10.助けてほしいよ萩原研二くん


 研二くんがいなくなってもう直ぐ四年が経とうとしていた。
 あれから松田くんや千速さん、職場の先輩たちにかこまれて少しずつ前を向けているように思う。キッカケは、多分、千速さんと出掛けたあの時に言われた言葉だった。
 みんながみんな研二くんのことを忘れろと言う中、千速さんだけは忘れなくていいと言ってくれたから、私は少しずつでも前を向けている。
 前とは違ってちゃんと生活が出来るようになって。生きているフリなんてしなくても私は生きていけるんだと、彼がいなくなってしまってから四年も生きていけたんだと思って、時折悲しい気持ちにはなってしまうけれど。研二くんの言葉通り、幸せになんてなれていないけれど、それでも生きている。
 ちゃんと自立できたにも関わらず松田くんは週末、出来る限りの頻度でやって来ては私の様子を見て帰っていく。最早彼のルーティンになっているのかもしれないけれど、時折顔が死んでいる時もあるからちゃんと休んでほしいとも思う。
 だって松田くんは確か研二くんと同じ部署だと言っていたから、危険性の高い仕事なはずなのに。私の様子を見にきて休めてませんでした、なんて言い訳にもならないだろうに。……松田くんには、研二くんと同じになってほしくないって、私のわがままなのかな。

「移動になった」
 珍しく夜遅くの時間帯だった。もう少しで日付が変わりそうなほど遅い時間。そろそろ寝ようと思っていた私は、パジャマ姿のままで迎える。
 週末でもないのにやってきた松田くんは、私の顔を見るなり一番にそう伝えてきた。彼の言葉になんて返せばいいのかわからない私は、とりあえずおめでとう……? と疑問符のついた祝いしか出来ない。だけど、それは間違いだったかもしれない。
 どっかりとソファに腰を下ろした松田くんはどこか不機嫌そうだった。どうしたものかと近くの床に私は座る。気まずい無言が続いて暫く、悪い、と突然松田くんが謝罪の言葉を溢すから意味もなく慌ててしまう。
「ど、どうしたの? 来るのも突然だし、今日は週末じゃないよ?」
「悪い、希望してた部署じゃねぇから苛立ってた」
「そ、そっか……」
「これから今よりも忙しくなるから、あんまり来れないかもしれねぇ」
「……もう、大丈夫だよ?」
「ま、俺には俺の役目っつーもんがあるんでな。来れそうな時には顔出す」
 大丈夫だって言っているのに、松田くんは研二くんがいなくなってしまってから酷く私に対して過保護になってしまっている。
 役目だなんて言って、本当に大丈夫なのに。そりゃ数年前の私が言っても説得力は無かったかもしれないけれど、今の私はそうじゃないはず。
「……少なくとも一週間は来れねぇな」
「そっか……?」
 なぁ、と松田くんがかけていたサングラスを外して胸ポケットへとかけた。何も映っていないテレビを見つめていた彼は、何やら覚悟を決めたような顔をいて私を真っ直ぐに見る。
「今週で、終わりそうなんだ」
 何が、とは聞けなかった。
 なんとなく、予想がついてしまったから。何も聞かずに、ただ相槌だけをなんとか返す。
「……、頑張って、ね」
「おう」
 松田くんは彼の言葉通り仇を取ろうとして、今、実際に取れそうなところまで来ている。それなのに私は千速さんの言葉があるからと甘えて、前を向くのに時間をかけすぎている。しまいには、彼の言葉通りになんてなれていない。
「……松田くんは、終わったあと、どうするの?」
 松田くんは少し迷った後、さぁな、と不確かな言葉を呟いた。
「わかんねぇよ。まだ終わってねぇしな。終わった後のことは綺麗に終わらせてから考える」
 だから、と松田くんは続けた。
「絶対ぇ、今年で終わらせる」
 力強い瞳だった。強い強い意志がそこにあった。
 私は、目も逸らせないまま曖昧に笑うことしか出来なかった。

 毎年誘われては断っていたお墓参りも、今年は夜にでも顔を出せそうだ、なんて、考えていたのに。
 足元がフラついて、目の前が歪んでいく。クラクラと揺れる視界に吐き気がして、その場に座り込んでしまった。
 近くにいた先輩が声をかけてくれているけれど、眩暈と吐き気は治らない。暫くその場に蹲って、眩暈だけでもマシになって来た時、顔を上げて心配してくれた先輩に大丈夫です、と告げようとして、出来なかった。
「顔色めっちゃ悪いよ!?」
「え、あ、……でも、大丈夫です」
「全然大丈夫じゃないでしょう!」
「いや、あの」
「途中で倒れられても困るの! 今日は有給にしておくから、帰んなさい。帰りに病院は寄ってね」
 先輩の圧に逆らえずに頷くと、あれよあれよという間に私の帰り支度が終わっていた。
 本当に大丈夫なんだけどな、そんなに顔色悪いのかな……。他の先輩たちも、挙げ句の果てには後輩にも心配されちゃったけど。
 申し訳ない気持ちのまま背中を押されてオフィスを後にする。一階に降りるために乗ったエレベーターで見た自分の顔は、あんなに心配する先輩に気持ちがわかってしまうほど色を失っていた。
 曜日の関係で普段お世話になっている病院は本日お休み。わざわざ大きな病院に行くほどでもないけれど、掛かり付け医以外は少し不安で、それなら、と中央病院に道を変更する。
 午前の受付ギリギリになっていまったけれど、なんとか受付を済ませる。ここら辺だと一番大きな病院になるからか、人がたくさんいて受付の直ぐ近くには空いている椅子がない。
 これだけ人がいたら呼ばれるのはいつになることやら。下手をすれば数時間待たされるのに立ちっぱなしは難しく、受付から少し離れたところで待つことにした。
 自動販売機の近くはよく人が行き来するからか、座っている人はいなかった。
 長時間待つために置かれたものではないので硬いけれど、立っているよりは全然いい。
 椅子に背もたれなんて存在せず、壁にもたれかかる。不定期にぐらついていた視界が、ほんの少しマシになった気がした。
 人の話声や足音を聞きながら目を閉じる。体が固まってきたな、と思ったら体勢をかえる。そんなことを繰り返してどのぐらい時間が経ったのか。ケータイで確認してもそんなに時間は経っていなかった。
 また目を瞑って時間が経つのを待とうとしたとき、かさり、と足に何かが当たる音がして、立ち上がる。座ったまま覗き込んでもよかったのだけれど、そうしたらまた目眩に襲われそうでやめた。
 その場にしゃがみ込んで椅子の下を覗き込んでみると、そこには地味な色の紙袋が置かれていた。
「…………忘れ、もの……?」
 にしては、こんなところに忘れるなんてあるのかな。
 一人首を傾げて、でもここに置かれている以上誰かの物であることに変わりはない。椅子の下から紙袋を取り出して、息を止めた。
「これ、これ、って」
 ぶわり、と嫌な汗が全身から湧き出る感覚。確認するように恐る恐る中を覗き込んで、ひ、と喉が引き攣る音が出た。
 ピ、ピ、と減っていく赤文字で表示された時間。真四角な箱。
 実際には見たことがなかったけれど、映画やドラマではよく目にするそれが、紙袋の中に入っていた。
 こんな時、どうすればいいの? とりあえず、警察に連絡……、でも、もし違ったら?
 震える体を抱え込んで必死に頭を回すけれど、うまいこと動いてくれない。呼吸が浅くなっていくのがわかる。こんな時に限って誰もこの場所を使わない。
 ポケットからスマホを取り出して、写真を一枚撮った。そうしてそのまま、最近あまり使わなくなったトーク画面を開いて、送信。
 ほとんど無意識での行動だった。
 すぐに鳴り響いたスマホを落としそうになって既のところで捕まえる。通話ボタンを押して挨拶するよりもまず、松田くんが大きな声で私の名前を呼んだ。
『お前どこにいる!?』
「べ、べいか、ちゅうおう、びょういん……」
『米花中央病院だな!? わかった』
 すぐいぷつりと切れてしまった電話に、どうすることもできなくて、その場に座り込んだ。
 ど、どうしよう。あの慌て方って本物ってこと、だよね……? け、警察に通報、通報しなきゃ。でも松田くんに繋がったってことは通報したのと同じ扱いになる? 今連絡しても迷惑にならない?
 真っ黒になったスマホの画面を眺め続けていたら、また松田くんから電話がかかってくる。今度はメッセージアプリを通してじゃなく、私の電話番号宛だった。
「も、もしもし」
『あんた、米花中央病院のどこにいる?』
「受付近くの、自動販売機」
『わかった。なぁ、それ警察に連絡はまだだな?』
「う、うん! ねえ、松田くん、これって」
『……あんたの想像通りだよ』
 ひゅっと息を吸い込んだ。
 やっぱり、本物の、爆弾なんだ。
『今からそっちに処理班が向かう』
「うん、」
『絶対に大丈夫だって保証するから、悪いが見ててもらえないか』
「わたし、が?」
『ああ』
「松田くんが、来るの?」
『いんや、俺は違う所で相手してんだ、そっちには別の奴が行く』
 紙袋を見つめて、数秒だけ黙り込んだ。数十分もしたら爆発物処理班の人が到着するんだと松田くんは言う。
 もし、万が一、これが爆発したって、私はしんで、研二くんの元に行けるだけ。そう考えたら随分と気が楽になったような気がした。相変わらず、体は震えているけれど。
「わかった。私、ここで見てるね。病院の人には伝えた方がいいいかな?」
『いや、とりあえず黙っといてくれ』
「……わかった、けど、電話繋いでても、いいかな」
『…………何も喋れねぇぞ』
「うん、それでもいいの」
 もしこれが爆発するようならば、私も研二くんみたいに遺言でも残してやろう。大丈夫だって言葉を、信じていないわけではないけれど。
 耳を澄ませば聞こえてくる電子音に、さっきまで気付けなかった自分に呆れてしまった。あんなに静かな時間があったというのに、目の前にしなければ気づけないなんて。
 いっときも目を逸らさないように紙袋を見つめ続けること、数十分。
 数人の走る足音がこちらに向かっているのが聞こえた。かちゃかちゃと何かがぶつかる音も足音に並んで聞こえてくる。
 松田くんの言った、処理班の人たちだろうか。
 こっちです、と案内しようと足に入れた力は、立ち上がることなく抜けていった。
 なんで、どうして、
「――!」
 どうして、彼の声が聞こえてくるの?


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