毛利探偵は事務所へひとり戻り、蘭は此処にひとり友人を残すのも危ない選択故にまだ席に座り。彼女の向かい側に座っていた。一度探偵事務所へ戻り膝掛けを持ってきたが、安室の上着を握りしめ放さない夜子を見てその上から掛けることに。ぬくぬくと温かくしながらコホっと咳をつき、微動だに動かない寝相の良さに感心している。
一期は彼女の隣に座り時々頭を撫でていた。
「ぐっすりですね」
「ええ。眠っている時の彼女はまるで幼子のようで、安心します」
一期の眼差しは何処までも優しく、そしてどこか哀愁が漂っていた。それを目の当たりにする蘭は「一期さんってお兄さんみたいですね」と鶴丸を遠戦で追撃する。その言葉を聴き鶴は背もたれに手をつき半身振り返り蘭へと声をかけた。
「きみ…この間会ったときより手酷くなっていないか?」
「すみませんが、もうあなたのファンではないので話しかけて貰わなくて結構です」
「派手に嫌われたな」
「ええ、嫌いです。夜子ちゃんを傷つけたあなたを好きになれる訳がないですから」
「なるほど。お嬢さんは友達思いなんだな」
小馬鹿にするように背もたれに肘を置き、掌に顎を乗せ。優美に笑う鶴丸に蘭は背を向け、口を利く事さえしなくなった。
「鶴丸殿」
「ははは、少し多めに見てくれよ。なんだ、最近ファンが減ってな。掲示板に書かれたのが問題でねぇ。何処のリークなのか知らないが」
鶴丸はとくだん傷ついた様子もなく身体を正面に向け安室を見据えた。だが笑顔で返され、空になったカップをカウンターにいる安室へ「おかわり」と注文。安室は空いたカップに再び珈琲を注いだ。
「珈琲とは色が黒いな」
「どちらかと云えば茶色ですよ」
「烏合の衆が寄せ合えば黒いと、俺は思うがね」
再び満たされた白い陶器の中の、黒い液体。触れる度に涙立ち揺れ、波紋する様を鶴丸は恍惚そうに眺めてから口元へ持っていき傾ける。喉が数回上下に動き、片手でゆらゆらとカップを揺らす。その動作を細目で見つめながら安室は珈琲を追加で作っていた。
「きみはあの子が欲しいか」
「それはどういった意味です?」
「言葉通りだ。欲しいか、いらないか。受け取るか受け取らないか…どっちだい?」
手を止め安室はその透き通る瞳に目の前に鎮座する男、鶴丸を捉えた。鶴丸は長い睫毛を伏せながらその美しい彫刻のような顔で安室の出方を待っている。その余裕綽綽とした態度に余所息の笑みを外し口元を引き締め、安室は渇いた唇を薄く開けた。
「奪い取りますよ、彼女は僕にとって大切な人ですから」
「ほぉ……こいつは面白いねえ」
カップをティーソーサーに戻すと鶴丸は今までに無いくらい三日月型に口元裂き、その場の空気を一瞬で凍てつかせた。氷で心臓を抉られるような眼差しに、拳を握り見据える安室に、鶴丸は瞼を閉じ。次に瞼を持ち上げた瞬間、普段通りのお茶らけた笑みを浮かべた。
「きみのお姫さんは、俺の妹なのか」
「謀りましたね」
「いや?そんな野暮な事しなくても狙いは定まっていたさ。ただ、遊んでみたくなっただけだ。ほら、人生起こりうる事総て解ってしまったらつまらないだろ?驚きが必要だと思ってな。しかしそうか、そうか。妹が欲しいか〜ん〜、兄としては複雑な想いだが、そうだな……」
「ッ」
机の上に手をつき、鶴丸は安室の構えた左腕を掴み絞め上げながら、顔を近づかせ。鼻先が触れ合う距離で囁いた。
「やらない」
「俄然やる気が出ました」
「ははは、いいね。きみは少し、愉しめそうだ。精々簡単に死んでくれるなよ―――」
鶴丸の最後の言葉。その敬称に安室は目を見張る。周囲の女性客が賑わいを見せると、鶴丸は女性客へ視線を流し不敵に微笑み手を振った。いつの間にか掴んだ腕を離し、元居た席に座り直し、近づいてきた女性客の対応を始める。掴まれた腕に視線を落とすと其処には掴まれた手痕が、残り。安室は鶴丸を警戒した。
(この男……まさか)
「一期さん電話鳴ってるみたいですよ」
「ああ。すみません。少し外しますので夜子さんの事をお願いします」
「はい」
一期が席を外し通話をしながら店の外へ出る。たまたま近くに座った男性客が、ふと夜子の姿を捉える。
「かわいい子が寝てんだけど、超無防備」
「あ、ほんとっだ。でもなんかこの子首まで包帯巻いてね?」
「ああ、ほんとだ……ハイネックから覗くのってすげえエロいな」
「あんま声荒げるなよ。隣の女の子に気づかれるだろ」
「わりぃわりぃ」
安室は休憩時間になり、店長に許可を貰ってからエプロンを脱ぎ迷うことのない足先でカウンターを出て、蘭の傍を通り過ぎソファーに座った。眠る夜子を男性客たちから塞ぎ。夜子の頬に手を添え首元の襟を引き上げ髪を梳き始め、その客たちへ流し目で目線を向け微笑みを向けた。その視線に無言になった男性客たちはそれ以上視線を向ける事はなかった。
「安室さんってやっぱり……」
「蘭さんも探るのが好きですね」
「探るっというか、なんかほっとけないんですよね。安室さんと夜子ちゃんが…まるでを鏡を見ているみたいで」
蘭はそういって、会えずじまいの幼馴染のことを思い出しながら揺れるアイスティーのグラスをかき混ぜた。そんな蘭の言葉に、全く自身の気持ちが固まっている事にも気がつかずに安室透は、ずれてしまった枕を取り、無邪気に眠る姫の頭を持ち上げ自身の膝に乗せては、目を細めた。しっかりと握りしめるその指の中に、彼のジャケットが皺になって離れない様に。
「あ、そういえば園子から渡されたパスリング。夜子ちゃんの分も私が預かってるんだった」
「パスリング?」
「ええ。来週乗る予定のベリツリー急行のなんですけど」
「へえ―あのミステリートレインですか。いいですね」
「園子と私と父。あとはコナンくんたちも一緒に。車両は違いますけど。夜子ちゃんと初めて出掛けるので今からちょっと楽しみなんですよね」
「へぇ……遠出ですか。羨ましいです、ええ本当に」
「え…あ……、はい」
一瞬で黒き炎が燃え上がっている安室の背後に、背筋を凍らせる蘭。見せて欲しい、と言われパスリングを手渡すと指先でくるくると左右に手元で回転させながら、安室は夜子の右手をとる。そして薬指にそのリングをはめた。その姿に女性客が興奮気味に倒れている。
「怒られますよ」
「想定内です」
安室の清々しい笑みに、蘭は苦笑した。
(安室さんも最近、夜子ちゃんのリアクションを楽しんでる節があるよね…)
その着信音に瞼が持ちあがった。目が醒め視界に映ったのは座っている女性の足元だったが、それよりけたたましく響く自身の端末機を取り出し耳にあてた。
『はい』
誰からなのかは画面を見てすぐに解った。だが、通話先は呼吸を乱しながら切羽詰まった声が脳内を更に覚醒する。
《 男が女性を埋めてその現場を目撃して、今逃げているけど。かけてるのに江戸川くんに繋がらないの。警察には連絡をしたけどッ 》
『わかった。すぐに行く』
通話を切り横向きの体勢から仰向けに動かすと青瞳と遭遇。あまりの近さに瞬きを数回繰り返すとその見覚えのある彼は柔らかく笑みを溢した。
「おはようございます、夜子さん」
『は、よぉ……ござます……、ってなにしてんッ?!』
「ああ、そんな直ぐに起き上がると机に額をぶつけて……遅かったですね」
思いきりぶつけてしまい、あまりの痛さにごろごろとその場で左右に動き壁際に顔を埋めるで、収拾がつく。
『ったぁ〜〜もう。仕事はどうしたんですか』
「………」
『聴いてます?』
「………すみません。あなたが僕にしがみつくから」
『……はぁい?』
額を抑えつつ左目だけで彼を見上げると、口元を手で覆いながら困った顔をしていた。なに演技してんだ。ハイスペックなんだから女性を口説くくらい朝飯前だろ。ああ、壁だと思ったら彼の腹部あたりに顔を埋めてしまったのか……うず…めて……うず……ッ落ち着け!わたし!!
「ッ」
安室さんの腹部に思いきり頭突きをかました。正面で観ていた蘭ちゃんが笑うのを堪えているようだ。時々息が漏れている音が聴こえる。
『安室さん腹筋硬くないですかっ』
「あ、ああ…すみません……あの、夜子さんも丈夫な骨をお持ちで」
「大丈夫ですか、おふたりとも」
一期が駆け寄ってくるのを横目で確認してから、今度はゆっくりと起き上がる。その際肩を支えられたが気にするな、私。
『一期車出せる?』
「ええ…でも、何か」
『ちょっと行きたいトコ出来たから』
「車出してきます」
一期が再び外へ出て行く。脱いだ靴を履き、毛布を畳む。すると見知らぬ男物の上着が膝に落ちる。それも畳むと安室さんが「それ僕のです」と言って来た。指先から凍りつき、ぎこちなく首を彼の方へ向けると良い笑顔がそこに在り、更に顔から血の気が引く。
「悪化するのは避けたいでしょうから」
『あ、ありがとうございます……』
「いえ、気に入ったのなら貸しましょうか?」
『ありがとうございましたっ!』
畳んだ上着を授与式みたいに返す。ポアロの窓から車が見えたため、席から立ち上がると出やすいように避けていた。押し黙りつつソファーから脱し、一期の上着を手に出入口に向かう。
『またね蘭ちゃん!付き合ってくれてありがとう』
「いいよ。暇だったし」
『……安室さんもありがとうございましたさようならっ!』
脱兎の如くその場を立ち去った。
「安室さん、あの顔が見たくてやったんですね」
「え?なんの事ですか。さて仕事しないと」
「……俺、どうやって帰るんだ」
助手席に乗り込みシートベルトを挿す。カーナビを弄る一期に目的地を告げた。
『群馬のキャンプ場』
「確かコナン君達が行っている場所ですか」
『マッハで!』
「承知しました。少々粗くなりますがご容赦ください」
口を結び身体を固定させると、アクセルが吹き荒れる。サイドボードからサイレントを取り出し、屋根につけると私は神に祈った。
起き出して早々だけど神よ……死がコレではありませんようにッッ!!
一期の車はBMW。元の持ち主同様、女性に気を遣い、お金がかかった高級車。だけど時速は250キロの速さも特化した車種であった。
イケメンって奴は皆こぞっと人の動体視力を殺しに掛かる乗り物好きだなッ!!