07訓





夏というものは、舐めていては死ぬ。
年々暑くなってってる気がしてならない。去年も同じ気温?嘘でしょ?絶対気温上がってるでしょ?絶対毎日一度ずつ気温上がってるでしょ?え、年齢のせい?身体の衰え?辛すぎる…。

兎に角、暑すぎて死にそう。

月に一度の通院の帰り道。屯所から大江戸病院まで歩いて向かい、そこから帰るのにこの暑さは辛い。あぁもう目の前蜃気楼だよ頭も痛いしぐるぐるするし。どこかで休憩したい。
っていうか、ここどこだ。
見渡せば両脇に店が並んでいる。帰り道にこんな場所はないはず。ずっと川沿いを歩けば着くはずなのに、ついに暑さで頭までやられたらしい。

「名前ではないか。かぶき町に用か?」

頭痛の脈拍に苦痛を感じながら、声がする方を見れば、出来れば昼間っから会いたくもない男が。しかし、もう文句を言う気力も、体力は残っていない。身体の重みが限界に達して、意識もどこかへ飛んでいった。

          ▽

「ここ…どこだ」
「む、気がついたか?」

目を覚ますと知らない天井が見えた。視界の端には先程出会ったヅラの兄ちゃんの顔が。
そうだ、暑さにやられて途中で意識飛んだんだ…。
定期検診の際に医師から何事も無理はするなと言われたが、休日とはいえ帰りが遅くなるといけない。ゆっくり起き上がると、頭がまだ重く、クラクラする。
…で、ここどこだ。

「気が付いたかい?熱中症かいね、お水飲みな」
「あ…ありがとうございます」

声をする方を見れば、スナックのママのような女性が水の入ったコップをテーブルに置いた。
どうやらここは夜のお店のようだ。…ヅラの兄ちゃんもこんな所来るんだな。
ソファに腰を深く座り、一気に水を飲み干すと、乾いた身体に潤いが巡る。ママさんは空になったコップにまたチェイサーボトルで水をくんでくれた。

「すみません、見ず知らずの方にここまでして頂いて。もう大丈夫ですので」
「まだ顔が真っ青だよ。もう少し休んでいきな」
「そうしろ。この上には銀時も住んでる。そうだ銀時にも久しぶりに会えば良い」
「…ぎ、銀の兄ちゃんが…?」
「なんだい銀時の知り合いかい?ならゆっくりして行きなよ。アイツも時期に夕飯強請りにくるだろ」
「いえ、もう縁を切られた身ですので。…って事で帰るねヅラの兄ちゃん。助けてくれてありがとって放しててて」
「お前いつまで逃げるつもりだ、いい加減に誤解を解け!お前の口から言わないと銀時も信じんぞ!」
「やだ!!いいのこのままで!」

ヅラの兄ちゃんは出口の方に向かおうとする私の腕を握って、静止させようと拒む。相変わらず力の強いこった。
でも絶っっ対に銀の兄ちゃんには会いたくない。もう傷つけるのも、傷つくのもごめんだ。
ふん!っと精一杯の力を使ってヅラの兄ちゃんの静止から逃れた拍子に、止められない身体が、前に進む。
すると丁度入り口の扉がガラガラと古びた音を立てて開き、ドンっと何かにぶつかった。分厚い胸板、そしてこのふわっと甘い匂い、どこかで。

「…ったくなんだぁ?前見て歩きなさいー…て、お前」
「あれ、名前さん?」

ぶつかった身体、上を見上げれば甘い匂いを纏う、銀色のふわふわした髪の毛。出来れば一生、会いたくなかった人間。
両端にはこの前見た…確か名前は新八君と神楽ちゃん…あの二人が言ってた銀さんは、銀の兄ちゃんの事だったのか。
呆然としてしまい、ふと銀の兄ちゃんと目が合えば彼の顔が硬い表情へ変わり、赤黒い瞳の中に吸い込まれそうになる。

…いやだ、もうあの怖い目を見たくない。

咄嗟に距離を取り、視界の端に開いていた小窓を見つけ、そこからダイブしてお店から逃げる。後ろからヅラの兄ちゃんが叫んでいるのが聞こえるがなんて言ってんのかは分からない。
吐き気なんて二の次、今はただ逃げるのみ。
もう会わないって決めたんだから。




……あ、薬置いてきちゃった。













「コラ!名前どこ行く!!…リーダー!新八君!あの娘を引き止めてくれないか!」
「ええっ?!どうかしたんですか!」
「新八ィ早く追わないと見失うネ、ヅラ晩飯奢れヨ!」

銀時と一緒に晩飯を求めにきた新八と神楽は、桂の言う通りに名前を追いかけて行った。
銀時は扉を閉めて桂の元へ歩く。その表情は先程と同じで少し固く、険しい目つきをしている。

「ヅラ、なんでアイツがここに居るんだ」
「名前も江戸に出てきていたらしい。以前から思ったいた、お前と名前を仲直りさせようと」
「アイツと仲直り?冗談よせ、俺ァもうアイツの顔なんざ見たくねーよ」
「貴様いい加減にしろ!名前の事を話そうとするといつも逃げおって。お前だけだぞ、本当の事も知らずに名前の嘘を信じ続けているのは」
「本当のこと…?あ、なんだこれ?」

擦れる音がし、銀時は足元にあるビニール袋に気づく。何だろう?と少し屈んでビニールを拾い中を見れば、処方箋袋が入っていた。
表には花吐病抑止剤、そして患者名には名前の名前が書かれている。

「何でコイツがこの病気の薬…」
「薬を忘れていきおって…銀時、行くぞ。名前はこの話を墓まで持っていこうとしていたが……少し昔話をしながら、これを届けに行こうではないか」


          ▽


あれは戦争中、陣地が知らぬ間に敵に見つかり敵襲をうけた事が発端だった。絶対に見つかりはしない、作戦を練りに練りまくった結果。抜かりなはなかった。
そんな時、姉が拐われたと知らせが入った。
手当てや今後の対策の話をしていた時にその知らせを一番に聞いたのが、名前と桂。
名前は一目散に拐われたという場所に走り、桂も部下に銀時と高杉にも知らせてくれと言伝を頼んで彼女の後を追いかけた。

着いたのは大きな廃墟。
廃墟の壁に横たわる姉を見て、名前は状況を受け止められずにその場で足がすくんでいた。そんな彼女の代わりに桂は姉の側に行き、体を支える。

「姉上殿、大丈夫か?今助け、」

しかし、その言葉は止まった。
桂のお腹には短刀が刺さっていたのだ。それを刺したのは、紛れもなく姉の手。桂は姉との距離を取ると床に跪き、お腹を押さえる。衝撃の瞬間を目の当たりにした名前は「ヅラの兄ちゃん!」と叫び、桂の方へ駆け寄ると姉はゆっくりと立ち上がった。

「もう少しで殺せたのに…」
「お姉ちゃん何言ってるの…どうしちゃったの?!」
「まさか…敵陣に我らの陣地を漏らしたのは姉上殿か…?」

敵陣に入り込む時間なんて誰一人いなかった。
だが、一人だけそれが可能だった人物。……しかし、そんな事をする人物ではないと桂の中で決め込んでいた。なんせ仲間だったからだ。

「そうよ…敵に陣地を知らせたのは私」
「なんで…なんでそんな事するの?!仲間でしょ!」
「仲間…?アンタは私を裏切ったじゃない」
「…どういう事?」
「晋助さんとの事、知ってるんだから!!私には答えてくれないし触れてもくれないのに、アンタは…アンタには!それにもう戦争なんてウンザリなのよ…生きる為に人を殺さなきゃいけないなんて…それならもう、皆んな死んでしまえばいい!!」

姉は花吐病にかかってから少しずつ、狂っていった。この戦争を見る中で、何の為に生き、何の為に皆んなは殺し合い、何の為に生き抜いていくのか。
もう、この世界にいる事が地獄のようだったのだ。
高杉と別れたあの日、辛うじて生きてはいたが姉の人生は終わっていた。

姉が短刀を握りしめこちらに走ってくると同時に、後ろから敵陣が現れて走ってくる。
刀を抜いて姉の短刀を押さえつけ、敵陣は名前をよそに桂の方へ走り刀を抜く。しかし桂は腹部の痛みで立ち上がれずに竦んでいた。そんな桂を見て、姉の短刀を押し返し、桂の元へ走って敵に斬りかかる。素早く敵を斬りつけると、背後から熱い痛みが走った。
姉が名前を刺したのだ。後ろを振り返ると、姉の目の色が変わっている。

「名前!姉上殿は何者かに操られている!」
「っ……操られてるって、どうしたら!」
「あははは!!殺せないだろう?なら私が殺してあげる」

焦る名前だが姉の狂気に満ちた声に、顔色が変わった。

「何言ってんの?」

名前は、姉のお腹に刀を突き刺さす。呆気にとられた表情で姉は彼女の肩に倒れ込み、口からは緑色の塊が出てきた。それは敵陣が飲み込ませ、操るために仕組んだ寄生虫のようなもの。

「……名前、ごめんね。今まで迷惑かけちゃって」
「お姉ちゃん、ダメ喋ったら!ごめんなさい刺しちゃって…でも、これしか思いつかなくて」
「いいの、これが正解…。貴方は仲間を守った、私達の大事な仲間を。だから笑って、貴方は間違った事はしていないわ」
「違う…私は大切な人達の為に……お姉ちゃんを…っ」
「名前のせいじゃない、あの塊を飲まされた時にもう身体が悲鳴を上げてた……もうこの身体はここで終わりよ」
「やだ…やだよ…!」
「さっき言った言葉…本心なの。正直、名前の事も晋助さんのことも、皆んなの事、どんどん恨んでしまってた。…でも、皆んなこんな私に優しくすんだもの、もうこんな世界に生きるのはウンザリなの。だから行かせて、あなたは私の分までこの腐り果てる世界を貴方は生きて」

そう言って、彼女の腕の中で、姉は眠った。
刀が刺さった姉をそっと地面に寝かせて、姉の顔を見ながら考える。

私は、姉にしてきた事が間違えていたのか…?
ずっと苦しめてきたのか。私が、皆んなが今までやってきた行動のせいで、姉を死に追いやってしまった……。
こんな感情を他の人まで受けるんだったら、私一人が背負えばいい。

そう決意した時、息を切らしてやってきたのは銀時だった。この場の現状を目の当たりにして、張り詰めた空気を感じる。

「オイ、こりゃあどういうこった」
「…私が全部やったの。面倒なのよね、闘えない人間がウロチョロして。私の好きな人まで奪って」
「…本気で言ってんのか?」
「そうだよ」

名前は欺くように笑って頷くと、銀時は鬼のような顔をして刀を抜き、一瞬、瞬く暇もない程のスピードで名前に斬りかかった。刀を抜き制御するが、その本気な顔を見て恐怖を覚えた。
――これが、白夜叉。

仲間として戦ってきたから知らなかったが、敵に対する敵意がビリビリと感じ胸の奥にぎゅっと恐怖を覚えたけれど、負けじと力を込めた。

「銀時やめんか!名前も何を言っている!」
「名前……テメェ、俺の前にもうその面みせんな。次は…斬る」



これで良いのだ。背負う人が少ない方が良い。
銀時が居なくなり、名前は姉を抱き寄せる。息をしなくなった姉の口からは一輪の花が出ていた。
花吐病になんてならなければ、お姉ちゃんは狂わなかったのかもしれない、人生は明るかったのかもしれない。

「…何故銀時に本当の事を言わない」
「銀の兄ちゃん、お姉ちゃんのこと、昔から高杉の兄ちゃんよりずっとずっとそばにいてくれたの。深夜にも病気の症状が出た時は側で支えてくれたのに…そんな恩を仇で返すくらいなら、私が犠牲になる。ヅラの兄ちゃんも…ごめんね」

苦しくて涙が溢れた。
どこで間違えた、どうしたら良かった。姉の幸せを手に入れるには、どうしたら良かったんだ。
名前は姉の口から出ていた一輪の花を見て、その花を掴み口から抜き出す。
こんな花さえなければ、苦しまずに生きていられたはずなのに…!!
その瞬間、名前は何とも言えない気持ち悪さを覚え、床に手をつく。その光景を見て桂は名前に寄り背中をさすった。

「うぉえっ……!!」
「大丈夫か?!……っ、まさか」

名前の口から出たのは、一輪の彼岸花。
そう、連鎖は続いたのだ。



           ▽

「うぉぉえっ….…」

川沿いまで走ってきた時には、もう身体はクタクタで今にも意識が飛びそうだった。暑さのせいもあるだろうが、こんなに体調が悪くなるのは久しぶりだ。
走って逃げて、銀の兄ちゃんと会った事で過去の事をまた思い出せば、口から花がぼろぼろと出てきて倒れ込んだ。

「大丈夫ですか?!」

後ろから声をかけられて振り向くと息を荒くした新八君と神楽ちゃんが立っていた。思考は回るも、また吐き気を催し花を吐くと、眼鏡の男の子は私の身体を起こして背中をさすってくれた。

「うお!名前花食べたアルカ?ゲロ吐く人はよく見かけるけど花吐く人は初めてアル!」
「この花、触っちゃダメだよ。病気なっちゃうから」

胸ポケットに入れていた小さな折り畳みのスコップを出して穴を掘り、その中に吐いた花を入れて土を上から被せた。
背中をさすってくれたおかげで少し吐き気も治まったのは良いが、まだ頭が少しクラクラする。

「あの…名前さんって桂さんや銀さんと知り合いですか?」
「うん…ずっと前から知ってる、腐れ縁みたいなやつだよ」
「でも…銀さんのこと見て逃げてましたよね?」
「昔、銀の兄ちゃんには酷い思いさせちゃったの。だから…会いたくなかった、」
「私もよく銀ちゃんと喧嘩するネ。でもどっちが悪くても、酢昆布で仲直りするから、名前も仲直りするヨロシ!」

そう言って、神楽ちゃんというチャイナ服の女の子は笑顔で酢昆布を渡してきた。
ー…仲直りなんて出来るわけない。
今まで積み上げてきた銀の兄ちゃんの思いを、全部壊したんだ。壊したのが姉でさえ、その家族が裏切り者を始末するのが定め。
…でも怖かった。こうやって嘘をつくのも、それで私が兄ちゃんを裏切ることも。

「仲直り…出来るかな」
「出来るさ」

ビニールの擦れる音と共に、正面に銀の兄ちゃんが胡座をかいて座った。ほら飲め、と薬の入った袋からカプセルを取り出して水が入ったペットボトルと一緒に渡され、震える手でゆっくり掴む。薬と水分を飲み込むと頭も少しクラクラしていたのが少し和らいだ。

「すまなかったな、聞いてやれなくて。あん時俺も、いっぱいいっぱいでよ…仲間守れなかった事に、自分にもイラついてたんだ」
「違うっ……銀の兄ちゃんは、いつも私達家族の事ずっと大切支えてくれて…だから、姉が裏切った事よりも私のせいにできればって…どっちにしろ兄ちゃんの気持ち踏み躙ってごめんなさい」
「踏み躙ってなんかねぇよ。…そりゃあこっちのセリフだ。名前を、信じれなくてごめんな」

銀の兄ちゃんは私の頭にポンっと手を乗せたが、それがとても怖くて身体が跳ね上がった。
あの時の、白夜叉の目。あの目が離れない。
昔、呑気に笑って話をした時と同じ、死んだ魚のような目をしているのに。
私の顔を見て、悪りィと少し悲しそうな顔を向けるので、大丈夫だよと笑ってみせると、また少し悲しそうな顔をした。
違う、こんな顔させたいわけじゃない。なんでうまくいかないんだろう。震える手を銀の兄ちゃんの首に回してぎゅっと抱きしめる。出来ることなら、昔の笑い合ってた時に戻りたいのに。

「……ごめんね、ごめんね」

瞳から溢れる涙が止まらず鼻を啜りながら彼の耳元で謝れば、優しく私の頭をゆっくり、ゆっくりと撫でてくれた。