おかえりの花





「起きた?」

目をあければ白い天井が広がる。すんと薬品の匂いが鼻を通り、声のする方を見れば久しぶりに見た友人の顔が目に入った。

「硝子……ごめん、」
「ストップ。謝らないで」

普段から表情豊かではない彼女の顔が、怒っていると分かるくらいにはいつもより分かりやすく変化している。
そういえば前にも硝子に謝ってばっかで注意された事があったな……彼女には毎度心配と迷惑ばかりかけてしまい、つい謝罪の言葉が出てきてしまう癖がついてしまった。

「謝るのは後で」
「え?」
「まず私の愚痴に付き合ってくれる?」
「うん……?」

いきなり話が始まって思わず頷けば、硝子は椅子に座った脚を組んで膝に両手を添える。

「あの手紙はなんなの?これで私との人生一生の終わりにするつもりだった?」

あの手紙、とは私が京都へ行く時に書いたものだろう。個別に書いた手紙には硝子に宛てた手紙も書き残しておいた。
"相談出来なくてごめん。"
と短く書いた手紙。
高専に転校してきた時から硝子は色々と気にかけてくれた。五条の事が好きだと、初めて人に恋の話をした時、名前も物好きだねと引いた顔をされたけれど、応援してくれて、心配してくれて。五条と喧嘩した後も何かあったら言ってと言われたけれど、面倒事に巻き込みたくはなくて黙っていた。しかし硝子からすればその選択肢の方が苛立ちを高める要素だったんだろう。

「しかも五条に無理矢理キスされたのなら尚更相談しろ」
「なんでそれ知って、」
「アイツに根掘り葉掘り全部吐かせた」
「ぇぇ……」

なんと強い女だろうか。何故そんな状況になってしまったのか想像つかないけれど、歌姫さんが知っていた情報は硝子が五条から吐かせた分かもしれない。

「私は名前がどんな道を選んでも名前の味方だし、そばに居るよ。迷惑かけたくないから一人で頑張ってるんだろうけど、何かあったら五条よりも先に私に相談して」
「でも、」
「親友でしょ、私たち。……親友って思ってたのは私だけ?」
「……いいの?」
「親友にいいも悪いもないでしょ?」

クスッと笑う硝子はおかしいと言いながら私の髪を優しく撫でる。いつだって心配してくれたのは、私の恋を見守ってくれていたのは硝子だ。家系の問題も気にせず、どんな事があっても味方だと言ってくれる。楽しい時間は一緒に笑ってくれて、間違えた事をすれば怒ってくれる大切な存在。

「硝子……私もう頑張れないよぉ……」

親友の言葉に、強く固く決めていた意思は結び目が解けたように緩み、泣かないと決めていたのにどんどん涙が溢れ、頬を伝う。
精一杯出来る事を尽くし足掻いたけれど、一人じゃどうしようもないくらいの所まできてしまい、未来が、先が見えなくて立ち止まってしまった私に硝子は優しく声をかけた。

「やっと弱音吐いたね」
「リコちゃんの夢、叶えさせるために交流会勝つって決めたのに……負けて…もうどうしたらいいかわかんないの……」
「誰も負けたなんて言ってないだろ?」
「……え?」

硝子の言葉に涙が引っ込んだ。
それって……もしかしてあの状況で負けていないという事?
混乱している私に対して硝子は私の頬を優しく抓るとクスッと笑った。

「とりあえず名前は治すこと第一。アンタ丸二日寝てたから、もう京都帰らないと皆んな帰ってるよ。怪我は反転術式で軽くだけ治したけど、後は自分で治しなね」

今まで頼ってくれなかった罰、と言って硝子はにやりと笑った。確かに五条にやられた時、左肩の感覚が全く無くなっていたけれど今はズキズキと痛む。
てか丸二日……?!?!交流戦二日目終わっちゃったの?!
一日目に作戦が失敗したら二日目にどうにかしなきゃと思っていまのに、全てが散ってしまった。
でも、さっきの発言って負けてない可能性があるってこと…?彼女の意味深な発言に結果が気になる傍ら、硝子は私を起き上がらせて左肩から腕を固定するためにサポーターをつけてくれた。

「サポーターで固定してるから安静にしておくこと。今から任務だから行くね」

椅子から立ち上がる硝子に、ねぇと声をかけた瞬間、丁度医務室の扉が開き、絢辻先輩が入ってきた。

「名前ちゃんやっと起きた?動ける?」
「あ、はい」
「動けるくらいには治療してますので、先輩後のことお願いします」
「おっけー」
「あ、硝子!ちょっと待って!」

絢辻先輩に硝子がお辞儀をし、部屋から出ようとするので声を掛ければ、去り際にこちらを向いて手を振った。

「またね、名前」

またねって…私、東京校の人と話すの原則禁止なんだけど、これから硝子とまた話せるの??てか結局勝ったの……?あの五条と夏油が居たのに……?!
溢れんばかりの疑問を抱えた私は、私の荷物を持って現れた絢辻先輩に問いかける。

「先輩、私たち勝ったんですか……?」
「帰りの新幹線で教えてあげるよ」

よく見れば絢辻先輩の腕には包帯がぐるぐる巻かれており、顔にもかすり傷が見える。
荷物を受け取ろうとすれば「持つから大丈夫、それよりも時間が無いから急ぐよ」とそのまま荷物を抱え医務室から出てた私達は京都へと戻ったのであった。









京都へ戻った次の日。
五条に折られた肩の骨は、硝子の反転術式で軽く治してくれたおかげで軽くくっついている状態。後は自身の治癒能力次第なわけでサポーターで肩と片腕を固定して歩いていれば、十四郎から笑われた。
あーあ、私も反転術式が使えるようになりたいなぁ。呪力の使い方は未だに未知数だ。

朝一、十四郎の練習を見たけれど今日は練習もせず大事を取って家に篭る一日。縁側の廊下に座って晴れやかな空を見上げ、爽やかな風が髪を揺るがす。
ぼうっと何も考えずにただ時が過ぎていく中、静かな足音がこちらに近づいてきた。

「名字さん、」

見上げれば、仏頂面の十三郎さんに声をかけられた。リコちゃんと両思いになったっていうのに相変わらずの表情だな…。

「父が呼んでます」
「……分かりました」

彼の後ろを着いていき、当主の居る間へと一緒に入り、お辞儀して座る。畳の冷たさを足で感じつつ、同じく冷たい対応をする当主はいつも通り、優越感ある顔でこちらを見てきた。

「君の意見をのもう」

交流戦は、京都校の勝利で終わった。
私が倒れた後も先輩は呪霊を倒し続けてくれて京都校の人達も呪力切れになる人が居たけれど皆のおかげで2体京都校が多く祓い、京都側の勝利が決まった。
次の日、五条は私が目を覚さない事に苛立っていたらしく、個人戦なんてやらないと言い出し、代わりに桃鉄大会が開催される事に。反対意見多数であったけれど、丁度急接近してきた台風のせいで大雨だった事もあり、色々あって決行されたらしい。
桃鉄大会って……呪力は?術式は?気候なんて関係なく任務もあるし別に問題無いんじゃ?
ツッコミ所満載ではあるけれど、そんな桃鉄大会は東京校、京都校、両者接戦だったらしい。ボンビーに追われながらもチームで協力しあい、運が味方した結果、見事に京都校の勝利の旗が上がった。
…正直、寝ている間に勝利が決まっていて未だに実感が湧いていない。けれど、これで乙山家に縛られる事も無くなるし、リコちゃんと十三郎さんの恋を叶える事が出来る。
順調に事が進んでほっとするが、当主は自分の思い通りならない事に悔しそうではなく、自信あり気に私に話しかけた。


「しかし名字家の血が途絶えるのは大変勿体ない。……私の愛人となり子を作らぬか?」
「父様、何を言ってんるんですか」
「前から何度も言ってますが私は………!」

愛人なんてなりません!!と言おうとしたが、身体が思うように動けなくなり違和感を覚える。何だか火照るような、身体が痺れるような感覚。
あれ……なんだっけ、思考回路が回らない。

「どうした?こちらに来て、受け入れなさい」
「私は……あれ………?」
「名字さん?!」

十三郎さんの声が頭に響くけれど、言葉が波のように揺れて何と言っているのか分からない。受け入れます、と自身の意識とは別に頭に言葉が浮かぶが、口からその言葉を出してはいけないと身体が抵抗する。しかし、ゆっくりと当主の方へと何故か足が一歩、一歩近づいていく。

だめ、これ以上は、どうしたらいいの、、、、

従ってはいけないと抵抗すれば、身体が床に倒れ込み頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱される。どうしようもない状況下、突然後ろの襖がスパーーン!と大きな音を立てて開き、太陽の光が部屋の中へと差し込めば太陽に照らされた二人の影があった。

「女子高生に欲情すんなよエロオヤジ。上に伝えた条件、聞いてんだろ?名字名前は俺のもの。お返しにお宅の女返品するから」
「返品って言わないでください。私は好きな人と一緒になりたいだけです」

ぼやけた視界の先には五条とリコちゃんの姿があった。薄暗い部屋の中に光が入った事で身体の異変が軽減され、ふと痛みを感じて自分の足元を見れば虫がついているのがわかった。
これ……ヒル?なんでこんな所に……?
足元に吸い付いているヒルは一瞬にして消え、見上げればリコちゃんが刀を鞘に納めていた。もしかしてあの一瞬で祓った……?!

「名前さんを術式で操ろうなんて許さない。もう、約束事は承諾したはずです」
「しかし名字名前を五条家から託されたのは事実」
「五条家の当主は俺だっての。それにコイツを最初に見つけたのは俺なんだし、勝手に俺の知らない所でコソコソ進めんな。…それとも、もう融資はいらない?」

ニヤリと笑った五条の顔を見た当主は、少し焦ったような顔をする。困りかける姿なんて一度も無かったのに…融資って、五条家と乙山家の中でお金の取引があってるんだろうか。

「わかった……リコと十三郎の婚姻、そして名字名前の監視は五条悟に渡す」
「ドーモ。って事で、名前、東京帰るよ。準備して」
「えっ」

ちょっと待って、五条が私の監視役になるってどういうことなの。
倒れていた私にリコちゃんは「大丈夫ですか?」と心配の声をかけ、部屋の外に誘導してくれた。

五条に言われた通り、帰る準備をするために十三郎さんの部屋へと歩みを進める。リコちゃんは私の荷造りを手伝ってくれるようで、その間に五条の監視について教えてくれた。
私が乙山当主に約束をつけた同時期に、五条は上層部に対して約束をつけていた。その条件が交流戦で私に勝ったら私を五条悟の監視下に置く事。
そして見事、私の願いが叶ったのと同時に五条の願いも叶ってしまったというわけだ。

…………って、私の意見は?
相変わらずの彼の自分勝手さにため息しか出ないが、これもまた抗えない運命。一先ず、リコちゃんと十三郎さんの婚姻が認められたし、当主の愛人になるという条件も回避できたから良かった。

荷物を京都に来た時に入れてきた段ボールに再び戻す作業中、ふと隣を見ると、同じように荷物を詰めてくれているリコちゃんは部屋の中を見渡していた。

「本当に……兄さまと同じ部屋だったんですね」
「当主の命令で…でも別にやましいことなんてしてないから!!」

寝る時も端と端だったし!そもそも監視役とか言いながら十三郎さんほとんど家に帰って来なかったし!!
焦りつつも弁解すれば、クスッと笑って「疑ったりしてませんから安心してください」とリコちゃんは言う。
それなら良かったけど、恋人になる前だったとて、好きな男が女と二人きりで同じ部屋で寝ていたとなれば少し不安にはなるだろう。

「私こそ意地悪しちゃってごめんなさい。悟様には色々と要求してしまったので」

……確かに抱きしめ合ったりキスをしたり、親密な関係だったことには変わりない。でもそれはリコちゃんにはリコちゃんなりの事情があった事を話してくれたし、どうこういう気にはならないのだ。

「……別に五条は私の恋人じゃないし、謝る事はないよ」

リコちゃんと違って、好きな人に私はフラれたわけで。恋人でもないのに、何か反論するなんて出来ないのだから。







荷造りを終え、ダンボールはリコちゃんが玄関口まで運んでくれた。中々、片手を使えないとなると結構不便だな…。
外に出ると玄関口には十三郎さん、十四郎、五条の姿があり、十四郎は血相を変え、こちらに走ってきて私の膝に抱きつく。

「名前、東京帰るってほんと?!?!」
「うん」
「やだ!!帰んないでよ!」
「ごめんね十四郎。たまに会いに行くから、その時は修行付き合ってあげる。アンタ強くなるよ、私が保証する。だから頑張って」
「やーだー!!ここに居てよ!!」
「こら、十四郎。名前さんの事困らせないの」
「いやだもんーー!!」
「すみません名前さん。十四郎は元々あまり人に懐く方じゃないんです。こんなに人に懐いてる所、初めて見た」
「まあ確かに懐かないタイプだよねぇ……」

足元にしがみついた十四郎の頭を撫でて宥める中、私と十四郎の様子を見て、リコちゃんは驚く。
確かに初めて十四郎と出会った時は最悪なクソガキとしか思ってなかったけれど、関わっていくうちにら諦めずに強くなろうと必死に足掻きながら進もうとしている姿は、応援したくなる姿だった。

「ふふ、名前さんって子供に懐かれやすいんですね」
「ええ?全く懐かれないよ。可愛いんだけどねぇ…まあ結婚願望もないし、嫌われても問題ないかなと思ってるよ」
「願望、無い、じゃなくて出来ないと思ってるんじゃないんですか?出来るんであればしたくないです?」
「まあ……それはしたい、かな」
「ふふ、素直じゃないんですね」

子供の頃の夢はお嫁さんって決めてたくらいは、結婚願望はあった。……ただこの現実を理解した時にはその夢を諦めたけれど。

「おれ、名前と結婚する!そしたら帰らなくていいでしょ」
「はあ?ダメだっつうの、何言ってんだクソガキ」

十四郎の突然の発言に驚いていたら、五条が即座に反抗的な言葉を発する。

「なんだよ名前の彼氏でもないのに文句言うなよ!」
「あ?」

……二人とも私の事ばかだとかあほだとか貶してたのになんなんだ、何で取り合いみたいになってるんだ。

「ちょっと二人とも……。十四郎ありがとね。でも十四郎にはもっと素敵な人がいるよ」
「いないもん!!」
「頑固だなぁ……ま、売れ残ってたら私の事貰ってよ。…またね」

しゃがんで十四郎をぎゅっと抱きしめて別れの挨拶をすると、彼の顔は涙顔になっていた。修行の時にも泣いた事無いのに、こんな時に泣くなんてやっぱり小さな男な事に変わりない。
結婚なんて憧れはあっても、自身の過去を考える限り売れ残りは確定なんだけれども、でも十四郎には他に素敵なお似合いの女性がいる。この歳から術師として努力してるんだ、出来るだけ幸せになってほしい。

リコちゃんと十四郎に別れの言葉を告げ、奥にいた十三郎さんにも会釈で感謝を伝えれば、深々とこちらにお辞儀をする。

「…色々とご迷惑をおかけしました」
「こちらこそ、お世話になりました。……十三郎さん、もっと素直になってくださいね!」
「大きなお世話です。…でも、ありがとう」


三人が送り迎えをしてくれて、手を振って別れを告げた。





荷造りしたダンボール2個を五条が抱えてくれ、彼の後を歩きながら駐車場まで向かえば、三好谷さんが立って待っていた。
まさか東京から京都まで車で迎えに来てくれるなんて…。

「名前ちゃん、おかえりなさい……そしてごめんなさい」
「えぇ、どうしたんですか。謝らないでくださいよ」
「謝らせておけよ。上層部の下っ端として名前の事いじめてたワケだし」
「そんなつもりは無かったんです……でも私が言わなかったから……呪霊が取り憑いてしまって…京都に左遷されてしまって……」

どんどん声が弱々しくなっていく。きっと彼女も、抗えなかったんだ。自分の置かれた運命から。

「……三好谷さんは悪くないですよ」

沖縄へ飛行機で向かう時、あの時抱きしめてくれて、いじめようなんて思ってたとは思えなかった。助けたくても、助けられない……そんな感じだろう。


「帰りましょっか」

普段は見せない涙を出す彼女に対して笑顔で話しかければ、涙顔で笑って頷いてくれた。



ダンボールをトランクに詰めてもらってる中、先に後部座席に座ると、五条も後部座席へと乗ってきた。
助手席側に乗るかなと思ったから後部座席に座ったけど、身体デカいから後部座席の方が良かったのかな。前に移ろうかと聞こうとした時、エンジンの蒸す音が聞こえた。……ま、この状況で五条が文句は言ってないし良いか。

「出発しますね!!」
「あ、安全運転で」
「任せてください!!!」

そう言って私達を乗せた車は国道を物凄い勢いのあるスピードで走り、高速道路へと入っていく。毎度思うけど、これは安全運転と言えるのだろうか……。



高速道路を突っ走っている中、隣の五条は窓の外を見ながら、大きなあくびをしている。
……相変わらずかっこいいなぁ。
無意識に見ていた自分に驚いた。
……だめだめ、振られてるのにまだ想い足りないのか。
しかし五条はいったい何を考えてるんだろう。突き放したと思えば、くっついてきて。好きだと伝えてノー答えたのに、何故そんな奴の監視役になるのか理解できない。私だったら告白断った相手の監視なんて引き受けないけどなあ。仲間として見捨てれないのかな…?
こちらの視線に気付いたのか、五条と目が合い、何?と話しかけてきたので、焦って視線を逸らした。

「あ、えっと……婚約、無くなってごめんね」
「リコから聞いてない?婚約しよーとなんて思って無かったし、別に」

……そういえばリコちゃんの話でもあったけど、私が五条の扱いが他の人よりも雑だったとか、なんとかで、同盟を組んだんだっけ。それで婚約しよう作戦を決行するのは理解出来ないけれど、彼ならまたすぐに婚約の話はかけられるだろう。

「そういえば売れ残るってお前言ってたけど、売れ残んねーから安心しろ」

……何を根拠に言ってるんだ。

「……すぐに売れて行きそうな人に言われたくないっての」

ボソッと本音を呟いた声は、高速道路を走る車の音にかき消された。









「という事で、完全復活の名前ちゃんでーす」
「……ドウモ」

「包帯してて言われてもな」
「まあまあ。戻ってきてくれて嬉しいよ」

東京に着いた次の日。
私の名前を黒板に書いた五条は、転校生を紹介するかのように私を紹介する。……って言っても、この教室に他に居るのは机に座っているのは硝子と夏油、そして後ろで見守る夜蛾先生。

「完治するまで治さなかったのかい?」
「名前が今まで頼ってくんなかったから、その仕返し。今回の事だって名前が戻って来たいって思ってたらそれは歓迎するよ」
「硝子、」

硝子の発言に、夜蛾先生が指摘するように名前を呼ぶ。
皆んな私が自ら争う事もなく道を選び、進んで京都へ向かったのは理解している。ならば半強制的ながらに戻った私が納得しているかは分からないという所だろうか。
でも、皆んなは私を東京へ戻すと決めた五条を止めなかった……ってことは、五条の意見に賛同していると思っていいのだろうか。

「……私は、またみんなと会えて嬉しい。こうやってみんなと話せるのも。迷惑かけてごめんなさい…もう一人で突っ走らないようにする」
「私も、戻ってきてくれて嬉しいよ」
「硝子……。いつも治してくれてありがとね」
「今度は一人で抱えないでよ?」
「うん…ありがとう」

硝子は私の答えを聞いて、ニコッと笑った。
やっぱりこの場所がいい。
いつも意地悪だけど優しい五条、お兄ちゃんのように暖かい目で見守ってくれる夏油、いつも私を気にかけくれる硝子。私達生徒を見守ってくれる夜蛾先生。
こんなにも私のことを理解しようとしてくれている、絶対に手放してはいけない仲間だ。
いつも座っていた机の椅子に座り、いつもの日常に戻ってきた事に胸が熱くなる。
しかしそんな事もお構いなしに呪術の世界は回っており、夜蛾先生が教壇に立ち口を開いた。

「交流戦明け直後で悪いが、任務だ。名前はとりあえず身体を治すこと。……夏の勉強会は頑張ってたらしいな」
「まあ……扱かれましたので」

夜蛾先生の言葉に苦笑いが出る。
京都に居た時、昼間は殆ど勉強学習の日々だった。特に十三郎さんは厳しく、間違えたところは何度でも繰り返し覚えろと言われるし、オリジナルの宿題も出すし……呪術師より教師の方があってるんじゃないかなと思う。
けれど、そんな中で一つの可能性を見つけた。











高専の木造建築として大変雰囲気を醸し出す部屋が一室、それが図書室である。ただ置いてある本というのは大体呪術に関する歴史書ばかりで、図書室と呼んでいいよか分からない。図書室っぽい所は学習用の本、そして学生向けに少量の小説と月刊誌が置いてあるくらいだ。

「何をしてるんですか」

図書室で調べ物をしていると、声をかけられ、振り付けば久々に彼の姿を見た。

「久しぶり、七海」
「……おかえりなさい」
「えー七海がおかえりって言ってくれるなんて。嬉しいなぁ」

いつも仏頂面な七海の顔も、久しぶりに見るとなんだか愛らしく見えてきた。まあ私の言葉に対して「帰ってきたのであればおかえりと言いますよ」と相変わらず真っ当な答えを言ってきたのはちょっとムカついたけど。

「名字さんが書庫室に居るなんて珍しいですね。ここに入学してから一度も見かけた事がないので」
「そうだね、行く事ないもんなぁ」

最後に行ったのは一年の終わり頃だっただろうか。小説も中学生の頃によく読んでいたけれど、最近は読む機会も減っていった。それは独りぼっちだった時間が、どんどん減っていったからなんだと思う。
本の世界に入り込まない分、本当の世界が充実している。昔の自分が見れば想像がつかないであろう現実だ。

「ちょっと用があって。七海は?」
「勉強です。名字さんもまさか勉強ですか」
「まさかってなんなのよ。うーーん……まあ勉強って言ったら勉強?」
「なんですか、それ」
「んー……五条のおかげで東京校に帰れたけど、五条の監視って条件があってね。アイツの事だからまた突然術師やめろって言われるかもだし、将来の事も考えておこうかなって」
「もしかして…術師辞める気ですか?」
「私の目的は呪具を返す事だから、今は辞める気ないけど……もしものことだよ」

交流戦の時、術師を辞めろと言われたし、その代わり呪具は返さなくても良いと言っていた。その癖、私を監視下に置くってもう五条が何を考えているのか分からない。万が一の構えはしておいた方が良いだろうという考えだ。

「……いいんじゃないんですか。そういう可能性は残しておくべきだと思いますし」
「うん……ありがとね」
「何がですか」
「別にー?」
「そういう所ですよ、貴方の嫌な所」
「はあー?七海は相変わらずだねぇ」

少しお茶らけた返しをすれば、七海ははぁとため息をつく。参考書を片手に答える七海の発言に、少しほっとした。
もしここで、術師をやめるなんて。と軽蔑でもされたら、この高専に居づらくなる気持ちが大きくなるのは拭えない。
……まだ自分にとってどんな将来の道があってるのか分からないけれど、調べてみなきゃ。
そう思い、高専に寄せられた求人票を纏めている冊子を手に取りページを捲る。高専を卒業した人は術師、もしくは補助監督になる人が殆どらしいが、まれに呪術界から縁もゆかりもない所に就職する人もいるらしい。
確かに、一般企業からも求人きてるんだ……。
様々な求人票をくまなく読んでいると、携帯のバイブが鳴った。
東京へ帰ってきて今まで通りに使えるようになった携帯を手に取り開けば、五条から「DVD見ようぜ、何かみたいやつある?」とメールが来ていた。

結局、五条自身が私の監視役になったけれど、今までの東京にいた頃と何ら変わらない。歯向かうなと命令でもされるのかと思っていたし、なんなら五条様と呼べとか言われそうだなと思っていたけれど、今までの接し方で彼から指摘されたことは無い。
しかし何があるか分からないし、誘いを断わるわけにもいかない。こんな調子で私、本当にこの気持ちを忘れられるかなぁ。
しかしまた一緒に映画を観ようと言ってくれるなんて、あのギスギスした関係が消えてほっとしている。
んー映画か……そういえば十四郎からオススメされたアニメ映画があったな。あれ見てみたい。作品名を書いて返信すれば、すぐに了解と返ってきた。
携帯を閉じて五条が返ってくるまで待っていようと再び求人票を捲れると、そういえば、と七海が話しを始めた。

「五条さんとは、どうなったんですか」
「えぇ?……七海気になるの?」
「別に、貴方の恋愛なんて気になりませんが」
「言ってることと問いかけてること矛盾してる!」
「色々な噂も流れていましたし、貴方自身も悩んでたのは知ってますから。……直接、貴方自身の口から聞きたいと思ったんです。五条さんや名字さんに接する事は避けては通れないですし、無駄な気は使いたくない」
「ふぅん。律儀だねぇ七海は。んー……振られたよ、ごめんって」
「……それだけですか?」
「うん、そうだけど…?」
「そう……ですか」

七海は私の答えに何か違和感を感じてるらしい。
私自身、告白の返事なんて聞いた事ないから、あんな風に返事を貰えるとは思って無かったけれど。謝っていたし、あれが答えなんだろう。

「ま、でも五条の様子も変わらない感じで仲良くしてくれるから、いつもと同じに戻った感じかな」
「それで、吹っ切れましたか?」
「んーん。やっぱりどこかで五条の事好きだよ。でも、想ってるだけ」
「それって虚しくないんですか」
「でもこれが私の運命だから!」

名字家、五条家なんて関係ない。好きになってしまって、ここまで想いが募るのであればこれはもう運命。それでいい、このまま思い尽きるまで想ってやる。
でも、そばにいるかはまた別。呪具を返すまでは。


「あっ!名前ちゃんいた!」
「あれ、三好谷さんどうしたんですか?」

書庫室の扉を勢いよくあける音がして振り向けば、三好谷さんは困った顔をして私を呼んだ。

「あの、蝿頭が森に逃げてしまって…良かったら探すの手伝ってくれませんか?」
「いいですよ。……じゃあね、七海」
「名字さん、」
「なに?」
「…いえ、なんでもありません」
「はは、なんだそれ」

何を言いたかったのか謎だけど、何かあれば七海だし言ってくるだろう。これからも術師として生きていく仲間なのだから。
七海にばいばい、と手を振れば、七海らしくお辞儀していた。