少女Bの花





あれから十四郎との特訓が始まった。
朝のトレーニングも夕方の練習にも、十四郎を付き合わさせた。朝が弱いらしいけれど、叩き起こせば不機嫌な顔をしながらも朝の走り込みに参加したし、体力には自身があるみたい。
夕方は術式と呪力の使い方の練習。乙山家は式神使いの家系であり、十四郎も式神使い。呪文を書いて自身の血液や髪などを代償に捧げると式神が現れる。どんな式神が現れるかは人それぞれ違うらしく、十三郎は犬、十四郎は鬼。ちなみに当主は蠱毒の式神だと十四郎は言う。
十四郎が「お父上は蠱毒の毒で女の人を操ってるんだ」って言ってたけど……確かにあり得なくはなさそう。

鬼の式神を出す十四郎だが、現段階で現れるのは小鬼サイズ。しかも丸みをおびてとても可愛い小鬼の式神だ。この前出会った呪霊さえ倒せそうにないレベルの式神に頭を抱えた。
…元々まだ子供だから呪力の使い方や量がコントロール出来ないのは仕方ないんだけれど……どうにか四級程度を倒せるくらいに強くなる手助けをしてあげたい。
走り込み、小さな体相手に武術の練習を加えて、まだ数日ではあるけれど彼の動きに少しずつ変化が見える。子供のスキルの飲み込みってすごいなあ。

陽が暮れれば私は舞踊のお稽古なのだけれど、ここ最近は「僕も舞踊する」と言ってついてくる。相変わらず態度は生意気なのに、ひょこひょこ後ろを着いてくる姿は徐々に愛らしく見えてきた。
素直じゃないけれど前に進む事に対して一生懸命で、競い合い、一緒に居て楽しい。いつしか十三郎さんよりも十四郎と一緒の時間の方が長くなっていった。

「名前って舞踊下手くそだよね」
「うるさいなー。十四郎だって手足同じで出てたじゃん」
「ばかばか名前のあほ」
「そのすぐに人貶すのやめなっての」

帰り道の途中にあるコンビニで買ったアイスを片手に二人で家に戻ってくれば、門の前に十三郎さんが仁王立ちで立っていた。うげえ……怒ってるじゃん。

「遅い、十四郎も何故着いていってるんだ」
「舞踊の稽古で遅くなったんです。いいでしょ、十四郎も舞踊気になるみたいですし、何かを習うって悪い事じゃないですか」

門限なんて聞いた事ないけど、怒られたので反論した。不機嫌そうな十三郎さんに対して同じように十四郎も不機嫌そうな顔をし、無視を決め込み黙っている。あの一件以降、この兄弟は互いが互いに反抗的な表情をしている。
はぁ、とため息をついた十三郎さんは、こちらをみて口を開いた。

「リコが帰ってきた。二人に会いたいそうだ、着いてきなさい」

そういえば帰ってくるって歌姫さんが言ってたっけ。
十三郎さんの言葉を聞いた十四郎は、案内なんて無視し駆け足で家の中へと入って行く。そんな中、変わらない表情をしている十三郎さん……あなたはずっと変わらないんだね。

「十三郎さん、リコちゃんに伝えてあげてください本当の事」
「……意味の分からない事を言わないでください」
「逃げないでください……私も逃げないですから」

私の言葉を聞いて、じっと見つめては家の中へと入っていく。この前の発言から何かしら想いを抱えているのは明白だ。それでも彼はその想いを秘め続けるらしい。
……想いを伝えないまま進むのは苦しい。押し付けだけれど苦しいまま先に進んで欲しくないんだ。



廊下を進み、十三郎さんが居間の扉を開けるとそこには久しぶりに見たリコちゃんが居て、私の顔を見てはほっとしたような安堵の表情を見せる。
私達より先に向かってた十四郎はリコちゃんへ抱きついて満面の笑みを浮かべていた。
そしてリコちゃんは十四郎へ目線を合わせるようにしゃがみ、目線を合わせて「久しぶり」と再度抱きしめた。

「……久しぶり」
「お久しぶりです」

十四郎を抱きしめているリコちゃんへ声をかければ、こちらへ目線を上げて応えてくれた。
……ああ、やっぱりこんな素敵な子に叶うわけがない。私が五条だったとしても惚れちゃうと思う。

「あの、名前さん……お話があります」
「私も、リコちゃんに伝えたい事あったんだ」

偶然、なのか。
多分、今後一切五条への気持ちに諦めてくださいとか、そういうのじゃないだろうか。それならば、おせっかいかもしれないけれど十三郎さんの気持ちを聞いてほしい。そして私が五条を好きだったと隠していた事、五条から返事を貰うために会って聞きたいこと。
どうにか十三郎さんも、と言おうとした時リコちゃんが口を開いた。

「兄さまも、よろしいですか」
「……あぁ」

十三郎さんは重い口を開き、頷いた。


**







寝支度を済ませて待合室へと向かえば明かりがぽつんと灯っており、二人が先に来ていた。話合っている二人は遠くから見ると、私には見せない柔らかい表情をしており仲の良さが理解できる。
私に気づいた十三郎さんはいつもの表情に戻り「早く座ってください」と声をかけ、リコちゃんは十三郎さんの横を掌で差し、座ってくださいと私に声をかけた。
気持ちを伝えなきゃと、意味の分からない気合いをいれるのに結構時間かかってしまった。待たせてしまって申し訳なくお辞儀をしながら十三郎の横の椅子へと座ることに。

「お待たせしてごめんなさい」
「いえ、話があると伝えたのは私なので。二人には早く謝らなきゃって思ってたから……」

謝らなきゃいけないこと?
……別にリコちゃんから謝らなきゃいけないようなことはされていない。寧ろ勝手に嫉妬してしまっていた事を謝りたいくらいだ。

「実は私……お父様に迫られて自分の意思も関係なく口が動いて言ってしまっていたんです」
「意思もなくってどういう事?」
「まさか、術式か?」
「……はい、父の術式にかかっていたみたいなんです」

意思もなくなんてあり得るのかと疑問を問えば、十三郎さんが口を開く。そして十三郎さんの問いに、リコちゃんは頷いて答えた。
当主の術式って……十四郎が言ってた通り、毒で人を操っていたってこと…?

「意識のない内に名前さんが悟様に好意があると…告白までしたと、根拠のない嘘を言ってしまい、その事を父と上層部の前で話したみたいなんです。兄様と名前さんを巻き込んでしまってごめんなさい…」
「…そうだったんだ」

……あの噂、流したのは五条じゃなかったんだ。
それを聞いて何故だか少しホッとしてしまっている自分がいる。五条を疑うような失礼な事思ってしまっていたのに最低だ……。

「でも根拠のない嘘じゃないんだ。…私、水神を取り込む時に死んじゃうかもしれないって、自我が無くなるんじゃと思って告白しちゃったんだよね」

だからリコちゃんが謝る事ではない。寧ろ、乙山家にお世話になってしまった私の方が謝らなきゃいけない。

「だから、私こそごめんね」
「……違うんです、元々この婚姻も私は乗り気じゃなかった」
「え?」

必死に訴えようとするリコちゃんの口から衝撃の言葉が出てきた。
乗り気じゃなかった?てことは、五条の事が好きで、結婚したいって思って無かったって事?あり得なくはない、接していく内に好きになっていく事だってある。でも、話を聞く限り違う感じがする。

「……名前さん、私が勝ったらお願い事聞いてくれるって約束、覚えてますか?」
「ああ、うん……」

そういえば結局リコちゃんと戦った試合の結果はリコちゃんの勝ちって事で終わったと、治療を受けていた時に硝子から聞いた。最後に私がお腹に刺した刀を受け入れ、呪力を手放し呪力切れとなったのでその判断で負けということらしい。あれからリコちゃんと会う機会が無くて結局約束だけしていた状態で終わっていた。

「何かお願い事あるの?」
「……五条悟との婚姻を無かった事にしてほしいんです」
「えっ、婚姻を取り消したいってこと……?」
「はい」

「……どういうことだ」

五条とリコちゃんは側からみれば好意的な関係だったはずなのに、違ったっていうのか。
どう受け止めたら良いか混乱していると、隣で十三郎さんが少し怒ったように疑問を問いかけた。

「嫌なんです、本当は強制的な婚姻なんてしたくない」
「強制的な婚姻って……賛成していたのはリコじゃないか」
「あれは嘘なのです。本当は……好きな人と一緒にずっと居たい、側にずっと居たいんです」
「リコちゃん……」

リコちゃんがずっと私に訴えかけたかったのは、そういう事だったんだ。他に好きな人が居るのにその想いを諦めなきゃいけない、でも諦めたくない。…その気持ちをリコちゃんは伝えたかったんだろう。
引かれたレールの上に従って歩くしかない、道は違えど、何かに縛られていた同士だったんだ。

「私、ずっとずっと前から本当は……兄さまの事が好きなんです。例え、兄さまの恋人になれなくても良いから…私は兄さまの居る乙山家に居たい」
「…兄さまって…………えええええ?!」

兄さま……って、十三郎さんのこと?!
思わず大声で驚いてしまい、また大声を出したら十三郎さんに怒られてしまうと、両手で口を塞いだが一向に反応が帰ってこない。
不思議に思って横目で十三郎さんを見れば、今までで一番驚いたような顔をして目をまん丸見開いている。

「何故このような事をしたのか、詳しく教えてくれないか」
「……はい」

十三郎さんの要望に同意したリコちゃんは、ぽつりぽつりと今までの経緯を話し始めた。




***









乙山家に来たのは、丁度中学に上がる頃。
小さい頃に父は私と母を捨て、母は苦労して一人でここまで私を育ててくれた。おんぼろアパートで二人暮らし。母は夜遅くまでスナックで働き、朝早くから朝ご飯を作ってくれて「今日もリコは可愛い」と学校に行くのを見送ってくれる貧乏生活だけど幸せな日々。
いつかは私が母の役に立って幸せにしてあげたいと思っていたそんなある日、一人の男がやってきた。

「今日からこの人がリコのパパよ。……リコ、もうこんな貧乏な生活しなくて良いの」

母はそう言って涙ながらにも笑顔で私を抱きしめた。
――これが乙山家当主、今の私の父である。
そんな父に対して最初は感謝しかなかった。独り身の母を愛し、幸せにしてくれて、元父の借金まで肩代わりしてくれる……こんな好機が巡ってくるなんて。

しかし、そんなうまい話は無い。
……初めから父の目的は、母ではなく私であった。
ふらりと町を探査する癖があるらしい父は偶然私を見つけ、身辺調査をし母親への接触を図ってこのような状況を作り上げた。
だが目的は娘だなんて、事実をしれば母は父は受け入れる事なく、反対するだろう。しかも恋愛的な気持ちがないのに、そんな男と共に暮らすなんて。…父は穏便に事を済ませようと母へ術式をかけたらしいと、後から真相を聞いた。

乙山家に来てから母は私を忘れたかのように姿を見ても反応する事はない。
……そんな独りぼっちになった私のそばにいてくれたのは、兄さまだった。

「独りが嫌なら、側にいたらいい」

修行は苦痛で、今までの日常とはかけ離れた呪術の世界。怖いし痛いし辛い、泣きべそをかいても任務で嫌なことがあっても、この家に帰ってくれば兄さまが待っていて話を聞いてくれる。
いつしかそばにいたいと離れたくないと思うようになり、これが恋だと理解した時には遅かった。

「――結婚、ですか?」
「五条家との婚姻さ、五条家の者から嫁の候補としてリコが選ばれたの。……これは五条家と乙山家の良い機会、お願いね」

そう乙山家の祖母から満面の笑顔で言われた。
五条家と乙山家は主従関係のようなものであり、五条家は乙山家に対して支援してくれているのだが、嫁として五条家に嫁げば支援の幅も広がる。乙山家からすれば願ったり叶ったりなこの状況だが、私としてはそんな事知ったこっちゃ無い。

五条悟とは面を合わせて会った事はなく、以前呪術界の交流会のようなものがあった時、遠くから見たことがあった。
現実離れをした容姿は周りの女性を虜にしていたけれど、私には別に想い人がいるからか、それよりも雰囲気から感じる強さに冷や汗が出る印象を抱いた。
…そんな男と結婚かぁ。絶対に円満な人生なんて想像出来ない。まあそもそも円満な、なんて望んでるのが間違いなんだろうけど。
でも行きたくない、結婚なんて出来なくてもいいから兄さまのそばにずっと居たい。運命に抗うように兄さまに助けを求めて声をかけると、嬉しそうな笑顔を見せた。

「おめでとうリコ。兄として嬉しいよ」

……そうだ。兄さまは私のことを好いてるわけでは無いし、私が勝手に兄さまのそばを選んだだけ。兄さまは私が居ても居なくても変わらないんだ……。 

地獄のような感情が巡る状態になった頃、五条悟と対面した。
五条悟の背後にいる女――これが噂の名字家の女。五条家の愛人……という過去がありつつも五条悟に好意を持っているのは確実だと言う。
祖母は「二人の仲を裂いておやり。名字家は五条家とは関わってはならぬ」と言っていたが、そんな悪役じみたこと、私には無理だ。確かに名字家の娘は五条悟に好意を持っているに違いないと私も感じた。そして五条悟も――……。



…………何で私だけ我慢しなきゃいけないの、好きな人のそばにいちゃいけないの。何で私だけ独りぼっちなの、悲しい思いしなくちゃいけないの……なんでなんでなんで――……むかつく。


悪役じみた事なんて、と思っていたのにだんだんと妬みのような感情が膨れ上がる。
しかし五条悟と婚姻するのは私、名字名前より近づけるチャンスは可能性は大いにある。五条悟は半年程前から何故かお見合いを断り続けているし、何か考えがあるんだろう。簡単に進む話ではないことは分かっているけど…もう後戻りも出来ない。
仮にも特級呪術師と成った五条家相伝の術式の持ち主、一癖ありそうだと思っていたのに――…

「いいね、気に入った」

案外にもトントンと話が進んで少し焦る。あれ、名字名前は?いいの?
思っていた反応と違って違和感を覚えた。それにさっきからこのギスギスした雰囲気――二人の間に何かあったのだろうか。
……ならば好都合、五条悟の懐に漬け込むのも時間の問題。
そう思って任務以外の日はそばを離れず、積極的にアプローチする事にした。
名字名前が遠くでこちらを見ているのを横目に、抱きしめてくださいと五条悟にお願いすれば私が向ける視線を理解していながらも私を受け入れた。順調に計画は進んでいく。

……私の見解は間違っていたのだろうか。

そう思いつつも何処かで本性を表され、婚姻が破棄されてしまうのではないかと思った。それにお兄さまへの気持ちを素直に整理していない自分に対し、本性がいつか出てしまうのでは無いかとも。
恋なんて感情は捨ててしまえ、もっと……もっと五条悟を夢中にさせて名字名前を苦しめ、兄さまにも後悔させてやる。
悩みに悩んだ結果、十四郎へ連絡することに。
十四郎は唯一、私の気持ちを理解しているけれど兄さまへの辺りは強い。

「男は胃袋で掴むべし!って家庭科の先生が言ってたよ」

電話越しに返ってきた返答は確かにと思う解答。いつも食事はマサヱが作ってくれていたけれど、いつだったか「花嫁修行はお料理が一番大切ですよ」と言っていたし、確かにマサヱの作るご飯は毎日食べていたいほど絶品。離れ難くなるのも理解出来る。
十三郎にアドバイスの感謝を伝えると「お姉ちゃん嫌だったら戻ってきてね。僕と結婚すれば良いじゃん」と言ってくれた。独りぼっちだと思っていたけれど、十三郎は味方になってくれて私の意思を尊重してくれている。

しかしここまできたら簡単にやっぱり辞めますとはいえないもの。
……とりあえず料理でもやってみよう。
そう思い、誰でも簡単に作れる卵焼きに挑戦するが思うように作れない。殻は入るし上手く巻けない、味もイマイチで焦げてしまい自分の不器用さに呆れる。
思ったよりも難しいな……どうしよう。

悪戦苦闘していれば、突然「卵焼き?」と背後から声をかけられた。

「ご、ごめんなさい……驚かせちゃって」
「…っ何ですか、名字名前」
「あ、私の名前知ってたんですね」

いたって普通の対応をしてくる名字名前。五条悟に好意を持っているはずなのにライバルの事は何も気にしていないっていうのか。しかも、兄さまの名前を呼び捨てにするなんて……厚かましい。
睨みつければ、背中側のキッチンを使っていいのかと聞いてきた。ふん、貴方が料理出来るわけないじゃ無い。自分の料理の進行が遅いのもあり、ふつふつと怒りが湧いて全部が最悪だ。
そんな中、背後から破裂するような音が聞こえ後ろを向けば油が跳ね上がっていた。揚げ物なんて、何故そんな高難度な料理をしようとしているんだ!危険だと声を上げれば平気ですよと答えるし、理解が出来ない。
しかし彼女が揚げた唐揚げはとても美味しそうで、途中入ってきた灰原という呪術師は美味しいと満足そうな顔をして食べていた。
……私と同じだと思っていたのに…………そんな。
悔しくて悔しくて、プライドを捨てて思わず助けてほしいと求めてしまった。鼻で笑われる覚悟だったのに名字名前は笑顔溢れながらいいですよと、嬉しいと、言ってくれた。
彼女の言う通りに調理すればとても美味しくできた。こんなに変わるのか……形も、味も。アレンジの方法もいくつか教えてくれるし、彼女が何を考えているのか分からなくなってきて問いかけてみた。

「でも……何で教えてくれたの?悟さんの許嫁なのに」
「だからだよ。…私ね、リコちゃんと五条の事応援してるよ。五条、恋した事無いって言ってたから、今度は恋してるって思える人に出会って欲しいって思ってたの」

……何それ。五条悟は貴方に恋をしていたんじゃないの?そして貴方も。
私よりもまだ恋が叶う可能性があるに、何故無理矢理想いを閉じ込めるんだろう。

「想いを諦めるって、あなたには出来たの?」

問いただせば、彼女の表情はフリーズしたように固まった。ほら諦めるなんて出来っこ無い、貴方も私も。
けれど縛りのある者同士そんなものは関係ない。



名字名前から唐揚げをいただいたので卵焼きと一緒に持っていけば、五条悟はお腹を空かせていたようで卵焼きをパクパクと食べ出した。しかし唐揚げを食べた時、驚いたような顔をして「これ、お前が作ったの?」と尋ねてきた。嘘は言えず「名字名前が、持っていけと……」と言えば、ふぅん、と曇った顔を見せる。
……なんなのこの二人。
居心地の悪さを感じる。何故、仲睦まじいと言われていた二人がこんなにも仲違いしているように見えるのだろうか。思い切って「悟様は、名字名前に恋心を抱いているのでは無いのですか?正直、婚姻に関して積極的で驚きました」と聞いてみれば、物凄い勢いで床に押し倒された。

「お前に言われたく無いんだけど」
「…気分悪くしたのであれば申し訳ありません」
「俺に知らねーやつの恋愛感情押し付けてるお前に言われたくないっつてんの、わかってる?」
「押し付けて等いません。過去の気持ちは既に諦めております……私は悟様を、」
「あーはいはい、嘘つくなっての。俺はお前と同じように利用してるからこうやって関係続けてるわけだし」
「……どういうことです?」

問いただせば、待ってましたかというようにニンマリと口角を上げた。



私と出会ったあの日、五条悟は名字名前に拒絶されたという。仲間の夏油傑とは親密な関係でありながら、自分はその対象外だと。名字名前は夏油傑のことが好きなのに違うと隠し通し、違うのであれば自分も夏油傑と同じ扱いを受けても良いだろうと言えば受け入れられないと言われたらしい。
そんなわけで私と仲睦まじい所を見せれば、あちらから謝ってくるだろうと思っての算段とのことだ。
ん?彼女は夏油傑に好意を持っていたの……?
五条家の情報ばかり得ており、他の人関係者まで調べてはいなかった。真偽は分からないけれど、そんな噂は聞いたことがない。
名字名前に白状させたい五条悟は、私に対して「お前も同じ様な状況なんだろ?そっちの事情もあるだろうし、そんな簡単に婚約破棄するなんて言わねーから正直に言ってみ?」とこちらの状況を把握したような物言いだったので、思い切って胸の内を明かした。

……本当は婚姻なんかしたくない事、兄さまに止めて欲しかったこと……兄さまの事が諦められ無い事。

すると五条悟は閃いた顔をし「よし、お前と兄ちゃんをくっつけてやるよ」と軽いノリで言う。そんな軽いノリで叶えられるの?出来るのであればこれ程願う事はない。


五条悟の計画はこうだ。
まず兄さまと連絡を頻繁に取り、兄さまに好意があるとアピールしろという。五条悟の許嫁という状況なのにそんな事してしまえば矛盾が起きるのではないか?と思ったけれど「お前が今まで我慢して嘘ついてきたからこんな事なってんだろ、いいから素直になってこいっつうの」と計画だけ企てて後は私の行動次第らしい。
しかし、実戦してみるべし!と兄さまへ頻繁に連絡をすれば小まめに返ってくるし、電話を鳴らせばすぐにとってくれる。それだけで嬉しかった。

それと同時に五条悟も名字名前との問題を解決しようとしているようだった。
料理を教えて貰ってから私の彼女に対しての印象は変わり、名字家の人間だとしても何かを盗んだり陥れたり…呪詛師になりそうな気配はしなかった。寧ろ助けてくれた、優しい人。彼女と仲良くなりたいと思う気持ちの方が強くなっていく。彼女の方が五条悟にはお似合いだ。
そう思っていたのに、いつの間にか彼等の状況は悪化していたようだった。




突然、高専に五条家の関係者が来る事になった。何故か作戦がバレているらしく、五条悟は隠れていろと言い、向かった部屋の近くには彼女の姿があった。秘密の部屋を知っているのだろうかと聞けば、案内してくれた…やっぱり悪い人じゃ無い。暗い顔をしていたから問い掛ければ、五条悟と口づけをしたと申し訳ないと謝ってきた。
突然口づけをするのはどうかと思うけど…彼なりに頑張っているんだと思った。
しかし作戦を知られる事は出来ず強がってみせれば、そこに五条悟の姿が。順調そうだと思っていたのに見当違いのようで言い合いが始まってしまった。

「……なんで、私を助けたんですか」


五条悟と名字名前の言い合いの末に申し込まれた闘いは、途中体質のせいで身体が限界を超えたのが分かった。動きが鈍り、てっきり刺されると思ったのに零コンマの私の目に映ったのは、刀を捨てて私へ手を差し伸べる彼女の姿。
なのに、私ではなく彼女のお腹に大きな傷が残ってしまった。

「……これで、いいんだよ」

がっくりと項垂れる五条悟は意気消沈しているような……疲れているような表情をみせる。何がいいんだ。
五条悟は自分自身の事に関しては全く話さない。
五条悟と名字名前から詳しい話を聞かねば……彼女に助けてもらった事を感謝しなければ……と思っていたのに、身体が良くなった頃には彼女は眠ったまま高専へと帰ってきた。






そして――夢を見た。
悪魔のような私は、名字名前は五条悟への復讐のために告白し過去の惨劇を繰り返そうとしていると、ペラペラと言いふらして彼女を地獄の底へ堕とそうとしている夢。
はっ、と意識を戻せば、目の前にはあの恐ろしい父と姿正体さえ分からない呪術界の上層部達。


夢じゃない、これは。
何、この状況は……どういうこと?



混乱する間もなく名字名前は京都へと左遷され、父から兄さまとの婚姻を言い渡されていた。
どうしよう、大変な事になってしまった……焦って五条さんに真相を伝えれば呆れた顔をする。

「つーかお前、父親の式神ついてる」
「え?!」

椅子に座っていた五条さんは私の背中に手を入れる。この人、本当に遠慮もないな……。
若干呆れつつも、背中を触られた感覚が消え、ホラという声に振り向けば彼は小さな虫を捕まえていた。

「今までお前が意識なく動いてた事があれば、これのせいだろな。この虫を通して俺らの事も把握してるはずだ」

ダニのように小さな虫は、五条悟の指によって押し潰され跡形もなく消える。
……これは父の式神。
もしかして父は前々から私が婚約するのが嫌だと思っていたこと、そして兄さまに恋していた事も分かっていた……?
どこまでも掴めない父が怖い、五条悟の作戦は本当に上手くいくのだろうか。

「ちょっと早急に進めないとヤバそうだな。リコは兄ちゃんから家の情報集めてくれ」
「五条さんは……?」
「俺も色々探ってみる。諦めんなよ」

そう言われて、情報を集めながら以前よりも積極的に好意を伝える事にした。もう想いをそのまま伝えたい。でも、兄さまを困らせるかもしれない。そもそも、もう困らせいるかも。
でももし兄さまが名字名前を好きで、彼女との婚姻を望んでいたら……?

「……兄さまは幸せ?」
「リコと、同じだよ」

兄さまの婚姻が決まった時、問うた答え。私は、幸せとは言えないよ。それは貴方も同じ?
答えは違っても……私は兄さまと一緒がいい。結婚なんてしたくない。父親の事は正直苦手だし、嫌いな気持ちもある。けれど苦しんでいた母が苦しまなくて済んだのは、こんな裕福な場所で生きてこれたのは、乙山家のおかげ。
ならばこの命、尽くすのであれば乙山家に……兄さまのために。
だから私は本当の事を直接伝えたい、意味がなくとも。





***




リコちゃんの答えを聞いた乙山さんは、呟くように問う。

「……五条悟は、知っているのか」
「はい、行ってこいと背中を押してくれました」

きっぱりとした口調で彼の目を見るリコちゃんは、強く見える。彼女もまた自分の人生をかけて伝えに来たんだ。
十三郎さんの気持ちをちゃんと聞いた事はないけれど、隠している気持ちは彼女と一緒のはず。

「乙山さん、ちゃんと答えてあげてください」
「しかし……」
「人の心配しないでください。今、大切なのは二人の気持ちです」
「……名前さんには申し訳ないですけど、私は兄さまの本当の気持ちが聞きたいんです」

仮にも私も乙山さんの婚約者という事になっているわけで、何も思っていなくてもリコちゃんは気をつかうだろう。
私が居たら言いづらいだろうか。席を一旦外しましょうか?と腰を上げようとした時、乙山さんは口を開いた。

「初めて会った時から、その優しさが儚く、守ってあげたいと思っていた。……しかし、強くなる努力をしても二級から上がる事はなく、いつの間にか一級へと追い越されてしまった。……リコを守る資格等私には無い。リコを守るのは、最強の五条悟が適任なんだ」
「……強さなんか関係ない。私も兄さまを守りたい、それに兄さまも私を守ってくれる。一緒に支え合えば、それに勝るものは無いと思います」

笑顔でリコちゃんは十三郎さんを見つめ、にっこりと優しく、儚げな微笑みを浮かべる。

「大事なのは理屈よりも心。私は、兄さまの心が知りたい」
「……私も、リコと一緒に居たい」

十三郎さんの心の声が少しずつ溢れ、強い意志が伝わる目を向けた。


「好きだ」










***



「要件とはなんだ、十三郎」

前に会った時と同じように重く、存在感の圧が感じられるが、前よりも怖くはない。私の横にいる十三郎さんに問いかけた当主は、この後の展開を理解しているかのようにニヤリと笑った。

「私の婚約者としてリコを迎え入れたい。勿論、乙山家を継ぐ要件はのむ」
「名字名前はどうする」
「彼女は……彼女自身の歩み方をさせてあげてください」
「呪霊に飲まれた術師を放っておくわけには行かぬ、そもそもリコは五条家に嫁ぐ予定だったのだ。そう安安と要件を飲むわけにはいかん」
「ならば、呪霊に飲まれていないと証明します」

強く、押し通すように放った言葉は、当主に刺さったようで以前のように「お前には聞いてない」とは発言せず、私を見つめた。

「……どうやって?」
「今度の交流戦で京都校が勝って、呪霊に飲まれずに戦えると証明します」
「ほう……特級術師が二人の居る東京校へ勝てると言うのか?」
「勝ちます。勝ったら、十三郎さんとリコちゃんの婚姻、そして私を乙山家から解放してください」
「……よかろう。もし負けたら、こちらの言う事を聞いてもらうぞ」
「いいですよ」

強気で答えれば、ニヤリと笑った当主は面白いと大声をだして笑った。
勝率は低い、けれど、もうこれしか思いつかない。約束を破れば、それはそれでどうなるのか分からないのだけれど。けれど、進むしかない。

あとは全力で、呪い合うだけだ。