06.ずっと一緒がいい萩原研二くん


 松田に頑張ると宣言したのは何だったのか。
 あれから早くも半月、俺は彼女を捕まえられないでいた。
 だってだってだってさ! 聞いて欲しいんだよ! 人がいるところで話しかければ答えてくれるものの、流石にそんなところで話すものでもないからと人のいない場所で声をかければ何かと理由をつけて断られてしまう。そんなに俺と二人きりが嫌? やっぱりキスしたのが原因? もうしないからせめて話だけでもして欲しい。
 何も分からないまま頭を抱えたのは仕方がないことだと思う。
 何か俺に対して嫌な事だったり、思う事があるのなら教えて欲しい。出来る限り直す努力はするつもりだし、それでもダメだった時は、まあ、その時次第にはなるけど。
 それすら伝えられないこんな世の中なんて。

「ま、まつだぁー……」
 だから、一ヶ月経った頃、松田に泣きついた俺は悪くない。
「死んでんな」
「もう無理なんだけど……心折れそう…………」
「お疲れさん」
「お願い助けて……俺はもう無理だ……。あそこまで拒否られるのしんどい。急すぎでしょ、マジで俺なんかやらかした?」
「やらかしてんじゃね?」
「アッ今俺の心折れた。ポッキリ逝った」
「へーへー」
 こんなにも親友が泣き付いているのにこの反応。つらすぎる。
 頬杖をついた松田は視線だけを俺の背後に投げかける。後ろではあの子が友達と何かを話してるのを、見ては無いけどなんとなく知っていた。
 机の上でぐったりとした俺に視線を戻したかと思えば、ちょっと待ってろ、た吐き捨てて松田が立ち上がる。
 エッ待ってどこに行くの!?
 起き上がる気力すら湧かないまま、その背中を目で追いかけると松田があの子に話しかけていたのが見えた。あの子の友達は突然松田に話しかけられた事によって少し色めきだって、そして当の本人は気まずそうに笑ったあと、ひとつ頷く。
 そしてすぐ戻ってきた松田は、心底めんどくさそうに言う。
「今日の放課後、勝負してこい」
 その言葉を理解するのに数秒。しかし、きちんと正しい意味で理解した俺は、立ち上がって勢い良く陣平ちゃんに抱き着いた。
「サンキュー陣平ちゃん!」

 放課後の教室はすぐに俺とあの子を置いて人が居なくなってしまった。多分、みんなが協力してくれたんだと思う。
 ありがてぇなぁ、と思う気持ち半分、作ってくれたチャンスを逃さないようにしなければと背筋が伸びる。
 人が居なくなって静かになった教室の中で、彼女は自分の席に座ったままだった。見たところ帰る準備は既に終わらせているみたいだったから、ちんたらして逃げられる前に、と名前を呼ぶ。大袈裟なぐらいに飛び上がった肩に、寂しくなる。
 それでも、ちゃんと話さなきゃいけない。
「隣、いい?」
「…………うん、どうぞ。って私の席じゃないけど、」
 目は合わないまま、あの日のように彼女の隣の席に腰を下ろす。
 ここからどうやって話を続ければいいんだろう。今日一日そんなことばかり考えていたけれど、結局答えは見つからないままだった。握った指先が酷く冷たい。緊張、している。
 呼吸を、ひとつ、置いて。
「……あの、さ」
「うん」
「聞いても、いいかな」
 返事は、無かった。
 彼女の指先が遊んでいるのは、落ち着かない証拠。
 これ以上なんて話せばいいのかわからない俺は、ただ待つことしか出来ない。暫くじっと見つめていると、彼女が動き出した。
 合わなかった視線は絡んで、彼女は体ごと俺の方へ向く。ちゃんと向き合ってくれるのだと、人知れずホッと息を吐き出した。
「……ごめんなさい」
 俺を見つめる瞳に、薄らと膜が張ったのがわかった。でもそれが零れ落ちることはない。彼女はたった一言謝罪したあと、きゅっと唇を噛んでしまった。
 思わず伸びそうになった腕が、引っ込められる。
「それは、どういう……。あー、待って、もしかして俺、今フラれてる?」
 少しでも空気を軽くしたくて口にした言葉はあまりにも現実味を帯びていて、ちくりと胸が痛む。だけど彼女は驚いた顔をして、違う! と珍しく大きな声を上げた。今度は俺が驚く番だった。
 だって、彼女がこんなに声を張り上げるところなんて初めて見たし、今まで避けられていたのを考えればそう考えるのだって普通だろう。
 自分から告白した手前、別れを告げられなくて自然消滅を狙ったんだと、そう、俺は思っていたわけで。
「ご、ごめんなさい、ちが、違うくて、あの」
「…………ゆっくりでいいから、俺に聞かせてくれる?」
「うん、えっと、あのね、ずっと避けてて、ごめんなさい。……私、本当に、研二くんのことがすきなの」
「ン? うん? ああ、俺も君のこと、好きだよ」
 だから手を繋ぐだけで、名前を呼ばれるだけで、デートに誘うだけで、ーーキスをするだけで、こんなに緊張する。
 こんなに好きになったのは初めてだった。こんなに心臓が突き動かされるのなんて、初めての経験だった。
 まだ高校生のくせに、って思われるかもしれないけど。でも、きっと俺はこの子以上に好きになれる子なんて、この先一生来ないのだと思う。変な確信さえあった。だから手離したくないと思っていたのに、この有様なんて、情けない。
 ぽとり。目をまん丸にした彼女が、ひとつ涙を零した。
「え、」
「け、研二くん、私のこと、好きなの……?」
「エッ!? うん好きだよ!? じゃなきゃ付き合ったりしないよ!?」
 なんでそんな勘違い生まれてるの!?
 彼女の涙に驚く暇もなく、次は言葉に驚いてしまう。なんだ、なんだこれ。なんでこんなに驚かされてんの? なんで?
 追ってふたつ、みっつと涙を流す彼女は拭うこともせず、頬を染めて笑う。
「初めて、聞いた」
 ……………………初めて、聞いた?
 うれしい、と彼女の口が動くのを見つめながら、自分の言動を思い起こす。
 初めて聞いたってことは、それは、俺が初めて言った、って、ことで。
 告白された時ーー、は確かに、嬉しすぎる感情を抑えるために今までと同じように返したような気がする。でもそれからもう半年は経っているのに、その間一度も俺は彼女に伝えていなかった……?
「私の友達に、研二くんと同じ中学校だった子がいるの、多分知らないよね?」
「そうなんだ!? え、待ってそんなに爆弾を連続して落とさないで? お願いちょっと処理する時間ちょーだい……?」
 こっちはまだ初めて思いを告げた事実を処理しきれてない。かっこ悪いとこ見せてるな、とかもうどうでもよかった。……むしろ俺はずっとかっこ悪いところを見せていたわけで。
 アー。
 頭を抱えそうになるのをグッとこらえて、でもがくりと肩が落ちるのは押さえきれなかった。
 今までずっと彼女は自分の一方通行だと思って過ごしてたってこと? 付き合ってるのに? やべぇどうしよう松田、俺すげぇやらかしてたわ。なにもやらかしてないとか大嘘だったわ。
 時間を貰えてある程度落ち着いた脳みそで、彼女に話の続きを促した。
「その、研二くんと同じ中学校だった友達ね、実はちょっとだけ研二くんと付き合ってたんだって」
「うっそぉ……」
「ほんと。あ、その子はもう吹っ切れてるらしくて、ずっとアドバイス? 相談? してたんだけど」
「……ウン」
「それで、……研二くんは、結構好きって言うタイプだって、言ってて。私、一度も言われたことないなあ、って、思って。だからデート、とか、研二くんの優しさなんだと思ってて」
「ウン、ウン、とりあえず俺の言葉足らずが原因なのは理解した。……続けて?」
「と、友達、が。研二くんとは、キス止まりだった、って、言うから……えっと、あの日、キス、した時に、フラれちゃうって、思って……、聞きたくなくて、研二くんのこと、避けちゃってました……」
 デートやキスの単語を出す度に照れるのか言葉に詰まっているのが最高に可愛いけど、今はそれを口にする時じゃない。
 つまり、ぜーんぶ俺が原因だったってことね! おっけい把握した! 俺なにやってんの?
 出来ることなら過去の自分をぶん殴りたい。かっこ悪くてもいいからせめて気持ちを伝えるのは忘れるなって。告白された時にちゃんと伝えろって言いたくて仕方がないけど、過去のことなんてどうにも出来ないから、これから頑張ればいい。
 どれだけ俺が彼女のことを好きで好きでたまらないのか、ちゃんと言葉にしないと伝わらない。
「ちゃんと言わなくてごめん。俺が伝えてないせいで、たくさん不安にさせて、ごめん」
「う、ううん! 私も避けちゃって、研二くんが傷付いてるって松田くんから聞いたの。私こそ逃げずにちゃんと聞くべきだった、ごめんなさい」
 ふたりして頭を下げて、数秒の沈黙が続いたあと、同じように吹き出した。
 いつの間にか彼女の涙は止まっているし、気まずい雰囲気もどこかへ飛んで行っている。前と同じ、むしろ前よりも距離が縮まったような気がする。
 笑いが落ち着いた頃を見計らって、彼女の両手を包み込んだ。
「今度はさ、俺の話を聞いてくれる?」
「うん。……聞かせて、欲しい」
 彼女が頷いたのを見て、俺はただひたすらに語った。もう変な誤解を与えないために、どれどけ俺が彼女のことを好きなのか、どういうところが好きなのかを、ただひたすらに。
 例えば、ゆっくりと話すところとか、話す時は出来るだけ相手の目をしっかりと見つめるところとか。
 例えば、人のことをよく気遣うその優しさとか。
 ひとつひとつ、丁寧に、俺が好きになった瞬間から重ねていった気持ちを余すことなく伝える。そしてかっこ悪いのを自覚した上で、俺がこの子に対して好きすぎて何も出来ない話も。
 すると最初は相槌を打ちながら聞いていた彼女も、次第に恥ずかしくなって来たのか今まで以上に顔を赤くする。ほら、もう、こういうところも可愛くて好きなんだって!
「も、もういいよ……!?」
「え? まだあるけど?」
「もう……! もうじゅうぶん伝わりました!」
 俺がいったいどれだけ陣平ちゃんに語ってきたと思ってるの。俺は陣平ちゃんにマジで聞きたくねぇ、って言わせた男だよ?
 赤くなった顔を隠そうといつの間にか離れていた両手で覆っているけど、流れる髪の隙間から覗く耳や首まで真っ赤になっているからあんまり意味は無い。
「かわいい。もっと見せて」
 好きな子のかわいい姿なんて見たいに決まってんじゃん? 今まで口にしてなかった分、これからはちゃんと言うから。そしたらまたかわいい姿が見れるんでしょ?
 もう緊張なんてしていなかった。ちゃんと話し合えたことで開き直った。きっとこれ以上のかっこ悪いなんて存在しないから、今更だ。
 もう季節は冬で。だけど暖房の着いていない教室はそれなりに寒いはずなのに、彼女は両手を隠すことに使うのを止めて暑い、と手で扇ぎ出す。肌の赤みがほんの少しだけ引いているところを見ると、落ち着いてきたんだろう。
 緩む表情を抑えて、真っ直ぐに彼女の名前を呼んだ。俺の雰囲気を察してくれたのか彼女は扇ぐのをやめて姿勢を正す。
「俺さ、きっと君が思ってるよりも情けない男だし」
「そんな事ないよ?」
「……ありがとう。そんで、君が思ってるよりも、君のことが好きだよ」
「うん」
「二度とこんな勘違いはさせないって誓うし、泣かせたりなんか、しないから」
「……うん」
「だから、……俺と、別れないで欲しい。これから先ずっと一緒にいて、俺の隣で、笑っていて欲しい」
 我ながらプロポーズの台詞みたいだ、とは思うけれど。全部全部、俺の本心なわけで。
 まだ社会を知らないガキだけど、俺の隣にいるなら君がいい。いつか本当のプロポーズはちゃんとするから。
 彼女が、目を細めて笑う。
 すごく、凪いだ笑顔だった。
「研二くん。こちらこそ、ずっと隣にいてください」


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