黒曜狗は待てさえせず-四






袋小路の端くれで悲痛と悲嘆が混じり合う。恐怖とは何か、畏怖とは何か。人は本当の意味で惧れを知らない。
谷崎の背後から現れた芥川の存在に敦は息を呑む。彼は人を抱えている、白く髪の長い華奢な娘のだらりと落ちる腕が歩行する度に揺れていた。

「お初にお目にかかる。僕は芥川。そこな小娘と同じく卑しきポートマフィアの狗」

顔を逸らし咳ごむ芥川はずれ落ちる娘を再度抱え直す。その際敦の眼にはっきりと識別できた。思わず口から滑り落ちる程に。

「色葉さん」

か細い声にも拘わらず芥川は名を口にした敦へ虚ろな瞳を刺す。其処へ樋口が駆け寄る。色葉を引き取る様に肩腕に触れた瞬間、芥川は目の色を変えた。

「触るな」
「然し彼女を抱えながらではッ」

足を下ろし意識のない色葉は当然立てない。崩れ落ちる脚の間に足を入れ腰に腕を回し体重をかけるように抱えると両の手を自由にさせた。其して其の手で樋口の頬を叩いた。彼女のサングラスが宙を飛ぶ。

「人虎は生け捕りとの命の筈。片端から撃ち殺してどうする。役立たずめ」
「――済みません」
「人虎…?生け捕り…?其れに色葉さん……あんたたちは一体」
「元より僕らの目的は人虎と内証者のみ。そこに転がるお仲間はいわば貴様の巻き添え」
「僕のせいで皆が――?」
「然りそれが貴様の業だ人虎。貴様は生きているだけで周囲の人間を損なうのだ」

敦の中に蘇る記憶。罵詈雑言が押し寄せる波となり彼の心を覆い隠していく。抵抗意欲を削ぐ為に異能を発動し態と敦の真横のセメントを削り「次は脚だ」と予告する。怯え震える弱者の存在を見据える芥川。其れに寄りかかる色葉の躯が反応を示す。まだ指一本すら動かせないはずだがまるで反論する様な所作に芥川は腰に回す腕に力を込めた。

「云われたくなければ堕ちてくればいいだけ……貴女が悪い」

敦の意識が息も絶え絶えに「逃げろ」と告げる谷崎へ。其の隣に居るナオミへと向き。何かを施され身動き一つも執れない囚われた色葉へ視線が向く。浸食を止め、境地に立ち塞がる最後の滴と共に咆哮を上げた。芥川へと暴走。自決かと思いきや芥川の死角になっている足元へ滑走し色葉の足首を掴もうと伸ばした寸前で其れだけは芥川の手に寄って阻止される。色葉の躯を持ち上げ樋口へと彼女を投げ渡した。緊急事態での対応処置。樋口は色葉を受け止めるが後ろへ倒れこむ。彼女の下敷きになり無事に受け止めてみせた。其の様子に苦虫を潰す思いで敦は滑り乍ら樋口の銃火器を手にし、構えて躊躇わず連射させた。
だが其の一瞬の反撃も虚無へと送られる。空間事喰い破った芥川の悪食は宣言通り敦の右足を喰いきった。断末魔の悲鳴がのたうち回る。血潮の香りが眠る彼女の鼻孔まで届き僅かに瞼を震わせた。鼓膜を刺激する声に指先が少しばかり動かし始めた色葉の様子を抱き留めている樋口には伝わる。何も告げずとも芥川は傍まで咳をしながら歩み寄り色葉へと手を伸ばす。其の直前で纏う空気が変化した。悲痛な声は聞こえない。替わりに獣が唸り声をあげた。先程まで蹲っていた敦は壁に四つん這いで立っている。其の姿が「月下獣」へと変化していく様を芥川は好戦的に声を弾ませた。

「そうこなくては」

樋口に其のまま色葉を預け対面する。ふたりの異能力者がぶつかり合う。其の凄まじい破壊の音は樋口を戦慄させる。樋口の意識が其の闘いへと集中する最中、色葉は確実に覚醒へと近づいていた。
重たい瞼は未だ持ち上がらないが、彼女の意識は既に戻ってきている。充満する血と火薬の臭いに眉を寄せ人差し指の第一関節だけ動かせることを知る。耳を*て周囲の音を探ると微かな息遣いが届く。生体反応からして二人の男女だと判ると其れが自身と共に働く仲間であることも理解した。
簡略的だが策を浮かべ其れを実行する。静かに異能を発動させ其の音は此の場に居る凡ての人間の脳内に語り掛けられた。

『 甘味は此れだけですか? 樋口さん 』
「……え。何処から声が」
「今のはっ」
『 睡眠薬に神経系の毒を混ぜ私を戦闘不能にさせる策は鮮やかで見事です。流石芥川くん。私の事を佳く解ってらっしゃいますね。其れ比べて樋口さんの先日の策は愚策にも程があります。あの程度で佳く彼の隣に居られますね、感心致しました。樋口さん 』
「黙れッ!!小娘はお前の方だ!お前は先輩の何なんだっ」

樋口は動けぬ色葉を地面へと叩き落とし其の躯に足を振り下ろした。ヒールが彼女の脇腹に食い込み其のまま蹴り飛ばされ谷崎が倒れる場所まで飛んでいく。
嫉妬に荒れる樋口がゆらりと立ち上がり抵抗も出来ぬ色葉へと向かう最中、虎が彼女の背に襲い掛かった。影に気づき振り返るや否や獰猛な前足の鋭利な爪が樋口の眼前に迫る。其れを見かねた芥川は異能で虎の胴体を二つに切り裂いた。
其の場に座り込む樋口を余所に咳をしながら色葉の元へと足を運ぶ。口端から零れる血液を拭おうと膝をつき指を伸ばした直後。目の前から色葉が消えた。

「……っ雪?」

季節にそぐわぬ雪を見て此れが虚像であったことを理解すると急ぎ振り返る。其れは色葉だけでなく虎さえも虚像であった事を見抜いたからだ。其して其の虚像を見せた異能力者、谷崎は地面に這いながら色葉の手を繋ぐ。
羅刹が顔を覗かせるが、芥川にとって今は虎を生け捕る事が最も最優先すべき項目。好戦的な態度で再び相まみえた。



次で終わるといいな、と思う。太宰さんは既に屈伸運動をしながらスタンバイして次の話まで待機中です。多分こんな感じ→「私の色葉ちゃんがッ!!」ってなってると思う。期待する