上着を脱いで袖口の所を破り止血用に裂いて包帯状にしてから彼の腕に触れた。
『見せて』
素直に応じた彼の抑えこんでいた腕はぱっくりと裂かれていた。見慣れたその怪我に息を呑み裂いた布を当て血を止めるために止血を始めた。
「ここにいて大丈夫なんですか」
『一体は倒したから残り一体だけですし、今は大丈夫です』
「先程の行動は敵を拡散させるための処置ですかっ」
『痛みますか?』
「大した事ないですよ。きみの怪我に比べれば」
『……なさい』
「夜子さん?」
『ごめんなさい』
布を巻いている途中で手を止めてしまう。震える指先を隠す事も出来ずに込み上げてくる激流に私は息を詰めた。それでも重力に従って波紋する瞳から流れ落ちてしまう。
もっと早くに言うべきだった。もっと……こうなることはわかっていた。いずれこうなるってわかっていたのにわたしは……護れる程強くも無いと自覚していたのに、怪我をさせた。あと一歩間違っていたら死んでいた。死なせてしまっていた……私が、彼を死なせるところだった。
袖口で目元を拭い涙を枯らせる。泣く資格など今の私には無い。
じくじくとして痛いはずだ。私は幾度となくその痛みを味わって来た。だからこそ彼が怪我をしていい理由など何もない。遠ざけなければならないのに言葉を濁して言わなかった私の所為だ。関係のない人が傷つくとはこういうことだ。こういう事態を招くんだ。何が怪我をしても生きていればいいだなんて言えたものだ。怪我をさせること事態が問題じゃないか。馬鹿なんじゃないか……弱い癖に、弱虫で臆病で情けなく不甲斐ない癖に。ヒーローにもなれない出来そこないの偽善者の分際で、傷つくのも傷つけられるのも恐い癖に。だから、だから自分が傷つく方を選んだくせに……結局私は何も……何一つ出来ていないじゃないか――ッ。
「夜子さん。謝らないでください。元はと云えば僕があそこに居たのが原因で」
『でもあなたが傷ついていい理由は何処にもないです』
「それはきみもだろ」
『アレは私の問題です。だから安室さんは巻き込まれただけの被害者。傷つくのは私だけで充分です』
巻き終えると指を離し膝に置いて握りしめる。その手の甲に安室さんは触れてきた。
「きみだって被害者だ。きみの所為じゃない」
『私の所為だ!私があなたを殺すところだった……!』
「夜子さん。それは違う」
『違わない!私は弱いんだ!弱いから誰も護れない。傷つくのも傷つけられるのもいやなんだ……だからっ』
肩を掴まれて顔を上げさせられるが私の瞳には嫌でも流れていく。滴の所為で何も見えない。資格なんてないのに、最低で最悪だ。唇を噛みしめて腕を離す様に触れるが、彼の力は強まるばかり。
「夜子さん、こっち見てください」
『……』
「夜子さん」
『……』
首を左右に振り拒むと彼の声が突然冷えた。
「夜子」
『ッ、ン』
顎を掴まれ唇に押し付けられる同等のもの。息さえ止めさせるその突然の行為に眼を丸くさせ、息を詰まらせる。呼吸が困難になるほど塞がれて腕を掴み引きはがそうとすると、唇が離れ口を開けて空気を取り込み咳込む。
『なっ、なにし、んふッ!』
口内に舌を挿しこまれ眼を廻した。苦しく息さえ奪うような強欲さに腰を引かせるが、いつの間にか腕を回されその腰に手が添えられ、逃がさないように固定される。唇の併せに隙間さえ許さない征服されていく感覚に身体が抵抗を示し、彼の身体を押しだすがぴくりともしない。いやだ、と拒んでも彼は放してくれないまま呼吸を求める度に彼の唾液が流れ込んで口内に溢れる。喉に流れていくものもあれば飲みきれなくて口端から零れ喉を濡らす。引っ込める暇もない舌を絡め取られざらざらとする質感が合わさり、筋を舐められる。
『ん……あ、は……っ、んっ』
「……ん、ふっ……」
なんなのこの状況。意味がわからないんだけど、ていうか……ほんとっふざけんなッッ!!
口内を好き勝手に暴れる舌に歯を立てて思いきり噛んでやれば唇が離れた。どろっとした唾液がどちらのものかわからないけど、唇を濡らし顎へ伝って垂れていくがお構いなしに掲げた平手が頬目掛けて炸裂した。乾いた綺麗な音と共に手の甲を持っていき拭う。息を整えながら視線を落とす。まともに見られる訳ないだろ。
『何を考えてるんですかッ』
「きみの事だけですよ」
舌に残る鉄の味に口元を手で押さえる。眉を顰めて彼の方へ視線を向けると下唇を舌で舐めとる際に歯型の痕を見つけてしまい、背を向けて両手で顔を覆い地面に伏して苦しむ。
あああ゛――――ッッ!!!
『もう……やだ。この人なんなの』
「すみません。涙を止める術をこれしか知らなかったもので」
『おめえさんがイケメンじゃなかったら処されるからな!』
「いつもの調子が戻ったようですね、よかったです」
対象的に爽やかな笑みを浮かべる目の前の男に殺意しか湧かないわ。はいはい経験値の差ですか。こっちとら思考回路が追い付かねえよ、ショート寸前。いやいや……バックアップも難しいとですよ。既にぶっ壊れ状態。悲惨……乙女のときめきを私は忘れていないのになにこの喪失感。怪盗に盗まれた方が最高じゃねえか。
『喪失感パナいよ。ほんまっ顔だけ男きらいぃ』
「その様子ですとやはりファーストキスでしたか?知ってましたけど」
『歯を食いしばれおんどれら』
胸倉を掴み拳を掲げると、槍が近くまで来ている事がわかり手を放し姿勢を低くし草影に隠れながら周囲へ視線を送ると槍が姿を現す。まだこちらの気配には察知していないようだ。槍は真っ直ぐ私を狙いに来たということは太刀とは違う。だが、あの太刀は何故関係のない人間を襲ったのか。今までこんなことはなかったのに、突然襲いだすってことはそういう風にし向けたってことだよね。でも一体何故このタイミングで……。
「どうやら相手は此方の居場所を正確には掴めていないようですね」
『あの…何故居るんですか』
「きみが心配なので」
『視えていない癖に何をおっしゃいますか……え、視えてるんですかいま?』
「どうやら視えますね」
え、なんで?小首を傾げると安室さんは口元を引き。私の切れた頬に親指が触れる。
「これできみの盾くらいにはなれますね」
ほら吹きにも程がある。眼を点にしていると槍に気がつかれたのか安室さんに頭を掴まれ下げさせられる。頭上を鉾が通り過ぎる。その場から離れようと二手にわかれて逃げ出すが、槍は間髪も入れずに安室さんに向かって突いてくる。槍も安室さんを狙い始めたと思ったが軽々と避ける安室さん。柄を掴み、持ち手の部分を足蹴りで折った。……え、折れるのアレ。ただの棒きれを手にする槍はそのまま飛んできた足に思いきり投げ飛ばされ木々を背に倒れこむ。その姿を呆気に見てしまった。
「通用する様でよかったです」
『(に、人間なのか…このひと)』
「最後はお願いします」
『あ、はい』
起き上がる槍に向かって私は矢を放つ。頭部を貫き消滅を確認したが、これで終わりではなかった。草むらから突如現れた脇差と打刀。咄嗟に安室さんの身体を地面に押し出しゼロ距離で脇差を弓で叩き払い飛ばすが打刀の上段からの刃に弓で防御するも耐久性がないため、粉砕される。丸腰になった腹部へ蹴りが入り、身体が軽々とふき飛ばされる。木の幹にぶつかるかと思われたが間に何か入り少し硬めの材質に背中を打ちつけゆっくりと崩れ落ちる。その寸前で身体を支えられ抱きとめられた。片目を開けると安室さんが顔を歪めながら私を庇ってくれていた。
その姿に目を見張る。
「大丈夫ですか」
なんで……っ。震える唇が音を発する前に銃声の音が響き渡った。それは迫りくる脇差と打刀へ向けた威嚇射撃。音に導かれるように目を向ける先には一期が両手に拳銃を携え立っていた。
『いちご』
「夜子さん。今は殲滅することだけに専念してください」
一期の言葉に目元を拭い立ち上がる。投げて寄越された木刀を手に取り、打刀へと駆け抜ける。金属音が重なり合い、激しい打ちあいが始まる中。一期が安室さんの傍へ行き脇差へと銃弾を撃ち込み続ける。
「私は忠告しましたよね」
「そうでしたか?」
一期は安室さんへ拳銃を一丁貸し与える。
「精々足掻いて見せてください……人間殿」
打刀との激しい打ち合いに力で圧す事は不可能。ならば靴で地面を蹴り砂で浴びせ目晦ましさせると片腕を斬り落とす。血潮が飛び散りかかる中、距離を開けて腕で拭う。乱れる息を整えながら太刀筋を思い出しながら、足を開き構える。同時に踏み出し駆ける中一発の銃弾が打刀の手元を狂わせ、その一瞬に生まれた隙に狙いを定め思いきり踏み込み両手で握りしめる柄に、力を込めて凪ぐように払った。胴体が別れ崩れ落ちる打刀を背に、一期が脇差の注意をひきつけている。その後ろから近寄り上段から振りおろし左右に胴体を分断させ鮮血が顔に掛る。眼を瞑り肉の裂ける感触と焼ける様な痛みを思い返す。全てが風化していき、争いが嘘のように静まり返った森の中でささやく木の葉だけが騒がしく音を立てた。
「夜子さん」
一期の声に瞼を持ち上げ傍に立った彼の顔を見上げた。そこにはみなまで言わずとも解り、首を縦に振る。すると一期は拳銃をしまい自身が来ていた上着を肩にかけてくる。安室さんに背を向けたまま、一期だけは彼に振り返る。
「夜子さん怪我はありませんか?」
『大丈夫です。それより安室さんは大丈夫ですか』
「ええ、これくらいなら何も問題はありませんよ」
『そうですか』
一歩足を踏み出すと彼にもう一度名前を呼ばれ一期が私の肩に腕を回してくる。下唇を噛みしめながら橙の空を仰ぎ見た。
もう……潮時だ。もう誰もあんな目に合わせてはいけない。あんな……思い返す度に感情が込み上げてくる。そのせり上がってくるものを必死に抑え込むと一期に肩を抱かれる。この温もりを忘れてはいけない。息を口から吸い込み冷ややかな空気が喉を透った。
『もう私に構わないでください』
「……」
『さようなら―――bourbon』
一度も振り返らずに私は一期と共に彼の前から立ち去った。