さよならの花





……苦しい。
息が詰まるような、胸の痛みを感じて目を開ければ薄暗い洞窟の中にいた。小さい頃に行ったことがある鍾乳洞みたいな場所だな…。
先程まで縛られていた水の縄のような呪力は消え去り、身体を起き上がらせる。体は自由に動かせるけれど、自分の胸元から依然と黒いドロドロとしたものが溢れ出てきていた。
本当に、これが私の呪力なの……?
今まで使ってた呪力とは別物の色をしていて、素直に納得が出来なかった。こんな呪力が私の中にあったなんて。……でも、これは本当の呪いのような力。人を恋し、うまくいかない歯痒さと自分の立場だから叶えられない恋の存在の証。恋焦がれるあの人の側にいる私以外の女の存在に嫉妬し、憎しみ、悲しみ、絶望。非術師に対して文句を言ってた事が自分に返ってきたようだ。
そして、何よりずっと秘密にしていた私の気持ちを呪霊によって五条に打ち明けられてしまった。

水神に攫われる間際に見た彼の表情がすごく記憶に残っている。
何言ってんのか分かんないって顔してたなあ、五条。そうだよね…。
本当は、諦めたくても出来なくて、ずっと片想いでいいから彼に恋をしていたかった。だけどそれももう知られてしまったら、最後は諦めるしかない。結局私が選んだ道は間違ってなかった、呪具を返して五条とさよならをする。ならばそれも終わらせなければならない。

立ち上がり、呪具を握りしめた。
…今私がやらなければならないのは、この呪霊から呪具の場所を聞き出して呪霊を祓うこと。
目の先に映り込む水溜りからぷくぷくと水が溢れ出し、形を成していくと…呪霊――水神は姿を表した。

「どうだ?自身の呪力を見た感想は」
「反吐が出るほど最悪だよ」

答える私の言葉に、クケッと変な笑い声を出しながら「愉快愉快」とニヒルな笑みを浮かべた。正直、自分が掲げた目標だけを意識して感じないようにしていたけれど、ひしひしと伝わる呪霊の力…これは確実に一級以上だ。
言葉が通じる呪霊なんて時々出会った事はあったけれど、言葉を交わしたことのある呪霊ははじめて。多分、水神は人間への知識があり、深く人間と関わってきたということだろう。
……だから、五条にも私の気持ちを告げた。

「…まったく、人が終わらせようとしてた気持ちバラすなんて。こんなに最悪な呪霊に出会ったのは初めてだなあ」
「終わらせようとしていた?何を馬鹿げた事言うておる、終わらせ無かったからこれ程の呪力が蓄積されたのではないか。お前の祖先の呪力よりも見事な呪力だ、褒めてやろう」
「結構だっての。……それよりも呪具の場所教えてくれない?」
「良かろう、ただしわちに勝てたらな」
「上等」

立ち上がり、呪具の短剣を構える。
意識を一点に集中し、水神目掛けて短剣を振り込めば水のベールを纏われ、攻撃は水を切るだけでこれといった弱点を見つける事ができない。…それでも、どこかに弱点はあるはずだ。

狙いを定めて刀を振るえば、水を切って飛沫があがる。妖艶な笑みを浮かべる水神が軽く手を振れば、水神の操る水が氷のように固まって刀となり振りかざし、腕に一筋の切り傷を入れてきた。
こんな傷、何とでもない。そう思うが、浅い傷とはいえ、痛みが神経を尖らせ動きが一瞬鈍くなる。
下がって体制を整え、氷のような刀を防ぎつつ水神目掛けて攻撃を入れた。

攻撃を与えていけばいつか相手にも限界がくるはず。…私が先か、相手が先か。しかし今の状態では無駄に小さな攻撃を与えているだけ。……もっと、もっと呪力の籠った攻撃をしないと。


もう負けない、もう逃げない。

この真っ黒な呪力を…私の全部を、ぶつけてもコイツを倒して先へ進むんだ。
ピキッと音がした感じがし、神経が身体を自由度が上がる。ふわり呪力が体を纏い、全身の感覚が今までに感じたことのないような糸をピンと張った集中力を感じ、無意識に振り上げた刀には、黒い火花のような呪力が纏っていた。














 




「ったくなんなんだよ!この屋敷は!!」

名前が封じ込められていた_所謂儀式に使われていた部屋から出た五条は、元々今年の生け贄として選ばれるはずだったという女の後ろをついて行く。
白装飾を纏いかけ足で前を走る女の髪は濡れており、足も裸足で、体力が衰退しているからか走る速度はどうしても遅い。謎が深まる事や、たくさんの障害があり中々任務が進まない事にも五条の中でイライラが募っていく。さらに神社の屋敷の構造が、自身の通う高専と同じくらい歪で仕掛けがあり、中々目的地に着かない事に怒りが湧いているのだ。

「生け贄になるのは霊が見えて、かつ恋人を持ってる人間が多いんですっ」

前を走る女は、理解しているかのように扉が六つ並ぶ部屋の右から三番目の扉を開けて洞窟のような道を進み、五条は後を歩みながら女の話を聞く。

「だからっ、恋人が連れ戻しに来る可能性があるのでっこうやって迷路のように屋敷が作られているんです」
「はあ?!アイツ恋人いたのかよ?!」
「恋人はおらずとも恋心はあったはずですよ!水神様が仰ってたじゃないですか、あなたへの恋心があったって。水神は昔、恋焦がれた男が居たそうですが、ある日霊媒師の女が水神を封印したせいで上手くいかなかったらしいんです。だから恋をした女性が憎くて生け贄とされているんです!」

高専が得られなかった真実を知った五条は、謎が一つ解けたが、それよりも納得出来ない真実の方がずっと心に引っかかっていた。

「……つーか、名前が俺に恋心持ってるってどーいう事だよ」
「……?どういう事も、そのままの意味ですよ。彼女はあなたの事が好きなんじゃないんですか」
「んなワケ……」

五条は何かを思い詰めるように言葉を途切らせ、立ち止まる。前を走っていた女は、途中後ろをついてきていた五条の足音が聞こえなくなった事に気づき後ろを振り返ると、五条の元まで戻ってきて彼の手を握った。

「彼女を助けたくないんですか?!貴方達に水神様を倒せる力があるとしても、私には水神様が負けるとは思えませんっ……」

ぎゅっと握られた力と必死そうな声に、はっと意識を戻した五条は女の顔を見れば、涙を流して訴える姿に名前の面影が浮かんだ。

「でも、貴方達が勝つのを信じてる。お願いです、私を助けてくれたあの人を救ってください」
「あんな呪霊、負かすに決まってんだろ……アイツを、名前を助ける。最強の俺に出来ねーことなんてねーよ」

先程まで弱々しい言葉を吐いていた彼の声から自信に満ちた声が聞こえ、女は顔を上げると五条の顔から不安な雰囲気は消えていた。

「……それに、名前には聞きてえ事あるし」

五条の言葉を聞いて女は涙を拭い、先へと足を進める。今度はちゃんと後ろからついてくる彼の足音が聞こえた。

「急ぎましょう。水神様の祠はもうすぐそこです」











黒い花火のようなものは水神の身体を真っ二つにし、今までに無かったような高揚に呪力がハイになった感じがした。

なんだこれ。
自身の行動に意識は追いつかずとも、一手大きな攻撃を当てた感覚があった。やれる、と次の一手を振り上げたが、先程と同じように黒い花火のような攻撃は当たらず、手首足首を掴まれ壁に打ち付けられてしまった。

「……っ」
「懐かしいのう……昔を思い出す。……しかしあの一撃だけか?分かっているだろう、もうわしに勝てるはずがないと」
「そんなのやってみなきゃ分かんないでしょ」
「何年経っても往生際が悪いのう。それにわしは別にお前を殺そうとは思っておらん」

そう言いながらも手首や足首を水で作られた輪が締め付ける。一見見た目はただの輪だが、しめ縄のように跡が残り、顔を歪ませれば、次は首元を締めてきた。

「ぐ……あ、ぁっ……!」
「クケケ、お前も死にたくはなかろう?」

ヒュッと締め付けられた喉から必死に息をする音がし、苦しくて開かない瞳の間から涙が落ちる。
……殺さないって言っておきながらぎりぎりまで痛めつけるつもりなのか、それとも本当に殺す気なのか。呪霊の考えてる事は理解出来ない。
満面の笑みを浮かべる水神は私の苦しそうな顔を見て満足したのか、締め付けていた水の輪を解除すると再びクケケッと変な笑い方をする。
どんな笑い方だよって言いたいが、私は壁に背中を預けて息をするので精一杯の状況だ。

「安心しろ、わしの目的はお主と一緒じゃ」
「……どういう事、?」
「お前の探しておる呪具は此処にはない。昔わしがおった場所に呪具はあるからな」
「…その場所は何処なの」
「さぁのぉ、覚えておらん。ただ行けば分かる。その為には此処から出る身体が必要なのじゃよ」

水神はこちらに歩み寄り、私の輪郭をなぞる。水の冷たさが頬を伝って感じ、水神は何とも満足そうな微笑みを向けてきた。

「此処から出るにはそれ相応の呪力の持ち主が必要じゃ。しかし今のわしの呪力ではこの場所に閉じ込められていた呪いを解く事は出来ん。わしに相当する呪力の持ち主が必要なのじゃよ、分かるか?」

それが、私って事なのだろう。言わずとも理解している私の目を見て、不気味な笑い声が洞窟の中に響き渡った。

「…貴方の手に呪具を渡すくらいならここで私が仕留める」
「そんな呪力はもやは残っておらぬだろう?……それにわしは呪具が欲しいのではない、あの場所に戻りたいだけじゃ」
「嘘言わないで。絶対に悪さをするに決まってる」
「嘘では無い。自身の呪力では、外の世界ではもう生きては行けぬ事くらい理解しておる。……せめて生まれた場所で死にたいだけじゃ」
「そんなこと信じるわけないでしょ」

ここから抜け出す嘘、だと分かっているのに、瞳には水神が生まれたであろう場所がフラッシュバックのように映し出される。
美しい海に佇む人魚の姿をした女は、浜辺で抱きしめ合う男女を愛おしそうに見つめている。
美しいけれど、この海はここの海では無い事が何となく理解出来たし、見つめている人魚がこの水神だという事も、なんとなく分かった。
そして、この抱き合ってる男女……見たことがある。



「……もしかして貴方、五条家の祖先のことが好きだったの?」

その言葉に先程まで笑っていた顔は一変無表情になり、鋭い目つきでこちらを見つめ、首元を締め付け壁に打ち付けられた。

「ぐぁっ……」
「その目か、厄介じゃのう。……そうじゃ惚れていた。しかも術師の男にな。奴はわしを祓おうとしておった……憎かった。お前の祖先と仲睦まじくしておった事も。だから全部ぐちゃぐちゃにしてやったのじゃ」
「ぐちゃぐちゃ…?」
「呪具を盗んだのはわしじゃ。わしがお前の祖先に取り憑いて関係を壊したのだ。まあその後まだ抵抗する気力があったとは知らずに、次はわしが封印されたがの。……その後数年でソイツも亡くなったわ」


次々と明かされていく真実。待って……でも、私の祖先が盗んだ時、意識はちゃんとあったはず。
……って事は、わざと取り憑かれたフリをしていた?
……何故?分からない。
分からないけど、結局呪霊のせいにも出来ず、呪具も結局見つからなかった。
呪具を見つけるには、もうこの呪霊の言う通りにするしか無いのか。

「……もし私の身体を乗っ取れなかったらどうするの?」
「わしの負けじゃ。だが、わしの呪力が減ったとしても乗っ取るだけの力は残っておる、馬鹿にするでないぞ」

自信気にいう雰囲気からして、負ける気はないんだろう。……頭の悪い私が今思い浮かぶ案は一つしか無かった。

「……私の身体を乗っ取ってもいい。でも呪具が見つかるまでは人に危害を加えない事。……この約束をしてくれたら、受け入れてもいいよ」

正直、弱っているとはいえ底の無い呪力が感じられる水神を倒せるのは、私には多分無理だ。今でさえ五体満足でいられているのが不思議なくらい。それは自身の力で防げているって言うのもあるけれど、これを繰り返していけば私の方が先に尽きる。…諦めたくないけど、この選択肢が一番良い気がする。

「縛りか。よかろう、呪具が見つかるまでは手出しはせんが、その後はわしの自由にさせてもらうぞ」
「呪具がある場所があなたが帰りたかった場所でしょ?そのまま消えるつもりじゃなかったの?」
「その時はその時じゃ」

……信用できないのは百も承知。
しかし私の一番の願いは、五条家に呪具を返す事。……硝子と三好谷さんとの約束、破っちゃうの事になるかもなあ。そうなったら、どうなっちゃうんだろう。
……でも、私にどんな罰が降り注いでもいい。これで名字家の過去が終われれば、どうなっても。

「……分かった」

私は、水神と縛りを作る。
了承の言葉を聞いた水神は笑うと、心臓の部分から小さな宝石のようなカケラをだした。

「これを飲み込めば契約成立じゃ。わしが受肉するかどうかはお主次第。呪力勝負と行こうではないか」

……これを飲めば、私が居なくなるんだろうな。
もう、終わりなんだなあ。
理子ちゃんも、天元様と同化するってなった時はこんな気持ちだったんだろうか。



「名前!!」


小さな宝石は手のひらで水となって溶け、それを見つめていれば、聞き慣れた声が聞こえた。

「……五条」

必死な顔をした彼はこちらへと走ってきたが、透明な壁によって弾き飛ばされていた。

「結界を張っておるから入れんぞ。坊主の力では簡単に解けるじゃろうが、同時に後ろの女とこの女を殺す」

水神の後ろの女、という言葉に反応して五条の後ろを見れば白装飾の女の子の姿が見えた。あの時の生け贄の部屋に閉じ込められてた女の子……無事でよかった。
水神の言葉に苦虫を噛んだような顔をする五条を見て、少し彼に近寄って声をかける。
……もう最後なんだし、別れの言葉くらいいいよね。


「名前、」
「ねえ五条。私ね、五条の事がずっと好きだったんだ」

ずっと伝えたかった言葉。言いたくても言えなかった事をようやく言えた。
肝心な彼の顔をみれば、驚いた顔をして固まっていた。……はは、おもしろいなあ。

「好きだった、って言うか今も好き。大好き。……気づかなかったでしょ?今まで騙されてやんの、ばーか」
「……んな事、今言ってる場合じゃねーだろ」
「私ね、ずっと寂しかったの。でも五条が私を助けてくれたおかげで、仲間に出会えて、強くなれて…人生で一番幸せだった。五条が居たから生きて来れた。……でも、この世界を知った私は五条の幸せを考えると、私だからこその生き方を全うしようと思うの」
「何……言ってんだ」

怒りを含んだような声でこちらに問いかける。
……勝手な事、してゴメン。

「あのね、呪霊と縛り結んだの。私にはこれしか呪具を返す事も呪霊を祓う方法も浮かばなかった。水神に私の身体を貸す代わりに、呪具の場所まで案内させる。でもその後までは無理だった……だから、もしその後に水神が私の身体を操って悪さしたら、私を殺して」

名字家を嫌っていた五条家だからこそ、そして好きだから彼に頼める事。私の物語はここで終わってしまうけれど、本当の最後は彼が終わらせてほしい。

「結局全部最後は五条に任せる事になってごめんね」
「意味わかんねーよ……おい、名前!!」

そうやって私のこと、必死になってくれて心残りはもう無いよ。


「ありがと五条、好きだよ」

終わりを告げるように、両手で掬った宝石の涙を飲み込んだ。