03.デートがしたい萩原研二くん


「また月曜日」
「うん、気を付けて帰ってね。送ってくれてありがとう」
 彼女を家まで送ると毎回お礼を言ってくれる。俺が彼女と少しでも一緒に居たいだけだし、万が一にも何かがあって欲しくなくてやってるだけなのに、毎回毎回律儀にありがとうと笑う。そして来た道を帰ることになる俺に対して気を付けてね、と言う。
 今日は金曜日で明日と明後日は学校が休み。つまり俺と彼女の会えない時間。だからこそ名残惜しくて帰りたく無くなる。けど帰らないとこの子はいつまで経っても家の中に入れないし、俺だってずっとこの場にいる訳には行かない。
 俺よりもちょっとだけ高い温度を手放して出したまたね、の声はどこか寂しそうだった。

 手を繋ぐのはまだ慣れない。
 だっていつだってあの子は俺よりもほんのちょっとだけ高い温度を持っていて、それに触れて、時間が経てばその熱が俺に移る。そんなの緊張しない方が無理じゃん? 高校生男子、舐めないで欲しい。
 ただそんなこと一切顔に出さずに頑張っているのだから、そろそろ俺は褒められるべきだと思う。
 学校が休みの日は会えないのがさみしくて、金曜日だけは絶対一緒に帰るようにしてる。他の曜日は週によってちまちま。お互い友達も大事だからね。
 だけどやっぱり二日会えないのが堪えるのか、別れ際は惜しんでしまう。たぶん、きっと彼女もそうだと信じたい。だって金曜日に別れる時はちょっと困ったような顔をするから。
 だから。
「次の土曜日に! デートに! 誘います!」
「おー」

 蝉が鳴いている。太陽が沈んでもじっとりとした暑さは変わらずに汗が滲んでいく。
 昼休みに暑いと零せばノリのいいクラスメイトが髪ゴムをくれたので有難く人よりちょっと長い髪を後ろで纏めてる。首元が開くだけでこんなにも涼しくなるものか、彼女も同じように、髪を一つにまとめて高い位置で縛っていた。所謂、ポニーテール。
 歩く度に左右に揺れる髪と、普段晒されることの無い首裏に、汗が流れているのが見えて思わずごくん、と唾を飲み込んだ。俺の彼女は可愛いだけじゃなくてえっちだった……さいこう……。
 汗でちょっと湿った、繋がった手。
 彼女が俺よりも先に勇気を絞って差し出してくれた手を、今日は俺は握る。
 手を繋いだのは彼女の勇気。
 なら次は、俺が勇気を出す番。
「…………あの、さ」
「うん? どうしたの?」
「土曜日。今週の、土曜日。空いてる?」
 ぱちり。いつもよりちょっと大きく開いた瞳が瞬いて、そしてスケジュールを脳内で確認しているのか数秒黙り込んだ後、あー……、と歯切れの悪い音を呟いた。
 アッこれ無理なやつじゃん! 俺知ってるよ!?
「ご、ごめんね、今週の土曜日は予定があって……」
 ほらぁ!! すっごい言いにくそうにしてるんだけど!! そんな申し訳なさそうにされると罪悪感が……!
「そうだよな!? 急すぎたよな、悪い」
「え、いや! 私こそ予定入っててごめんね……?」
「しゃーねぇって! でもさ、俺君とデート、したいから、どっかで予定空けてくれると……うれしいな」
 よっしゃこれは結構攻めたのでは!? 心の中でガッツポーズ。表には絶対出さない。
 俺の誘いを断ったからか彼女顔は罪悪感で溢れていたけれど、俺の新しい誘いには嬉しそうに何度も頷いてくれた。
「あのね、再来週の土曜日なら空いてるよ。私も萩原くんと、その、……でーと、したいな」
 おれのかのじょがこんなにもかわいい。
 デートという単語に頬を赤く染めながら俺の様子を窺うようにチラチラと見てくる。もちろん身長差があるので必然的に上目遣い。うーん、可愛い。
「あ! でも萩原くんに予定があるなら、無理しなくて大丈夫! 私も今週は難しいし……」
「や大丈夫! すっごい暇してるから! 予定あっても空けるし!」
「本当に無理しないでね!?」
「だいじょーぶだって! 君がいいなら再来週の土曜日、俺に時間をちょうだい?」
「うん……!」
 こうして俺は可愛い可愛い彼女とデートの予定を立てる事に成功した。
 とりあえず松田に報告しねぇと!

 ▽

 好きな子よりも遅れて待ち合わせ場所に着くことだけは絶対避けたかった俺は、なんと待ち合わせ時間の三十分前には着いていた。おかしい、今までの彼女や松田と遊びに行く時だってこんなに早く着いたことねぇのに……。彼女より早く、とは思っていてもこんなに早く到着する予定なんてなかった。いやマジよ?
 待ち合わせ場所でソワソワとケータイを見つめながら立っている男子高校生って周りから見たらどう見えてんだろうな。それでも楽しみな気持ちは変わらないし、緊張だってしてる。
 事前に二人で話し合ってどこへ行くのか決めた結果、デートの王道水族館だった。遊園地、動物園と迷ったものの、初デートが天候で中止になるなんてことを避けたかったので水族館。建物の中なら天気なんか関係ないからな! 我ながら天才だと思う。
 何度ケータイを見つめても過ぎる時間はそんなに変わらない。彼女は待ち合わせ時間より早くに来るんだろうか。それとも時間ぴったりに来るんだろうか。そんなことを考えている今でさえたのしいから、あの子は俺を楽しませる天才だ。同時に緊張もさせられてるんだけど。

「――萩原くん! お待たせしました!」
 朝イチ、人の多い街のど真ん中で叫び出さなかった俺を誰か褒めて欲しい。
 途中まで歩きながら向かって来た彼女は、俺の姿を視界に捕らえるなり転ばないように小走りで近づいて来た。
 傷みの知らなそうな髪が今日は癖毛でくるん、となっているのではなく自分で巻いてきたようだった。それをハーフアップで纏めている。髪が、彼女が動く度にふわふわを揺れていた。
 膝上までのベージュのトレンチスカートに、白い半透明のシャツ。中には黒のチューブトップが見えている。当然、制服よりも色とりどりで、見慣れていないからかとても新鮮だった。
「ぜーんぜん、待ってないよ」
「ほんと? 早めに着くようにしたのに萩原くんがいてびっくりしちゃった」
「俺も今きたとこだから」
 本当は三十分前だけど。そのことを言ったらこの子がどんな反応をするのかなんてだいたいの予想がつく。今日は楽しんでほしいわけであって悲しませたいわけじゃないから、悟られないように笑って嘘を吐いた。
 現にほら、彼女は安心したように笑ってる。ウンウンそれでいい。それがいい。どんな表情だって可愛いけどやっぱり笑ってるのが一番だからね!
 いつまで経っても慣れないけど、慣れた風を装って彼女の手に触れれば、いつも通りちょっぴり俺よりも高い温もりに包まれた。
 これだけで幸せだ、なんて言ったら、単純なヤツ、と笑われるだろうか。

 本当は俺が全額出したかったチケット代は、残念ながら割り勘となった。
 最初は出すと言ったものの、まだ学生で親にお世話になってる立場だからと彼女が譲ってくれなかった。見た目や雰囲気はのんびりしているように見えて案外しっかりしてるそんなところも好きだけど、だからこそ大人になってひとり立ちした暁には俺が出すんだと決めた。
 チケットを購入して中に入れば、薄暗いけどどこか落ち着く空間へと入る込む。土曜日だからか家族連れだったり俺たちのようなカップルだったり、やっぱり人が多くて逸れないようにと繋いだ手に少しだけ力を込める。もちろん、この子が痛くない程度に。
「どこか見たいコーナーある?」
「うんと、順番に回りたい、かな。時間かかっちゃうけど……、いい?」
「もちろん」
 俺がこの子のお願いを聞かない訳がなかった。遠慮がちに聞いてくる彼女が可愛くて、ついつい頬の力が緩んでしまう。きっと周りから見た俺は物凄くだらしない顔をしていると思う。
 ずっと立ちっぱなしになるのは最初からわかっていたからか、彼女はヒールのないパンプスを履いていた。だからゆっくり歩いてもどんなに時間をかけても問題はないだろう。
 残念ながら人が密集してしまって近くで水槽を覗くことはあんまり出来ないけど、彼女は無理やり前へ行こうとはしなかった。いいの? と聞いたらいいの、と返ってきたので、もしかしたらこの子は後ろからぼーっと見てるのが好きなのかもしれない。
 水族館の雰囲気と彼女の雰囲気は、どこか似ている。

 途中館内にある飲食店で昼飯をとることにした。お昼時は混んでいるからという理由だけで少し時間をズラして、席が空いているのを見計らって店の中に入っていく。
 俺たちはまだ高校生だから、夜遅くまで出歩くことが出来ない。それに夜遅くまで連れ出したら彼女の親になんて思われるかわかんないし。だから今日はこの水族館だけで解散する予定で、晩ご飯まで時間も開くだろうから腹に溜まるやつがいいかもしれない。
 席についてメニューを手渡そうとした時、彼女がほっと息を吐いたのを見てもしかして、とひとつ思い当たる。
「足痛い?」
「え!? いたくないよ」
「ほんと?」
「…………ほんとは、ちょっとだけ。でも靴擦れとかじゃないから!」
「痛いんじゃん! 言ってくれれば途中で休憩も挟んだのに」
 休憩と言っても、人が多すぎてどこかに座るなんて出来ないだろうけど。なんで俺は気付かなかったんだ。痛そうにしてる素振りなんて見えなかった。
 彼女が隠すのが上手いのか、俺が浮かれすぎて見過ごしたのか。
 大丈夫だよ、ありがとう。笑った彼女は俺からメニューを受け取って軽く目を通す。そしてある一点で視線が止まったかと思うと、今度は左右に揺れる。
「どれで悩んでんの?」
「え、……あのね、これと、これ」
「半分こする? 俺はいいよ」
 素直に教えてくれた遠慮がちな彼女に先手を打てば、余程悩んでいたのか小さな声でお願いします……と聞こえる。彼女にとってはどこかに照れる要素でもあったのか顔がほんのり赤く色付いていた。
 店員を呼んで注文を通すと、程なくして運ばれてきた料理を取り皿に半分ずつ分ける。同じものを共有しているから、それと同時に美味しいねって笑い合えることの幸せと言ったら! 週に数回のペースで一緒にご飯を食べていても、その内容は違うから味の共有は今日が初めてだった。
 幸い時間に余裕があったので、彼女の足休めを兼ねてゆっくりと食事を進めながらついさっきまで目の前に広がっていたのは光景について感想を思いのままに口にする。
 楽しい。楽しくて仕方がない。
 もちろん、今まで付き合ってきた子としたデートで楽しくなかったことは無いけれど、今まで以上に楽しくて楽しくて、柄にもなくこの時が止まればいいのに、なんて。彼女も同じことを思ってくれてたらいいのに、なんて。本当に柄でもない。
 残り少なくなった水槽もゆっくりと回って、水族館を出た頃には完全に日が傾いていた。いくら日が暮れるのが遅かろうが、いくらまだ外が明るかろうが、それでも彼女を家に返さなければならない。
 やだなあ。女々しいワガママを手に込めた。彼女には伝わりっこない。
 朝待ち合わせした場所ではなく、彼女を家に送るまでが今日のデート。彼女の雰囲気や水族館での話が途切れない事で俺だけじゃなく彼女も楽しんでくれたのはわかる。
 離したく、ねえなあ。
 慣れた道ほど、すぐ目的地に着いてしまうのはなんなんだろう。
 彼女と手を離す前に一度だけぎゅっと手に力を込めれば、彼女はちょっと驚いたように目を丸くする。ごめんごめん、驚かせるつもりは無かったんだって。
 ただ、やっぱり離れるのが惜しく感じてるだけで。一日我慢すりゃまた会えんのに。
「あのね」
「うん」
「今日、すごく楽しかった」
「俺も楽しかったよ」
 だからね、あのね。拙い言葉が続いて、自然と手が解かれる。出来れば最後の一秒まで繋いでたかったのに、こんなにあっさりと解けるもんなのか。
 彼女の言葉よりもそっちが気になってしまった俺は、最後に落とされたドデカい爆弾に暫く反応が出来なかった。

「今日! ありがとう! また月曜日ね、研二くん!」


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