくれた事が唯一の救いだった。
…なのに、それは間違っていた。
「七海お疲れ、助かったよ」
「そろそろいい加減にしてくれませんか。以前より呪力も動きも成長してるのは分かりますが、あまりにも大雑把すぎます」
「ごめん、次から気をつけるから」
「ハァ……喧嘩でもしてるんですか、五条さんと」
「……何で五条が関わんの」
「貴方がいつもそうやって悩むのは五条さん関連だからですよ。怪我しそうになるまで気にしているのだったら、さっさと仲直りしたらどうですか」
「……」
六月ももう終わりを迎える。
五条とはあの一件から、口も聞いていない。繁忙期だからという事もあるけれど、互いに互いが避けあっている状況。あんな事されて、あんな事言われたら仲直りなんて出来るわけがないし、嫌いと拒絶されてあからさまに私も避けている。
…なんで今まで過去の事気にせずにいけって、嘘ついてたんだろう。もやもや考えていれば、呪霊に危うく腕一本持っていかれそうになったけど、同伴の七海が防いでくれた。
なにやってんだか。
元の関係に私は戻りたいのか?……いや、嫌われたままでいい。五条が私を嫌いでリコちゃんと上手く行くのがベストだと思う。そして私は五条の思い通りになる前に呪具を返して、彼に一切関わらずに今後を生きていくんだ。
それなのに私の祖先に関わりがありそうな、あの沖縄の任務について音沙汰はない。タイムリミットはそこまでやってきていると言うのに……。
高専に戻り報告書を提出し共有スペースへと繋がる廊下を歩いていると、五月に出会った五条家の関係者達が立っていて、こちらをみてクスクスを笑っていた。
またか……。
でももう五条も庇ってはくれない。
……私の居場所、此処じゃいけないのかも。
ふと過去の記憶が蘇り、高専に来る前までの事を思い返す。私を蔑むような眼で見て、腫れ物のように避けて影でクスクスと笑う人間ども。結局呪霊に関わっても、生きるのは窮屈だった。
このままじゃ名字家の問題は解決されず、私だけではなくて仲良くしてくれる硝子や夏油にも二次被害が起きるかもしれない。それなら高専ももう居ない方が、いいのかもしれない。
心を揺らすような気持ちが巡り、逃げるように廊下を渡る。無意識に走ってついたのは、あの秘密の部屋へ続く道。
今日は五条家の関係者も来ていたし、多分五条が此処に来る事はないだろうけど……まだ私はあの部屋に入っていいのだろうか。
迷いながらも角を曲がって部屋の入り口に繋がる地下階段のある廊下へ足をすすめると、リコちゃんがウロウロと周りを見渡していた。
「……リコちゃん?」
声をかけると一瞬、びくりと彼女の肩が上がったが咄嗟にこちらを見た後、助けを求めるような困った顔をした。
「どうしたの…そんな顔して」
「……悟様に、この辺に地下へ通じる部屋があるからそこに居てと言われたけど、分からなくて」
……そっか。部屋の事、リコちゃんに教えたんだ。
硝子も夏油も知らない私に教えてくれた部屋は、もう私と五条だけの部屋では無くなっていた。胸を締め付けられるような痛みが襲うが、耐えて顔をあげ、リコちゃんに話しかける。
「あー…そこの廊下、一部だけ凹みがあるの。そこを開ければ入れるよ」
凹みの場所を指差せば、リコちゃんが凹みを押して地下へと続く扉を開き階段が現れた。
多分、五条は私を庇う為にここを教えてくれたから、リコちゃんにも何かしら問題があってここに避難させようとしてるんだろう。ならば私がここにいる事は出来ない。一旦高専を出て気分転換でもしてこよっかな。
「じゃあ私はこれで」
「待って。貴方も、ここに用があったんじゃないの」
「…別に、そんなんじゃないよ」
「ここ他の部屋とは少し離れているし、人も通らない。こんな場所あったなんて私知らなかったわ」
「そうなんだ。でも、ただちょっと気分転換に歩いてただけだから」
「…そう。でも……もし良かったら一緒にいてくれないかしら」
私の腕を握ったリコちゃんは未だに不安そうな顔をしている。その原因が何かは分からないけれど、せっかく頼ってくれた事にノーとは言えない。ぎゅっと握り返して、微かに震えていた手を繋ぎ地下の部屋まで歩みを進めた。
でも……やっぱり私はリコちゃんと一緒には居られない。
先日のキスをされた事は夢ではなくリコちゃんに対して罪悪感でいっぱいで、黙っておくわけにもいかず、でも言いづらい。
奥の部屋に着くと、もやもやを止めることが出来なくなった私はリコちゃんの手を離した。
「ごめん、やっぱり一緒にいれない……。部屋まで案内したし帰るね」
「さっきから何でそんなに思い詰めてるんですか。私何か貴方にしました?」
表情を察したのか的を得た発言をするリコちゃんに、心の中の罪悪感が溢れ口を開いた。
「違うの……私、リコちゃんに謝らなきゃいけない事があって」
「……何ですか?」
「あの………五条と、キスしたの。でもっ……言い訳じゃないけど、するつもりなんて無かったし色々私も混乱しててよく分かんなくて……とにかくごめんなさい。もう二度とこんな事ならないようにするから」
黙っておく事は、私には出来なかった。祖先の事もあったから尚更というのもあるけれど、五条に好きになってもらおうと頑張るリコちゃんを見ていたから、隠しておくことは逆に悲しませるんじゃないかと思った。叩いても、貶されてもいい。もう、そんな状況にならない為にも、リコちゃんに言っておきたかったのだ。
深々と頭を下げると、私の頭に優しく触れて「頭上げてください」と声をかけた。
「別にいいですよ。許嫁の立ち位置が変わるわけでもないですし、この界隈に愛人が居る事はなんら不思議ではないですから」
「……っでも、リコちゃんは五条のこと好きなんでしょ?他の女の人と一緒に居るなんて、辛くないの!?」
「じゃあ何で貴方は諦めようとするの?悟様の事が好きなのに…何で辛くないの?教えてよ、ねえ」
「……リコ、ちゃん……?」
肩を押して目を見つめながら必死に問いかけるリコちゃんに圧倒されて言葉に詰まる。
リコちゃんが何を考えて私に問いかけてるのか分からない。いつの間に私の気持ちを知っていたなんて知らなかったし……五条の事を諦めるなっていってるの?
諦める事が……辛くないわけ、ない。でも、それでも。
「……私達に自由はないから、敷かれたレールを歩くしかない」
リコちゃんは、私が心の奥底を閉じ込めるために貼った言葉を発した。
そう、好きな人の幸せの為に私は勝手に作られたレールに沿って歩くしかない。でも何でリコちゃんが……?
はっとしてリコちゃんの方を見れば、悲しそうな顔をして私を見ていた。
「名字さんは、私が逃げたいって言ったら助けてくれますか?」
「それって……どういう……」
「何やってんの」
どういうこと?と聞きたかった声は、奥から聞き慣れた声にかき消された。
まずい……五条には会いたくなかったのに。
ここに居る理由をなんと言い訳しても、今の彼は信じてはくれないだろう。
五条が来たのであればリコちゃんも大丈夫だろう。無言で俯きながら横を通り過ぎようとすれば腕を掴まれた。
「何でお前がここにいるんだよ」
「ここにきていいって言ったのは五条でしょ……でももう来ないから安心して」
「またお前逃げてんのかよ、いい加減にしろよ。コイツなんか一人でコッチで頑張ってんのに」
「…だから、何なの」
「お前知らねーだろうけど、コイツ乙山家の当主の愛人が連れてきた子供なんだと」
「悟様、それ以上は…!」
「いいだろ言っても。俺じゃなくて色んな人に頼れっつうの。コイツは愛人って存在を蔑む眼から乗り越えてきてんのに、名前は人が居ない所に逃げ回って?そんなんだから強くなんねーんだよ」
…なんで、そんな事言うの。
心の中で、ぽつりと出てきた言葉を伝えれば、五条にとっては身勝手に思うだろうか。
リコちゃんの人生でそんな事があったなんて、知らなかった。けれど、そんな蔑む眼を向けられたとしても、リコちゃんには五条が居るじゃん。乙山さんも、あの弟君も、リコちゃんの事を大切に思っている。私だって、リコちゃんが辛い思いをしているなら、助けてあげたい。
…でも、五条は私を助けてはくれない。
逃げるなと言われて否定出来ずに口を閉じるが、胸が締め付けられて今にも口から色んな物が出てきそうだ。ちくちく痛むこの呪いのような気持ちの片付け方を私は分からないけれど、私は我慢できる。
「…私は、弱くないもん」
一人で生きていける。決めた道を諦めたりはしない。そう五条にも分かって欲しい。
強く、五条に対して目を向ければ、一瞬驚いたような顔をしたが、馬鹿にするように笑った。
「んじゃあ名前とコイツ、どっちが強いか勝負しろよ」
「え?」
「勝ったら、お前が強いって認めてやる」
そう笑って言う彼の言葉に「でもっ悟様……」と、納得いかないのかリコちゃんは不安そうな顔をしていた。そりゃあ勝手に対戦決められたら困っちゃうよね。
……でも、お願い。私のために、戦って欲しい。
「リコちゃんお願い、私と戦って。……私が負けたらリコちゃんのお願い、聞いてあげる」
そう伝えると、その言葉に強く意志のある目をリコちゃんは向けてきた。彼女が何を抱えているのか分からない事だらけだけど、私と近い何かがあるんだろう。であれば、この戦いが願いを叶えるチャンスだって分かるはずだ。
「……わかりました」
でも、私も負けてられない。
「本当にやるのかい?」
「女にも二言はないよ。大丈夫、夏油も私が強くなったの分かるでしょ?」
「それは…そうだけど」
困った顔をする夏油に笑ってみせ、広場の木陰で軽く体操をし、身体を柔軟に伸ばす。
審判をお願いする為に二人に対戦すると経緯を話せば、夏油と硝子は私に対してやめなよ。と止めてきたが、やめる気は更々無い私達の様子を見て困ったように溜息を吐いていた。
毎度反抗してごめんね二人とも。でも、これだけは負けられないの。五条に強くなったんだって、一人で大丈夫なんだってところ見せてあげないとまた揶揄われてしまうし、私は一生五条家から嫌味を言われて呪術界に居るのも居づらくなると思う。
非術師の居る世界より、こっちの方が生きる場所として合っているから、それだけは守りたい。
「だとしても、呪具を使わなくても」
「これは練習ではありませんから。本気が伝わらないといけないでしょう?」
「そういうこと!」
夏油の言葉に反論するリコちゃんに同意した。これは真剣勝負、負けられない。
チラッと木陰でこちらの様子を見る五条を見ると、目が合っては睨むように鋭い目つきをこちらに向けてきた。
…あんたのその面が歪む程の力、見せつけてやるんだから。
愛用している短剣を持ち、リコちゃんはいつも使っているらしい刀を構えた。風の音だけが聞こえるグラウンドに、ピリッとした空気感が張り詰めて肌にビリビリと伝わる。視線をリコちゃんに向けて構えて合図を待つ。……先手は、とらないと。
ぐっと短剣を持つ手に力をいれ夏油のはじめ、というスタートの合図に、リコちゃんの身体は消えた。
瞬足、目に見えないスピードで蹴りが身体に入るのを一瞬のスピードで呪力のバリアを張り、短剣の峰で衝撃を抑える。
早い。流石、天与呪縛での身体の強化。さっきの一発で刀が振っていたら危なかっただろう。様子をみつつ、隙がないか探りながら短剣で攻撃を塞いでいく。
彼女の素早い足がどっしりと地面につき、刀の刃が降ってきたのを同じく刃で防ぎつつ、足に蹴りを横から入れて倒れさせ、上から馬乗りになった。
――これで終わりに…!
倒れ込んだリコちゃんから刀を奪い取ろうと刀で弾こうとするが、両手を上に掲げてそのまま身体を起き上がってくるので、離れて距離をとった。
流石、一級。身体能力も長けているが、刀の使い方、入れる素早さも異常で実力が窺える。互いに擦り傷をつける事は出来るが、大きな一手を下す事が、防がれて中々うまくいかない。
術式を唱えるのもアリだけど、今の私の強さが未だに分からない。五条は私に対して前に準一級の強さがあると言っていたし、準一級のレベルがあれば一分は確実に止められるはず。
…けれど、五条が嘘をついていた事を知った今の私には、それが嘘なのか本当なのかも分からなかった。
それなら下手な事をして失敗するよりはやれる事を追求して責めた方がいい。
一発チャレンジ、と動く速度を早めてリコちゃんへ詰め寄り攻撃を与えようとした瞬間、リコちゃんの身体が大きくのけぞって顔を強張らせた。
――これは攻撃じゃない。
攻撃を振りかざそうとした手が、瞬時に察知した。苦しそうにする表情を浮かべる様子をみて、これはリコちゃん自身の容態の変化だと気づいた。
そういえば…前にリコちゃんは自身の術式について、元々身体を強化しているせいで寿命が削れていくと説明していた。ならば寿命を削る事で身体に負担がかかるのはあり得る事。それに何故気づかずに私は闘いを申し込んだんだろう。…私の馬鹿。
兎に角、このままでは私の呪具がリコちゃんに当たってしまう……!
零コンマの世界で頭を巡らせ、振りかざそうとしていた腕を思い切り逆方向へ向けて短剣を離し、リコちゃんを支えようと両手を広げると、お腹の当たりに鋭い衝撃が入った。
そのまま身体は地面へと崩れて背中に強い衝撃が走りつつも、視界に入ったのはリコちゃんを支えている五条の姿だった。
「おい!!」
だらんと身体に力が入らなくなっているリコちゃんを揺すって大きな声を上げる五条の声が、籠ったように聴こえてきた。
良かった……五条がリコちゃんを支えてくれて、短剣が当たらなくて本当に良かった。でも早くリコちゃんの容態を見ないと。二人を見ていると、次は夏油と硝子が私の顔を見て心配そうな顔をして見てきた。
「名前大丈夫?!」
「名前!!」
…あれ、二人ともなんでそんな顔してんの。いまそんな場合じゃないよ?
「硝子!!」
心配そうにする五条の顔が視界に映る。リコちゃんの様子がおかしいから、早く見てあげないと。それでも硝子が焦った顔で私を見たり五条を見たりしていた。
ほら硝子……あれ?
硝子が私に向かって必死に何か言ってるけど、あれ…………なんか、徐々に耳がこもって何ていってるか分かんなくなってきた。なんで、こんな事になってるんだろう。とにかく起き上がろうとしても、力が上手く入らなくて、起き上がれない。
上半身を少し持ち上げてふと自分のお腹のあたりを見れば、長い刀が突き刺さっていた。
あぁ、そりゃあお腹、力はいんないや。
私も、やばいかもなあ。
でも、リコちゃんよりは大丈夫でしょ。だって五条はリコちゃんを選んだんだから………だから、私、もう、要らないよね。
もう……呪力なんていらない、呪術師なんてもうどうでもいい。
――何も考えたくない。
「出てって」
「硝子、やめな」
治療を終えた硝子は、入り口に立っている五条の胸ぐらを掴んで引っ張ると、夏油はすかさず止めに入った。
あれから五条が必死に硝子を呼ぶので、リコを先に診れば身体には問題はなく自身にかかった呪縛のせいで身体にセーブが入ったようだった。
それよりも問題なのは名前の方だ。下腹部に刺さった刀は貫通間際ではあったが、呪術師は自身の呪力で然程の防御は出来て致命傷にはならないはずなのに、倒れた名前には感じとれなかった。
その状況を目にした硝子は、名前が自ら呪力を解いたのだと察し、滅多に出ない冷や汗が止まる事がなく手が震える。ドクドク流れる血に普段なら焦らないはずの心臓が鼓動を早め、損傷している臓器等を反転術式で治癒を施した。
無事に安静状態まで持ってくる事は出来たが、下腹部に刺さった傷跡は、反転術式を施すまでに時間がかかったせいなのか、残ってしまっていた。
出来れば女には…名前には、これ以上傷を作って無理をしてほしく無いと思っていた硝子は、悔しい気持ちになる中、一つだけ憤る感情が爆発する。
「五条が名前に刀を刺さなけば、こんな事になる事は無かった。傷痕も残る可能性は低かった。なのに……アンタ何考えてんの?」
名前に刺さった刀は、五条が刺したものだった。
リコが倒れたのは一瞬の出来事で、夏油も硝子も何が何だか分からなかった。しかし見えたのは名前が短剣を逆方向に投げたと同時に、リコを庇うように五条が名前を刺した場面。
名前も許嫁の事は嫌ってはいないようだったし、逆に支えようとしていた所を硝子は知っていた。周りから見ても、あの時瞬時に彼女は攻撃をどうにか当たらないように短剣を手放したと分かっていたはずなのに。
…なのに、五条は名前を信じてあげなかった。
「…別に、どうでもいいだろ」
「良くない、刺さった場所も悪すぎる。……もしかしたら名前が子供産めない身体になってたかもしれないのに」
「アイツ結婚願望無いって言ってたし大丈夫だろ。子供にも好かれねーしよ」
「何それ、流石に虫唾が走る。…名前の気持ち尊重してアンタの事信じてたけど、私が馬鹿だったよ」
舌打ちをした硝子は、タバコ吸ってくると一言言葉を吐いて出ていった。
医務室のベッドには、リコと名前が静かに寝ていて、リコが眠っているベッドの近くににあるイスに五条は座って項垂れる。
夏油は、名前側のベッド近くの椅子に腰掛けて、点滴がぽつりぽつりと落ちる所を眺めた。
「悟……私も今回はやりすぎなんじゃないかなと思うよ。許嫁を守りたかったとはいえ、名前にあんな事するのは間違ってる。なんで無下限を使わなかったんだ?」
疑問に思っていた事を夏油はぶつけたが、五条から返事は返ってくる事はない。
「硝子も言ってたけど、君が今まで名前の事を掻き乱してきたのは自分でも分かっているだろう?あまりにも自分勝手すぎるんじゃないかい。……それでも名前は悟を嫌ってなんかいないし、信用していると思うよ。名前に居場所が出来たのは悟のおかげでもあるんだ、そろそろ仲直りしたらどうだい」
シン、と張り詰めた空気の中に夏油の声が一層冷たく聞こえる。
しかし彼は俯いたまま「勝手にしろ」と言い放って椅子から立ち上がり、医務室から出て行った。