「これがこの世で咲くことのないと謳われた青薔薇の吐息じゃ」
次郎吉さんに案内され厳重に警備システムの中に展示されている宝石を閲覧する。
「綺麗だね」
『いと美しい』
「「 時代錯誤 」」
園子ちゃんと蘭ちゃんにツッコまれるが私はケースの前から動かずに青薔薇の吐息を眺め続ける。そんな私の隣にキッドが近寄り声をかけられる。
「夜子さんは青薔薇が好きなんですか」
『そうなんですよ。花言葉もだけどいつか咲いたら、この世に奇跡は存在するって証明されるみたいで素敵じゃないですか』
「ロマンチックなことを考えますね」
『でも単純に青が好きなのかもしれないけど』
水色の髪を揺らし一期?が隣に来ると目を細め嬉しそうに微笑む。その色気ときたら普段からは想像もつかない程に漂っていて一瞬固まるが一期の腕に触れようと伸ばしたところで、スカートの裾を引っ張られ、足元へ視線を投げるとコナンくんがこちらを睨み親指が背後へと誘導されるので私は素直にその場から離れコナンくんの目線に合わせてしゃがむ。
「忘れてねえだろうな」
『忘れてませんってホームズジュニア』
「もう誰かに化けて潜入してると思うから早い所教えてくれよな」
『はぁーい』
「……で。誰に化けてるのか解ってるよな」
『……一期かな』
「一期さんか…確かに一課の一期さんが非番でも二課の捜査現場をうろつくのは怪しい」
『それに……普段より数倍も色気がある』
「真面目な一期さんから漂う色気か…それは変だなってそれ関係あるのか」
『あるよ。だって一期はディ●ニー系王子様だよ?あれじゃハーレークィンの王子様じゃない』
「意味わからん」
『お子様にはまだ早かったかな』
「オレは安室さんも怪しいと思うけどな」
『その心は』
「普通すぎる」
『お見事』
「だが、別に安室さんは変装している訳じゃないんだよな」
『そうだね』
「ん―まあ、奴がどんな手で来るか。お手並み拝見といくか」
コナンくんが再び青薔薇の吐息が展示されているケースの傍まで向かう。私はその場に佇みよっこいせっと立ち上がると壁に寄りかかるキッド。
「コナン君は鋭いですね」
『名探偵ですから』
「きみは彼にご執心なんですね、妬けます」
『アルセーヌもホームズも私はどちらも美味しく頂ける自信ならありますよ』
「素直な人だ……で。普段の彼はどんなことをきみに強要しているんです?」
『イケメンでなければ猥褻罪で突き出すレベルですかね』
「うわ――やべぇー人だ」
『そうですよ。やべぇ人ですよあなたは』
「もしかして盗まれちゃったとか」
安室さんの顔で人差し指の腹に唇をあてちゅっと小さなリップノイズが響く。その仕草が安室さんにしてはあざとかわいいので親指を立てるが、思わず舌の感触まで思い出してしまい両手で顔を覆い背を向けた。赤面を止める術を教えてください。
「へぇ―盗られちゃいましたか。ガードが堅そうに見えるけどきみは諸刃ですからね。隙が多くて彼も大変だ」
背中にちょこんと腕があたり頭部に彼の頬が触れる。寄りかかられているのだとわかるが頬を両手で抑えながらまだ熱が引かない。
『好きな女の子がいるならその子以外に気を持たせるような行動は慎むこと。乙女は繊細なんだから、小さな棘でも傷口は広がってしまうんです』
「肝に銘じておきます」
くすくすと笑うキッドに熱っぽい息を吐きだす。やだな…もう……過去は振り返っては駄目。あれは事故事故事故ッ事故なの。よって誰が悪いでも感情も意味もなにもない。何にもないんだから、そうよ。そうそう。喪失したの。失くしたものを観ようとしなくていいから。望遠鏡も持ち出さなくていいから。暗闇の中を走らなくていいの。うん。復活!と顔を上げると頭上から重みが消え、キッドは真っすぐに誰かを見ていた。
『安室さん?』
「きみも大変ですね」
キッドの発言の意味に小首を傾げると文字盤を確認する。その行動にそろそろ指定された時刻に針が刻むのだと予想できる。右隣にいるキッドが私の耳元に唇を寄せる。
「 じゃあ後は手筈通りに 」
了解、と答える前にいつの間にか左隣に来ていた一期に腰を抱かれぴったりと身体が密着する。驚きのあまり一期の顔を覗くと普段からするとは思えない何処か苛立った顔をしていた。だから一体誰なんだお前は。いや、待てよ……こんな気安く女性の腰を抱ける男は私の身の回りで一人ないし二人ほど居たような。いや、待て三人くらいいる気がする。腕を組み眉を寄せ思い出そうと海馬を回転させていると小声が届く。
「彼だと嫌がらないのか」
『え』
再び一期の顔を覗くと彼は淋し気な横顔を浮かべていた。……アンニュイな顔もいいな。と思った矢先に停電する。そしてキッドの声が館内に響き渡った。彼のショーが開幕する。段取り的には彼が宝石を盗んだと見せかけて再び安室さんになりすまし慌しくなる館内で盗み、そのまま共に帰宅する。という流れだが停電すると同時に強く引き寄せられた。
「動くな。闇に慣れない状態で動くのは愚策。お前は俺の傍から離れるな」
普段から一期の物腰の柔らかな声には癒しセラピーを感じていた。敬語口調で緩やかで優しくて心地よいその声はまるで小鳥のさえずりかと思う程だ。そして王子様だと思っている。あ、勿論山姥切の方が理想の王子様だけど。だが、しかしこのディ●ニーっぽい王子様からこんな男らしい口調で抱きしめられてしまうと乙女フィルターが作動してしまい、ときめきが止まらなくなる。顔は一期だけど中身誰だよ。ッて状況なのにナニコレ美味しいわ。美味しすぎる。きゃわっとなりながら数分後点灯し、宝石は厳重な警備体制のガラスケースから忽然と消えていた。残されたのは空のケース。一期も私から離れるとコナンくん同様ガラスケースの傍へ行ってしまう。あの一期は一体……男の人だってことはわかるけど……でも、いや……ベルモット姐さんの言葉を信じるなら違うと思うけど。顎に指先を添えて考え込むが、私の隣に何事もなかったかのように安室さんに扮したキッドが鼻歌交じりに居つく。
「ここまでは順調だな」
『お疲れさま……』
「あの水色の兄さんの事が気になりますか」
『まあ…誰が一期に扮しているのかが』
「僕という男が隣にいながらあなたは他の男に夢中なんですね、悲しいです」
『うわぁ……完璧に安室さんだわ』
「今は引くところじゃねえだろ……だが作戦は変更した方がよさそうだな」
キッドがそういうと隠し持っていたリモコンのボタンを押し、床一面に青薔薇の吐息が出現した。騒然となる周囲。しかもキッドの声でこんな言葉まで添えられた。
「親愛なる鈴木相談役並びに中森警部。今回は目当ての宝石ではなかったのでお返ししますが、ただで返すのも不敬になるかと思いますので、この場にてその名称に相応しい方へお贈り致しました。その方の周辺に本物の青薔薇の吐息があります。どうぞお受け取りください」
「なぁに!?探せ!!」
「ここにあるはずじゃ!」
「え、でも身動き取れないじゃない」
「足の踏み場がない」
これは一体どういう…聞いていない事態にキッドへ振り替えると同時に青薔薇が眼前に差し出される。差し出している相手はキッドだ。受け取れと言わんばかりに彼は何も語らずに私へ一本の薔薇を差し出す。その青薔薇をしげしげと受け取るとポンっと煙が立ち込め掌に重みが加わる。自分の掌の中には青薔薇の吐息が存在していた。
『え』
「この場で一番その名に相応しい方。青薔薇のような神秘な存在感。その美しさは摘み取ってはいけない青の刻印。どうかあなたの憂いの吐息をお聞かせください、お姫様」
いつの間にか怪盗キッドへと変貌を遂げた彼に目を白黒にさせて対応が遅れてしまう。混乱する思考のままに肩に腕を回され横抱きにされてしまうと、中森警部の「キッドだ」の声よりも先にコナンくん、薬研、そして一期が此方に向かっていた。
「くそっ完全に油断した!」
「この距離じゃ逃げられちまうな、いち兄」
「わかっている」
「キッド様よぉ!わたしを代わりに連れて行って」
「ちょっと園子そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。夜子ちゃんが」
園子ちゃんの通常運転に呆れ、蘭ちゃんもまた追いかけてくれるが窓枠に足をかけ彼はその白き翼を広げ飛びだってしまう。突然の浮遊感に内臓たちが浮いてしまい「うひゃ」と驚くが夜空に輝く星空と月光の淡い輝きに瞳を輝かせた。頬を冷たい風が走り手の中に納まる青薔薇の吐息にキッドの頬を抓った。
『全く段取りを変えるならその変更した物も教えて欲しかったんですけど』
「しゃーねえだろ。ああでもしなけりゃあんたとの約束を果たせそうになかったんだからよ」
『ん?』
「これだから鈍い奴は…お嬢さん。今宵は私と夜の散歩をお楽しみください」
『……』
「笑いたければ笑っていいぞ」
それを皮切りにあまりにもキザな台詞を並べられたので盛大に笑い声をあげてしまった。お腹が痛い。真顔でよく言えるものだ。もうだめだ。ずっと我慢していたけどほんとっやばい。涙が浮かぶが風にさらわれる。
『格好いいんだね怪盗キッドって』
「そんだけ盛大に笑っておいてよく言うぜお嬢さん」
『いや、まあ言われて嬉しくない訳じゃないけど……ちょっとね』
風向きが変わりハンググライダーを暫し収めるために近場のビルの屋上に着地し、コンクリートへと下ろされる。
「その青薔薇の吐息はあなたから返しておいてください」
『それはいいけど。さて、約束を果たしてもらいましょうかね』
青薔薇の吐息をハンカチでくるみ鞄の中へしまってからキッドと向き合うと、キッドは咳ばらいをしてから真剣な表情へと替わる。
「あなたが欲しがっていた粟田口一期の情報。調度この近辺の林の中に居ましたよね、あなたとあの紫がかった美少年。その現場に彼も居たんですよ。スマホから黒い物体を生み出し、まるであなたたちを探るように身を潜めて」
『そ、それは本当なの……?!』
キッドの腕を掴み詰め寄ると彼も私の反応に驚いたのか一歩後退するが、目を見てはっきりと告げられる。
「本当だ」
キッドが嘘を言っているようには見えない。なら時間遡行軍が現れた場所に一期もいたってことになる。あの日は兼定と薬研の三人でしか現場に訪れていない。一期は何故同じ現場にいたんだ。そして端末機から黒い物体が生み出されたってなに。あの場には時間遡行軍が二体出現していたからそれを倒し、再度三体現れ殲滅した。もし一期がその場にいて此方の様子を探るように見ていたとしたらあのタイミングで三体、再び現れたその理由は。
それは…そ、れは……
震える指先を隠すようにキッドから離れ拳を握る。
覚悟はしていたはずだ。その可能性の方が遥かに高かったのだから…でもそれでも私は……ッ。
ゆっくりと息を吐きだしてからビルの非常階段を駆け上がる音に気がつき彼へ顔を上げた。
『ありがとう』
屋上の扉が開くと同時にキッドは再び宵の闇へと飛びだった。月光の元へ誘われるように。動揺を隠しきれない。でも隠さなければ深呼吸を繰り返しながら振り返ると屋上の扉の前には一期がいた。と、言っても彼は本当の一期ではない。ではないと解っていても心臓が痛いくらいに脈だつ。落ち着け……彼は違う。誰かも解らないんだ、慎重に言葉を選びこの場から立ち去り急いで薬研に、薬研に説明しなくては。
「ご無事ですか夜子さん」
『うん、平気。あ、これは青薔薇の吐息。持ってきちゃったから返さないとね』
「そうですね。あなたが無事でよかったです」
『心配かけてごめんね。さて……じゃああなたは後から来てくださいね。多分警察の人がこぞっとこのビルの真下に集まると思いますので』
「やはり気がついていましたか。私が粟田口一期ではないと」
『ええ、どこのどなたか存じ上げませんが。あなたが何か悪いことをしようとして一期に扮した訳ではないようなので、見逃してあげます』
一期?は鼻を少し鳴らして柔和に微笑む。
「お優しいのですね、あなたは。どんな人間にも」
『悪い人には手厳しいと思いますけど』
「いいえ、あなたは慈悲深い。だけどその優しさに溺れてあなたを引きずり込んでしまう輩も無きにしも非ず、だということは憶えておいてくださいね。人の欲は貪欲ですから」
一期の声で、一期の顔で、妖しく艶やかに告げられるのはとても新鮮で、不気味で、妖艶だ。背筋に冷たいものが走り思わず身構えてしまう。敵なのか、それとも味方なのか……はっきりさせたいけれど、しないほうがいい。私の拙い直観がそう告げる。だけど…何だかとっても……既視感を覚えるのは何故。
『ベルモット……?』
女性ではないと思っていたけど、もしかして女性なのかな。そういえばあのミステリートレインの際、彼女は男の姿も完璧に装っていた。しかも体格さは結構あるあの体躯のいい男に。あの時は赤井さんの存在を知っていたから消去法で、あれは変装の達人であると直ぐに見抜く事が出来たけど。もしかして実は女で、私を観察しに来たっていうのも無いとも言い切れない。ベルモットは私の近辺に出没した。何かを探っているとも考えられる。それもバーボンに内密で。だから彼が来ないことがわかっていた今回の現場に来たっていうのも納得が出来る。身内である薬研の目も欺く変装術。それが出来るのはこの世でたったの三人しか私は知らない。今回もその消去法でいけばもう答えはそれしかなかった。
私の言葉に一期は静止する。次第に口元を和らげ彼女独特の笑みを浮かべ始めた。
「あらよくわかったわね。今回は結構巧く化かせたと思ったのに」
『何の用ですか。二度も私の前に現れるなんて…もしかして例の件、漸く解ったのですか』
「……いいえ、まだよ。今回はもう一度確認のために来たの」
『確認?』
「ええ。情報が錯綜しているからもう少し視野を拡げてみようと思って、だからその前に再度確認してからが確実に調べられるんじゃないかと思って、ダメかしら?」
『……それで効率が良くなるなら構いません。私があなたに調べて欲しいと頼んだのは以下の一点のみ。五条夜子と私のDNA鑑定です』
再度告げると彼女は一期の変装を解かずに、また一期の声色のままで「わかったわ」と答えた。
一歩前に踏み出し、彼女は私の前に立つと触れそうな距離に来てはその手を伸ばすことはせず琥珀色の瞳を揺れさせる。その波紋する琥珀に喉から、語源や言語、音さえも発することは敵わなかった。いや、してはいけない気がした。
「調べがつくまでこちら側には近づいては駄目よ……いいわね」
約束をするように言い聞かせられるが、私は返答しかねた。肯定もせず目を細め私は一歩を踏み出す。そして彼女の真横を通り過ぎ屋上から立ち去った。
今宵の騒ぎをまるでなかったかのように振る舞う人々を嘲笑するように月だけが天高く鈍く輝きを放っている。
階段を降りながら携帯を取り出し無機質なコール音に耳を澄ませる。五度目の音は消えた。「どうした」少し上擦る彼の声に息をゆっくりと吐き出す。
『統率者は一期一振だ』
視界が歪む。ポタポタとコンクリートに落ちていく欠片を袖口で拭いながら下唇を噛みしめた。静かになる通話のその先。機械という無機質から柔らかな音が届く。ただ一言「そうか」と。
通話をきり、コンクリートに囲まれた階段をタンタン、と規則正しいリズムで降りていく。外界からサイレントの音が唸る。その音と共に人々の声がたちこめていた。一歩ずつ下る度にその音は近づいてくる。
何故、そんな単純な疑問しか浮かばない。
間違いであって欲しいと何度も思った。浮上しただけの疑惑だとそんなものは直ぐに消えてしまう泡であったのだと信じたかった。だが、頭の隅で彼の可能性を捨てきれなかった。どこかで納得している私がいる。全ての事実に理由をつけて疑わしくないものに印をつけていった先にあった答えこそ、限りない真実である。
コナンくんは可能性がある限りその人物が犯人ではないと証拠を集め謎を紐解いていく。それでもその人物が犯人だったなら、信じたくない理由があっても真実を葬ることは出来ない。彼はそう言った。
扉を開けると眩しい蛍光灯の輝きに照らされる。中森警部に詰め寄られ問いただされたが、首を左右に振って宝石を手渡し背を向ける。息を上げながらコナンくんが私に何か言っているが、彼の姿を映すと喉の奥がきゅっとなった。瞬きの回数を増やし、膝を地面につくとコナンくんの首に腕を回して縫いついた。
「夜子ねえちゃん」
コナンくんは驚きながらも歯を食いしばり声を押し殺す私の小さな抵抗に気がつき、その場に立ったまま彼は何も言わなかった。
真実はいつだって誰かの身を裂く凶器なのだと私は、思い出していた。