05訓





朝、鏡を見たら顔に落書きがされていた。
眉毛が繋がっていて、鼻の下と顎のあたりに黒いポツポツが書かれていた。私は両津勘吉ではない。
墨で書いたのか洗顔をすればすぐに取れた。

昔から眠るとノンレム睡眠の時間が長いらしく、ちょっとやそっとの事では起きない。戦争中もよく寝過ぎて怒られてたっけな。
…しかしこんな事やる人は一人しかいない。私の部屋にズカズカと何の断りもなく入ってくる、あの人しか。

「あり?せっかく両津勘吉にしてやったのに」
「あの沖田さん、いい加減悪戯するのやめてくれません?」

酒瓶が入ってビールケースを運んでいると、正面から今朝の犯人がやってきた。せこせこと大広間へ運ぼうとしているのに沖田さんは背後に回って私の頭にコツンと顎を乗せる。
あの写真の一件があってからというもの、沖田さんの距離が近い。最近の若者のパーソナルスペースどうなってんだ?!って私もまだ若いし?!

「なんでィ、そのまま女中のおばちゃん達に見つかって大恥かきましたーっての想像してたのに。つまんねぇの」
「身だしなみくらい整えます!てか動きづらいんでソレやめてもらえます」
「てか、こんな大量の酒どうすんでさぁ」
「忘れたんですか沖田さん、今日は月に一度の大宴会じゃないですか!」

そう、今日は月に一度の大宴会。
朝から稽古に見回りに捜査に、と一日中忙しい毎日を送っているからこそ、ガス抜きは大事だという事で出来たらしいこの飲み会。自由参加らしいのだが、明日は土曜日という事で一応休みとだけあってか参加する人達は多い。
先輩の女中さん達と協力し、料理を作って宴会会場を作り上げ、夕方を過ぎればいつものように先輩の女中さん方は帰っていった。

そう、ここからのサポートは私一人だけなのである。




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「よし!では今月もみんなお疲れさん!明日からまた頑張っていこう!ハメは外すさないように!では乾杯!」

真っ裸の近藤さんの掛け声によって、続くように皆の乾杯!と声が上がり、宴会は始まった。
…いや、アンタが一番ハメはずしてるよ近藤さん。


宴会は物凄い盛り上がりだった。沢山作った料理も、あっという間に平らげてお酒を飲んでドンチャン騒ぎ。
明日の朝にも先輩女中さんは来るけれど、出来るだけ片付けて迷惑をかけないようにと、隊士達かわ盛り上がる中、私はせこせこと歩き回った。

「ねー名前ちゃんもこっちで一瞬に飲もうよ〜!」
「そうそう!たまには息抜き大事だよ〜!」
「いえ、まだ仕事が残ってますんで、皆んなで楽しんでくださいね」

ワイワイ盛り上がっている中、若い隊士達から声をかけられるがそんな暇はない。
えー!?連れねなーい!なんて愚痴が飛んでくるが、いつものスマイルで貫き通すと名前ちゃん可愛いー!と褒め言葉が飛んできた。

「そういえば名前ちゃんって好きな人いるのー?」

テーブルに置いてあるビール瓶を片しているとまた話しかけられる。
隊士には結婚している人も居るし、フリーな人もいる。そんな中、こんなガキな私にも可愛いといってくれる人も居て、たまに休日には隊士達からデートのお誘いがくる事もしばしば。

「好きな人、いますよ」

さらっと答えるとええー?!と驚きの声が上がる。
お誘いを断るのも最近面倒だし本当のことを言っておいた方が楽だ。
今日は身体の調子も良いし、少しばかりなら恋の話も大丈夫だろう、
最近、彼の事を忘れるにはどうしたものかと色々考えていた。一先ず、高杉というのは身長の高い杉の木の事だ。と、考えてたら彼との思い出を思い出す事は少なくなった。まぁ本人は身長の小さい杉だけれど。

「えっ誰々?!どういう所が好きなの?!」
「うーーん…背負う物が大きいのに弱味なんて見せずに立ち向かう…気障な所ですかね」
「誰それ?副長?!」「え嘘だろ?!」
「違いますよ。多分皆さん会った事はないと思いますし。それじゃ仕事に戻りますね」

お盆に空のビール瓶を乗せて片付けていると後ろからえーショックー!なんて悲しそうな声が聞こえてきた。笑って騒いでいるこのむさ苦しい感じ、暖かくて懐かしいなあ。
しかし例え冗談だとしても、私なんてモンに好意を持ってくれたのは嬉しい事はない。昔はみんな私の事は子供としてしか見てくれなかった。まあ年齢の通り、ただのガキだったのには変わりはないんだけれど。



あ、でも一人だけ。あの人だけは違ってた。




△▽





攘夷戦争の最中のとある日のこと、陣営に戻れば大量の食糧が積まれていた。米に肉、野菜になんと医療具も。そして皆んなが大好きな酒。
どうやら坂本が商談に成功したとかで、その日の夜は狭い道場で大勢でドンチャン騒ぎ。
たまにはこういう息抜きもせんといかん!と坂本が宴を開いた。


「銀の兄ちゃん、お酒ちょっとちょーだい!」
「だーーめっオメェまだ二十歳にもなってねーだろーが!名前ちゃんにはヤクルコで十分だ」
「兄ちゃん達だけずるいー!私も大人になるー!」

銀時からヤクルコを貰い、不服そうな顔をする名前は鬼兵隊という役割を果たす時以外は、こうやって高杉よりも銀時と一緒に居る時間の方が長かった。
波長が少し似ていたようで、二人で居ることもしばしば。

「そんなワガママ言ってたら大人にもなれねえぞ。ちったぁお前の姉ちゃんみたいにお淑やかさを学べよこのちんちくりん」
「ちんちくりんじゃないもん!昔よりホラ…最近胸大きくなってきて痛いの」
「そうなの?どんな感じに痛いか触って診てやろーか?」
「銀の兄ちゃん…キモ…」
「そこまで引かなくても良いだろ!?人おちょくるのも大概にしとけ!!…つーか高杉は?お前は大将と飲みてぇんじゃねーの?」
「高杉の兄ちゃんは…その」

名前の視線の先には縁側で高杉と姉の背中だった。
二人の間に距離感はない。肩と肩が触れ合って、たまに嬉しそうな姉の横顔と笑っている高杉の横顔が見えた。


「あーー…なるほどね。つうかいいの?お前は」
「…何が?」
「とぼけんじゃねーよ。何年の付き合いだと思ってんだ。少なくとも俺とヅラはお前が高杉の事好きなのはお見通しだよ。ま、姉ちゃんと同じ人好きになっちまうなんて言いづれーだろうけどよお」
「…お姉ちゃんには、今まで色々迷惑かけたから…それに私も皆も、戦場に行って一人置いてきちゃったし幸せになってほしいの。私は闘う高杉の兄ちゃんの背中守るだけで幸せだよ」 

銀時は知っていた。
名前は自分と居る時も楽しそうだけれど、高杉ともっと一緒に居たいんじゃないかと。欲を抑えている理由はやはり姉を思っての事なんだろうが、銀時は苦しむ名前の顔を見てずっと想っていた事がある。

「…んじゃあ俺にしとけばぁ?」
「……へ?」
「あの気取った男の何処がモテるんだか知らねーが、こーやって毎回毎回慰めるこっちの身にもなれってんだ。俺なら苦しませねーしおめーとバカ騒ぎしてやれるぜ?」
「…ちんちくりんとか言ったくせに」
「もしかしたら今後ナイスボディ!!になってるかもしれねーだろ。予約だ予約」
「結果身体目的なの?本当変態」
「男はみんな変態なんですう」
「ふふっ…ありがとう銀の兄ちゃん。じゃあ考えておくから、期待しないで待ってて」
「おう」

銀時だけは、貶しながらも名前の事をよく見てきた。
一歩後ろで高杉と姉の行方を悲しそうに見守っていること、その悲しそうな顔を笑顔に変えていること。
もし叶うのであれば、一緒にドンチャン騒ぎして笑ったあの顔を、俺の隣でずっと見せてくれないかと銀時は思っていた。

そして名前も銀時と一緒に居る空間がストンと心のどこか居心地の良い場所に収まって、よく一緒に居た。居心地が良かった。
生きるか死ぬかも分からない時に予約した関係。




その後に決別の関係になってしまっては、そんな関係にもなれるはずがないのだけれど。








真選組の宴が静かになり、一息ついたのは、日付が変わった後だった。先に部屋に帰った者もいるが広間で酔い潰れた者も多くいる。土方さんなんか一時間程したら片付けてない仕事があるとか言って抜けていった。あの人は相変わらず真面目だ。
他の隊士達も土方さんを少しは見習ってくれたらなぁ。夜は冷えるというのに、酔い潰れたまま寝るなんて、体調管理くらいしっかりして欲しいものだ。
しかしそれをサポートするのも私の役目。タンスから出した布団をぐっすり寝ている皆にかけていく。
近藤さんなんか真っ裸で寝てるし。まあ男の裸なんざ戦争中にいくらでも見てきたから少し耐性はついている。近藤さんには大事な所をブランケットで隠しておいた。




酒瓶も料理も片付けたし、後はテーブルくらいだけどそれは明日朝でいっかあ。
一人でやるのはやはり大変で、キリの良い所まで終わらせ宴会場の襖を開けて縁側に座る。
すると後ろからずしっと重たい体重が乗せられた。

「おー名前、どこいってたんでィ」
「沖田さんこそ、まだ二十歳じゃないのに何酒飲んでんですか」
「ぴーぴーうるせぇなあ。つうかなんでお前飲まねえの」
「仕事中だからですよ…って重いんですけど」
「重くさせてんの」

沖田さんはおんぶしてと言わんばかりに背中に重みを乗せ、たまに沖田さんの髪の毛がフワリと私の頬を擽る。どうしたもんやらこの人の距離感。
沈黙が少し続いたので寝てしまったのかな?と思い、少し動こうとすると沖田さんの腕が前に来て、私の身体をぎゅっと抱きしめる。

「あれ、本当なのか」
「あれってなんですか?」
「…好きな人、いるってやつ」
「聞いてたんですか。本当ですよ」
「なんで」
「なんでって…好きになっちゃったもんはしょうがないですよ。でも、もう何年も会ってないし、本当はこの想いとももうサヨナラする予定なんです。けど、ずっと、あの頃の想いが苦しくて取り除けない」
「好きなのに諦めるのか?」
「…だってフラれるって分かってますから」
「なら、俺がお前貰ってやるよ」

あっけにとられ目を大きく開いた。
昔の記憶が蘇り、ふふっと笑いがこみ上げると、何笑ってんでィと不貞腐れた声が後ろから聞こえてくる。

「昔、同じ事を言ったバカな侍さんが居たんですよ。大人になるまで予約って。…って言っても、期限切れかもしれないけど」
「じゃあ俺が一番手予約にしとけィ」
「えぇ、どうしたんですか…何時もならフラれてこいとか失恋しろとか言いそうなのに」
「この俺が言ってんだ、有り難く思えィ」
「へぇへぇありがとうございます。考えておきますので期待しないで待っててくださいね」
「オメーに拒否権なんて無いってェの、早く失恋してこい」
「やっぱり言うんじゃんか」


ま、明日になれば沖田さんも忘れているだろう。