夏の恋花







七月も半ば、高専にも夏休みというのはあるらしい。普通の高校と同じく、八月いっぱいまで夏休みらしいが、その大半は任務で結局休みではない。
九月までが呪霊の繁忙期らしく、これから沢山の呪霊に出会える事にワクワクしつつも、結局祓うのだ。本来の目的を見失わないよう心に刻んだ。
しかし今までも任務だったり夜蛾先生の出張だったりで平日に休みなんて何回もあったし、この界隈に夏休みなんて存在しないのは当然だ。


そんな夏休みを告げる終業式の日、五条がプール行きたい!と突然言い出したので、スケジュールを合わせて一年全員で行く事になった。
年々上がり続ける気温の最高潮に達し、晴天晴れでプールに最適な日が訪れた。
さあ行くぞ!と張り切れば硝子に治療の任務が入ってしまい、三人で先に向かう事に。
更衣室で水着に着替え上からパーカーを着て、ジッパーを上にあげた。そして硝子から借りたサングラスをかける。…あぁ、やっぱり眼鏡にしておけば良かったかなあ。

昨日、硝子とプールに行く準備をしていた時に借りたこのサングラス。
人混みやだなあ。と制御出来ている今でも、たまに間違えて術式を唱えてしまう私は、眼鏡をかけるのを億劫に思っていた。私が完全に制御出来ればいいんだろうけれど、眼鏡をしていないと稀に癖が出てしまう。
どうしようと悩んでる私に硝子がコレ貸したげるよ。とサングラスを渡してきた。「せっかくプールに行くんだったらオシャレな方がいいし、五条とお揃いだよ?」という硝子の言葉に同意しつつも「五条とお揃いなんて、五条は嫌がるだろうしやめとくよ」と言えば、大丈夫だって!とどこから来たのか分からない自信のある大丈夫で押し切られた。
 
本当に大丈夫かなあと思いつつ、プールサイドへ出れば、一目瞭然で分かる目立つ二人の姿。
身長が高いというのもあるけれど、女性達の視線が五条と夏油に注がれているのが傍から見ると一目瞭然だ。
女性を魅了する二人の姿に、うわー…と存在の凄さを実感しつつ、五条の姿に見惚れてしまう。
五条もだが、夏油も上着を着てるとはいえ、その間から見える身体はしっかりと鍛えられた筋肉が見えて、少しドキドキする。…男の肌を見てドキドキするとは、いかんいかん。と煩悩を消して二人と合流した。

    
***


「二人とも、お待たせしました…」
「おせーよ。つーか何でお前もサングラスしてんの?眼鏡は?」
「えっいや、硝子が夏だし眼鏡よりこっちかければって…」
「悟と名前、お揃いでカップルみたいで良いね」
「ち、違うし!五条みたいなのとカップルとか嫌だし!!」
「それはこっちのセリフだっつーの。ちんちくりんな彼女とかいらねーよ」

五条はべーっと舌を出して馬鹿にしたような顔を私に向けてきて、夏油はこら。と五条を叱った。
…だから嫌だったんだ。
素直になれない自分と五条の言葉に少し凹みながらも、先を歩く二人の後をついて行く。

プールサイド近くのパラソルが立っている一角に空きスペースがあったので、そこに夏油が持って来たレジャーシートを敷いて荷物を置いた。
荷物って行っても、財布だったり飲み物だったりで、貴重品もあるし誰か一人は見張り番をしていなければならないだろう。

「私ここで硝子待ってるから、二人は先に遊んでていいよ」
「いや、女の子一人にしておくのは危ないしここは私が残るよ」

上着を脱ぎ捨て遊ぶ気満々な五条と荷物整理している夏油に話かければ、夏油は私に遊んでおいでと流される。

「大丈夫だよ、それにまだ日焼け止め塗ってないからさ。もうちょっと時間かかるし」
「名前なんて置いてても大丈夫だって。傑、早く行こうぜ」
「五条は自分が残るって選択肢くらい作んなよ」
「荷物番なんて弱い奴がやってりゃいーんだよ」
「ほんっと嫌いクソ五条」
「そのまま言い返すわクソ名前」
「二人とも、プールに来てまで喧嘩はやめてくれないか」

相変わらず悪口が酷い五条に素直になれる気がしない。…てか、こんなに悪口言われてる相手にドキドキするって私、もしやおかしい…?
前にファッション雑誌で見たマゾと言うやつに似てる気がするけど、違うと信じたい。
私と五条の雰囲気を感じ取って夏油は深く溜息をついた。

「…じゃあお言葉に甘えて、悟と少し泳いでくるから。何あったら呪霊でも飛ばしてくれ」
「うん、おっけー」

夏油も上着を脱ぎ捨てて、私の隣に小さい呪霊を置いて二人でウォータースライダーのある方向へ歩いていく。レジャーシートに座って二人の上着を畳み、夏油の置いていった呪霊を見ると、とっても可愛くて思わず撫でてみた。
こんな呪霊を沢山操れるなんて、羨ましいなあ。今度沢山の呪霊出してもらって愛でる時間を作ってほしいくらいだ。
しかしここは一般人も多いし、変な行動してたら怪しまれるだろうと呪霊を撫でるのをやめ、持ってきた日焼け止めを塗ることに。

少しずつ足に塗って下から上に伸ばしていく。
よく夏は太陽に当たるといつも赤くなって火傷のように赤くなるから、念入りに塗り込んだ。

しかし、五条と二人きりにはならなくて、本当に良かった。きっと喧嘩をしてしまうだろうという不安と、パーカーの下の水着を見られてしまう羞恥からだ。
でも万が一、脱いだ時に日焼けしないように塗っておかなきゃ。とパーカーを脱いで、全身に塗っていく。

あとは背中、は硝子が来てからお願いするか。と日焼け止めの蓋を閉めた時、突然「ねえねえ、そこの女の子」と声をかけられた。
顔を上げると、多分歳も高校か大学生くらいの、第一印象を上げるとチャラチャラした雰囲気の男。
図々しくも私の隣に座ってきたので、うわと横に少しズレると呪霊に当たってしまい、呪霊は何処かへ行ってしまった。
やば、大丈夫かな。不安になったが、夏油の呪霊だし悪さはしないだろうと考えていると、横からねえ。と先程の男が話しかけてきた。

「ねえキミ、一人なの?俺と遊ばない?それ、塗ってあげよーか?」
「人を待ってますので一人ではないし遊べないです。丁度塗り終わったので結構です」
「あはは、キミおもしろいね。でも背中塗ってないじゃん」
「…見てたんですか?」
「うん」

まさか人に見られていたとは。それも一瞬ならまだしも、じっと見ていたのだろう。…少し恥ずかしくなる。

しかし、それより気になるのが一つ。
この男性の肩にずっと蠅頭が乗っている。私のサングラス越しでも分かる目がこの蠅頭から感じるのは、古い廃墟と孤立した感覚。
…多分この男、廃墟にでも肝試しに行ったんだろう。そこで気に入られて付いてきちゃったのか。日焼け止めの話を逸らす為に、男に一つ聞いてみた。

「それよりお兄さん、最近肩重くないです?」
「そうなんだよ!何でわかんのー?!」
「…別に、そんな感じがしたので」

私は男の側に近寄り、肩に少し触れる。と同時に蠅頭を呪力を込めた中指で弾き、吹っ飛ばすと蠅頭はサラサラと消えた。
このお兄さんの態度は好きではないけれど、小さな蠅頭も、いつかは大きくなる可能性がある。昔から寄り添ってきた者達だが、大きくなる前に排除する…それが呪霊も救うんだ。

「多分、少し軽くなったと思います。それでも痛ければ病院行った方がいいかもです」
「…えっ?!うそ!軽い!!…すげー、キミ何者?……ねえ、ちょっと胸痛くなってきたんだけど、一緒に休憩しない?」
「えっ胸??本当に大丈夫ですか?あの、すみません荷物番してるので、ちょっと医務室まではついていけそうにないのですが」
「大丈夫だって、ね?」

そう言って私の手を引っ張ろうとする男の手を、横から別の手が掴んだ。誰、と掴んだ手の先を見れば夏油がにっこり笑っているが、この顔は少し怒っている表情だ。

「私の彼女がどうかしました?」
「え、いや、ちょっと医務室の場所を聞いてて」
「それなら私が案内しますよ?」
「あ、大体分かったんで大丈夫っス!!」

男は少し大きめに叫んで私の手を離し、そそくさと走って何処かへ向かってしまった。
はあ。と大きく溜息をつく夏油の後ろには、プールを満足しているだろう五条が立っていた。

「傑〜どうした?」
「悟、やっぱり名前を一人にしておけないよ。ナンパに連れて行かれそうになって、危なっかしい」
「はあ?ナンパされてたの?」
「…あれナンパだったの?」
「そうだよ。何だと思ってたの」

夏油は私と五条の方を見て呆れた顔をしている。夏油の肩を見ると、私の為に置いていった呪霊が乗っかっていた。あ、君が呼んで来てくれたんだ。
でも、ナンパなんて初めてだし…医務室の場所を聞きたがってただけだし、違うと思うんだけどなあ。

「ナンパじゃないよ。私が、あの人についてた蠅頭を勝手に祓ったら、胸が痛くなったから一緒に休憩したいって…」
「休憩って…そういうことか?」
「…そういうことだ」
「え、どういうこと?」

二人は顔を見合わせて納得しているけれど、そういう事がどういう事なのかさっぱり分からない。問い詰めても夏油は名前は知らなくて良いよと、軽くあしらわれた。

「私は少し遊んで疲れたから、今度は名前が悟と遊んできなよ。日焼け止めは塗り終わっただろ?」
「え、いいよ!」
「そうだよ、何でこんな弱えーやつと遊ばなきゃなんねーんだよ」
「はあ?誰もアンタと遊びたいなんて言ってませんけど?!」
「俺だって嫌だわ」

フン!と啖呵を切ると、こらこらと夏油が間に入る。

「てか傑、いつから名前の彼氏なったんだよ。傑が名前と行けよ」
「…さっきの聞いてたのかい?嘘に決まってるだろ?そういった方が相手も引きやすいし。それとも、悟がやってくれたのかい?」
「はあ?」

突然イライラし始める五条に意味がわからなかった。…まあ私がイラつかせたというのも一理ある。
あーあ。こんなつもりじゃなかったのに。
少ししょんぼりな気持ちになっていると、夏油が私に耳打ちしてきた。

「名前も少しは素直になってみたら?そっちの方が可愛いよ。多分悟もビックリするから、ね?」

私に耳打ちする夏油はニコリと笑った。
…そうだ。いつもいつも、私は本当の気持ちが真逆に出てしまう。夏油の言う通り少しは正直に言わないと、どんどん嫌われてしまう。
少しキレ気味に一人で遊びに行こうとする五条の腕を掴んだ。

「ね、ねえ五条」
「…何だよ」
「あの…本当は一緒に遊びたいんだけど…だめ?」
「……………早く準備しろよ」
「あ…ありがとう!」

夏油の言う通りに正直に言えば、最初は少し怒った顔をしていたけれど、いつもの五条に戻っていた。
嬉しくて私の曇ってた心も晴れやかになる。
五条は「もう一回ウォータースライダー行きたいんだけど」と私の手を掴んできたが、ふと忘れていた事を思い出す。

「あ、そういえば日焼け止め、背中まだ塗ってなかった」
「はあ?ほら塗ってやるから貸せ」
「え、いいよパーカー着てからいくし」
「何の為に水着着てきたんだよ。見せなきゃ水着着た意味ねーだろ」

五条に半ば強引に日焼け止めを奪われると、肩をグイッと触られ、座って五条に背中を向ける。
硝子とお揃いで買った黒色のビキニ。
…やだなあ。この間スタイルは硝子の方が良いと話を聞いてしまって、恥ずかしくて見て欲しくない。
けれど、いつもの五条なら似合ってねーな。とか何とか言うんだろうけど、それも無くて少し驚いた。
カシャカシャと日焼け止めを振る音がして、背中に五条の手の感触が伝わってビクリと肩が跳び上がっる。

「ひゃぁっ?!」
「………変な声だすなよ」
「ご、ごめん!」

恥ずかしくて口を手で覆い、胸が高鳴るのが背中越しで聞こえたらどうしよう。と、五条の手が塗るのを止めるまで頑張って耐えた。
途中夏油と目が合えば、こちらを見てニヤニヤしている夏油の顔を見て、更に顔が赤くなった。…くそう。




塗り終わって五条に連れられ、大きな階段を登っていく。人が少し並んでおり、階段を登る前に15分待ちと書かれていた。この大きな滑り台、人気なんだ…。
プールは授業で受けた事はあったけれど、ウォータースライダーは初めてだし、なんなら人とプールにお出かけなんて初なので、胸が弾む。
しかし15分も待ってられるかなあ。時間潰しの話題を探そうとすると、五条が昨日の任務でさー。と昨日あった任務の愚痴を溢す。
五条と愚痴まで共有できる存在になれたのか、と少し嬉しい気持ちになりながら、五条と話していればあっという間に順番は回ってきた。
…あ、普通に出来るんじゃん、私。



ウォータースライダーのスタッフさんにこちらへどうぞと声をかけられると、二人用の浮き輪が水の上に浮かんでいた。

「えっコレ二人で乗るの?!」
「決まってんだろ、早く乗れ」

二人乗りの浮き輪の後ろに五条はどかっと座り、スタッフさんに前に乗って下さいと言われ、断る事も出来ず恐る恐る乗ると、五条の足に二の腕が触れてドキドキする。
ふ、触れてる!!と顔が熱くなり、また胸がドキドキしはじめた時、スタッフさんは私達を乗せた浮き輪を押して、緩りと滑りはじめた。
「きゃああああああ!!」
…こんなに叫んだのは、初めてかもしれない。
急降下と水の滑らかさで先が怖くて目を開けれない。怖くて腕と脚に力が入る。体感的には30秒くらいだろうか、あっという間に滑り降りて大きいプールに出てきたのだが、何かの拍子に浮き輪が傾き、プールの中に投げ飛ばされる。
五条も投げ飛ばされたらしく、頭にゴツンと衝撃が走り、唇と顎あたりに何かが触れた感触がした。
しかし、水中で目を開ける事に抵抗があり、とりあえず上を目指し、水面から顔を出す。

ぷは!と新しい空気を取り入れ、先程のウォータースライダーの爽快感に浸っていたら、飛んでいった浮き輪とサングラスを持ったスタッフさんが寄ってきて、大丈夫ですか?と声をかけてきたので、大丈夫です。と返し、サングラスを受け取った。
ふと後ろに五条が居た事に気づいて、振り向いて楽しかったね!と笑うと、五条は顔を赤くして片手で口元を隠していた。顔を赤くするの、初めてみたかも。

「…え、五条大丈夫?」
「お前ほんと…馬鹿じゃねえの」
「…はあ?」

何かしたかな?と思って思い出そうとするが、思いつかない。どういう事、と聞こうとすると腹減ったから戻んぞと言われ、手を引かれた。




無事に到着した硝子を迎えに行った名前を待つ間、夏油と五条は売店で買った焼きそばを食べながらプールを見つめる。
五条は先程の記憶を辿り、夏油に相談を持ちかけた。

「…なあ傑、相手が気づいてねーキスってノーカンだよな?」
「…したの?名前と?」
「いや、事故っつーか…けどアイツ何も気づいてねーし。気のせいだったかも」
「まあ…私なら気のせいだったのを確実にするかな?どうだい、やってみたら?」
「…やんねーよ」

にっこり笑った夏油の答えに、五条はまた少し顔を赤くした。